どこの教会にも祈り会というのがあります。
クリスチャンたちは祈祷会と言いますが、
先日面白い話を聞きました。
クリスチャンではない人が、
教会にには祈祷会があると聞いて、
「えっ、祈祷会って何をするんですか?
お祓いみたいなことをするんですか?」
確かに「祈祷会」で画像検索すると、
そんなお祓いの場面ばかりでてきて笑える。
だから、外では「祈り会」とか「お祈り会」と
言うことにしています。
…ここで再び検索。
お祈り会…と
あかん、やっぱ仏教系、カトリック系がほとんどだ。
プロテスタントがんばろうよ(笑)
私たちの教会では今、
祈り会の中で、
ハ・ヨンジョ牧師の
『祈り 天のとびらを開く』を読んでいます。
3月まで祈り会を導いていた先生が、
1章ずつをまとめて、
最後にご自分で奨励をされていました。
私はここの祈り会に出るようになって、
ああ、ここではこの本を使っているのだと思って、
すぐにネットで注文して買ったのですが、
なんと、出席者誰も持っていない…
おいおい、みんな買おうよ。(^_^;)
と、私に代わってから言うと嫌われるので、
言わない。(笑)
それにしてもいいこと書いてあるのよ、この本。
ちょこっと抜粋します。
クリスチャンにとって最も重要なことは、聖霊を体験し、聖霊とともに生きること。
神はわたしたちに聖霊を与えることを願っておられます。聖霊の臨在のないクリスチャンは最もあわれなクリスチャンです。聖霊が私たちに臨むと何が起こるでしょうか。
①力を受けます。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで私の証人となります」(使徒の働き1章8節)聖霊が臨むと力が現れます。それは威圧的な破壊的な力ではなく、愛する力であり、赦す力であり、理解する力であり、あわれみを与える力です。また、この力はすべての民をキリストのもとに導く力です。聖霊が私たちに臨めば、私たちはイエスをさらに深く知ることができ、聖霊に満たされた生活を送るようになります。
②従うことができるようになります。
従順は、クリスチャンの人生のクライマックスです。聖霊が臨めば、従う霊、服従する霊が生じます。従順は支配よりも強いものです。
③実を結ぶ人生を生きるようになります。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ5:22~23) 聖霊が私たちに臨めば、謙遜になり、自制するようになり、言葉にできない喜びにあふれる人生を生きることになります。
この最もすばらしい神の贈り物は、祈る人だけに与えられます。さらに熱心な祈りを通して、聖霊に満たされた人生を生きていきましょう。
聖霊の力は、愛する力、赦す力、理解する力、あわれみを与える力。
うんうんなるほど、威圧的な破壊的な力じゃないのよね。
あと従順というのは、神様に従順ってこと、
みことばに従順、聖霊の導きに従順ってことなのよね。
まいまいがいいこと言ってました。
この世の価値観とは違うところだねって。
人は、従うよりも支配したいと思うし、
その方が強いと思うと思うけど、
でも、クリスチャンにとっては、
支配よりも従順の方が強いし、
価値があるんだねって。
さすが(^^♪
そして最後、この最もすばらしい贈り物、
つまり聖霊は、祈る人のみ与えらえる。
イエスを信じたときに、
聖霊はわたしたちの心の中に住んでくださるけど、
聖霊に主導権を明け渡し、
聖霊に満たされるためには、
やっぱり「祈り」が大事。
祈る人のみ与えられる信仰の醍醐味なのです!
祈ろっ!とまたまた決心しました。
感謝主!