文字通り、大東亜戦争後に練護国の捕虜となった方たちの虐待の記録である。もちろん戦犯などと言うのは、嘘でっち上げであり、捕虜を虐待するための口実である。連合国は、緒戦で敗北した姿を植民地の人々に見られる屈辱を味わい、その結果、植民地が独立してしまったための復讐をしたのである。有名な会田雄次氏の「アーロン収容所」とは桁違いの連合軍による残虐行為が書かれている。
それも戦中、怒りや恐怖に駆られての虐待なら、心情として理解できなくはない。だが戦後冷静になってから平和な時期の非道を極めた虐待である。虐待のあげくの殺人などは珍しくもない。これらの行為は、欧米の植民地で日常に行われていたことと同一であろう。欧米の植民地支配に対する、現代日本人の無理解には、とんでもないものがある。結局、辛くて読破できなかったのは、著者や犠牲者の方々に申し訳ない次第である。
だひとつ「旧来の国際慣例からいっても、講和成立とともに戦犯者に対しては大赦が行われ、たとえ大赦条項が適用されなくとも、当然のこととして戦犯は放免されるのが常であった。第一次大戦後のベルサイユ条約でも、ドイツ戦犯者の引渡し要求は事実上空文と化し、ドイツみずから、国内裁判で、きわめて少数のものを軽い刑に服させたのみである。(P31)」と指摘しているのも重要である。結局第二次大戦後は、連合国はこの慣例を無視するという時代に逆行することを行ったことが書かれていることを指摘しておく。