毎日のできごとの反省

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バターン死の行進はなぜ起きたか

2015-03-15 12:45:24 | 連合軍の残虐

バターン死の行進はなぜ起きたか 

 私はバターン死の行進と言われる捕虜虐待がなぜ発生したかを問うているのではない。以下は「インディアン悲史の書評の一部の再掲載である。 

「涙のふみわけ道」(Trail of Tears)とはチェロキー・ネイションの強制移住である。単に白人達に邪魔だと言うだけで、着の身着のままで1300kmも移動させられ、死者は四千人、四人に一人が死に、死者を出さなかった家族はいなかった(P208)。単に移動だけではない強姦殺戮も行われたのである。しかし大統領はインディアンの了解にもとづいて行われて幸福な結果をもたらした(P208)と国会に報告するほどの恥知らずである。アメリカ人はありもしない「パターン死の行進」を日本軍の残虐行為をでっちあげているが、その米人ですら、「涙のふみわけ道」にくらべりゃ、パターンの死の行進なんざそんじょそこらのピクニックみてえなもんだ(P152)」と評したのだ。要するに「バターン死の行進」とは自分たちの行為を日本人に投影して発明した嘘である。嘘をつく人間は自分がしそうな悪事を人がやったと言うのだ。 

 と書いた。戦争にあたっては政府は自国民自身をも欺く宣伝戦も行う。「民主義国家」も例外ではない。第一次大戦の際には、英国はドイツびいきが意外に多い自国民に、ドイツ軍の残虐行為をでっち挙げて、国民をドイツとの戦争に駆り立てた。米国は、それを更に上を行って、日本軍の残虐行為をでっちあげたのである。日本軍は収容施設に捕虜を移送する、という当然のことを行ったのに過ぎない。それは、第二次大戦で初めての大規模なものであったが半分は鉄道輸送だったから、距離からすれば、涙のふみわけ道の20分の1に過ぎない。しかし米国人にとって、自ら行った、距離から言えばはるかに大規模で、内容からも残忍な、涙の踏みわけ道、と同じものでなければならなかったのである。そんな大嘘のプロパガンダを、愚かにも、現代日本人は信じているのだ。

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