毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

映画・山本五十六

2013-02-17 13:22:42 | 映画

このブログに興味を持たれた方は、ここをクリックして、ホームページもご覧下さい。 

 平成24年に作られたものだが、よいしょ山本五十六とも言うべき映画である。半藤一利氏が監修したと言うから当然であろう。脇役に玉木宏演ずる今風の正義感あふれる新聞記者と香川照之演ずる、軍国主義迎合の御用記者風の上司が重要な脇役になっている。

 ところが小生には、御用記者の言動はまっとうに聞こえるし、当時のアメリカの新聞の論調も御用新聞、よく言えば御国に忠節であると言う点では全く同じであった。今の中共のマスコミが、政府の飼い犬であるというのは全然意味が違うのである。だから意図せずにこの映画は国策と言論のあるべき正しい姿と、それに見合っていた当時の言論を反映している。

 だが最後に、香川の記者がゲラ刷りの民主という文字を指して、これを最大限大きくしろ、と指示しているのは元軍国記者が平然と戦後の風潮に染まったことを揶揄している。この記者は信念も何もなく常に時流に迎合しているとでも言いたいのである。これは嘘である。朝日新聞は米軍に占領された後も原爆投下批判するなど、戦中と論調は変化しなかった。だから昭和20年9月にはGHQにより二日間の発効停止を受けた。これに畏怖した日本の全新聞は一斉にGHQに迎合する論調に転じた。香川の記者の転向には理由があったのである。占領中の日本には言論の自由もなく、従って民主主義もなかったのである。GHQの検閲は現在の中共政府より巧妙かつ徹底している。GHQによる過酷な検閲や発行停止という言論弾圧を描かずに、記者の転向を揶揄するのは嘘をつくのに等しい。

 ミッドウェー海戦で、山本の座乗する旗艦が空母の存在の可能性があるとの受電をしたときに、山本が南雲艦隊に打電しようか、と下問すると幕僚が南雲艦隊も受電しているはずだし、無線封止を解くと攻撃を受ける恐れがあると言われて断念する。敵空母せん滅を企図しているのならとんでもない話である。第一山本の座乗する旗艦は南雲艦隊より五百キロも離れていて、電波を探知されても攻撃される恐れはない。多くの最高指揮官のように山本が最前線で指揮をとっていたのなら、無線を使わなくても艦載機を飛ばし南雲に連絡は可能だったのである。山本が艦隊指揮にいつも後方の安全圏にいたのは、当時の通信レベルからして指揮官失格である。日本海海戦の東郷元帥が旗艦に座乗して自ら指揮をとったのとは違い、山本は、指揮する艦隊が交戦中に指揮もとらず、戦況も確認せずに、はるかかなたの戦艦の中で将棋を指していたのだから話にはならない。

 ガダルカナル攻防の後山本は、マリアナまで戦線を縮小したと言うが、そもそも大本営の方針に反してミッドウェー攻略にまで際限なく戦線を拡大したのは、真珠湾攻撃の成功で夜郎自大になった山本率いる連合艦隊である。しかも捨石だと言ってラバウル攻撃隊を残置して、撤退ではないと言い張つたとこの映画では描いている。その結果、多くのベテランパイロットを損耗すると言う愚を演じている。

 この映画では山本が反戦平和主義だったことになっているが、事実に反する。山本は、軍縮条約交渉に派遣されると、財政のひっ迫を訴える大蔵省の賀屋興宣をぶん殴ってやる鉄拳を振るうと恫喝している。対米戦を企画して艦隊予算を取ろうとしていた海軍は親ソ反米であった。だから独ソ不可侵条約が締結されると、一転して日独伊三国同盟賛成に転じた。独ソが敵対関係でなくなれば、ドイツと組むことはソ連とも組むことになる。だからその後ドイツがソ連に侵攻すると日ソ中立条約が結ばれたことは、海軍にとって対米戦の旗印を降ろさないのには都合がいい。

日本がドイツと軍事同盟を結んだまま、ドイツがソ連と戦えば、日本は対ソ戦を優先しなければならないからである。三国同盟締結の時点で山本が反対した形跡はない。海軍が三国同盟に反対したのは、ドイツとの提携による対ソ戦の可能性が高まれば対米戦備の必要性が薄れるからで、独ソ提携によりその懸念がなくなったからである。海軍は艦隊予算が欲しかったのに過ぎない。山本が航空戦備を重視したのも対米戦のためであることは、別項でも論じた。航空戦備の充実で山本は対米戦への自信を得たのである。

 山本の最期の描き方は実に奇妙なものである。P-38に襲われた陸攻で山本の隣にいた参謀は機銃弾で全身を撃たれて戦死した。一方山本五十六は硬直したように前方を凝視したまま動かない。あたかも既に死んだかのようである。ところが、山本は出血も何もない。実に奇怪な最期である。以前の定説では山本は機銃弾で機上戦死したことになっている。多くの本では頭部や体に銃弾を受けたことになっているが、明らかな嘘である。頭部に機銃弾を受けたはずの山本は墜落後端然として椅子に座っていたと言う。だがP-38の12.7mm機銃弾が頭部に当たっていたら粉々に飛び散って首なし死体になっているはずだからである。

 ところが1986年に出された「山本五十六の最期」では、検視の調書を見た医師は、山本が墜落後かなり長時間生存していたのだと判定した。その上着衣にはほとんど血痕が見られないと言うのだ。その後出版された「山本五十六自決セリ」では、山本は生きていたどころか拳銃で自決したと言うのだ。山本シンパのこの映画の脚本家は、海軍が機上戦死に偽装したように機上戦死説にしたかったのだ。二冊の本が機銃弾を受けなかったことを論証していることを無視はできなかった。従って何が原因かもわからず、あたかも空中で戦死したような奇怪な最期にしたのである。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-03-05 13:46:36
とおりすがりですが、どうしてもこの記事の映画評論があまりにもひどいと思ったのでコメントします。

1.
香川演じる記者の変貌についていろいろ書かれておられますが、
この記者の「この民主化の文字は最大限デカくだ」は、マスコミの行動を揶揄しているという一側面で見るものではないです。
この二人の記者は、当時の日本の世論や風潮、悩みや葛藤を表現する為のキャスティングです。
当然揶揄も入ってますが、それだけのための表現ではないでしょう。
二人イコール「マスコミが」ではなく、「日本が」という比喩であり、あのセリフだけで、日本がクシャクシャにやられた後に「強制的にも」「自発的にも」変わって行こうとする日本人の姿を描いているのです。
「これは嘘である」なんて言うのは製作者に失礼です。

2.
ミッドウェー海戦の無線封止を解くやり取りについても、「山本五十六が前方に出ていない」ことを伝えたいが為の引用なのかはわかりませんが、あれはただ単に「封止を解けば、山本だけでなく南雲含む日本の艦隊の接近が気付かれる」という描写でしょう。それ以上でもそれ以下でもない。

3.
山本の最後の場面で、出血していないとありますが、出血してます。明らかに。見落としです。生々しく描写していないので見逃したのでしょう。


僕は別に山本シンパでもないし、この映画に対しての評価もさほど高くつけておりませんが、
ここまで著しく間違えた評論を読むと、コメントせざるを得ません。
筆者の歴史考察については何も言いませんが、映画の評論というものを勘違いしておられる。
面白いとか面白くない、の感想は自由ですが、「分析」するのは簡単に手を出すことではない。
それでご飯を食べている人もいるくらいですから、難しいのです。
映画は歴史教科書ではなく、演出してどう見せるか、です。
作り手は相当練って作り込む「作品」です。
筆者が記事にするにあたり、よく映画を確認しておられるのは文面でわかりますが、
もっとよく味わってから批評してください。


ちなみに、筆者の他記事における歴史考察は素晴らしいと思います。豊富な知識と分析がなされ、あのような記事はそうそう書けません。



このコメントは荒らしでもなく、ただ単なる映画好きの通りすがりの意見として伝えたかっただけですので筆者様が読んで頂ければ、この一文含め、アップしない、もしくはすぐ消す等自由にしてください。
返信する

コメントを投稿