映画評論・地獄の戦場
このDVDはたまたま、ホームセンターで100円(!)で買ったものである。お断りしておくが、以前ある「映画評論」をしたら、ある方から映画評論になっていない、と厳しいコメントをいただいた。そうであろう。小生は映画について語るのに、映画をあたかもノンフィクションのように、歴史や民族性の反映を読み取ろうとする、という悪癖を持っているからである。そのことを前提に読んでいただければ幸いである。なお、その方からは、映画評論以外のブログについては過分な評価をいただいたことも付言する。
昭和二十五年即ち、戦後間もなく作られた米国映画だから、戦時の気分が判っていた世代が作った映画であろう。半世紀近く前の映画ながら、「総天然色」で平成の初めの頃のビデオより、余程画質が良いのには驚かされる。
海兵隊の物語で、ガダルカナル、タラワを戦ってきたというし、日本軍のロケット攻撃の偵察任務がテーマだから、硫黄島攻防戦をイメージしていると推察する。日本軍は上陸中の米軍を攻撃せず、上陸部隊をひきつけて戦闘開始していることからも間違いないだろう。
上陸前の指揮官の以下のような全軍への訓示が興味深い。字幕と直訳が著しく異なるところは両方記載した。
字幕:今までは殺すように指示してきた。
英語の直訳:我々は死んだジャップは良いジャップと言ってきた。
字幕直訳とも:捕虜獲得作戦に変更する。
字幕:敵兵から情報を聞き出せ。
英語の直訳:話の出来るジャップは良いジャップ。(Jap's who tells about things good Japs)
字幕直訳とも:これは命令だ。チャンスがあれば必ず敵兵を捕らえて来い。
という次第である。いままで、死んだインディアンは良いインディアン、というスラングを小生は「良いインディアンは皆死んでしまって、ろくでなししか生き残っていない」と解釈してきたが、この字幕が正しければ、誤解していたのだ。本当は「インディアンは皆殺しにしろ」という意味だったのかもしれない。
海兵隊の指揮官やその他のいくつかの証言で、米海兵隊は捕虜を取らない方針、すなわち日本兵は皆殺しにしろと命令されていた、と言われていたが、この映画はそれを公言しているのである。
最後の場面である。主人公の偵察隊長は、7人の部下のうち4人が戦死、1人が失明の重傷と悲嘆にくれる。そして、戦死した作家だった衛生兵が書きかけたメモを部下が発見して、偵察隊長に読んで、最後まで完成させるように言うが、隊長はメモを捨ててしまったので部下が皆に読んで聞かせる。字幕は聖書風にうまく訳しているのでそのまま書いた。以下の通り。
私たちは自問する「なぜ生きるの者と死ぬ者がいるのか」
答えは「神なる存在にある。生かされるには理由があるのだ。」
その理由を考えてみよう。
戦争体験者として、世界の人々に、語り継ぐ使命がある。
戦争は人類にとって脅威だと。
失った者を心に刻むんだ。
国が弱ると命が奪われる。我々は世界の一部だと自覚しよう。
弱ければ万人が弱る。自由を失えば世界も失う。
海兵隊B中隊はここに誓う。
祖国に帰れた者は苦しみを忘れず、国に力と勇気と知恵を与えるのだ。
恐れることはない。我々のそばに神はいる。
私たちは・・・。(We must・・・.)
メモはここで終わっている。書き終えなかったのだ。すると主人公の偵察隊長がメモの残りのようにつぶやく。
わが父よ。御名が聖とされますように。御国(Heaven)が来ますように。
みこころが天と地で行われますように。
日ごとの糧を今日もお与えください。
罪をお許しください。私たちも人を許します。
試みに会わせずに、悪からお救いください。
国の力と栄光は限りなくあなたのものです。
主人公の言葉はここで終わり、全軍の進撃で映画は終わる。この映画は、この言葉を語るために作られたように思われる。この一連の聖書のような言葉を何と評してよいか小生には分からない。ただこの言葉は、米国の栄光の絶頂期のものであるとともに、クリスチャンの米国人の典型的発想であろうことだけを申し添える。
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