毎日のできごとの反省

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本能が壊れた日本人

2019-09-09 17:35:12 | Weblog

 人間は本能が壊れている動物だと言われる。普通の動物は本能に従えばまっとうにいきていられるが、人間はそうではない、と言うのである。例えば昔英国でこんな実験をしたと言う話を聞いた記憶がある。ジョークなのか実話なのかは知らない。囚人と豚をずっと飢えさせておいてから、急に美味しいものを山のように出す。すると豚は腹いっぱいになる前に食べ終わるが、人間は食べ続けるというのである。挙句は咽喉にまで食料を詰め込んだから、窒息して死んだ、と言う話である。

 動物は生活のリズムも食事の加減も本能が導いてくれるが、人間は食べたい楽をしたい遊びたい、と言う本能に従えば健康を損なったり生活苦になったりして、まともに生きてはいけない、と言うのである。しかしこれは間違いなのではないか。現に大多数の人間は本能に負けて不健康な生活はせず、努力もして健全に生きているではないか。健康ブームと言うのさえある。

 これは人間の「本能」と言う言葉の定義に問題があるからである。つまり人間の思考力、つまり理性も本能の一部として捉えればいいのである。人間はおいしいものを食べたいと言う本能がある半面、それだけでは不健康である、と言う思考による反省の本能もあるのである。楽をしたい、と言う気持ちがある半面、辛くても努力して成功したい、と言う理性がある。つまり人間は猿から進化して理性を持った時、理性も含めて人間を生存させ人間社会を繁栄させる、と言うトータルでの本能で生きるようになったからである。

 こう考えて思い出すのは、いわゆる自虐史観の人々である。彼らは北朝鮮の拉致事件が判明しても、日本だって朝鮮人を強制連行して働かせたから仕方ない、とまで考えている節がある。つまり日本国民の安全な生活まで平気で否定しているのである。いわゆる従軍慰安婦問題でも日韓基本条約の枠内で解決済みであるのに、できるだけ補償しなければ気が済まない。中国や韓国、北朝鮮にできるだけ有利に取り計らい、日本に不利になる事が正義だと信じて止まない。

 彼らはその点に関して、理性による本能が壊れているのである。実際には世界の各国の政治家も国民も、嘘をついても自分の国に有利にしようとしている。それが正常な本能である。なぜなら、そうしなければ結局自分の国、ひいては自分自身にに不利になるし、さらには自分の子孫が多大な不利益をこうむる。そうはさせまいと頑張るのが、理性と言う本能が導く本来の姿である。そのくせ自虐史観の人たちは自分自身まで犠牲にしてよいと言うお人よしや、極度の善人ではない事は彼らの行動を見ればわかる。

 例えばかつての民主党政権の仙谷元官房長官である。在任中は、どんな手をつかっても中国や北朝鮮に有利にしよう行動していた。それでは彼は自分自身を犠牲にするようなお人よしなのだろうか。そうではない事は皆さんご存知であろう。自分が直接非難されると恫喝的言動や詭弁まで使って自己弁護している。お人よしどころか、自己中心の典型である。ところが日本対東アジア諸国と言う事になるとこの自己中心をかなぐり捨てる。

 人間はまず自己中心である。次に家族中心である。次に所属するコミュニティーや地域中心である。次に自国中心である。最後に人間中心である。この逆ではない。これが人間の理性による本能が構築した社会構造への帰属意識である。確かに自分や家族を犠牲にしても他人を助けると言う人はいるかもしれないが、例外である。立派だと口では褒めても、真似する人は少ない。自国より他国が優先されると言う事は正常な本能ではない。自分の子孫や文化の繁栄から言っても他国より自国優先なのが正常な本能である。

 では正常な理性の本能の人の例を見よう。日本において言論活動で活躍している韓国系の呉善花と中国系の石平氏と言う二人を例にとろう。二人は多年日本で、あたかも日本人の立場を擁護するような言論活動を繰り広げてきた。しまいには自分の出自である韓国や中国の人たちの民族性に疑問を呈するような発言にまで至ってしまった。しからば彼らは仙谷のように本能が壊れてしまったのだろうか。

 そうではない。結局彼らは日本に帰化したのである。つまり日本人になったのである。それはそうであろう。まともな理性があるならば、祖国をあれだけ否定してその国の人でいられようはずがない。彼らは思想家としても私たちが真似が出来ないほど誠実なのである。翻って仙谷氏のような日本の自虐史観の人たちは、自国を否定する言動を繰り返しながら平然と日本人でいる。これは大なる矛盾である。理性が壊れている、と言うゆえんである。

 何故なら、そのような人たちが多数を占めたら確実に日本は崩壊する。そうなった時彼らの子孫は塗炭の苦しみを味わうのである。それでは石平氏らのような正常な人と、仙谷のような異常な人の差は何故できたか。石平氏らは自分が色々素直な気持ちで考え抜いて今の考えに至ったのである。つまり自分の理性を駆使して考えたのである。これに対して仙谷氏らの自虐史観は外から強制的に与えられたものである。GHQの検閲やマスコミ操作や教育によって意図的に作られた日本の否定である。

 これを洗脳と言う。洗脳とは本人自身にとって本来都合の悪い考えを強制的に注入して、あたかも本来の考え方のようにしてしまうものである。だから洗脳が完成すると、自己保存の本能の一部たる理性は破壊されているのである。自虐史観の人たちは平気で論理の矛盾を犯す。詭弁を弄する。そして自分自身の事になると極度に自己中心的である。この好例が朝日新聞記者の本多勝一氏である。本多は自著に後日間違いが見つかると、何の断りもなく書き換えを行う。ポルポトの虐殺は全くのウソだと断定していながら、後日には平然と、それを修正している。極度の自己保身でそこには一片の誠意も見られない。彼らは洗脳を理性の力で食い止める事ができなかった哀れな人たちである。彼らの子孫は彼ら自身のおかげで多大な損害を被るのである。

 私自身の経験で言うなら、中学の頃から何となく、何故日本とドイツだけが悪い事をした国だと世界から非難されるのだろう、と言う素朴な疑問を抱いたのである。その結果日本とドイツはともに敗戦国であったと考えた。それから日本が戦争をしたのには「日本の言い訳」があるはずだ、と探し始めたのである。私の理性は子供心の素朴な疑問にかろうじて守られたと信じている。当時の日本の言論には「日本は過去に悪い事ばかりした」と言うものばかりだったのである。

 もちろん日本人にも誠実な人はいた。岡田嘉子とその愛人の杉本良吉である。二人は日本の現状に絶望して宣伝されたソ連を信じて亡命してしまった。愚かである、とは言われても誠実ではある。その結果は、杉本良吉は日本のスパイとみなされて銃殺された。殺される瞬間に彼は何を思ったのであろうか。自分のとんでもない間違いに気付き絶望したのであろうか。間違えられたのだから仕方ない、と相変わらず祖国ソビエトを信じて逝ったのであろうか。



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