毎日のできごとの反省

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書評:日本人は何に躓いていたのか

2019-07-19 00:13:15 | Weblog

西尾幹二著・青春出版社

 外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の7分野に分けて、日本の問題点を記述したものである。外交、防衛をトップに置き、経済を最後に持っていったところに著者の意識がある。例によって興味あるコメントを取り上げる。

①外交:貴族制度に取り巻かれていない天皇制度というのは危ういのではないか(P45)というのは盲点であった。男系の減少や妃候補の不足といった問題は全てこれに関連しているからである。貴族制度などは封建思想の差別の極致などという、戦後米国によって流布された硬直した発想に囚われているのである。

 ギリシャ、ローマとヨーロッパの間には千年のアラブ人の支配されていて、地中海はアラブ世界で、ヨーロッパ人はギリシア人の末裔ではなく、ローマ人とゲルマン人は混血するが、文明としては千年の断絶がある(P64)と綺麗に整理してくれている。今日残るゲルマン神話は、アイスランドに残っていたアイスランド・サガを元にして、古代ゲルマン神話はこんなものだろうと後世作り上げたもの(P65)だそうである。

 こんな神話まででっちあげるのだから、ヨーロッパ人の歴史コンプレックスは相当なものである。ハリウッド映画では昔から、ギリシア、ローマの神話をテーマにしたものを多く作っているのはその最たるものである。現代ヨーロッパがギリシア、ローマの文明と断絶しているのは、現代の支那が漢字を発明し、四書五経の古典を書いたオリジナルの漢民族と完全に断絶しているのと同様である。だからこそ、中国4千年の歴史などと言う法螺を吹くのである。現代ヨーロッパは、蛮族ゲルマンが辺境から現れ、ヨーロッパ大陸を蹂躙した結果である。しかもゲルマンは自らの神話を奪われキリスト教徒に改造されてしまったという歴史の断絶を繰り返している。

②歴史:大局に於いて正しかった日本の大陸政策(P158)という項を設けているが、日米戦争はやらなければならなかったと言う持論と言い、小生が西尾氏を尊敬するゆえんである。

 「十六~十九世紀の世界は、明、清帝国、ムガール帝国、オスマントルコ帝国、ロシア帝国(ロマノフ王朝)の四つの帝国があって、それに先立つ時代に西洋は狭い、小さい遅れた地域でした(P160)」と言う。これらの帝国の内ロシア帝国以外の3つは物質的に恵まれ、技術も進み、ひとつひとつの帝国が一つの世界政府を成しているのだと言う。遅れたヨーロッパは貧しいから外に出て行き、植民地を獲得し本国に送金しなければならなかった。十四~十七世紀のヨーロッパは、わずか三年以外は戦争の連続であった。(P161)日本人は世界史についてこういった俯瞰をする必要がある。

 司馬遼太郎は日本は日清、日露戦争までは立派だったが、その後傲慢になって大局を見誤ったと言う説である。これに対し西尾氏は、傲慢になったのではなく、勝利で大国となったのだがその自覚がうまくできずに、適応しきれなかったと述べる(P166)。恐らくそれが正解である。どこの国にも傲慢なものはいる。それと戦争への勝利をリンクさせて傲慢な人間を強調して見誤ったのが司馬である。司馬は眼前の敗戦に呆然とし、目の前の同胞の愚かさだけが目につき、日清日露の戦役に勝利した日本人が偉大に見えたのである。戦前の日本人は欧米人に比べれば遥に謙虚であった。今の日本人が愚かになったのは、アメリカの占領政策が根本原因である。日本人は変えられたのである。そして日本人は今のアメリカだけを見て、ペリーの時代も大国であったと誤解しているが、実際には五大国の中には入っていなかった。第一次大戦の終了後は現在のイギリスの歴史の教科書に「二つの若き大国の出現」と書いてある(P168)のだそうである。

 意外なのか意外ではないのか、アメリカは、日本やヨーロッパと異なり、共産主義に好意的であったということである(P170)。だからアメリカがシベリア出兵したのは、日本が支援するシベリア極東共和国を倒して、自前のシベリア極東共和国を作って、トロッキーと組んでシベリア開発を行うことだった(P171)。このアメリカの甘さが、全てを無に帰すことになったのである。確かにアメリカは共産主義を民主主義の一種と誤解し、ファシズムと区別していた節がある。

 西部邁、小林よしのりは保守と言いながら不可解な人物である。両氏は反米テロを礼賛する。西部氏に至ってはビンラディンをキリストになぞらえる(P189)のだ。小林氏はニューヨークへの9.11テロを特攻隊になぞらえる漫画を描いている。だが、特攻隊は軍艦を攻撃したのであって、民間人を標的にしたテロリストとは全く異なる。小林氏は女系天皇容認論まで唱えており、彼の思想には時々混乱が認められ、不可解ですらある。最近の言動を見ると小林氏はただカッコ良いことを言いたいだけなのだろう。その証拠に彼自身をいつまでも若くてハンサムに描いている。

③政治: いわゆる55年体制の自民党の派閥の説明は、これまでの蒙昧を晴らしてくれた。自民党長期政権の時代には、自民党独裁と言われたがそうではなく、派閥の主流交代によって党内で政権交代が行われているのも同じだと言う言説が保守の側からなされていたし、小生も何とはなしに同意していた。これ自体は間違いではないのだが、西尾氏はもっと深く分析している。

 派閥は結局は派閥であり、各々の思想を持った政党ではなかったというのだ。派閥は結局は思想の異なる人たちの集団で、人脈と金で離合集散していたのに過ぎない。自民党全体としては右から左までの日本国民が持つ思想の分布の人間から構成されていたのであって、決して左翼に対抗できる保守政党ではなかった(P272)のだ。ただ自民党の思想の数的分布が国民の思想の数的分布に比例していたから、全体としては左翼政党となることを避けることが出来たのである。

これが平成22年に政権についた「民主党」と異なる。民主党の組織票は極左翼の労働組合しかない。これでは永遠に政権は取れない。そこで「保守的」「あるいは「自由主義的」な組織票を持たない人物が表に出ることにより、あたかも自民党に類似した政党に見せかけて、無党派層の票も取り込んで政権を取ることに成功したのである。これに対して社会党と共産党は確信的なマルクス主義政党であったから、国民は一定以上の議席を与えなかった。これで自民党に野中広務や加藤紘一のような、思想的には左翼としか思われない人間が長老として存在していた一間不可解なことが理解できた。彼らは利権の亡者というところだけが自民党らしかったのに過ぎない。

④経済: ここでも歴史で述べた司馬史観が否定されている。「・・・日本人は同じ健気さと、同じひたむきさで生き続けたと思っております。にもかかわらず、自分が日露戦争の戦勝の後に大国となったということに気がつかなかった明治人、そして現実が急変し、その後アメリカが新しい悪意を示して太平洋に変化が起こるのですが、その現実に対し大国としてのルールで渡り合う気概と計略が欠けていたことが問題だったのです。つまり、環境が変わったのに、今までと同じやり方、考え方、日露戦争まで上向きになって一所懸命獲得してきた日本人の劣勢の生き方というものを続けていた結果の失敗です。決して傲慢になったからではなくて、現実が変わり、アメリカが戦争観を取り換えたという、その現実の変化を見ながらそれに堂々と適応できなかったのが失敗の原因ではないかと思います。(P303)

 戦前の日本の失敗をこれほど的確に示したものは少ないであろう。日本はヨーロッパの権謀術策のルールは学んだし、学ぶことは可能であった。だがアメリカの対応というものは不可解で予測不可能であったのである。だから司馬遼太郎のように傲慢だと切り捨てるのではなく、戦前の日本人に万感の哀惜を持つのである。

 日米構造協議などにおいて、日本の国内に「植民地型知識人」が多数いるという。例えば堺屋太一や天谷直弘で、米国の対日圧力を、「日本の消費者の役に立つ提案を米国はしてくれた」と日本のマスコミに呼びかける(P319)。西尾氏はたとえ良いことでも外国の意志で行えば、自国を裁く基準を外国にゆだねることになるというのだ。日本国憲法が米国製だと分かっても護憲派と呼ばれる人たちは、良いものは良いのだと言って恥じないのも同じ精神構造による植民地根性なのであろう。

 西尾氏が郵政民営化に反対するのは分かるが「国鉄の民営化は成功したといわれていますが、地方線が廃線になって苦しんでいる人は多いのです。公平が安心感を与え、統合が国力を産む明治以来の国民的努力はあっさり否定してよいものでしょうか。(P323)」というのは一面だけの真実である。戦後の経済成長は自動車産業と共にあった。同時に道路も整備されていった。これらが鉄道との調整なしに行われたために、鉄道の衰退の予兆はあった。そればかりではない。国鉄は労働組合の巣になっていて、国鉄を悪くすることが革命の狼煙である、という思想から故意に国鉄を悪くしていったのである。

 国鉄民営化の真の目的は労働組合潰しである。遵法闘争なるものを繰り返して営業の妨害をするから、労働運動を正常化するためには民営化するしかなかったのである。過激な組合活動をしても首にできない官公労はどうにもならない存在であるからである。国鉄をあのまま放置すれば、組合活動によっていずれ国鉄は潰れたのである。この点が国鉄民営化以後に行われた各種の民営化と異なる点である。

 西尾氏に欠けているところが唯一あるとすれば、過激な左翼思想の労働組合、という視点がないことであろう。政党においても左翼の力の源泉は労働組合、特に官公労である。西尾氏はそのようなものに対峙した経験がないのであろう。教育の項でゆとり教育の批判をしているが、それにも労働組合の視点はない。多くの公務員が週休二日制になっているのに、教師だけが週休二日ではないから、何とかしてくれという、労働組合の要求がゆとり教育の始まりだと私は考えている。単に休みを半日増やすのでは変だから、教育の密度を減らして「ゆとり教育」ということにした。

 考えてみれば授業時間を短くすれば、教育の密度を増やさないと同じ授業の進捗率が保てないのは当然である。それで、ゆとり教育という名のもとに授業の進捗率の低下など、教育密度の低下を容認したのである。これは日本的な言葉の詐欺である。その詐欺がまかり通ったのである。左翼思想に支配された労働組合の繁栄は日本を亡ぼす。

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