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6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

住宅に思う 1

2009-01-29 | 建築


今、住宅に何が一番大切なのでしょうか

民家
隙間だらけの冷え冷えとした家
囲炉裏の煙で煤けた梁や柱
しなった床面とぎしぎし鳴る床
でも何か郷愁と豊かさを感じるのは何故でしょうか

ル・コルュビジェが「住宅は人間が住むための機械だ」と言って
機能的な建築が世界を折檻してからはや一世紀近く
かく言う私も信奉して夢中になった時もありました ハイ!

家は自動車を買うのとわけが違います
住宅は本来憩い、休息、思索の場所ですよね!
だから効率ばかり追求しない不便な建物にこそ
本当の住宅があるような気がします

貧しい建物でも
精神性に満ちた空間であれば
結構楽しいのでは ハイ!
違いまっか? 











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不便な家

2009-01-20 | 建築
飛び込みで設計依頼があり 
「寝室はなくともどこでも寝られる」とご主人の話
生活しながら努力と工夫で棲みたいと
生き方が似通ったところがあり
これは面白く楽しい仕事と引き受けた

そこで三箇所の引戸しかないオープンな家を提案
豊かな空間造りは住み手の生活次第と
「おもいっきり不便な家」を造った

まず、家の中心にケヤキの大黒柱を立ち上げて

近頃 便利で快適な家が巷を賑わせているが
本当は不便であっても
風土を理解し
寿命の長い
健康な家を造りたいと
願っていたので

住み手の生き様がこの家によって使いこなされた時に
本当の豊かな住まいが実感できると熱く語った

   興味のある方は
   ホームページ  http://www11.ocn.ne.jp/~kogaki/
にお進みください

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庄屋の家

2007-12-14 | 建築
沼田市から尾瀬に向かって20kmぐらい走った山間のに
茅葺の民家らしき豪壮な館が目に入った

広い敷地にL字型の配置でそれは立派
生憎改装中で中には入れなかったが
聞けば元庄屋の家だったらしい

道路面に面した妻側立面
柱の間隔、梁の掛け方に規則性がなく
大工さんが勢いで入れたものか
漆喰壁と絶妙な対比で
とってもしゃれている 

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薬師寺

2007-11-26 | 建築
西岡常一著「木に学べ」が小生の愛読書 法隆寺や薬師寺の棟梁だが 
おしくも平成7年に亡くなった

宮大工だから社寺建築以外はやらない
仏に仕える身は儲けてはいけない
仕事のないときは畑を耕して生活した聖人君子だ

若い頃、東塔は何度も見学したが
棟梁によって再建した西塔は初めて
奈良に来たなら何はなくとも
憧れの薬師寺を拝見しなくては

東塔 数度の災害と兵火に見舞われたがこの塔のみ残った 
法隆寺と並んで1300年の木造建築だ 
樹齢1300年以上の檜を使ったから現在までもったと西岡先生は言っていた
後ろの回廊は現代に復元したもので様子がすっかり変わっていた

西塔 基壇が東塔より一尺高くなっており、500年後ぐらいに
沈んで東塔と同じ高さになるんだと 
樹齢1300年の檜は残念ながら日本には
無くなって台湾で見つけてきた代物 棟梁の意気込みが伝わる
三層裳こしに連子窓がついて創建当時に復元され
新しくきらびやかではあるが何故か魂が篭っているようで
東塔より感じるものが多いのは身びいきか 


金堂 これも再建されたものだが西沢先生は
本尊を守るのにコンクリート、防火シャッターを
つけるつけないの大論争したそうだ
コンクリートなど300年しか持たないのにねぇ

若い坊さんが「人間はおごり、怒り、ねたみを持っている
この三つを持たないようになれれば仏様になれるから精進しよう」 と
熱っぽく笑わせながら説いていた 
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天誅倉

2007-11-24 | 建築
道に迷いながら竜神温泉にたどり着いた
日本三大美人湯と言うが無色透明の純重曹泉で肌がすべすべになる

付近を散歩しても山間の中、目ぼしいものはなし
通りに天誅倉 (てんちゅうそう)への案内あり、建物の外観が気に入り
徒歩20分ほど、暗くなりかけた山間を行くことにした 

尊王譲位派追放 明治維新の先駆けとなった天誅組の志士8人が閉じ込められた
農家の倉だが、由来を聞くと維新の黎明を見ることなく処刑された8人が痛ましい


それにしても倉でありながら材料の質感、屋根の出っ張り、窓の位置、腰板の対比、色合い、美しいねぇ
大工さんのデザインかしら 
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室生寺 奥の院御影堂 

2007-11-13 | 建築
室生寺五重等からさらに左側先へ
よっぽど信心深い人か体力のある人以外は
途中で大概 「もう良いよ」 と引き返す
奥の院御影堂 までは
原生林の中、総段数720段 標高差450m 階段を一挙に登る室生山登山だ 


昼なお暗い鬱蒼と立ち並ぶ大杉の合間を石段がぬう


位牌堂の基礎は急峻な頂上にドラマチックに映る


鎌倉時代の重文御影堂 屋根はマキ(棺に使われる耐久性のある木材で稀少高価)
の厚板段葺で他に例なしとのこと
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室生寺五重塔  

2007-11-12 | 建築
奥深い山と渓谷に囲まれた室生山全体に、良くぞ創ってくれた伽藍配置
ここへ来なければ実感はわかない


室生寺五重塔 
他の五重塔に比べ総高16.1mの低い塔が、階段の先にあり 
段を含めると優に30mは越え、高さがより強調され
階段幅も塔の幅を考慮して計算されている
朱塗りの柱と白壁が自然と調和し 凄い 



なだらかな庇、深い軒の出 檜皮葺の屋根の小口 実に見事だ 



平成十年の台風により庇が損傷を受けたが 今は修復され元に戻った 
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女人高野室生寺

2007-11-11 | 建築
若い頃、京都や奈良には古寺を訪ね何度も行ったが
奥深いここまではお金と時間の関係で行けなかった

折に触れ話題にのぼる憧れの室生寺五重塔を
ようやく見るチャンスがありく 女人高野室生寺 を
わくわくしながら訪れた


シーズンオフにもかかわらず朝早くから参拝する人はお年寄りが多い
石段の多さにもめげずもくもくと登っている 



金堂 正面側面とも単層寄棟造りコケラ葺 傾斜地のため石垣を作り
正面入りでなく両脇からのアプローチが
うまく段差を生かしている 
内陣に平安、鎌倉時代の重文、国宝像が並んでいる
都から離れていたために 災禍から免れたのだろう 
良かった良かった 


本堂左脇から待望の五重塔が高木のなかに自然と調和して聳えているではないか 
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芭蕉翁生家の平面

2007-11-09 | 建築
月日は百代の過客にして、行きか年も又旅人なり
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかふる物は
日々旅をして旅を梄とす
・・・・

中学一年生のとき
出っ歯とあだ名された女先生がつばを飛ばしながら
「奥の細道の第一章を暗記して来い」と熱ぽっく語っていたが
暗記は出来たものの意味はまったく解からなかった

その後大学では教授自作の解釈本をもとに
日程150余日、行程2千400キロの奥の細道 すべてを
暗記していると思うので間違ったら指摘してくれと
教科書なしで一年間講義されたことが妙に印象に残った

講義は奥の細道以外の話が多かったが
ヒューマンな先生の語り口と
芭蕉の旅を住みかとする思想に
非常に感銘を受けた記憶がある

そんな訳で、伊賀上野に来たからには芭蕉の生まれ育った
芭蕉翁生家 を見なければ先生に申し訳ないと
町中を歩き始めた 

見当はついていたのだが見当たらず
通りがかりの女学生達に声をかけたが
小首を傾げるばかり

すると通りかかった自転車に乗ったおじさんが
ニコニコしながら寄ってきて、俺に任せろと
親切に案内してくれた

地元女学生 奥の細道を学んでないのかよぅお



正面は連子格子でシンプルだが一歩中に入ると
土間が南側に12間もあり
その奥には芭蕉が起居した釣月軒がある

土間は建坪の半分ほどあり、屋内でありながら庭であり
井戸、台所、便所、とその空間が実に見事に配置され
「間」としての効用を発揮している
こう言う空間に育ったからこそ風流の極みを俳句に託すことが出来たのか
ちなみに小生の設計キーワードは「間」なんだけど 勉強になるなぁ


釣月軒土間6帖 畳間6帖だけ まさにわび寂びの境地だ


芭蕉が起居した最小空間の釣月軒 障子を閉めれば小さな高窓が一つ
下界と離れ、物思いにふける絶好の場所に違いない 壁のはかま模様が絶品だ
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伊賀上野城

2007-11-07 | 建築
忍者の里伊賀国 伊賀上野城 は小さな盆地に
慶長13年藤堂高虎が五層大天守閣を作りかけ
慶長17年竣工間じかに暴風雨で倒壊、
大阪夏の陣で豊臣方は滅亡したので城普請は中止

確か松山城も暴風雨で倒壊したとか聞いたが
風対策はどうだったのだろう


高石垣は30mと日本一の高さ 確かに高い
石垣の上から下を望むと目がくらむ


現在の城は昭和10年純木造で再建 白亜三層の端麗な姿だ
なかの柱は合せ柱で筋交いもなく耐震性に疑問があるように思えるが
素人の勘ぐりか
城内に深井戸があり
現在は泥がつまり水がたまっていたが
当時はそこから逃げられるような仕掛けはいかにも忍者発祥の地だ


瓦もかなり痛み落下の危険をはらむ
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国指定重要文化財 目黒邸

2007-09-26 | 建築
昨日のブログ、旧佐藤家が庶民の住宅なら
こちら目黒邸は「邸の字」がつくくらい立派な豪邸だ
聞けば元戦国大名会津…氏に仕えていたが伊達政宗との戦いのあと
帰農したとあるが
大庄屋で江戸初期から肝煎役を務めていたらしい
離れ座敷があり、回遊式庭園あり、茶室、書院ありで
庶民の住宅とはかけ離れ、設計上参考にはなるが遠い世界だ

むしろ感激したのは茅葺屋根 旧佐藤家も屋根が新しくちぐはぐで
ピンとこなかったが
これは毎年春先、雪で茅を持っていかれ痛んだ屋根の修理に
地元の茅葺職人が腕を振るうのだそうだ
維持費用もかかるが村人の保存の心意気に感銘受けた
綺麗過ぎるけどね 



立派な庭園が南側に開け一段上がった基盤の上に豪壮な茅葺屋根


大きな表中門の玄関が裏側までつながり、その左側が下屋、
右側が上屋で座敷は高い敷居を超えた所にあり、
下屋側の路地が低く身分の差が日常生活の中で歴然と
あったことがいたたまれない気分になった 
さしづめ自分は低いほうの部類だろうから


下屋の部分は大きないろりとかまどがあり、奥に奉公人の狭い部屋と厩だ
天井は高く 柱、梁は太く立派である
いろりは防虫のためか昔通りいぶして保存に努めている
高い敷居側上屋から下屋を望む
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国指定重要文化財旧佐藤家住宅

2007-09-25 | 建築
積雪3mを超える豪雪地帯の昔の住宅は?
と興味があり、新潟港へ行く途中遠回りして寄って見る事にした
国道17号線から只見へ入る252号線を越後須原辺りで
山奥に2kmぐらい入ったところにお目当ての
国指定の重要文化財旧佐藤家住宅があった
今から270年前元文3年の建築だそうだが
あまりに山奥で
見学者は誰もいなく
管理人もいない
戸は開けっぴろげ、小銭を箱に投げ込むのみ



外観は周囲に基壇を設け、豪雪防護に横板を貼り、出入り口は軒先下屋があり
屋根は茅葺、消雪池を配す 多分消雪池だと思うが、稲が刈り込みを待っていた
しっくり、落ち着いた住宅である


豪雪に埋まった姿を想像すると、住宅が消えてすべてが真っ白に
冬の撮影が面白いかも かまくらに入っているようで
住む立場なになったら大変だろうが


大きな土間が建築面積の2/3を占め
住宅設計をしている小生としてみれば
シンプル多目的利用の憧れの間取りだ
柱、梁はぶっとく、天井は高く、欄間がトップライトの役目
いろりを囲んでいい空間だ 


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建物ウオッチ  札幌資料館(旧札幌控訴院)

2007-08-30 | 建築

人影が極端に少なくなる
札幌大通公園の西側突き当たりに、公園はこれで終わりと
でんと構えている建物 札幌資料館 (旧札幌控訴院)

重厚な石造建築でひっそりとたたずみ
時を重ねてきた風格が周りと違和感なく
ここだけ別の表情を醸しだしているのは気のせいか


屋根の色がやけに大通に映えて大正ロマンの世界に誘う
均整の取れた窓のプロポーションは大好き 


窓のプロポーション、枠のディテールや飾り、壁との比率、等々を見ごたえがありますねぇ 

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札幌ウオッチング 赤レンガ

2007-08-28 | 建築
今日はぶらり札幌都心部に躍り出たついでに
建物ウオッチングしてみたく
大都会札幌に凛とたたずむ旧北海道庁舎 愛称「赤煉瓦」

まわりの人達は観光客がほとんどで
外人が多く外国に来たような錯覚を覚えた



周囲の近代的な建物群の中にパステル調の赤レンガが
いかにも北海道らしい雰囲気を残してくれている
多分レンガは地元産でその素材の質感が
もうたまらない



前面の池にはハスが強い日差しを受けて咲いていた
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旧花田家番屋

2007-04-23 | 建築
若かりし頃の記憶
稚内に行く途中 日本海側小平町の先に
古びたニシン御殿がただ一軒
雄大な規模で建っていた

明治4年ごろからこの沿岸一帯でニシン漁を営んでいたが
最盛期には大小100棟に及ぶ付属施設があった花田家の番屋だ

外壁は木肌が浜風の影響か白く焼け、今にも朽ち果てるような
栄枯盛衰を垣間見たものだったが
そのときの印象が強く残っていたので
今回25年ぶりに行ってみたが? 


なんと鯉のぼりははためき、入り口にはどう言う訳か立派な二宮金次郎だ
しかも左脇は立派なトイレのある道の駅に変身マイッタねぇ 歴史的建造物がこれで良いのかねぇ


中央を挟んで左が花田家の住宅、右が漁夫溜まりで
天井もなく小屋組みが豪壮に現れ
その大きな空間は度肝を抜かれるよ! 

板敷き囲炉裏が三つもある居間
雛壇上に寝台があり
当時のヤン衆の生活空間が想起されるんだが
人影は見当たらない 
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