私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

エリトリアに異変が

2018-12-04 23:22:17 | 日記・エッセイ・コラム
 2018年11月14日、国連安全保障理事会は全会一致で、エリトリアに対する制裁措置を解除しました。UN Security Council で全会一致とはあまりお目にかかることではありません。2009年12月24日に米国の圧力で採択されたこの制裁措置の理由は「エリトリアがソマリアのテロ勢力を支持している」というものでした。それが事実でなかったことは今では確立されています。米国は「アフリカのキューバ」「アフリカの北朝鮮」という異名を頂戴したエリトリアという、約500万の人口、ほぼ四国ほどの面積の社会主義小国を無理矢理に潰しにかかったのでしたが、この小国は、10年近くの間、この大国難を見事にしのぎ切りましした。
 今回、なぜ制裁が解除されたのか? 今から、エリトリアという国はどうなるのか? これは大問題です。このブログでは、以前から、エリトリアのことを取り上げてきました。その最初は2011年12月7日付けの『アウンサンスーチー:櫻井元さんへのお答え』 だったと思います。その後私は『エリトリアの人々に幸いあれ』という見出しで2014年12月7日から5回続き、『なぜエリとりだけを』 という見出しで2015年6月3日から3回続きの記事を書きました。
 アウンサンスーチーという政治家についての櫻井元さんの直感は見事に当たっていたようです。ノーベル平和賞をはじめ、彼女に与えられた数々の賞の取り消しが話題になっていますが、同じ問題は、アムネスティ・インターナショナルのような人権NGOにもあると考えられます。こうした国際的な賞そのものに、そもそも、問題があると言うべきかもしれません。まず、以下に、『アウンサンスーチー:櫻井元さんへのお答え』 を再録します:
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アウンサンスーチー:桜井元さんへのお答え
2011-12-07 11:20:48 | 日記・エッセイ・コラム
いま『パトリス・ルムンバの暗殺』と題して、キャンベル教授の論考:
50 years after Lumumba: The burden of history, Iterations of assassination in Africa (ルムンバから50年:歴史の重荷、アフリカにおける暗殺の繰り返し)
の翻訳を続けていますが、前回(2011年11月30日)のブログに対して桜井元さんから重要なコメントを頂き、アウンサンスーチーについての私の見解を求められましたので、今回はそれにお答えしたいと考えました。コメントの冒頭には
■ 新聞やテレビで、米国のヒラリー・クリントン国務長官がミャンマーを訪問したニュースが報じられました。背景には米国と中国との勢力争い、対北朝鮮戦略などがあるそうですが、それにしてもよくわらかないのがアウンサンスーチーという人物です。民主化運動の指導者で1991年にノーベル平和賞を受賞した彼女は、自邸でヒラリーと抱き合い、「われわれが一緒になれば、民主化の道を逆行することはないと確信している」と語ったそうです。ちなみに、映像に移った自邸というのがたいそうな豪邸でした。■
とあります。
 私はもともとアウンサンスーチーについて強い関心を持ったことがなく、勉強もしていませんから、妥当な判断を下す能力も資格がありませんが、米国が彼女を自己の情宣活動の一つの駒として利用して来たのは明白な事実であり、その点ははっきりと断定することが出来ます。その動かぬ証拠の一つは、米国がこの10年間に取って来たハイチのアリスティド元大統領に対する処置です。ハイチ問題については、このブログで何度も取り上げてきましたので、出来れば読んで下さい。この10年といえば、ミャンマーの軍事政権によるアウンサンスーチーの政治活動の抑圧と自宅軟禁を米国が声高に非難していた時期と重なりますが、同じ米国は、一方で、アリスティドと彼の民衆的政治基盤に対して、ミャンマー政府とは比べ物にならない暴力を行使していたのです。米国の暴挙について日本版ウィキペディア「ジャン=ベルトラン・アリスティド」をお読みになる場合には、どういうわけか、米国寄りの宣伝臭が強く残っている事にご注意下さい。英文Wikipediaの「Jean-Bertrand Aristide」の内容は日本語版より遥かに充実していて、かつ、より公平正確です。日本語版と英語版との両方を読み比べると、こうした政治的外交的事象についての真実を押さえることがどんなに難しいことかが痛感されます。
 その最近の例の最たるものはリビアです。NATOの3万発のミサイル攻撃とそれにカバーされたおそらく万のオーダーの傭兵によって成し遂げられたリビアの独裁制から“民主制”への移行が一体何であったのかがはっきりするには未だ数年はかかるでしょう。この日頃、私の心を痛めているのは、北アフリカの人口5百万の小国エリトリア(Eritrea)の命運です。もう程なくこの黒人小国は米欧によって粉砕抹殺されてしまうでしょう。今度も表向きはUNとNATOと現地代理戦傭兵隊によってエリトリア人が凶暴な独裁者から救われ、“民主”政権が樹立されることになりましょう。これだけは間違いのないところですが、皆さんが、この国が瓦解してしまう前に、この国の国民生活についての幾つかの基本的事実を知ることがどんなに困難かを実地に経験して頂きたいと、私は強く願います。そのため少しばかり実地の案内をします。
(1) http://kaze.shinshomap.info/series/rights/10.html
 人間を傷つけるな!  土井香苗    10/01/31
 第10回 エリトリア人弁護士から見た“世界最悪”の独裁政権国家
 戦争や虐殺など世界各地で今日もなおつづく人権蹂躙の実情に対して監視の目を光らせる国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。2009年春開設したHRW東京オフィスの土井香苗ディレクターが問題の実態を語る。
 「北朝鮮よりも“人権”のない国?」
<藤永註>この記事によると、絶望的な独裁制の下でエリトリア国民は塗炭の苦しみにあると思われます。
(2) http://std-lab.typepad.jp/yamada/2008/09/stop-aids-0d48.html
山田耕平の「愛」がエイズを止める!!(第6弾)
~エリトリア自転車&STOP AIDツアー
<藤永註>ところがこちらの記事は次のように始まります。:
「ただいまエリトリアから帰国しました!
多くの人たちにですが、どうだった?って聞かれましたが、まずお伝えしたいのは、アフリカでこんなに治安も良く、安全な国があったとは思わなかったということです。
アフリカの多くの国では、首都を夜歩くなんて自殺行為に等しいのが現実ですが、エリトリアの首都アスマラは本当に治安が良く、安全でした。また首都アスマラはゴミもほとんど落ちておらず非常に綺麗で、またイタリア植民地時代のコロニアルな雰囲気の建物が残っていて、素晴らしい町並みです。」
この文章を読みながら、私はリビアの首都トリポリについても似たような印象を伝えた記事を思い出していました。
(3) http://www.moj.go.jp/content/000056397.pdf
出身国情報レポート「エリトリア」  2010年6月
 <藤永註>この50頁にわたるpdfは米英側のほぼオフィシャルなエリトリアの誹謗文献の典型であろうと私は判断します。この書き物の内容は(1)の国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の報告に依存して大きくいると思われます。
(4) http://blackagendareport.com/content/eritrea-island-food-africa’s-horn-hunger
Eritrea: An Island of Food in Africa’s Horn of Hunger
by Thomas C. Mountain 08/10/2011
Drought kills, but spiraling food prices can also bring hunger. While Ethiopia exported food for cash as drought and famine loomed, Eritrea is like “an island the size of Britain where affordable bread is there for all and slowly but steadily, life gets better.” Meanwhile, in Ethiopia, “basics like wheat, barley, sorghum and chick peas become so expensive malnutrition rates for children spike.” Naturally, Ethiopia is a U.S. client state, while Eritrea is on the American hit list.
<藤永註>この記事の著者は2006年以来エリトリアに住んでいる英国系白人の独立ジャーナリストで、現エリトリア政府に同情的姿勢を明白にしている人物ですが、独裁者Isaias Afwerkiの回し者ではないと私は判断しています。参考までにこの記事の終りの部分をコピーして訳出します。:
■ Life expectancy in Ethiopia is falling, maybe plunging is a better word, while even the World Bank uses words like “dramatic” to describe the improvements in life expectancy in Eritrea. Eritrea is one of the very few countries in the world that will meet the Millennium Development Goals (MDG), especially in the area of health for its children, malaria mortality prevention and reduction of AIDS.
Hillary Clinton may call Eritrea a dictatorship and Ethiopia a democracy but if one measures human rights by access to clean drinking water, food, shelter and medical care rather than stuffed ballot boxes and fixed elections, then the descriptions would have to be reversed.
The Horn of Africa may be the Horn of Hunger for millions but in the midst of all the drought, starvation and suffering there lives and grows an island of food security, little Eritrea and its 5 million people.
Unfortunately, none of this may be enough to prevent the UN inSecurity Council from passing even tougher sanctions against Eritrea in an attempt to damage the Eritrean economy and, inevitably, hurt the Eritrea people. This is all done, once again, in the name of fighting the War on Terror, or more accurately, the War on the Somali people. (エチオピアの平均寿命は降下している、いや急落していると言った方が良いが、その一方で、(すぐ隣りの)エリトリアでは、世界銀行ですらが“劇的に”という表現を使うほど、平均寿命が延びているのだ。エリトリアは(国連の)ミレニアム開発目標(MDG)で、特に児童の健康、マラリアによる死亡防止、エイズの感染減少の分野で、目標の達成が期待されるごく少数の国家の一つである。ヒラリー・クリントンは、エリトリアは独裁国家、エチオピアは民主国家と言うだろうが、もし、人権というものを、インチキ投票箱,お手盛り選挙ではなく、クリーンな飲料水、食べ物、住まい、保健医療が得られるかどうかで測るならば、エリトリアが民主国で、エチオピアが独裁国ということになるだろう。アフリカの角(アフリカ大陸の右肩の地域)は何百万かの人々にとって空腹の角とも言えようが、この旱魃と飢餓と受難のただ中で、小さなエリトリアとその5百万人の国民は、食糧不安のない孤島として、生活し、成長している。- 以下略 -)■
 これを読みながら、私の想いは又しても今回NATOによって“民主化”されない前のリビアに立ち返ります。エリトリアでは毎年国際的な自転車レースが行なわれています。今年の国外からの参加者の数人が上掲の(2)の山田耕平氏のエリトリア描写と殆どそっくりの観察を報告しています。また、エリトリアが国連のミレニアム開発目標に関して優れた成果をあげていることはネット上に沢山の公式データがあります。リビアの場合にも国連がその国民生活の質の良さを確認するデータを発表していたことはこのブログでも報告したことがありました。もう間もなく、この小国は大国のエゴイズムによって粉砕され、私は「エリトリア挽歌」を書く羽目になるのでしょう。
 エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキは、その独裁の熾烈さにおいて、ルワンダのポール・カガメとよく同列視されます。決定的な違いは、米欧にとって、カガメが飛び切りの優等生であるのに、アフェウェルキは言語道断の非行人物だということです。アウンサンスーチーとアリスティドとの相対地位とも通じている所があるかも知れません。

藤永 茂     (2011年12月7日)
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 TesfaNewsというエリトリアの報道機関(ブログ)があります。テスファとは、アフリカーンス語で「希望」を意味するそうです。自己紹介によると、政府、政治団体、宗教団体から独立した民間の報道媒体のようですが、堅実味のある論説やニュースを読むことができます。念のため、ABOUT US の原文を引いておきます:
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ABOUT US
‘Tesfa’ is a Geez word meaning “Hope”
TesfaNews.net is a blog that is dedicated to inform, entertain and inspire the Eritrean people inside and abroad by amplifying every positive and ‘Tesfa’ news available about or related to ERITREA.
TesfaNews is not affiliated to any governmental, political or religious organization. Rather, it is simply a pro-Eritrea (as a country, not necessarily regime) news and views website with an online presence through www.tesfanews.com and www.tesfanews.net
Our programs are picked and posted independently that are in line to our motto.
We are inspired and driven by nothing but the LOVE of Eritrea.
Any one who stands for the same cause can directly contribute articles, links, photos and videos to this website.
We look forward to hearing all your comments and criticisms.
TesfaNews Team
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 このTesfaNewsに、11月24日、『エリトリア:喜びとその未来』というしっかりした論説が出ました:
https://www.tesfanews.net/eritrea-sanctions-joy-future/
その一部を転載翻訳します:
First, congratulations must go to the people of Eritrea – the soldiers, the youth, the civil servants, the elders, the farmers, and the mothers and fathers. This latest development can only be regarded as an undeniable victory for them. Do not forget that the international sanctions were just one part of the larger strategy devised by the previous US and Ethiopian governments to isolate and weaken Eritrea, hoping to cause its collapse, implosion, or submission.
「まず第一に、「おめでとう」の祝辞はエリトリアの人々——兵士たち、若者、公務員、お年寄り、農民、そして、お母さんたちとお父さんたちに贈らなければならない。この最近の事態展開はエリトリアの人々にとっての紛れもない勝利というほかはない。忘れてならないのは、この国際的制裁措置が米国とエチオピアの前政権によってたくらまれた、エリトリアを孤立させ、弱体化し、あわよくば、その崩壊、内部暴発、あるいは、その降伏を狙った、より大きな戦略の単なる一部分であったことだ。」
 しかし、問題は今後(future)にあります。米国が急にニコニコ顔をエリトリアに見せ始めた理由は、中国、ロシアとのアフリカにおける覇権争いにあります。テスファニューズは、この米国政府の豹変が、トランプ大統領の国家安保担当補佐官ジョン・ボルトンの進言によるものと報じています。必死に生きるアフリカのキューバ、アフリカの北朝鮮、エリトリアの未来を占う能力は私にはありません。しかし、エリトリアを崩壊に追い詰めようとした米国政府に易々として協力したヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルのようなNGOを批判することは出来ます。今回の、エリトリアをめぐる米国の豹変は、国際的人権NGOの本質を誰の目にも明らかな形で白日のもとに露呈する結果になりました。

藤永茂(2018年12月4日)
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米国は実に汚いことをする

2018-11-25 19:42:54 | 日記・エッセイ・コラム
 去る11月6日、米国政府は、トルコの反政府組織PKK(クルディスタン労働者党)の現在の指導者ムラト・カラユラン(Murat Karayılan)と他の2名の指導者を捕獲するための情報の提供者に巨額の報奨金を与えると発表しました。カラユランの首には5百万ドル、他の二人には4百万ドルと3百万ドル:
https://www.al-monitor.com/pulse/originals/2018/11/intel-washington-bounty-kurdish-insurgents-pkk.html
人を馬鹿にするな、と言うも愚か、米国は実に汚いことをする国です。英国のタイムズ紙はa sop to Turkey(トルコの機嫌をとるための飴玉)と書いています。
 PKKについては、和文ウィキペディア:
https://ja.wikipedia.org/wiki/クルディスタン労働者党
をお読みください。ただのテロ武装集団では決してありません。トルコとの関係に気を配って米国もEUもPKKをテロ組織と認定してきましたが、PKKの性格から、この認定にはもともと無理があり、実際、この11月15日、リュクセンベルクにあるEU法廷では、「2014年から2017年の間、PKKをテロ組織のリストに含めていたのは間違いであった」ことが承認されました:
https://anfenglish.com/kurdistan/cjeu-rules-pkk-wrongly-on-the-terror-list-30975
PKKの名が生まれたのは1978年で、今年は40周年です。それを記念する談話をPKK執行委員会の委員Ruken Garzanが発表しています:
https://anfenglish.com/rojava-northern-syria/40th-anniversary-of-the-pkk-celebrated-in-kurdistan-mountains-30965
その一部を訳出しましょう:
「PKKは、この40年間、クルディスタンの歴史に貴重な遺産を積み上げてきた。中東地域のために自由な未来と生きるに値する社会の礎石を置いた。我らの指導者オジャランのもと、PKKは40年間自由のための闘争を高く掲げ、それを人類への贈り物としてきた。」これはテロリストたちの使う言葉ではありません。
 EU法廷が2014年から2017年、つまり、過去4年間だけPKKはテロ集団と決めつけるべきでなかった、とするのは、何故か? ここにも米国の汚らしい狡猾さが露呈しています。2014年といえば、いわゆる、“コバネの戦い”の年です。米国が、PKKと密接に繋がるロジャバのクルド人民防衛隊YPG,YPJを米国の代理地上戦力として利用し始めた年にあたります。懐柔の飴玉をもらったトルコは、まだ米国に対して「PKKの3人の幹部の居どころなら、あんた方が一番よく知ってんじゃないの」などと嫌味を言っています。
 仮に、私が何十億円かの自由になる資産を持ち、それで先ず、小型高性能の超遠隔操縦可能のドローンを開発し、その上で、ドナルド・トランプさん、ジョン・ボルトンさん、ヒラリー・クリントンさんの首に、それぞれ、6億円、5億円、4億円の報奨金を提供すると発表したら、どうなるでしょうか?

藤永茂(2018年11月25日)
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米国知識層の堕落(FALL)(2)

2018-11-16 00:17:33 | 日記・エッセイ・コラム
 2014年10月27日、カナダのCBC(日本のNHKに相当)は、CBC切っての人気キャスター、ジアン・ゴメシを突然解雇し、その理由を「最近CBCに寄せられた情報に基づいた決断」と発表しました。ゴメシ側は、恋愛沙汰でゴメシに振られた元ガールフレンドと彼女と組んだフリーランス作家のでっち上げた偽のセクハラ糾弾だと反論し、彼の荒っぽい性行為は合意に基づいていたと主張しましたが、その数時間後に、有力新聞トロント・スターが「合意に基づいていなかった」とする女性側の主張を取り上げました。10月29日には、CBCの報道番組で「10年前にゴメシから同様のひどい仕打ちを受けた」と匿名の一女性が証言したことを報じ、トロント・スターは8人の女性がジアン・ゴメシの暴力を糾弾する声をあげていることを報じました。31日には、二人の女性の告訴に基づいてトロント警察署が犯罪捜査に踏み切り、これに対して、ゴメシは刑事事件弁護士としての有能さで知られるMarie Heneinを弁護人に選びました。このエジプト人女性はこの事件で重要な役を担います。2016年2月1日、オンタリオ州の裁判所で裁判が始まり、8日間続きましたが、2016年3月24日、証拠不十分として、ジアン・ゴメシに対する告訴の全てについて無罪の判決が下されました。
 ジアン・ゴメシのセクハラ事件の経過、特に裁判の詳細は、カナダの代表的女性誌シャトレーヌに出ています:
https://www.chatelaine.com/news/the-jian-ghomeshi-trial/
ここには、男性の性的暴行の犠牲者としての女性の立場からの、ジアン・ゴメシという人物に対する声高の非難の声が満ち満ちていて、それは無罪判決を下した法廷(裁判官)と、ゴメシの弁護人にも及び、マリー・ヘネンは「女性でありながら、女性を裏切った」と攻撃されています。
 ジアン・ゴメシの「Reflections from a Hashtag」が掲載されたNYRB(2018年10月11日-24日号)の編集長はイアン・ブルマですが、次の号(10月25日-11月7日号)は編集長代理Michael Shaeとあり、ブルマの名はもうありません。この号の Letters to the Editor 欄は、ゴメシに関する37の投書で独占されています。そのうち34がゴメシと彼の文章を掲載したブルマに対する声高の非難の内容です。しかも、これが投書の全てではなく、代表的なサンプルだとしてあります。このほか囲みの中にNYRBの常連寄稿者107名が連名でブルマの解雇に対する遺憾の気持ちを表明する文章が記載され、それに対するNYRB側の弁明を読むことができます。詳しく検討なさりたい方は、以下をご覧ください:

https://www.nybooks.com/articles/2018/10/11/reflections-hashtag/
https://www.nybooks.com/articles/2018/10/25/responses-to-reflections-from-a-hashtag/
https://www.nybooks.com/articles/2018/10/25/letter-from-contributors/

 ジアン・ゴメシの3400語のエッセーを掲載したイアン・ブルマの編集者としての考えは、次のインタビューで知ることができます:
https://slate.com/news-and-politics/2018/09/jian-ghomeshi-new-york-review-of-books-essay.html
これまで私はイアン・ブルマの書いた文章を数多く読んできました。特別この人のファンではありませんが、上のインタビューで示されている彼の考えを私は一つの真っ当な考えだと思います。強姦は厳しく断罪されなければなりません。しかし、ゴメシは強姦者として処罰されたのではありません。人と人との性的関係という問題は複雑なものです。ゴメシ事件の場合、強姦と暴力行為の刑事告発については無罪となりましたが、ゴメシのセクハラ行為に対する処罰は、社会的に、十分に行われたように思われます。ゴメシの弁護を担当して、無罪判決をもたらしたマリー・ヘネンは、裁判の締めくくりに、「I have never had a client be the subject of such an unrelenting public scrutiny and focus.(私は、今まで、世間からのこれほどまでの容赦ない詮索と集中的関心の的になった依頼人を持ったことはありませんでした)」と発言し、さらに、カナダ人一般がこの事件を乗り越えて、カナダにとって同じように重要な事柄に関心を向けるべきだと呼びかけました。私はこのマリー・ヘネンという女性の言葉に賛同します。家庭内暴力を始めとして、男性が恣意的に女性に加える暴力は許すべからざる行為です。しかし、ジアン・ゴメシの事件をこれほどまでに騒ぎ立てるカナダや米国のマスコミの姿勢と現在進行中の「#MeToo」運動の傾向に、私は危惧を抱きます。筋金入りのフェミニストとして知られていたマリー・ヘネンは、ゴメシを無罪にしたことで、女性全体を裏切ったと非難されていますが、これは間違っています。ヘネン弁護士は女性の原告の証言が信憑性に欠けることを立証しました。男性の暴力の犠牲者に強いられる心理的苦悩の理解と、事実を事実として認識することとは区別しなければなりません。「フェミニストとしての私に何の変化もない」とマリー・ヘネンは言い切っています。
 この騒ぎを契機として、私の関心は、むしろ、NYRBそのものの変貌、その背景としての米国知識層の堕落に向けられます。それはまた米国の大学が支配権力機構の中にしっかりと組み入れられ、大学教育現場の環境も腐敗堕落してしまったと私は感じています。今のNYRBの所有者はRea Hedermanで、1984年に5百万ドルで買い取ったとされています。この人はミシシッピー州の保守的新聞チェーンを経営していた家族の出身で、興味深い経歴の持ち主ですが、今は取り上げません。NYRBを買い取った時に抱いていた初心を、支配権力からの締め上げに直面して、ヘダーマンが次第に失いつつあるというのが現状でしょう。私はシリア情勢に強い関心を持っていますが、2016年12月から今日までにNYRBに掲載されたシリア関係のいくつかの記事のどれもがひどく偏向した、虚偽報道的な内容です。特に最近の記事、「Why Assad and Russia Target the White Helmets」:
https://www.nybooks.com/daily/2018/10/16/why-assad-and-russia-target-the-white-helmets/
は劣悪なもので、本来ならば、ジアン・ゴメシのメア・クルパにも増して、NYRBの編集部として、掲載の可否について真剣な議論が戦わされるべきであった内容ですが、こちらはフリーパスです。
 幸い、この悪質の記事に対する詳細な批判がRick Sterlingというサンフランシスコ在住のジャーナリストによって発表されました:
https://syria360.wordpress.com/2018/10/24/western-media-attacks-critics-of-the-white-helmets/
「Western Media Attacks Critics of the White Helmets」というタイトルですが、その理由は、NYRBのホワイトヘルメット擁護賞賛の記事が、ホワイトヘルメット神話の虚偽性を明らかにしたジャーナリストやアサド政府を支持する側にあると思われる人々を、名指しで非難していることにあります。非難の矛先はVanessa BeeleyやEva Bartlettといった人々だけでなく、私が信頼するJohn PilgerやRobert Fiskにも向けられています。Rick Sterlingが指摘する通り、NYRBのホワイトヘルメット記事はひどく杜撰なものです。こうした品質品格の記事がNYRBに掲載される実際のプロセスを知りたいものです。同様の事情、類似の状況が、他の出版記事(日本の新聞、雑誌を含めて)の採用不採用の決定にも存在するのでしょう。どのような圧力が、どのような形でかかってくるのか?
 ブルマがヘダーマンから解雇された直後、オランダの雑誌のインタビューで語ったこととして次のようなことが伝えられています:
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The day after his departure, a Dutch magazine published an interview with Buruma that had taken place in the uneasy purgatory between a difficult conversation with Hederman and his formal resignation. Buruma spoke with detached fatalism of how he’d been “convicted on Twitter,” a victim of the Review’s “capitulation to social media and university presses.” He said Hederman had told him university press publishers, driven by campus politics, were threatening a boycott.
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ブルマは、ツイッター上で吊し上げられて世論から有罪判決を受け、NYRBがソーシャルメディアと諸大学の出版局に降伏したことの犠牲者となったと語っているわけです。ヘダーマンは、諸大学の出版局の人たちが、大学内の政治に駆り立てられて、NYRB誌に広告を出さないかも、と脅しをかけてきている、つまり、 MeToo運動の最中にゴメシの寄稿を採用するような編集長を留めておけば、NYRB社の必須の財源である諸大学の出版局からの広告収入が途切れる恐れがあるとヘダーソンはブルマに話したということです。ここで、「driven by campus politics」という文句に注意しましょう。ここに、私がイアン・ブルマ/ジアン・ゴメシ事件を米国知識層のFALLとして捉える理由があります。MeToo 運動の隆盛さは、いわゆる、アイデンティティ・ポリティクスの範疇の現象です。アイデンティティ政治の問題は、学問的テーマとして、最高学府で大いに論議されるだけの重要性を持った問題です。そして、そこでの主張は、学問的に真摯でフェアな形でなされ、ポストモダン的な曖昧さ(obscurantism)で主張の内容の空虚さを隠すようなことがあってはなりません。ましてや、自分の主張に逆らう発言を、学内政治的に圧殺するようなことは論外であるべきです。ところが、米国の大学では、そうしたことが実際に起こっているのです。米国の大学で「男性と女性は生物としてはっきりした相違がある」と発言をすると、それだけで糾弾されるという話があります。
 米国知識層の堕落(FALL)については、私のもう一つのブログ『トーマス・クーン解体新書』でも論じています。MeToo運動に対する私の想いは、正直なところ、かなり批判的です。今の世の中の枠組みをそのままにして、男性が占めている地位に女性を据え、白人が占めている地位に黒人を据えても、この世は本当に良くはなりますまい。今の米国、今のルワンダを見ればわかります。
私のお気に入りのウェブサイトであるLibya360 に興味深い論考が出ていますので、覗いてみてください:

https://libya360.wordpress.com/2018/11/08/patriarchy/


藤永茂(2018年11月16日)
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米国知識層の堕落(FALL)(1)

2018-11-08 22:52:05 | 日記・エッセイ・コラム
 10月23日付のニューヨークタイムズによると、「私も(MeToo)」運動によるセクハラ告発で、これまでに201人の有力な社会的地位にあった男性がその権力の座から引きずり降ろされ、その後釜の半数は女性によって占められたそうです。
https://www.nytimes.com/interactive/2018/10/23/us/metoo-replacements.html?mtrref=www.nytimes.com&gwh=76F7CEF52C377C5E2CD4AB198BC7BA51&gwt=pay
 11月1日付のヤフー!ニュースJAPAN:
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20181101-00102661/
には、次のような記事が出ました。記事のはじめの部分だけコピーします:
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みんなのために機能しない職場文化
[ロンドン発]米ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏のセックス強要疑惑が発覚、ソーシャルメディアを使ってセクハラを追放する「#MeToo」運動が世界中に広がって1年。グーグルでセクハラ追放の一斉蜂起が始まりました。
「私はデスクにはいません。なぜならグーグルの同僚と取引先の人たちと一緒に、セクハラと不適切な振る舞い、透明性の欠如、そして、みんなのためには機能していない職場文化に抗議して職場を離れます」
検索エンジンの巨人、米グーグルに蔓延するセクハラ、パワハラ文化に抗議して11月1日午前11時(現地時間)、世界中のグーグル社員らがこんな紙切れを机の上に残して一斉にストライキに入りました。
スマートフォン用OS(オペレーティングシステム)「アンドロイド(Android)」を開発した元グーグル副社長アンディ・ルービン氏が2014年、セクハラを理由に同社を去ったにもかかわらず、9000万ドル(101億円)も受け取っていたことが発覚。・・・
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 世界中に広がっているとされる「#MeToo」運動については、私も大きな関心を寄せていますが、ここでは、私が長い間住んでいたカナダでのセクハラ事件と、それに関連して起こった米国の著名な書評誌NYRB(The New York Review of Books)の編集長更迭騒ぎのことを考えてみたいと思います。
 「#MeToo」運動が始まる前の2014年10月26日、カナダ放送協会(CBC)の花形キャスターであったジアン・ゴメシ(Jian Ghomeshi、1967生まれ)という男性がセクハラ事件でCBCから解雇されました。CBCは国営企業で、政府資金が7割、広告収入3割、受信は無料です。テレビもラジオも充実した番組内容で知られ、特にCBCラジオは米国でも広く受信されています。
 ゴメシとその人気の絶頂からの転落については次の二つの記事を上げておきます:
http://akitsuneonthewaves.blogspot.com/2014/10/blog-post_26.html
https://thegroupofeight.com/2016/03/01/95%の沈黙/
 米国には充実した内容で知られる隔週刊の書評誌NYRB(The New York Review of Books)がありますが、残念ながら、今は、「ありました」と書くべきかもしれません。カナダで生活した約40年間、私は随分熱心にNYRBを読み続けました。日本の老人ホームで暮らしている今も定期購読を続けていて、二週に一度の到着を楽しみにしている次第です。ベトナム戦争の時代には、一貫して強い反対の論陣を張り、イラク戦争に対しても、ニューヨークタイムズ(NYT)やニューヨーカーが支持に回る状況の中で、断固として反対の姿勢を貫きました。しかし、残念なことに、シリア戦争については、アサド大統領を、自国民を大量殺戮する戦争犯罪者と扱う記事を2016年年末に掲載して、NYTなどと協調してしまいました。NYRBのことを詳しく知りたい方は、
https://en.wikipedia.org/wiki/The_New_York_Review_of_Books
をご覧ください。
 良識ある米国知識人たちの牙城であった筈のNYRBにジアン・ゴメシのセクハラ騒動が激震を与えました。1963年2月の創刊以来の編集長Robert Silvers が2017年3月に亡くなった後、その9月からイアン・ブルマ(Ian Buruma)がNYRBの編集長に就任しました。ウィキペディアには
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イアン・ブルマ(Ian Buruma, 1951年12月28日 -)はオランダの著作家・ジャーナリスト。オランダ人の父とイギリス人の母の間に、オランダの首都ハーグで生まれる。
ライデン大学で中国文学を学ぶ。在学中に、アムステルダム公演の寺山修司の「天井桟敷」に出会って衝撃を受け、日本に留学し、1975年~1977年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。
その後、東京、香港、ロンドンなどでジャーナリストとして活躍する。2003年よりアメリカバード大学教授となり、現在はニューヨーク在住。2008年エラスムス賞受賞。
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とあります。1980年代からこの人の書いた記事がしばしばNYRBに掲載されています。2017年5月11日-24日号はなくなったロバート・シルバーズの記念号として出版されましたが、その号にも「Beautiful Japanese Youths」という見出しのイアン・ブルマの寄稿があります。ローマ字で「shudo」と書いてあるのが、恥ずかしながら、分かりませんでした。広辞苑で:「衆道(しゅどう)」(若衆道の略)、男色の道、と知りました。このほかにも、1984年、ロナルド・キーンについての論考を、若いブルマがNYRBのシルバーズ編集長に売り込んだ時の思い出が語られています。
 イアン・ブルマが編集長になってから1年後の2018年10月11日-24日号の表題は「THE FALL OF MEN」となっていて、普通は「人類の堕落」つまり、原罪を意味する言葉です。この号の中に、「Reflections from a Hashtag」と題するジアン・ゴメシの文章が掲載されていました。おそらく、ほぼイアン・ブルマ編集長の独断で掲載が決定されたこの文章の内容に対して、そして、それを掲載したNYRBの判断に対して猛烈な批判、非難の声がまき上り、イアン・ブルマは僅か一年そこそこでNYRB編集長の地位から追放されてしまいました。この事件については、日本でも既に報じられています。例えば、
https://hon.jp/news/1.0/0/14273
次回には、この事件が意味するところを、私なりの角度から論じたいと思います。

藤永茂(2018年11月8日)
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アサド大統領は残忍暴虐な独裁者か?

2018-10-22 22:34:21 | 日記・エッセイ・コラム
 ノーム・チョムスキーのことを取り上げた私のブログ記事に対して、まず、海坊主さんから、続いて、箒川 兵庫助さんとHitoshi Yokoo さんから、私にとって大変読み応えのあるコメントをいただきました。どうか皆さんも読んで下さい。こうした語調で、私に見えてなかった事柄を指摘して、議論に乗ってきて頂けるのは有難いことです。初めから自分の意見を一方的に相手に押し付けるのでは議論というものが成り立ちません。学べる所がなく、面白くもありません。「アサド大統領は残忍暴虐な独裁者ではない」と私は判断しています。アサド大統領はひどい野郎だと考えているチョムスキーさんが多分間違っていると思います。「弘法にも筆の誤り」と昔から言いますから。もし、チョムスキーさんに、アサド大統領についての私の言い分を聞くだけの暇な時間ができれば、彼は私の話を初めから拒否し、却下するようなことはしないでしょう。議論に乗ってきてくれる筈です。
 このブログ『私の闇の奥』の他に、私はもう一つ、『トーマス・クーン解体新書』という名のブログを細々と書き続けています。電子書籍として既に出版した同名の単行本の続編のようなものです。科学哲学者トーマス・クーンを話の中心に置いた自然科学論のような内容ですが、昨夜ほぼ2ヶ月ぶりにブログ記事を更新しました。見出しは『今度の「ソーカル事件」は何が狙いか?(1)』です。近頃、米国の大学で、極端な思想を持った学生が、自分たちの考えに反することを口にする教授を問答無用に吊るし上げ、果ては暴力沙汰にまでなるといった事態が多発しているようです。上掲のブログ記事はそれに連関して起こった擬似論文投稿事件を取り上げたものですが、書いているうちに、米国の大学事情についてのノーム・チョムスキーの過去の発言を思い出しました。それは『ポストモダニズム:権力の道具』と題する5分足らずのスピーチ(動画)です:

https://zcomm.org/zvideo/postmodernism-an-instrument-of-power/

チョムスキーさんは、大学人の間ではポストモダニズムが流行っていて、「真実(Truth)とか歴史的事実(Historical Fact)などというものはない」と主張することで強引に自分の主張を押し付けてくる人が多い、と知識階級の人々を批判しています。今度の二度目の「ソーカル事件」はまさにこの状況の産物です。米国の大学もひどいことになったものです。
 私が「アサド大統領は残忍暴虐な独裁者ではない」と判断する根拠は、シリア紛争の勃発以降のアサド大統領の発言の総体に基づいています。特に、いろいろの機会に行われてきた十分長い時間をかけたインタビューのtranscript(筆記録)の多数をよく読み込むことで、私の中に出来上がったアサド大統領の人間像が私の判断の根拠です。講演や会見の、抄録でないトランスクリプトは日本のマスメディアには殆ど全く現れませんが、英語になったものは、よく探せば、結構たくさん見つかります。
 では、アサド大統領に対するチョムスキーさんの見解、つまり、「何十万というシリア自国民を容赦無く殺戮した戦争犯罪人」という判断は何処からきたのでしょうか? 私は、これについて、割にはっきりした推測を持っています:それは、大の親友であるRichard Falkという人物からだと思います。この名に見覚えがなければネットで調べて下さい。この人のシリア紛争についての考えは次の記事にはっきり出ています:

https://richardfalk.wordpress.com/2017/11/13/failing-the-people-of-syria-during-seven-years-of-devastation-and-dispossession/

私のようなズブの素人、まるっきりの門外漢が、Richard Falkのような大物に盾突くのは滑稽千万かもしれません。しかし、リビアのカダフィの前例があります。私はカダフィが惨殺される前に、彼について正しい判断を下していました。アサド大統領の本性についての私の判断も間違っていないと思います。

藤永茂(2018年10月22日)
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