セサール・チャベス、今のベネズエラ大統領ウゴ・チャベスと間違えないようにお願いします。日本では、メキシコ人の優れたボクサーの名前として知られているようですが、おなじメキシコ出身のセサール・チャベス(1927-1993)はアメリカの低賃金農業労働者の生活条件向上のために生涯を捧げた偉人です。カリフォルニアなど幾つかの州では、セサール・チャベスの功績を讃えて、彼の誕生日、3月31日が休日になっています。
1960年代から1970年代にかけて、セサール・チャベスはカリフォルニア州の季節農園労働者の組合結成の激しい運動を繰り広げました。セサール・チャベスは「全米農業労働者組合(United Farm Workers of America, UFW)」を率いて、我が身を危険さらしながら、組合結成の動きを弾圧しようとする農場の作物(ブドウその他)の不買運動や抗議の断食闘争を繰り広げ、その結果、メキシコからの流入低賃金労働者の悲惨な生活条件が大幅に改善されることになりました。ブドウ摘みの労働に酷使されていたカニフォルニアの季節労働者たちの組合結成を戦い取るためにセサール・チャベスのUFWが巻き起こしたブドウ不買運動に全米的な反応が起こり、遂に組合が結成され、労働条件が大きく改善されました。チャベス自身がそうした農業労働者から身を起こした、いかにもメキシコの農民風の容貌の朴訥な人物でした。バラク・オバマの颯爽たるカッコよさとは全く対照的でした。1964年から1年間、カリフォルニア州のサンホゼのIBM(アイビーエム)研究所に客員研究者として滞在した私は、セサール・チャベスの健闘ぶりを現地で見守る経験をしました。中南米系やフィリピン系の移民労働者の惨状を訴えて立ち上がったセサール・チャベスには、やがて、学生運動、ベトナム反戦運動、人種差別反対運動などの闘士たちが合流して、広汎な労働組合運動の盛り上がりを見せた時代でした。
「イエス、ウィキャン(Yes, We Can)」という合い言葉は、バラク・オバマのおかげで、世界中に広まりましたが、このモットーは、もともと、「シ、セ、プエデ(Si, se puede)」というUFW(全米農業労働者組合)のモットーとして知られ、1972年、アリゾナ州のフェニックスで、労働組合を敵視する州知事のリコールを求めて、セザール・チャベスたちが24日の抗議断食を行った時に生まれた言葉だそうです。この「シ、セ、プエデ」の英訳としては「Yes, it can be done」の方が原義に近いという意見と、いや、「イエス、ウィキャン」がよいという意見があります。セサール・チャベスは、この言葉に今はやりの「イエス、ウィキャン」とは別の響きを、別の信念を込めていたのだという人もあります。
バラク・オバマが選挙戦の標語として「イエス、ウィキャン」を使い始めたのは、2004年春、イリノイ州の民主党がアメリカの上院議員立候補者を決定する選挙の時からです。誰がセサール・チャベスの標語を借用することを最初に思い付いたか知りませんが、多分、早くからバラク・オバマに着目し、彼をイリノイ州上院議員から国会上院議員、遂にはアメリカ大統領へとオバマを押し上げた(そして今でも恐らく最も強力なアドバイザーである)デイヴィド・アクセロッドあたりの発案ではなかったかと、私は推察します。セサール・チャベスが体調を崩して亡くなったのは1993年ですが、その5年前の1988年にも、カリフォルニア州のメキシコ系貧農労働者の癌死亡率が異常に高い理由であると考えられた殺虫剤農薬の大量使用に抗議して36日間の断食を実行したこともあって、アクセロッドのようなオバマより一世代上のアメリカ人たちに強烈な印象を残した可能性が大きいからです。ご存知のようにバラク・オバマは大統領選挙戦中にも「イエス、ウィキャン」をしきりに使って人心を獲得しました。アメリカ合州国では、票田としては、ヒスパニック(チカノ)と呼ばれる人々の方が黒人人口より大事なのですが、抜け目のないオバマ陣営はテキサス州などヒスパニック系人口が多い所では、「イエス、ウィキャン」に加えて「シ、セ、プエデ」というセサール・チャベスのモットーも、原語のまま、チャッカリ借用していました。
私には、セサール・チャベスとバラク・オバマは全く別種の人間のように思われます。セサール・チャベスが、実は、ウゴ・チャベスと兄弟だといわれても驚かないのと同じ程度に、バラク・オバマが、実は、ジョージ・ブッシュと兄弟だと聞かされても、私は、とくべつ驚きません。
藤永 茂 (2009年4月29日)
1960年代から1970年代にかけて、セサール・チャベスはカリフォルニア州の季節農園労働者の組合結成の激しい運動を繰り広げました。セサール・チャベスは「全米農業労働者組合(United Farm Workers of America, UFW)」を率いて、我が身を危険さらしながら、組合結成の動きを弾圧しようとする農場の作物(ブドウその他)の不買運動や抗議の断食闘争を繰り広げ、その結果、メキシコからの流入低賃金労働者の悲惨な生活条件が大幅に改善されることになりました。ブドウ摘みの労働に酷使されていたカニフォルニアの季節労働者たちの組合結成を戦い取るためにセサール・チャベスのUFWが巻き起こしたブドウ不買運動に全米的な反応が起こり、遂に組合が結成され、労働条件が大きく改善されました。チャベス自身がそうした農業労働者から身を起こした、いかにもメキシコの農民風の容貌の朴訥な人物でした。バラク・オバマの颯爽たるカッコよさとは全く対照的でした。1964年から1年間、カリフォルニア州のサンホゼのIBM(アイビーエム)研究所に客員研究者として滞在した私は、セサール・チャベスの健闘ぶりを現地で見守る経験をしました。中南米系やフィリピン系の移民労働者の惨状を訴えて立ち上がったセサール・チャベスには、やがて、学生運動、ベトナム反戦運動、人種差別反対運動などの闘士たちが合流して、広汎な労働組合運動の盛り上がりを見せた時代でした。
「イエス、ウィキャン(Yes, We Can)」という合い言葉は、バラク・オバマのおかげで、世界中に広まりましたが、このモットーは、もともと、「シ、セ、プエデ(Si, se puede)」というUFW(全米農業労働者組合)のモットーとして知られ、1972年、アリゾナ州のフェニックスで、労働組合を敵視する州知事のリコールを求めて、セザール・チャベスたちが24日の抗議断食を行った時に生まれた言葉だそうです。この「シ、セ、プエデ」の英訳としては「Yes, it can be done」の方が原義に近いという意見と、いや、「イエス、ウィキャン」がよいという意見があります。セサール・チャベスは、この言葉に今はやりの「イエス、ウィキャン」とは別の響きを、別の信念を込めていたのだという人もあります。
バラク・オバマが選挙戦の標語として「イエス、ウィキャン」を使い始めたのは、2004年春、イリノイ州の民主党がアメリカの上院議員立候補者を決定する選挙の時からです。誰がセサール・チャベスの標語を借用することを最初に思い付いたか知りませんが、多分、早くからバラク・オバマに着目し、彼をイリノイ州上院議員から国会上院議員、遂にはアメリカ大統領へとオバマを押し上げた(そして今でも恐らく最も強力なアドバイザーである)デイヴィド・アクセロッドあたりの発案ではなかったかと、私は推察します。セサール・チャベスが体調を崩して亡くなったのは1993年ですが、その5年前の1988年にも、カリフォルニア州のメキシコ系貧農労働者の癌死亡率が異常に高い理由であると考えられた殺虫剤農薬の大量使用に抗議して36日間の断食を実行したこともあって、アクセロッドのようなオバマより一世代上のアメリカ人たちに強烈な印象を残した可能性が大きいからです。ご存知のようにバラク・オバマは大統領選挙戦中にも「イエス、ウィキャン」をしきりに使って人心を獲得しました。アメリカ合州国では、票田としては、ヒスパニック(チカノ)と呼ばれる人々の方が黒人人口より大事なのですが、抜け目のないオバマ陣営はテキサス州などヒスパニック系人口が多い所では、「イエス、ウィキャン」に加えて「シ、セ、プエデ」というセサール・チャベスのモットーも、原語のまま、チャッカリ借用していました。
私には、セサール・チャベスとバラク・オバマは全く別種の人間のように思われます。セサール・チャベスが、実は、ウゴ・チャベスと兄弟だといわれても驚かないのと同じ程度に、バラク・オバマが、実は、ジョージ・ブッシュと兄弟だと聞かされても、私は、とくべつ驚きません。
藤永 茂 (2009年4月29日)