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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ベネズエラはどうなっているか

2018-01-18 21:28:30 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さんに是非読んでいただきたいコメントを海坊主さんから戴きましたが、『ベネズエラのコミューン運動』(2017年5月17日)というかなり以前のブログ記事に対してなので、ここに転載します:

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ベネズエラ人民の闘いは続いています。 (海坊主)
2018-01-12 21:30:48
下記ブログにこの2017年におけるベネズエラの人々の闘いが要約されております。

鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽 
「2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか①〜③
http://shosuzki.blog.jp/archives/74449281.html
http://shosuzki.blog.jp/archives/74452865.html
http://shosuzki.blog.jp/archives/74465087.html

西側世界の視点から報じられるベネズエラのニュースは偏見に満ちたもので、私には読むに耐えられません。マドゥロ大統領が覚悟を持って自らに課した使命(故チャベスの後継者たれ)に最大限の努力を払って人々を導いていることがこの記事から伺い知れます。

西側世界から異端視されるベネズエラ。闘い続けることを運命づけられたチャベスの子供達。
かなり贔屓目には思える部分は感じますが、私はこれらの記事に触れ、久々に嬉しくなりました。ベネズエラ人民の闘いは続いています。 (海坊主)

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私(藤永)にとって、鈴木頌さん、海坊主さんのような方々が、チャベスの子供たちを、我が事として熱い気持ちで見守り、声援を送っている事実を確認させていただくのは、実にありがたいことです。
 鈴木頌さんの「2017年、ベネズエラ人民はどう闘ったのか①〜③」は、中に書いてあるように、もと「モンド・ディプロマティク」の編集総長であったイニアシオ(イグナシオ)・ラモネの筆になる記事:

https://www.telesurtv.net/english/opinion/The-12-Victories-of-Venezuelan-President-Maduro-in-2017-20180102-0009.html

に基づいています。この記事は、私の贔屓のAlexandra Valienteさんの (Libya 360)にも早速(同じ日付けで)アップされました:

https://libya360.wordpress.com/2018/01/02/the-12-victories-of-venezuelan-president-maduro-in-2017/

 鈴木頌さんの三部作は、ラモネの筆になる記事の内容を解きほぐし、まとめ直して、昨年1年間のベネズエラの人々の闘いとその成果を分かりやすく解説した内容で、必読の記事です。ラモネの筆の走りすぎへの注意も込められています。鈴木頌さんの結びの文章は
「残忍な攻撃と果てしない暴力に耐えたこの英雄的な1年に、チャベス主義は強さと生存力を発揮しました。それは支持の基盤を拡大し、革命に有利な政治的および社会的な力を増やすことができました。そこには、これまで以上に強固な確信を抱くに至っています。
2017年におけるベネズエラ革命の勝利と前進はラテンアメリカ全土の救済と希望を意味します。今やベネズエラ革命は決して倒すことのできないものとなっています。」
となっていますが、ラモネの原文は
「In this heroic year of brutal attacks and infinite aggressions, Chavismo has showed its strength and capacity to overcome. It has been able to amplify its base of support, increasing the political and social forces in favor of the revolution. There it is, more solid than ever before. Which means a great relief and a luminous hope for all of Latin America. Whether his enemies like it or not, President Nicolás Maduro has confirmed – with his twelve brilliant victories of 2017- that he continues to be, as his admirers say, “indestructible.”」
です。
 2017年で、チャベス革命を推進する一般人民の力を断然明白に示したのは、二つの地方選挙の結果でした。それは鈴木頌さんの記事②の中で説明されていますのでコピーします:
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11.二つの選挙での勝利
制憲議会とともに「平和の季節」がやってきました。それはベネズエラ革命が反革命主義者に政治的反撃を加えるチャンスを与えました。
その反撃は一斉地方選挙で2つの驚異的な選挙勝利をもたらしたのです。
(ベネズエラの一斉地方選挙は日本と同じで4年に1度行われます。前半と後半の2回に分けて行われ、はじめが州知事と州議会の選挙、次が市町村の長と議員の選挙です。制憲議会選挙と違いこちらの選挙は野党も参加しています)
まず最初が10月15日の地方選挙です。州知事選挙では23人の知事のうち19人が与党PSUVの勝利に終わりました。
そこにはこれまで野党が知事を務めていたミランダ州とララ州も含まれていました。また大きな人口学的重要性を持つ戦略的州であり、石油とガスの重要な資源があるスリア州(マラカイボ湖)でも勝利しました。
ついで12月10日の自治体選挙でもチャベス派が圧勝しました。首長選では335の市区町村のうち308で勝利しました。これは市町村の93%を占めています。
大カラカス首都圏は24都市よりなっていますが、チャベス派はこの内22都市を確保しました。いっぽう反政府派は得票数が激減し、21万票を失いました。彼らの行動は多くの国民から非人道的と認知されました。そのことが投票行動によっても確認されたといえます。
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これは、米欧(日本を含めて)のマスコミだけに接している人々には何とも理解できない結果です。ベネズエラを崩壊寸前の状態に追い込んでしまったマドゥーロ大統領の破滅的失敗政府への支持がこれほどまでに強いという事実を説明する手がかりは、マスコミの何処にも見当たらないからです。
 しかし、私はこの地方選挙の結果に特別驚きはしませんでした。この地方選挙圧勝の理由はベネズエラのコミューン運動の盛り上がりにあると私は考えます。ベネズエラのコミューン運動については、海坊主さんから今回新しくコメントを戴いた『ベネズエラのコミューン運動(1)』(2017年5月17日)というブログ記事の中で論じました。その部分を次にコピーします:
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次の『Venezuelan Revolutionaries Demand ‘Truly Communal State』と題する記事をぜひ覗いてみて下さい。ベネズエラのコミューン運動の最近の動きが分かります。ビデオもあります。

https://venezuelanalysis.com/news/13123

現在、人口3100万のベネズエラに、約4600の生活共同体協議会(communal councils)と約1600のコミューン(communes) があります。communal council というのは、ある地域社会の生活上の必要事項を、行政からの指図ではなく、住民たちが相談し、対処するための協議会であり、こうした協議会を持つグループがいくつか集まって、より大きな生活共同体が出来ると、一つのコミューンが成立します。このコミューン運動に参加している人々の数はおそらく総人口の1割ほどでしょうが、私には、この運動の盛り上がりは、ベネズエラの政局の将来を左右する力を秘めているように思われてなりません。
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 これまで私は「もう一つの世界」が実現される希望を「ロジャバ革命」にかけてきましたが、米国は私の夢を打ち砕く方向に決定的に踏み出しました。ISの勢力地域をそっくりSDFの占領地にすり替える形で米国の支配下に置いたシリア北東部の広大な地域を制圧し続ける軍隊として3万人に及ぶ border security force(境界警備部隊?)を創設することを、米国は言明しました。これで、シリア紛争という悲劇はまだ延々と続くことになりましたが、その結末がどうなるにしても、これは、私の「ロジャバ革命」の死刑宣告以外の何物でもありません。ここにあらわにされた米国の全く悪魔的な残忍さについては、機会を改めて取り上げますが、クルドのロジャバ革命に替わって、ベネズエラのコミューン運動の興隆が私の「もう一つの世界」の夢を支え続けてくれるかもしれません。ちなみに、“もう一つの世界は可能だ”という言葉はイグナシオ・ラモネ(Igunacio Ramonet)が1998年に発したもののようです。

藤永茂(2018年1月18日)

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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嬉しい記事です (ポニョ)
2018-01-18 23:24:18
サイババが帰って来るよ のポニョです。ベネズエラのマドゥーロ大統領は、サイババさんのフォロワーなので、大統領になられる前から応援していました。
全く西側のマスコミは嘘ばかりついていますので、腹立たしく思っていましたが、あなた様の記事を読んでスカッとしました。
もっと、真のベネズエラの人々の気持ちを代弁した記事を書いてくださいね。期待しています。
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1968の精神について (Hitoshi Yokoo)
2018-01-20 19:12:03
1968の精神について

トルコ軍は間もなくアフリンに侵攻する模様です。この2、3日、私も関連記事を再共有も含めて30本以上投稿しました。ロジャヴァ革命派のコミュニティは沸騰していますが、その事に関しては、既に、ここで語る必要性もなくなったように思います。また、ロジャヴァ革命なるものが、「ロジャヴァ革命とは何だったのか」と過去形で語られるべき時期に至ったのかどうかについても、その判断は保留しておきます。ただ、サパティスタ運動からロジャヴァに連なる理念の源については、私なりの考えを述べておきたい気がするのです。

1968年の世代は、日本では全共闘世代に当たりますが、私は一回り下の世代ですから、リアルタイムでその時代を体験したわけではありません。ただ、何故か関心があったので、運動の終焉から10年以上経過した後の時代にも拘らず、古書店を巡りながら当時の書物を探して読んだ記憶があります。

あの時代、新左翼と呼ばれる諸党派の活動が注目を集めましたが、私の印象では、彼らが1968の精神を体現しているようには思えません。レーニンの前衛党主義を堅持する限り、68年精神が深部から提起した問題には答えられないと判断するからです。勿論、彼らが、1968の精神から従来の路線の変更を迫られた側面は窺えます。はじめに、その例を挙げて見ます。

反帝国主義、反スターリン主義を掲げる有名な党派である中核派は、1970.7.7に華青闘(華僑青年闘争委員会)からの告発を受け入れ自己批判します。wikipedia の華青闘の項目には以下のような記述があります。
......................
華青闘は当事者無視の中核派の行動に反発し、7月7日の集会当日に新左翼各派に対して訣別宣言を出した。この宣言は別名「華青闘告発」ともいい、「当事者の意向を無視し、自らの反体制運動の草刈場としてきた新左翼もまたアジア人民に対する抑圧者である」という痛烈な批判であった。華青闘はこの日をもって解散した。

新左翼各派はこれに強い衝撃を受け、次々と自己批判を声明するに至った。
.....................
労働者階級をはじめとする全ての被抑圧者の解放を一身に担うはずの前衛党が、被抑圧者から批判され、その批判を受け入れるということは根源的な矛盾なのです。中核派はアジア人民への「血債」を語り、抑圧民族である我々の自己否定を語りましたが、しかし、その路線の延長に於いては、前衛党の意味が喪われ機能麻痺に陥る結果に至る可能性があります。

もう一つ例を挙げて見ます。
日本革命的共産主義者同盟(第4インターナショナル日本支部)は、80年代に女性党員からの女性差別告発を受けて、90年代に入り本部から支部の取り消しを命じられます。前衛党の指導部が、強姦事件を契機に指導部の男性支配体質を問われ、結果的に組織解体に至ることなど、旧来の前衛党では考えられないことです。戦前の日本共産党では、女性はハウスキーパーの名目で、男性党員から使用人の如く扱われたという見解もあります。平野謙は、「「政治という『目的』のために人間、中でも女性が『手段』にされること、そうした例の一つとしてハウス・キイパー問題がある」と述べているそうです。
第4インターナショナル日本支部解体以降、そのような経過をたどって再建されたグループの一つは、民主集中制を廃止したそうです。民主集中制を廃止すれば、旧来の前衛党主義は成り立たないと思います。

68年精神が、その中心に於いて問いかけたのは「権力問題」ではなかったのでしょうか。それは、当然、自己の権力問題にも及びます。そして、その事に無自覚な運動体は、新たな意識によって乗り越えられ、その歴史的役割を終えて退場するか、その事の自覚の上に自己自身の変更を余儀なくされることになるのだとおもいます。

東大全共闘の「自己否定論」(最首悟)は有名ですが、私には68年精神の典型的な表現だと思われます。他者の権力を問うなら、先ずもって自己の権力こそが問われなければならない、その事を中心課題として提起しています。ただ、自己否定論を求道者の如く突き詰めて行くと、自滅に至る恐れがあります。故に、私どもの了解を超え私どもの自己中心性を相対化する契機としての他者との出会いこそが、重要になります。自己権力の構築を目指すことなく、私を新たな次元に導く他者との共存を求めて出会おうとする姿勢を保つこと、それ以外に我々の未来はないでしょう。なお、山本義隆や最首悟は、稀に見る高潔な人物であり、YouTubeで彼らの講演を観れることを嬉しく思っています。

68年精神は、党派の運動ではなく、自己の権力を目指すことなく、様々な市民、地域運動に向かった人達の中に体現されたように思います。以前、クルド自治運動を紹介されている北河内路上通信というブログの記事を引用させて貰いましたが、この方のブログを初めから読んでみますと、この方がアナキズムの立場に立ちつつ、生涯にわたり、釜ヶ崎やその他の地でホームレス支援活動をされてきた経過がわかります。68年精神は、このような方を産み出したのです。そして、68年精神は、サパティスタから、更にその影響を深く受けたロジャヴァへと継承されていると私は思っているのです。(続く)
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1968の精神について(休み) (Hitoshi Yokoo)
2018-02-06 00:33:13
アフリンの攻防戦

アフリンの攻防戦は、トルコ正規軍と傭兵に対する北方シリア自治運動側の全人民的抵抗の様相を示しています。民族を超え、宗派を超え、老若男女を問わず命懸けの抵抗で持ち堪えている様子が、日々伝えられてきます。軍事力の圧倒的差異にもかかわらず、私は、自治運動側がトルコの侵略を耐え抜くのではないかと観ています。それだけ、自治運動側の士気は高く、団結は強固であると思っています。逆に、トルコ側に付いた傭兵達のモラルは余りにも低く、殺した女性兵士を裸にしたり、殉教した兵士達の墓を暴いたり、その下劣な行為は世界中に知れ渡ってしまいました。トルコ側は、国際世論を味方に付けることは不可能であり、攻防戦が長引けば、エルドアン政権は内外から批判を浴びて自壊するでしょう。彼にとって、アフリン侵攻は、大統領選を有利に運び、汚職から国民の目を逸らす目的を内包していますが、裏目の結果をもたらす可能性が高いと思います。また、トルコ軍の侵攻を容認したプーチンも、戦況の如何によっては、その責任を国内からも追及される可能性があります。もうひとつ、特に私が嬉しかったのは、暫く鳴りを潜めていたサパティスタグループが、全国先住民議会(CNI )の名前でアフリン市民への連帯を表明したことでした。「ラッカ解放」の過程で、サパティスタも離れてしまうのかと危惧していましたが、再び「クルドの兄弟姉妹」と呼び掛けています。

アフリンの攻防戦は、中東戦争の新たな展開の序章に位置することになるのかもしれません。
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ベネズエラは困難に直面している。が、真実を知る人たちは増えている (海坊主)
2019-03-09 14:20:05
 久々にコメントします。ベネズエラについては、私がコメントを残してきた頃から一層雲行きが怪しくなって居ます。大きな危機が迫っていると感じます。

 でも、不謹慎ながら、ある意味で私は嬉しく思っているのです。多くの人たちが真実に気づきつつあることを。次の合州国大統領選に再び出馬しようとする、あの恥知らずなバーニー・サンダース氏の発言を知るたびに。ヒラリー・クリントン氏の二番煎じであることも恥じずに、マドゥロ大統領の運命を故カダフィに重ね合わせようとするマルコ・ルビオ氏の信じられない言動を知るたびに。ベネズエラ政府から正式な人道支援が要請されている国連の煮え切らない態度に、つまりこの世界のその態度に。

 ベネズエラに対する恫喝的言動と、僭主を担ぎ上げて正当な国家指導者とすげ替えようというアメリカの支配者層の暗躍が白日のもとに晒されて居ます。その代わりに私たちの眼に映るのは、故チャベスに対するベネズエラ国民の変わらない大きな愛と、マドゥロ大統領を支持し続け彼の政権の元に結束を強める貧しき庶民たち、そしてそれの政権を支持する暴力装置としての軍隊と警察隊。さらにはインド、中国、キューバ、トルコ、そしてロシアなどの友好諸国からの絶え間ない食料・医療品支援。

 そう、確かに世界は二分されています。いや、もしかしたら、それ以上に分断されているかも知れません。

 西側社会が垂れ流す、好まれざる標的に対する悪魔的な言説。そして反反戦左翼な知識人、つまり知性主義に縛られた彼らのR2P的理想論。一方で知性主義に属さない市井で、無名で、知性ある反知性主義な人々は確実に存在します。彼らは知性主義的知識人の言説に違和感を抱き、それを発見・発信し反論を続けて居ます。これは左翼陣営における「知性主義」対「反知性主義」の闘いなのかも知れません。

 前に私はノーム・チョムスキー氏について否定的なコメントをしました。以前の私は彼を模範的な左翼知識人として尊敬していました。今でも敬意は抱いて居ます。反知性主義の立場に立つ知識人だったからです。彼は言語学者としての名声を持ちながら、自らの専門外である政治問題に「素人」「門外漢」とレッテルを貼られることを恐れず、自らが正しいと思うことを強く主張していたからです。

 最近は、その言説に疑問を持つことが多くなりました。理由は簡単には説明出来ません、JFK暗殺問題とベトナム戦争に対する彼のポジションが私にはまだ分からないからです。ただ彼ほどの名声を得てしまうと周囲から権威化されてしまうという弊害はあると思います。つまりチョムスキー氏を中心とした白い巨塔(知性主義のヒエラルキー的なもの)が出来ると思うのです。

 そしてメインストリームに属さない国内の報道人・知識人の言動も、私たち反知性主義の人々の目に晒されつつあります。

 ベネズエラの問題が日本でも議論されている。ただそのことを知るだけでも、私は嬉しく思うのです。
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