頭の中は魑魅魍魎

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『優雅なのかどうか、わからない』松家仁之

2014-09-20 | books
1982年新潮社に入社し、「小説新潮」「SINRA」編集部、「新潮クレスト・ブックス」を企画、「考える人」と「芸術新潮」の編集長を経て、「火山のふもとで」で作家デビューした松家の第三作。

雑誌の編集者のぼくは、離婚した。息子はアメリカの大学院に入っている。一人暮らしすることになった。できれば古い一軒家に住みたい。知り合いの紹介で、井の頭公園に面した、昭和33年に建てられた家に住むことができるようになった。すると、結婚していた時に付き合っていた女性、佳奈と偶然再会した。佳奈は近所に住んでいることが分かった。大きな家に一人暮らし。人はぼくのことを優雅だと言う。果たしてぼくは優雅なのだろうか。この大好きな家にずっと住めるのだろうか。そして大好きだった佳奈とまた昔のように付き合うことができるのだろうか……

ううむ。ううむ。特にストーリーに大きな起伏がないにもかかわらず、堪能してしまう。小説そのものがいいからなのか、それともこういう静かな小説を楽しめるように私自身が変化しているからなのか。自分ではにわかに判断できない。ただ、「ぼく」に思いっきり感情移入して読んでしまったことは間違いない。

あちこちの言葉がずんずんと突き刺さる。

元妻の台詞

「あのね、教えてあげる。そういうあなたの過剰反応を、自分中心主義って言うの」

おっと、自分のことを言われているみたいでドキッとした。そして、こういうことを言う妻という人物設定と、言われる夫の人物設定が巧い。

女性のほんとうの魅力は、本人が無意識でいる部分から生まれる。

まさにその通り。ホームの上で雑誌をパラパラとめくっているときとか、ボーっとニュース番組を見ているとか、周囲に見られていることを意識しておらず、また好悪の感情が何も無いときに「キレイ」だとか「かわいい」と思えるかによって女性の見た目を判断してきた。泣いたり笑顔だったりがかわいいのは当たり前だもの。(こういう発言を誰かに面と向かって言えばセクハラになるのだろうか)

予定していた通り、一階リビングのテラスに佳奈を案内した。テラスには丁寧に雑巾をかけ、ガーデン用の白いテーブルとチェアを用意してあった。から拭きもしてあるから、サンドイッチを落としても食べられるくらいきれいはずだ。こういう用意周到さが自分の限界なのだ。それでもやめられない。こういうふうにしかできないのだからしかたない。

こういう用意周到さが自分の限界。繰り返しになるけれど、自分の事を言われているよう。この手の用意周到さが、むしろ、その人物の底の浅さを露呈しているのか、などと思った。私の底の浅さももちろん。

気がねはない。心おきなくおならだってできる。ただ、なんの抵抗もなくスウスウと時間が過ぎてゆくのは、なんとも手ごたえがない。寂しいといえば寂しい。それでもだんだん、この手ごたえのなさにも慣れてきた。

「男のひとって、弱気になるとどこまでも弱気でしょう。バゲッジクレイムのベルトコンベアーに乗ったまま、ただぐるぐるまわってるだけの荷物みたいになっちゃって」

バゲッジクレイムのベルトコンベアーに乗った男たち。うーむ。

優雅なのかどうか、わからない

今日の一曲

優雅、ゆうが、ユウガ… You've Got A Friendを歌うはキャロル・キング、セリーヌ・ディオン、グロリア・エステファンともう一人知らない人。



では、また。
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