「1Q84 BOOK3」村上春樹 新潮社 2010年
BOOK1とBOOK2を読んでから知り合いに面白かったと言ったら、実は彼はハルキストで山のような村上作品を貸してくれた。その全部を楽しんだとは言えないけれど、大方楽しませて貰ったし、何より意外なほど楽しんだ。貸してくれたSさんに感謝。
そのSさんがBOOK3を貸してくれた。その彼が言うのはハードルを上げるなという事(あまり期待するなという意味と解釈した)と青豆と天吾の純愛にはあまり興味がないという事と、牛河のエピソードが面白かったという事。なるほど。
ストーリーをすっかり忘れてしまったので復習しようかと思ったけど、まっいいかと読み始めた。何となくのうっすらとした記憶でも問題なく入り込める。
「・・・希望のあるところには必ず試練がある。あんたの言うとおりだよ。そいつは確かだ。ただし希望は数が少なく、おおかた抽象的だが、試練はいやというほどあって、おおかた具象的だ。それも俺が身銭をきって学んだことのひとつだ。」(49頁より引用)
「報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありません。」(138頁より引用)
ふむふむ。二つ引用してみた。村上春樹とドストエフスキーに共通するのはストーリーがどうのこうのとか、ラストでどんでん返しだとかそういう分かりやすい所に面白さが転がっていない、しかし登場人物がふと漏らす台詞やメタファーに面白さがどかどかと転がっているという点だ。
ミステリーやスパイ小説、恋愛物などの純エンターテイメント小説は言わば、コーラを飲もうとしてペットボトルからごくごく飲んであー美味しかったと思う体験だったり、生まれて初めてマウンテンデューを飲んでみるような体験である。しかしハルキムラカミは、床のあちこちに液体がこぼしてあってそれを一つ一つ蹲ってぺろぺろと舐めて回るような体験だ。どんな譬えやねん。
何が楽しいんだか何が美味しいのかよく分からずじわじわと進んで来る感じ。尚更よく分からなくなってきた。まあいい。ハルキストでない門外漢の私の限界がこの辺にあるようだ。
青豆と天吾の純愛物語にはそんなに興味がないと言う人がおられたが、しかしそもそも1Q84の底辺にはその純愛物語が横たわっていると思うので、それに興味がないと確かに面白くない作品になってしまうだろう。私はそもそもあまり期待を大きくしていないというか、頭を真っ白にして読んでいたので結構面白いと思って読んだ。いや、面白いという言葉は合わない。良かったと言い換えておこう。
ラストのまとめ方に賛否両論あるようだ。分かりやすくまとめた事が気に入らない人がいてもおかしくないんだろうと思う。それがムラカミハルキらしくないという印象を多少受けたが、しかしハルキらしいとからしくないと語れるほどの私ではない。ラストは収まる所にパコッと収まったのではなかろうか。
BOOK2の後に続編があるかないかという予想があったそうだ。BOOK4は果たしてあるかと問われれば、あっても良いしなくても良いし、作者に書く気があれば書けるだろうし完結したのならそうなのだろう、と答える。
最後に、自分がもし天吾ならば人生の中で青豆のような存在、青豆なら天吾のような存在にぜひ、ぜひ出会いたいと願う。Terra Incognita(未踏の地)とは彼らの事だろうか。
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