「狂人日記」色川武大 福武書店 1988年 (講談社学芸文庫2004年)
高校生、いや中学生のときだったろうか、当時夢中だった遊び、麻雀について熱い小説があると言うので手に取った「麻雀放浪記」 まさに寝食を忘れて読んだ。その作者、阿佐田哲也が純文学を別のペンネームで書いていると後に知って驚いた。しかし驚くだけで読もうとはあまり思わなかった。
それからだいぶ経って手に取ったのが本書。ナルコレプシーに悩む色川武大の最後の長編小説だ。
主人公は職を転々とする。幻覚を見る。精神病院に入院する。女に出会う。幻聴を聴く。ただそれだけの話なのに、強烈な印象を残す。彼の見る幻覚のリアルでありながら浮世離れした様。必ずしも色川本人の私小説ではないようだが、しかし自身の体験がないと書けない世界だ。
久しぶりに、もう一度「麻雀放浪記」を読んでみようか。麻雀のテクニカルな部分には今は興味がないが、そしてたぶん昔はそれしか読み取ることができなかっただろうが、今ならもう少し別の部分が読めるような気がする。
では、また。
高校生、いや中学生のときだったろうか、当時夢中だった遊び、麻雀について熱い小説があると言うので手に取った「麻雀放浪記」 まさに寝食を忘れて読んだ。その作者、阿佐田哲也が純文学を別のペンネームで書いていると後に知って驚いた。しかし驚くだけで読もうとはあまり思わなかった。
それからだいぶ経って手に取ったのが本書。ナルコレプシーに悩む色川武大の最後の長編小説だ。
主人公は職を転々とする。幻覚を見る。精神病院に入院する。女に出会う。幻聴を聴く。ただそれだけの話なのに、強烈な印象を残す。彼の見る幻覚のリアルでありながら浮世離れした様。必ずしも色川本人の私小説ではないようだが、しかし自身の体験がないと書けない世界だ。
自分は苦笑いをした。幾つになってもこんなことに全力を使わなければならない自分に呆れる。あきれ返るという気分は快い。できれば、絶えまなく、自分を呆れかえっていたい。(講談社学芸文庫版17頁より引用)
寝たまま勢いよく脱糞する。尻に手を当ててみるとなんのこともない。医者は、抑圧ですよ、というだろう。そうだとしても、それだけのことだ。せきを切ったようにまた脱糞する。しかしなんでもない。誰かの手が、ちら、と男根に触れていったような気がする。(73頁)
寝たまま勢いよく脱糞する。尻に手を当ててみるとなんのこともない。医者は、抑圧ですよ、というだろう。そうだとしても、それだけのことだ。せきを切ったようにまた脱糞する。しかしなんでもない。誰かの手が、ちら、と男根に触れていったような気がする。(73頁)
久しぶりに、もう一度「麻雀放浪記」を読んでみようか。麻雀のテクニカルな部分には今は興味がないが、そしてたぶん昔はそれしか読み取ることができなかっただろうが、今ならもう少し別の部分が読めるような気がする。
では、また。
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