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室町時代の具体例『喧嘩両成敗の誕生』清水克行

2015-11-04 | books
「世界の辺境 ハードボイルド室町時代」で辺境作家高野秀行と対談した明治大学の清水教授がまだ講師だった時代に書いたもの。そっちの本で、高野が面白かったと言い、清水先生も相当入れ込んで書いたとも言っていたので読んでみた。

室町時代に発生した「喧嘩両成敗」システム。どんな背景で登場したのか、室町時代に実際に起きた事件をたくさん紹介しながら、室町の社会をとっても分かりやすくかつ具体的に教えてくれる。

一見学術書のようだし、講談社選書メチエっていうのも敷居が高い。しかし読んでみれば、歴史の教科書とは違って、具体例がとても理解を助けてくれる。

・1432年、北野天満宮の社僧7、8人が観光で金閣寺を訪れた。稚児を連れて酔っぱらった彼らが見かけたのは、金閣寺僧が門前で立ち小便をしているところだった。「牛の小便みたいだ」というようなことを言ってからかった。言われた金閣寺僧がよせばいいのに、何か言い返した。それが社僧たちを激怒させ、金閣寺僧は寺に逃げてかんぬきをかけた。そこへ門を破壊しようとする金閣寺僧。老僧がやめるよう説得するが、その老僧に斬りかかった。変事を聞きつけた町人や僧たち。北野社僧は彼らと大立ち回りを演じ、三人が死んだ。怒った金閣寺側は北野天満宮に攻撃しようとし、全面戦争になりかけた。事態を聞きつけた、6代将軍、足利義教が奉公人を送って金閣寺側を慰留し、紛争は沈静化した。(今度、金閣寺に行ったら、門をよく見てみよう)

・親の敵を討つ「親敵」(おやがたき)は良いこととされていたが、本当は「親敵」ではないのに、そうだと偽って罪を逃れる者がいた。(へぇ)

・自分の妻を寝取った間男に復讐して殺害するのを「女敵討」(めがたきうち)と呼ぶ。鎌倉幕府の「御成敗式目」34条では、この女敵討が禁止されている。(社会通念が変化しつつあるのか)

・独眼竜政宗の曽祖父伊達稙宗によって制定された分国法「塵芥集」34条には、自害したものがその理由を書き残したならば、自害した当人に代わって伊達氏が成敗するとある。(死の軽重について考えさせられる)

というような具体例だらけ。じつに面白かった。

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

今日の一曲

喧嘩。と言えば、河合奈保子で「けんかをやめて」



彼女は水着のイメージばかり記憶にあったけれど、歌うまいし、キレイだなー。
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