フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

新聞読者の投書に涙 

2013-11-14 10:49:21 | 新聞を読んで

   何度か書いたと思うが私は新聞好きである。朝、新聞受けから新聞を抜き取って床の中で読みふける時が私の至福の時間だ。床の中でページをめくり易いように専用のクリップで新聞を挟んでいる。私は左利きではないのに何故か新聞は左手でページをめくるので、読み方はまず一面の記事を読んだ後 後ろから順に読んで行く。大体社説や読者投書などが載っているページまで読み進んだところで朝食タイムとなり、残りは朝食後となるのだが起床後はパソコンを開いてメールや中国の教え子たちのツィッター、チャットなどのサイトをチェックするので、新聞の経済欄や国際面などの記事が後回しになることが多い。

   読者の投書欄は毎日が興味深く、家内もこの欄はしっかり目を通していていて夫婦の間で話題に取り上げることも少なくない。政治などの時事問題に関する賛否論や世相を映した意見、身近な感動や悲憤など、専門家の投稿もままあるが庶民目線の投書に頷くことが多々ある。
   こんな話題を今回取り上げたのは、実は次のような投書に接したのがきっかけである。
   昨日(13日)の『生まれてきてくれてありがとう』という32歳の女性の投書は、待望の第1子は妊娠中に染色体異常の疑いがあったが夫妻が出産を決意、だが生まれて16時間後に息を引き取ったというもの。そして次のように綴っている。「16時間の命でしたが、その命を抱けたことは、とても幸せでした。」 何という不憫・・・私は目頭が熱くなり胸が詰まった。
   続いて今日(14日)には『がん告知 妻と一緒に生きる』という、まだ50歳の男性の投書が載った。検査で胆管がんが見つかり、何もしなければ数か月の命と告知されたという。1ケ月半ほどは悶々とした日々を過ごしたが、日が経つにつれて地位や名誉、財産よりも自分らしく生き抜くことに意味があると考えるようになり、奥様に「今まで幸せでした。そしてこれからもよろしく」と伝えました、と結んでいる。
   これも人生というのか、人智でコントロールできない過酷な宿命から立ち上がる姿に応援の拍手を送りたい気持ちになる。

 [蜜を求めて]

私は昆虫の名前には疎く、ハチとアブの違いも分からないのだが、神代植物園のダリア園で冬支度のためかせっせと蜜集めをしているらしい。本当にたくさんのハチ(アブ?)が目に着いた。ダリアには蜜が豊富なのだろうか?

       

       

コメント
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