フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

川上哲治さんⅡ/上原浩治投手/太郎さんよ

2013-11-01 19:04:11 | 時事トピックス

   昨日のブログで「打撃の神様」こと川上哲治さんの訃報を取り上げた際、記録や功績などについては割愛をしたが、メディアでは話題になっていないことを一つ。
   川上さんは今で言えば熊本工業高校の投手として全国選手権で準優勝し、ピッチャーとして巨人に入団したが打力を買われて打者に転向したことはよく知られている。それについて新聞に載っていた記録を見てみると、1938年(昭和13年)の入団から4年間投手として登板していることが分かった。2年目の39年には19歳で早くも首位打者と打点王を獲得しているが、投手としても18試合に登板、6勝4敗の成績を残している。翌40年には9本ながらホームラン王、41年には再び首位打者と打点王を獲得しているが、わずかながら投手として登板している。
   真田重蔵さんや藤村富美男さんなど、当時は投手と打者の二足のワラジを履く名選手がいたが、川上さんも打撃三冠(首位打者・本塁打王・打点王)を争いながら投手を務めていたことになる。進化をした現在のプロ野球では考えにくいことだが、二足のワラジで今年注目を浴びた日本ハムの大谷翔平選手は今後どうなるのか興味深いところである。
   蛇足になるが、私はかの有名な川上巨人のV9の内2回、日本シリーズ優勝决定の瞬間を後楽園球場のスタンドでこの目で観た。プロ野球観戦に通い詰めていたわけではないのに、プロ野球史の貴重な現場に居合わせるという幸運に恵まれたものだ。


   プロ野球は今、日本シリーズの真っ最中であるが、海の向こうの米大リーグではボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制した。6年ぶり8度目だが地元での優勝は95年ぶりとかで、ボストンでは大フィーバーしているそうだ。
   そのレッドソックスにおいて今シーズンの地区優勝、リーグ優勝さらにワールドシリーズ・・・とストッパー上原浩治投手の目覚ましい活躍が光った。かつての巨人のエースで、フリーエージェントの資格を得てアメリカに渡ったものの、今一つパッとしなかった。だが今シーズン中盤から試合の最後を締めるストッパーの役割を得ると水を得た魚のように生き返った感がある。その活躍ぶりが日本のメディアを賑わせ、新聞には大きな見出しで取り上げられ、テレビでは躍動的な投球の姿が映し出された。シーズン半ば過ぎまではレンジャーズのダルビッシュ有、ヤンキースの黒田博樹両投手の活躍が脚光を浴びたが、シーズン後半からポストシーズンにかけては上原投手が主役となった感がある。特に27試合30イニング無失点、37打者連続アウトの記録は圧巻で、快刀乱麻の表現にふさわしい。先発ではなく、ショート・イニングでの救援登板ではあるが、完全試合をはるかに凌ぐ無走者記録だ。シーズン通算防御率は1.03とある。1イニング当たりの三振奪取数もリーグ三振王に輝いたダルビッシュを上回っている。最後の打者を得意のフォークボールで三振に切って取り、右手を突き上げてキャッチャーと抱き合う上原投手の姿が脳裏に焼き付いた今シーズンの大リーグであった。

   太郎さん、それはないよ!
   昨日、赤坂御苑で催された秋の園遊会で、山本太郎衆院議員が天皇陛下に東日本大震災の被災地の現状を訴える手紙を手渡したという。ぜひ天皇陛下に実情を知ってもらいたかったというが、義憤に駆られたら何をしてもいいと言うものではない。まして、選挙民の投票で選ばれた議員であり、公人なのである。TPOをわきまえて然るべきだろう。
   先の総選挙では組織のバックなしで反原発を訴える俳優の純粋さに期待して私も一票を投じた。国会議員ともなれば有名税というか、いろいろなスキャンダルやバッシングにさらされる。そういうものには負けないでと思うが、この度のことではブーイングは避けられないし、私も擁護できない。  

[今日の花]

   ”今日の花”と題するにはふさわしくないのだが、最近目にしたもので名前が分からないままになっているものを幾つか紹介する。読者の方からご教示いただければ幸いである。

 

     

     
     

 

 

コメント
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