マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

石神井川を遡る

2013年03月25日 | 江戸の川・東京の川

 3月22日(金)、福寿会健脚3人組で、飛鳥山から石神井川を遡り、予定通り豊島園に達した。
 歩いたコースは概略  自宅⇒飛鳥山⇒王子稲荷⇒舟串橋⇒埼京線下⇒仲宿⇒東上線下⇒川越街道⇒環七通り⇒城北中央公園⇒副都心線氷川台駅付近⇒豊島園 
 
 この日は快晴に恵まれ、桜は至るところ満開で、絶好の散策日和。お寺や公園など観るべき多くのものに出遇ったが、重点的な遡行記を以下に綴る。
 ①福寿会々長KOさんと私は、8時40分に我がマンション前をスタートし、飛鳥山でKUさんと合流。石神井川を遡る前に王子稲荷を訪ねた。途中「石鍋久寿餅店」前で、89歳の石鍋秀子さん作成の地図を発見し100円で購入。ご主人に「おばあちゃんは健在ですか」と尋ねると、「その辺を散歩していますよ」との返事。更に進んだところで老婦人にお会いした。私は3年振りの再会で、この辺の”スター”を撮影させて頂く。(写真:石鍋秀子さんはお元気。)(2010/4/23と4/25のブログに登場)




 ②石神井川まで引き返し、舟串橋からいよいよ遡行開始。ここから帝京大学付近までは、川は蛇行を繰り返し、深山幽谷の面影を今に留め、渓谷を歩いている雰囲気である。水面は遥か下を流れるが、両岸から川面を覆うように咲き誇る桜がひときわ映えて見える。行き交う人も多く、金曜日なのに休日の様に感じられる行楽日和。






 ③金沢小学校から先は、今では”帝京大学ムラ”であるが、江戸時代は加賀前田藩の下屋敷があったところ。その下屋敷跡地の築山に「電気軌道(トロッコ)線路跡地”なる看板あり。戦前はこの辺一体に火薬製造所があり、その内側を通ったトロッコで、十条の鉄包製造所と結ばれていたとの事。突然の兵器登場に吃驚する。(写真:加賀下屋敷跡とある碑)


 




          (トロッコ跡か?)
 

 ④仲宿で旧中山道と交差。2年前にここを歩いたときは、ここで川と分かれ、街道を北上したが、今回は、街道沿いに昼食を求めて一時南下、確かスーパー「ライフ」で買物。旧中山道を行き交う人は多く、商店街はそれなりの賑わいを見せていた。








⑤KUさん作成の”橋一覧表”によれば、今回のスタート地点から終点の豊島園までには70弱の橋が架かっている。面白い名前の橋が幾つも。「下頭橋(げとうばし)」「耕整橋(こうせいはし)」「湿化味橋(しつけみばし)」「学校橋」「向屋敷橋」等々。ただどう詠むのかは難しい。更に、語尾が”はし”なのか”ばし”と読むのかはまるで分からない。橋には漢字名とひらがな名の両方が書かれて、それで呼び名を確認。
 橋中央に縁台が置かれていて川鑑賞が出来る橋もある。花も桜のみならず、辛夷やユキヤナギなどが今を盛りと咲いていて、目を楽しませてくれる。





             (山崎橋)

 ⑦この散策コースのなかで、最も広い公園が城北中央公園。400メートルのトラックあり。野球場あり。かって向丘高校で陸上部の顧問をしていたころ、部活動引率で何度かここを訪れたことがあった。その時は気がつかなかったが、
園内には栗原遺跡の竪穴住居跡が復元されていて、茂呂遺跡の遺跡もあるとのこと。かってこの辺りには縄文人が住んでいた名残りだ。(写真:公園内に咲く辛夷)







 ⑧15時過ぎ、豊島園着。ゴールの豊島園に隣接して「庭の湯」がある。但し入浴するには2250円を要し、私達3人は、ここは素通りして銭湯を捜した。「辰巳湯」には露天風呂も付属していて大満足。この銭湯人気が高いようで、かなり混んでいた。ここで汗を流し、この日は一献を傾けることなく、18時15分頃帰宅。歩いた総歩数32500歩。
 
 快晴に恵まれた桜散策であった。