マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

奈良井宿

2010年10月22日 | 信濃紀行

 「奈良井宿」は、中山道34番目の宿場町であり、木曾路11の宿のうち、江戸側から数えて2番目の宿。ここから次の「薮原宿」へは中山道難所の一つ鳥居峠を越えなければなりません。この宿場で旅の草鞋を脱いで一息ついてから難所に向かう多くの旅人で、木曾で一番の賑わいを見せたとか。当時の町並みが”重要伝統的建造物保存地区”に指定されていて、往時の一端を偲ぶ事が出来ます。

 
 その奈良井宿へ私は2度目、家人は4度目の散策になりました。「道の駅 木曾の大橋」があることをパンフレットから知りましたからまずはそこを目指しましたが、普通の”道の駅”のような建物はなく、駐車場と公園からなる文字通りの駅でした。でもその目の前に”木曾の大橋”と呼ばれる太鼓型の木造橋がひろがります。
 この大橋、木曾の山々を背景に、奈良井川の上に見事にも華麗にも掛かり、奈良井宿への入口になっています。すべて樹齢300年以上の木曽桧で造られたといわれ、下を流れる清流を眺めながら橋を渡り、奈良井宿へと入っていきました。(写真:木曾の大橋)




 遥か昔、何時かどこ
かで過ごした様な、歩いたような懐かしい風景が現れました。千本格子の町並みが1Kmほど続きます。半数以上の家がご商売をしています。漆器の店を覗き、お煎餅の店に立ち寄り、「日野百草丸」で買い物をしました。
(写真:奈良井宿の家並み)







 例により地元の方から美味しい蕎麦店の情報を仕入れ、老舗「徳利屋」で蕎麦を食します。古い造りの建物のお座敷で頂けるようになっていて、建物内部から街行く人々の様子が分かります。同じ信州ながら1ヶ月前に食べた「高遠蕎麦」とはまるで違った味でそば粉の割合が高く感じられる”田舎蕎麦”的なお味でした。(写真:徳利屋内部からの眺め)




 
 食後更に散策を続けると、幾つもの水場が目に入ります。皆、山側に作られていて、急峻な山から湧き出た水を大切に利用している事が分かります。私も一杯味わうと、これが冷たくて美味しい水でした。(写真:幾つもあった水場)









           (写真:水場全体像)

 夫婦連れと思しきカップルが多く見受けられますが、「海野宿」同様4・5人の女性だけのグループも多く見かけました。そういえば家人の知人の I さんも数名で、現在進行形で中山道を歩き進んでいます。と言っても一気に終点まで行ってしまうのではなく、ある地点まで歩き進むと交通機関を利用して帰宅し、次の機会には前回の最終地点から又歩み始めるという方法を取っているようですが・・・。いずれ、鳥居峠を越え薮原宿までの8kmをどう歩いたか、その話を是非聞いてみたい思います。
 

 奈良井には宿泊してこそ、その味わいが深いと、かってここに宿泊したことのある家人はノタマイます。暮れなずむ頃あちこちの軒先に灯がともり、人影が途絶え始める頃あいを想像すると、むべなるかなとは思いますが、今回は日中の奈良井宿に満足し、伊那市に舞い戻りました。(写真:家人が宿泊したとか言う宿)




 来た道を引き返し、木曾の大橋を越え、権兵衛トンネルを潜り抜け伊那市に戻り、”かんてんぱぱ”(伊那食品工業)を目指しました

 

     (写真:こんなポストもありました)

 


『権兵衛トンネル』から奈良井宿へ

2010年10月21日 | 信濃紀行

 中央道を岡谷ジャンクションを過ぎて南下し、天竜川を越えると左手には南アルプスが、更に進むと右手には中央アルプスが見え始めます。二つのアルプスに挟まれた、天竜川流れる伊那谷に並行してを走る中央道は、伊那から駒ヶ根・飯田にかけて一際見事な山岳風景を見せてくれます。
 その伊那谷から見て中央アルプスのその向こう側を流れるのが木曾谷。島崎藤村が「夜明け前」の冒頭で”木曽路はすべて山の中である”と書き出したその木曾です。
 その伊那から木曾へは木曾山脈に遮られ往来はままなりません。かっては、かろうじて「権兵衛峠」越えの山道を経由して馬の背で米を送ったそうで、今もその名残の”権兵衛ハイキング”が行事化されています。

 5年前、信州宮田村(みやだむら)農協と林檎の木一本の収穫契約を結び、11月に、実った林檎狩に出掛けたことがありました。林檎狩の後はその日の宿泊予定地開田高原を目指そうとしました。開田高原は木曾谷を更に西に上った御嶽山の麓に広がる高原です。ここに至るのは伊那谷からまずは木曾谷を目指さなければなりません。ルートは3つ考えられました。
 ①中央道を北上し塩尻から国道19号線を南下する
 ②権兵衛峠を越える
 ③宮田から南下し国道243号を経て国道19号線を北上する
 
 ②の車での峠越えは無理と判断、①と③は似たり寄ったりの時間と距離ですが最終的に③と決めました。しかし、このルート利用での開田高原までの長かったこと!。延々4時間も掛かってしまいました。
 そのときに耳にしたのが来年になれば木曾山脈の真下を貫通する「権兵衛トンネル」が開通するとの事でした。林檎狩から帰宅後数ヶ月して権兵衛トンネル開通を知りました。今を去る4年前の2006年2月4日、権兵衛トンネルは開通していました。何時かはこのトンネルを越えてみたいと願っていました。その念願か叶い今回の信州旅行の3日目、中央道を伊那ICで降り一気に権兵衛トンネルを目指しました。延長4467mのこのトンネル、時間にして僅か3分40秒であっけなく越えてしまいました。

 このトンネル開通までに13年の歳月と700億円もの経費を費やしたそうです。国費の無駄使いとの批判に耐えられるものであったのか否か。私はそのことが幾つかの村々の活性化に繋がれば良いなとの考えに立ちますが・・・.。


 その後
小規模なトンネル2つと螺旋状のループを回って国道19号線へ。都合40分で伊那から木曾へ。何時かはと念じた一つの思いが叶いました。その後国道19号線を北上し「奈良井宿」を目指しました。


秋にバーベキュー

2010年10月19日 | 信濃紀行

 10月16日(土)~19日(火)まで信州に出掛けて来ました。16日には深谷から車ではるばるやって来た義理の妹夫妻と茅野駅近辺のスーパーで合流。天候にも恵まれ、気温も高目なので山小屋での夕食は予定通りバーベキューにしようと決めて食材を購入しました。ここ茅野のスーパーには地元で採れた、安くて新鮮や野菜が豊富。それに秋刀魚の値段も1匹100円を切っているので、野菜と魚ものを中心に食材を揃えました。

 山小屋に到着し、いざバーべーキューコンロを組み立て始めるとコンロのネジが見当たりません。どこを探しても見当たらないのです。1年以上に渡ってコンロを組み立てていませんでしたから、何処に置いたのかまるで思い出せません。絶望的になりかかると、こんなときに工夫と技で困難を切り開いてくれるのが、家人から見て義理の弟にあたる I さんです。針金ハンガーを使ってコンロを組み立ててしまいました。見事な技です。
 私が灯油を買いに出ている間に I さんは大量の炭火を熾し、二人の女性は食材の調理を終えていました。外の気温もそれほど下がっていないので、予定通りベランダでバーベキュー開始。まずは野菜から焼き始めました。

 続いて秋刀魚です。秋刀魚をバーベキューで味わうのは久しぶりです。家庭ではご近所に気兼ねして秋刀魚を炭火で焼くことは躊躇われますが、ご近所からの光が見えないここ蓼科の山小屋ではそれが可能。ここでも I さんの工夫が活きました。(写真:コントと網と秋刀魚)






 私たちがスパーで食材を買い込んでいる間に彼は100円ストアーで幅広い網を2枚買い求めていたのです。その2枚の網に秋刀魚を挟みます。こうしておいて片面が焼けると、その2枚の網ごと秋刀魚をひっくり返すのです。箸で片面が焼けた魚をひっくり返そうとすると、魚を崩してしまう事がよくありますが、こうやってひっくり返す方法を取ると、誰でも簡単に魚を裏返しできます。大量の炭火で秋刀魚こんがりと美味しく焼き上がりました。(写真:2枚の網に挟まれた秋刀魚)
 今夜のバーベキューでは I さんが工夫した2枚の網がその主役を務めていました、コンロ組み立てから始まり炭熾し、秋刀魚焼きまで、さすが、アウトドアのセミプロ I さんの活躍で美味しくて楽しいバーベキューと相成りました。私は早々に床に就きましたが、家人とその妹夫妻の3人は秋の夜長を有効に活用したようでした。


 


東京スカイツリーライトアップ

2010年10月14日 | 身辺雑記

 同じ町会に住み、福寿会々員でもあるKさんから、10月13日(水)午後6時半~9時半まで東京スカイツリーがライトアップされる予定とのメールが数日前にありました。
 丁度この日の夜に用事のあった私は家人に撮影を任せて出かけましたが、ライトアップ終了直前に帰宅し、スカイツリーを見やると、ライトアップの効果は殆ど感じられません。諦めて東京タワーの方を眺めるとこちらは毎夜と同じようにしっかりと輝いていました。


 今日早朝にメールチェックすると、そのKさんから写真添付のメールが。そこには昨夜出かけて撮影したライトアップされた東京スカイツリーが登場していました。今日のブログ、Kさんの承諾を得てその写真を紹介します。(写真:吾妻橋からの撮影か?)








 完成の後は照明2000台が灯る予定のうち今回は50台のみの点灯。照明台数が余りにも少なすぎ期待はずれ。そこで業平橋と吾妻橋に出かけ撮影したそうです。
 今後は完成する2012年春まで照明が点灯される予定はないそうで、ほんの一時の照明のお披露目。それも期待を裏切ったものに終わりました。
(写真:業平橋からの撮影か?)


ひやおろし 試飲会へ

2010年10月13日 | 身辺雑記

 10月9日(土)~11日(月)の3連休中、日暮里にある山内屋酒店で「ひやおろし」試飲会が開かれると聞き、快晴となった11日に谷中銀座は素通りし、”ゆうやけだんだん”経由で出かけてきました。(写真:山内屋入口)







                                                                               ”” 
 ”ひやおろし”とは厳冬につくり、春に火入れした清酒を、お酒の温度が外気温と同じくらいになる10月頃に貯蔵タンクから取り出して、そのまま生詰めで樽に入れて出荷したもの。こうすると熟成が進み、香味も落ち着くはず。ただ最近では樽酒は少なくなり、瓶詰酒が中心になりつつあると聞きました。残念ながら小売店山内屋のひやおろしは瓶詰酒でしたが・・・。
 


 試飲会は店内で行われ、既に二人ほどの女性が出品酒の特徴を聞きながら試飲しています。説明するのは跡取り娘さんかと推測する、うら若き女性です。私も利き酒を始めようとすると、出品10本のうち、香りの薄いものから濃いものへの試飲を薦められ、「朝日山」から試飲を始めました。「鍋島」「浦霞」「雪の茅舎」「佐久乃花」「丹沢山」と飲み比べると、だんだん馥郁たる香りが強くなります。(写真:久保田が豊富です)
 今日は甘い辛いの味には拘らず香りが気に入った「丹沢山」「朝日山」と山の名前の入った純米2本と、入手が難しいとされる純米生酒「亀の尾」を店内で発見し、併せてこちらも購入して来ました。

 20年ほど前,、吟醸酒が一大ブームとなった時がありました。元同僚のKさんから教えてもらった吟醸酒のフルーティな味わい。たちまち虜となりあちこちの酒店で買い求めました。普通の清酒と比較して、極端に精米率をあげての製法。それ故4合瓶で一本2000円~5000円ほどまで値が高くなるものもありましたが、世はバブルの絶頂期、酒好きで流行に乗り易い私などは三日に一本ほどの間隔で吟醸酒を味わってました。「びぎん会」なるものにも属し、毎月のように柏まで出向いてもいました。この頃のお気に入り銘柄は”雪月花”と”香露”と”満寿泉”と”〆張鶴”。東京23区内に唯一、北区に残る
小山酒造の酒蔵を訪ねたこともありました。


 バブル崩壊と共に吟醸酒ブームも去りましたが、吟醸酒が美味である事に変わりはなく、有難いことに今ではではその頃の半値くらいのお値段で名酒が入手できます。ここ山内屋は久保田と緑川の特約店ですが、”久保田”以外にも”菊姫”・”香露”などの銘酒が手軽に入ります。再び勤めだした通勤の乗り継ぎ駅日暮里、その近辺にある山内屋酒店、以前に増して通うことが多くなりそうです
。(写真:特約店の幟)