マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

そこには何と書かれていたか?

2018年04月08日 | 歴史

 右写真は、富士神社鳥居の左側にある石柱で、「富士」の部分ははっきり読み取れるがその下は削り取られたらしく読めない。
 5・6年前だったか、たまたま神社境内にいた私は、神社巡りをしているらしい方から「あの石柱は何ですか」と尋ねられたことがあった。その時、初めてその石柱に気が付いた私は「分かりません」と答えるしかなかった。時々、その石柱を見るのだが深く考えることはなかった。





 文京アカデミーで「本駒込」を語るにあたって図書館から借りて来た『駒込神明町貝塚第3地点』(以下『神明貝塚』と記す)を読んでいて気が付いたことがあり、そこから、石柱に書かれていたが消された、下の文字を推理することが出来た。今日はその事を記したい。
 石柱には「富士大権現」と書かれていたのではないか。見る人が見れば直ぐに分かることかも知れないが、私は漸くその事に気が付いた。その推理の要点は
(1)石柱の右側には「天保10年」と書かれているから、その石柱は今から179年前の1839年に建立された。その30数年後、明治時代初期に発令された神仏分離令により、廃仏毀釈運動が起った。

(2)それまでは富士神社も神仏習合で、現在の富士神社のある地点には古地図に「富士浅間神社真光寺持」と書かれている。
 一方『神明貝塚』のp53には「真光寺兼帯駒込冨士境内作事惣絵図」が載っていて、境内にある、”庫裏”と書かれた部屋のある建物が真光寺のものと考えられる。

(3) 廃仏毀釈によって寺の多くのものが壊されたり捨てられたと思われる。石柱からは「大権現」の文字が切り取られた。本地垂迹説によれば日本の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れたとする考え。当然「大権現」は廃仏毀釈の対象になったはず。削り取られた大きさから三文字が削除されたと思われる。
 不思議なことに石柱が根こそぎ捨てられないで、文字が3文字削り取られた状態で残された。この様な例は例は珍しいのではなかろうか。廃仏毀釈の痕跡を現在時点で目で見ることが出来る訳だ。
 
 以上は私の推測に過ぎない。詳しい方からのご指摘・コメントをお願いしたい。
真光寺については次回以降に。