昨日、中山道から無事帰宅。ブログはそれ以前の事から綴ります。
埼玉県を流れる川や用水は合流・分流が多く、時に交差もありで、複雑な水体系になっていて、全体像を捉える事が難しい。利根川東遷が一応の完成をみた江戸時代初期以降、埼玉県北部では、この利根川の水を利用して見沼代用水が造られた。水野さんと私はその川沿いの道を歩いたわけではなく、車を利用しての所どころの見学。用水という曲線上の点を幾つか見学したに過ぎない。訪れていない重要ポイントもあった。今日のブログは自ら撮った写真だけでなく、ウイキペディアから借用した情報や写真も加え、上流から下流へ辿ってみる。
(下の図は見沼代用水路上流の図)
①地点。利根大堰
江戸時代、見沼代用水は利根川から取水されることとなったが、測量の結果、取水口は現在の行田市にあった下中条村の地に決まった。この付近の利根川の流れは水深が年間を通して安定していた。また、享保以前100年間の洪水時でも堤の決壊したことがないなど、好条件がそろった場所であることが理由となった。現在の代用水の取水口も江戸時代とほぼ同地点の利根大堰であり、当時の土木水準の高さをここからも窺い知ることが出来るそうだ。
②地点。星川との合流地点。
実は見沼代用水は既にそこを流れていた星川を④の「弁財天」付近まで“一時借用し”、下流④の「弁財天」付近で星川と分流していたのだと、私は思う。そう理解すると、この間を「星川・見沼代用水」と呼ぶ理由がよくわかる。
③地点 菖蒲町(現久喜市)
ここで騎西領用水を分流している。この用水は加須市・久喜市・宮代町を流れ備前前堀川に合流する。(写真は騎西領用水の分水工)
④地点 星川弁財天
私達は元菖蒲町々役場の駐車場に車を止めて、この地点の十六間堰と八間堰を見た。十六間堰を通過した流れは星川となり、八間堰を潜った流れは見沼代用水となる、分流地点。
(写真:星川弁財天)
⑤地点 柴山伏越
この地点で元荒川を伏越した。右の図は旧・柴山伏越の欄干で、現在は300m下流に移築されている。
(上の図は見沼代用水路下流の図)
⑥地点 瓦葺付近
ここで見沼代用水は掛樋(かけとい)によって、綾瀬川の上に水路を渡して綾瀬川の上を越えていた(右図参照)。現在は見沼代用水が伏越している。
⑦地点 瓦葺分水江
ここで見沼代用水は東縁と西縁に分流。
⑧地点 見沼通船堀
東縁と西縁を繋ぐ運河が造られた。これについては後日のブログに回す。
今回の小旅行で印章に残った、その他の写真
(雷電神社)
(④付近。見沼大用水を利用しての稲作)