マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

見沼代用水(その2)

2017年11月11日 | 江戸の川・東京の川

 昨日、中山道から無事帰宅。ブログはそれ以前の事から綴ります。

 埼玉県を流れる川や用水は合流・分流が多く、時に交差もありで、複雑な水体系になっていて、全体像を捉える事が難しい。利根川東遷が一応の完成をみた江戸時代初期以降、埼玉県北部では、この利根川の水を利用して見沼代用水が造られた。水野さんと私はその川沿いの道を歩いたわけではなく、車を利用しての所どころの見学。用水という曲線上の点を幾つか見学したに過ぎない。訪れていない重要ポイントもあった。今日のブログは自ら撮った写真だけでなく、ウイキペディアから借用した情報や写真も加え、上流から下流へ辿ってみる。
  (下の図は見沼代用水路上流の図)


 ①
地点。利根大堰
 
江戸時代、見沼代用水は利根川から取水されることとなったが、測量の結果、取水口は現在の行田市にあった下中条村の地に決まった。この付近の利根川の流れは水深が年間を通して安定していた。また、享保以前100年間の洪水時でも堤の決壊したことがないなど、好条件がそろった場所であることが理由となった。現在の代用水の取水口も江戸時代とほぼ同地点の利根大堰であり、当時の土木水準の高さをここからも窺い知ることが出来るそうだ。

 ②地点。
星川との合流地点。
 
実は見沼代用水は既にそこを流れていた星川を④の「弁財天」付近まで“一時借用し”、下流④の「弁財天」付近で星川と分流していたのだと、私は思う。そう理解すると、この間を「星川・見沼代用水」と呼ぶ理由がよくわかる。

 ③地点 菖蒲町(現久喜市)
 
ここで騎西領用水を分流している。この用水は加須市・久喜市・宮代町を流れ備前前堀川に合流する。(写真は騎西領用水の分水工)









 ④地点   星川弁財天
 私達は元菖蒲町々役場の駐車場に車を止めて、
この地点の十六間堰と八間堰を見た。十六間堰を通過した流れは星川となり、八間堰を潜った流れは見沼代用水となる、分流地点。







 
 
     (写真:星川弁財天)          

 ⑤地点 柴山伏越
 この地点で元荒川を伏越した。右の図は旧・柴山伏越の欄干で、現在は300m下流に移築されている。







  
      (上の図は見沼代用水路下流の図)

 
 ⑥地点 瓦葺付近
 ここで見沼代用水は掛樋(かけとい)によって、綾瀬川の上に水路を渡して綾瀬川の上を越えていた(右図参照)。現在は見沼代用水が伏越している。






 ⑦地点 瓦葺分水江
 ここで見沼代用水は東縁と西縁に分流。

 ⑧地点 
見沼通船堀
 
東縁と西縁を繋ぐ運河が造られた。これについては後日のブログに回す。
 

 今回の小旅行で印章に残った、その他の写真
  
              (雷電神社)            
  
   (④付近。見沼大用水を利用しての稲作)