マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『二条城行幸図屏風』を「泉屋博古館」で観る(その1)

2017年05月05日 | 映画・美術・芝居・落語

 ゴールデンウイークの中日の54日、「泉屋博古館」に出掛け、『二条城行幸図屏風』を観て来た。
 
何もかも初めての世界だった。妻に誘われなかったらここを訪れることは無かっただろう。 













 会場の、住友コレクション「泉屋博古館(せんおくはっこかん)」は南北線「六本木1丁目駅」下車。泉ガーデンレジデンス・泉ガーデンテラスなどの高級ビルの間を、全てエスカレーターで標高差凡そ30mほどを昇り切ると、そこにはスペイン大使館・スウェーデン大使館などが立ち並ぶ高台(台地の名前はいまだ知らず)。その一角に「泉屋博古館分館」はあった。
 「泉屋博古館」は住友家が蒐集した美術品を保存・展示する美術館で、ここでは今“屏風にあそぶ 春風のしつらえ”と題した展覧会で『二条城行幸図屏風』が展示されている。(写真:泉屋博古館正面)
 この屏風、“学芸員泣かせ”だそうだ。入手経路はおろか、その使用記録も見当たらない。江戸時代・寛永3(1626)年、将軍・徳川家光とその父秀忠の招きに応じ、後水尾天皇をはじめ中宮和子らの一行が二条城に行幸するという、超有名なイベントを描いた屏風にも拘わらず・・・。

 この行幸があった1626年の38年前の,1588(天正16)年には、秀吉が御陽成天皇を聚楽第へと招いた「聚楽第行幸」が行われていた。私達は、その様子を描いた「聚楽第行幸図屏風」を、8年ほど前に、上越市立総合博物館で観ていた(2009/10/01のブログ)。この間に、権力は豊臣から徳川へと完全移行していた。このイベントは徳川の力を世に誇示し、自らの権威を高め、支配を一層強固なものにする役割を果たしたことだろう。淀君は既になく、その妹の、あの、お江の娘が中宮和子という運命の巡り合わせ。
 屏風は二段に分かれている。下段は、天皇を奉迎するために、左向きに、東の内裏へ向かう将軍一行。上段はその招きに応じ、右向きに、二条城を目指して堀川通りを南へと進む後水尾天皇一行。そのどちらにも、特別に設えられた桟敷席からこれを見物する多数の観客が描かれている。例えば酒を飲みながら見物する人々等など、この様子が格別に面白い。購入して来た図録を眺めて飽きない。登場する人物の総数、3226人とか。詳しくは次回に。(写真:行幸を見物する観衆。屏風は下段に。上が左隻。下が右隻)