A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

アルティメット図星。

2014-07-01 15:06:34 | 小説の書き方

 わたくし現在ナタリー・ゴールドバーグ著「魂の文章術」という本を読んでます。
 よくある小説を書くためのハウツー本とは違い、「ものを書く」という行為についてのメンタリティをまとめた本で、数年前に本屋でアンテナに引っかかったので購入したもので、今は再読中です。
 で、その中にこんな一文が。引用します。

「私たちは心のこもった支援と勇気づけを必要としている。ただ、それがほんとうに与えられると、どうも信じられない。逆に、批判はすぐに受け止め、心の奥に抱いている、『自分は力不足で、本当の物書きなんかじゃない』という確信を強めたがるのだ。私の前夫はよくこう言った。『君ってブスだな。……さて、これで君の注意を引けたかな』。彼によると、わたしはいくらほめてもちっとも耳を貸さず、否定的なことを言われると、たちまち反応するのだそうだ。」

 どう見ても俺のことです本当にありがとうございました。
 これ。まさにこれ。
 わたくし褒められるのが下手なんです。苦手や嫌いではなく「下手」ってのがポイント。
 上記の通り、肯定的な反応と否定的な反応というのは後者のほうが印象づけられるものですし、技術の向上を強く意識している人ならだれでも褒め言葉よりも指摘や批判を求めがちです。
 しかし、そういう気持ちでいるとなんだか他者からの褒め言葉が信じられなくなるんですよね。
 無論、世の中には「自分が気持ちよくなるために他人を無責任に褒める」なんてケースもありますし、中身の無い薄っぺらな褒め言葉もありますのでそういうのと有用な褒め言葉との区別は付けないといけないでしょう。
 要は、「褒め言葉」っていうだけで無邪気に喜ぶ気はさらさらありませんということです。(これに関しては間違っているとは思ってないんですが……)
 上記にくわえ、個人的に「狭いコミュニティで褒め合うだけ」っていう構図が吐き気をもよおすほど嫌いなのもあって、褒められた際にまずやることが「褒め言葉を疑うこと」になってしまってるわけです。
 いい加減他者からのいろんな言葉を聞いてきたので、信頼の置ける褒め言葉とそうでない言葉の区別は十分についているんですが、それは頭のなかだけでのこと。
 感情のほうではやはり「褒められる→疑う」の構図が残っているんですね。
 このあたりも以前の日記に上げた「自信がないということ」に深く関係しているんだと思います。
 ……というか、こんな理屈こねなきゃ「褒められて喜ぶ」ってことすら満足にできない自分が惨めだ。

コメント
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