A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

「魂の文章術」読みながら書いてます。

2007-05-15 23:53:30 | 小説の書き方
最近小説を書くときに手が止まりがちになる理由が分かった。
文章を書きながら粗捜ししてしまってるからだ。
そのせいで書いては消し、消さなくても1日にほんの少ししか進まない。
そりゃあまずいところは直さなきゃいけないけど、一度最後まで書き終わってしまってからでも遅くはないし、今書いてる話でまずいところがあっても次の作品で直せればそれはそれで自分の小説を書く力の向上に繋がる。
極端な話、今書いてる作品が完璧である必要はない。
完璧にしようしようとして修正を繰り返していると、結果作業が進まなくなる。
ラノベ研にも書いていたが、「80%で満足する」ことも大切なんだよな。
一つの作品を完璧になるまで修正し続けるのと、完璧になるように作品を書き続けるのとでは、考えるまでもなく後者の方が現実的だ。
それに、多少まずいところがあっても、一つの作品を書き上げたということは自信に繋がるし、たくさんの作品を書けばそれだけもらえる批評も多くなって多くのことを学べるだろうし、名前も覚えてもらえる。
定期的に作品を書き上げられるというのも強力な武器だ。
そしてそれが自分にかけていることはずいぶん前から自覚している。
作品間の間が空き過ぎている。
書くのが遅いというのは大きな弊害だ。
以前書いたように書くのが段々苦痛になってくるし、書きたいネタが浮かんでも書きかけのものが残っていてはなかなか新しいネタに手をつけられず、結果腐らせてしまう。
ネタを思いついた時点から書き始める時点までが離れれば離れるほど執筆速度が失速してしまうのも経験済みだ。
また、修正しながら書くということは、無意識に悪いところを探してしまっているということだ。自分の作品の優れた点よりも不十分な点ばかりに目に映るため、結果、自分の作品が悪いところばかりに見えてしまう。
99%じゃ駄目だ、100%じゃなきゃ駄目なんだという気持ちで小説を書くという気持ちはもちろん必要だ。だが、なにもその1作品で全てが決まるわけではない。色々な話を書きながら100%を目指すというやり方もあるんだ。
これも十分自覚していることではあるんだが、どうにも視野を広く取れない。
小説に限らず、もっと長いスパンで物事を考えるということが、精神的な余裕をもたらすとも思う。
こういう考え方は、はっきり言って今までの自分のそれとは正反対のものだ。だが必要なものだ。身に付けなくてはいけない。今までのやり方で上手くいかないのならば、やり方を変えるんだ。
これも以前居合のカテゴリーで書いたことだけど、長い時間をかけて身に付けた考え方を変えるのは本当に辛い、苦痛を伴う行為だ。
でも今それをしなければいけないし、そうするのが有効だと十分に分かっているし、そうしたいと思っている。
自分で撰んだ拷問、ということなんだ。他人から強制されたのではなく。
なら、あとは実行すれば良い。





……ところで昨日が大熱波記念日と知りつつ今年も何も出来なかった僕はバロッカー失格ですか。
とりあえずバロタイの上級天使のメッセージは拝みました。
あと無意識のうちにレイクラネタを忍ばせてしまったのは仕様です。
コメント (3)
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