上孝子の集落の瓦の波を眺めつつ登山開始です。
結構な山間部なのにびっしりと家が密集しています。
なんか地域のしがらみが
濃そうなところですねえ。
登山道の両脇を覆うのはウバメガシ。
「備長炭」の原料として知られています。
都道府県によっては絶滅が危惧される
「レッドリスト」に載っていますが、
ここでは盛大に生えています。
見る人が見れば
パリのマロニエ並木より
立派な並木道かもしれません。
(行ったことないけど)
修行場という割に普通の登山道で、
ゆっくり歩いて20分ほどで
「高野山」の山頂に到着します。
修行の人にはちと物足りないでしょう。
(なんて言ってますがこの後アタフタと
十分修行の山になっていくのです)
地図ではここに「▲」が描かれていますので
三角点があるのか?と思って探してみても、
境界石しかありませんのであしからず。
取り付けられた標識によりますと、
標高は285mとあまり高くありません。
でも、眺めはなかなかいいところです。
アケビなどのツル性の植物が多く、
あちこちに巻きついています。
中には、ツルに締め付けられてこんな木も・・・。
おお~、何となく執念めいたものを感じます。
自然の造形ってすごいものです。
やがてマイクロウェーブの反射板のところに出ます。
二枚の巨大な反射板が
微妙に角度を変えておかれてあります。
テレビや無線などの電波が
まず1枚に当たり、
そしてすぐ横のもう一枚にあたって
マイクエロウェーブをいわば屈折し、
山の反対側に飛んでいくという仕組みですね。
田舎の方に行けばたまに見かけます。
そこに、こんなものがありました。
何も書かれてないのでよくわかりませんが、
何かの道案内でしょうか。
ん?見覚えのあるこんな文字で
「飯盛山」への道案内が小さく書かれてあります。へへ。
では下っていきましょう。
途中にこんな「火の用心」の標識がたくさんあります。
先ほどのマイクロウェーブのところにあった標識は
このためのものだったんですね。
でもどうせならすべてに道案内も
書いておいてほしいところです。
道はその先で林道と絡みながら進んでいきます。
そして分岐のところで林道から
尾根道へと上がっていきますと、
おお~ようやく雑木越しに
飯盛山の姿がちらほら見えてきました。
これが初公開、「飯盛山」です。
ご飯を持ったような形をしているところから
つけられた名前だとのことです。
そんな「飯盛山」は全国各地にあるように思います。
どれくらいあるのかはジダンの報告を待ちましょう。
案内はところどころにありますが、
あまり気合が入ったものではありません。
おお~、火の用心の下に比較的新しい標識があります。
これくらいが素晴らしいですね。
いろんな人がこの山を愛でていることがわかります。
なおもしずしずと進んでいくと、
このあたり山の中には
人工的な古い石組があったりします。
そうです。
このあたりはかつて根来寺の僧兵が
多く詰めていたそうです。
合戦の拠点でもあったんですね。
やがて、札立山との分岐点に出てきました。
おや?このあたりは「近畿自然歩道」
となっています。
先日歩いた葛城古道もそうでしたねえ。
この標識のある道に出てからは、
一段とよく整備されているようで、
昔からよく見かけていたころは
「ヘンッ」と鼻で笑っていたこの取り組みも、
今頃になってようやくありがたさが
わかってきたオクテのdoironなのでした。
札立山へはここから南東へ行きますが、
飯盛山は北へ向かっていきます。
その先にあったのが「千間寺(せんげんじ)」の跡。
井戸の跡なんかも残っています。
そこから山頂はすぐです。
近畿自然歩道ですから
木の階段が整備してあったりします。
明るい尾根道に出ると
前方に鉄塔が見えてきてほぼ到着です。
約2時間半歩いて
山頂に着くと、これまで一人の登山者にも
会わなかったのに、
20名弱の登山者が集まっておられました。
聞けばひとつのグループで、
京都の山の会の人達だとのことです。
京都といえば、北摂や北山、
琵琶湖方面などいろんな山があるだろうに、
何を好き好んでこの山に来たのでしょうかねえ。
そんな失礼なことは聞けませんがね。
多分山頂にしつらえられた
展望台から見えるこの絶景に魅かれてきた
と言うことにしておきましょう。
役行者も修行の合間に
ここでほっこりしたに違いありません。
しかしこの後
doiron一行は今世紀最大の
アタフタ事件に巻き込まれることに
続く。