山を歩いた翌日は、街中歩行です。
仕事の合間と天気のいい日を選んで
出かけているので連続になったりします。
今回は、その前の週に歩いた玉造の続きで、
大阪城内探索歩行です。
大阪城内にはいろんな史跡が
点在しているように思われます。
そしてその季節なら、梅も咲いているだろうし、
距離も短いのでミセスが同行しました。
まず大阪城の変遷を簡単に書いておきましょう。
大坂城を最初に築いたのは
ご存じ「豊臣秀吉」です。
時に1583年。
本能寺の変の3年後に
大坂本願寺の敷地で築城が始まりました。
それを受けて大阪築城400年のイベントが
昭和58年(1983年)に行われています。
そしてその築城開始の32年後、
1615年の大坂夏の陣で豊臣は滅び、
城は消失し、続いて1620年に
徳川幕府による再建が始まります。
それを受けてまさしく今、
「大坂の陣400年天下一祭」が開催されているところです。
さて徳川による築城後、
この城は火災による損傷を繰り返し、
ついには落雷による火災で天主を焼失したまま、
昭和を迎えました。
近年は陸軍用地として活用された後、
スーちゃんのうまれた昭和3年に
天主が再建されています。
当時、大阪市民の寄付が150万円だったそうです。
今のお金に換算すると、
多分10億くらいだと思われます。
そうして再建された三代目の天守閣が
今の「大坂城」あらため「大阪城」なんです。
あらすじはざっとこんなものです。
そのことをまず確認しておいて、
ナビをセットしてさあ歩きはじめましょう。
今回は地下鉄の谷町四丁目駅から歩きはじめました。
ミセスもdoironと共働きで働いていたのですが、
特殊な役柄だったので
このあたりの官庁街には
ほとんど来たことがないそうです。
doironはさんざん来ました。
なので土地鑑はあります。
「ホンマにあってるの?」
と疑われながら、官庁街の裏道を通り、
大阪城の南西にある大手門口に出ていきます。
背後には前回訪ねた大阪歴史博物館がそびえています。
入り口から入ってまず目につくのが、
南外濠です。
一番広いところで75mの幅があるそうです。
徳川幕府の再構築、
二代目の天主が築造されるときに
この堀も整備されました。
内側には1番櫓から7番櫓までの
7櫓が築造されましたが、
戦争などで焼失し、
今残っているのは1番櫓と、
この写真の木の葉の陰に写っている
6番櫓だけだそうです。
場内には城とは関係なく様々な
祈念碑も設置されています。
これは被爆40年、
これが30年の
祈念植樹の石碑です。
これは、秀吉が本願寺のあった地に
築城するに当たり、
ここにあった生國魂神社を
今の天王寺区生玉町に移転させたそうです。
その後、昭和7年に
ここにはお旅所が設けられたそうで、
その石碑も立っています。
場内各所にそんな歴史の盛衰の跡が
小さな遺物になって残されています。
そして、この大手口から
さらに城内深く入っていきましょう。
残念ながら工事中のため
大手門や千貫櫓、多聞櫓、
大手口枡形などの旧跡の
全貌を見ることはかないませんでした。
これは大坂の陣400年天下一祭のマスコットです。
そのイベントの一つとして、
大阪城スーパーイルミネーションも行われています。
いわゆるプロジェクションマッピングですね。
一般の入城者が普段は入れない
二の丸庭園で行われているそうです。
先日、そこに行ってきた友達から
いただいた写メールがこれ。
結構迫力があったそうです。
入場料は2000円だったそうですが、
残念ながらこのブログがアップされるころには
もう終了しているイベントです。
今度二の丸は、大花見会場になるはずです。
門の隙間からパチリ。
そういえば昔、働いていた頃ここで花見の
場所取りをさせられた記憶がよみがえりました。
桜の時期ももうすぐですね。
オジチャリ2号の活躍が楽しみです。
続く。