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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

葛城古道 神話のふるさと

2015年03月04日 21時26分06秒 | ウォーキング

高鴨神社の池でバタバタとセルフタイマーで撮影した後、
神社の中に入っていきます。



この神社の主祭神は
「阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)」といいます。

読み方は難しいのですが、ともかく
「迦毛(かも)」の字が含まれていますね。

古事記や日本書紀はいわゆる後付けの神話です。
現実にはありえないような
神がかり的なことも含まれていますが、
何らかの史実に基づいていることも多く、
それがどんな史実からきているものか
といういわば逆引きの歴史探索にならざるを得ないために
様々な解釈が生まれます。

古事記と日本書紀は同じような時期に制作されました。

ともに歴史書として作成されましたが、
古事記はおとぎ話的な色合いが濃く、
日本書記はより「歴史書」的な色合いが
濃いものとされています。

高鴨神社の祭神も前述のように
長い名前ですが、
鴨族の神であったという史実は伝えられています。

いわばここは神話の故郷です。

本殿がこれ。



本当はもっと近くから撮っているのですが、
そこまで行くと「写真撮影はご遠慮ください」
と書かれてあったので、ここからにしときます。

立派な鐘楼もありました。



この地を歩き回ること、
「鴨」の人々を文書でいじること
のお許しを願って、参拝をしておきました。

神社を出るとすぐ横に「葛城の道歴史文化館」がありました。



神社名にちなんだ「そば」が食べられるようでしたが、
まだ時間も早いので食べずに、
併設している写真展だけを見て、
ぐるっとひとめぐりしてきました。

葛城古道はこの神社に沿って
右へ大きく曲がり
ふたたび北を向いて進んでいきます。



金剛葛城の山々から
雪解け水なのかそれともため池の放流時期なのか、
常にじゃぶじゃぶと流れている水の音が聞こえていました。

急流は深く谷を削り、
それを横切るようにつけられた道は
クネクネと曲がり、
微妙なアップダウンを繰り返して続いていきます。





ところどころに建てられた道標を見ると
「近畿自然歩道」の字が書かれてあります。



公的な力を借りて、
整備し維持しているわけですね。

南北に通る一本の道と
その枝道を総合して「葛城古道」といわれます。
なので、道沿いにある「菩提寺」なんかも、
案内が建てられて誘導されています。

土着の神々の里に、
平安末期に建てられたという古いお寺があるというのも、
実はこの地をかつて取り巻いた
神と仏のせめぎ合いの名残なわけです。

それはまた別に書くとして、
今日は歩行を優先に進めましょう。

山を背景に立つこんな地蔵も見ながら進んでいきますと、
おや?バスが走っています。



あの奈良交通の長距離路線バスではありません。
こんなところを走ってきた覚えはありません。
近くにあった「伏見」のバス停を見ますと



御所市のコミュニティバスとありました。

歩くコースや時間によっては
このバスの利用も可能なわけですねえ。

近頃はどこの自治体もこういうバスを
出しているようですねえ。
行先によって路線バスがなければ
一度こういうバスを探ってみるかちはありそうですねえ。
(ただ、ここは一日3便だけでした

伏見を過ぎると西北窪という地域に入っていきます。

すると左に「高天原」への登り口が見えてきました。



高天原とはまた大上段に振りかぶった名前です。
どんなところなんでしょう。
行ってみなくてはなりません。

急な坂道をエッチラオッチラ登って行きますと、



広い道路に出ました。



道はまだその広い道を横切って、
水の流れる音が一層大きくなる中を
さらに登って行きます。



今回歩き始めて一番の急坂です。

すると、前方に鳥居らしきものが見えてきました。



ここから参道の山道に入るようです。

ここからさらに傾斜がきつくなり、
針葉樹に囲まれた山道になりました。



トレイルというにはあまりにも急です。
途中、山中にこんな地蔵もあります。



そこでいったん休憩し、
まださらに登って行かねばなりません。

はあはあ、ゼイゼイ。

まさに神話のふるさと、高天原というだけあって
天に登って行くようです。

と、そうこうしているうちに
ようやく、人里に出ました。
正面に「高天彦神社」が見えます。



続く。