ジム友達と泉南にある飯盛山に登ってきた。
案内本によると山頂付近には、
役行者が開いたというお寺の跡があって、
かつて根来寺の僧兵も住んでいた
といわれている歴史のある山だそうだ。
また、幕末には大阪湾を行き交う
異国船を見張る番所にもなったというから
見晴らしのいい山であることもわかる。
昨年から、その山に行くのを何度か計画をしたのだが、
その度に雨で流れ、
延期が続いており、
この度ようやく念願かなって
登ることができたのである。
スタートは南海本線の泉大津駅。
阪和線族の友人たちにとっては、
久しぶりの南海電車である。
な~ん、な~ん、南海電車
に揺られること約30分。
北側の山が大きく削られ、
道路工事現場の一角に佇む風情の
孝子駅に降り立ったのが、
午前10時過ぎだった。
駅前には案内看板が建てられている。
それらを見ながらナビをセットし
身支度を整えて、さあ歩きはじめましょう。
先ずは孝子の山里にある
孝子観音といわれる
「高仙寺」に向かった。
ここには役行者の母上の墓があるそうだ。
この地で暮らす母に
役行者は随分と孝行をしたそうだ。
村の人達がそれを讃えて
この地を「孝子」と名付けたくらいである。
ちなみに「孝子」の由来にはもう一説あって、
日本三筆の一人といわれる
橘逸勢が無実の罪で流刑になり、
病没後、尼になっていた娘が
その遺骨をここに埋葬したことから、
それを讃えてつけられた名前だともいわれている。
ただ逸勢は浜松に葬られたという説もあるので、
真相はよくわからない。
いずれにしても、「親孝行」に由来する地名
であることは確かなようだ。
孝子には大阪と和歌山の境界である
孝子峠がある。
このあたりでは最も低い峠であるため、
doironもバイクで和歌山に行くときはよく越えたものだ。
そんな孝子峠につながる国道26号を
駅から200mほど和歌山に向かって歩き、
最初の踏切を渡るのが登山道になっている。
渡ってすぐのところに大きな石碑が立っていた。
刻まれている文字は「くハんおむみち」と読める。
はい、もうわかりましたね。
「観音道」です。
大きな砂利トラが轟々と音と砂煙をあげて
走り回る工事現場を直角に横切ると、
道はのどかな里の道を行くことになる。
おお~、梅の花が見事だ。
分岐が現れると、
案内に沿って左に曲がり橋を渡って
登りの山道を進んでいく。
しばらく登ると、左手にこんな石が立っている。
「信解品霊場」と刻まれてあるのは、
法華経の教えですね
「信」は仏を信じる事、
「解」は仏を理解すること、
そして「品」は品格のようなもので、
「品のある人」みたいな使い方をしたりする「品」。
親子の情愛で仏の教えを伝えた
というそういう、信解品(しんげほん)の霊場
ということで、まさにここは「孝子」である。
道は山道から石段になっていた。
登るにつれ、石燈籠が見え始め、
やがて山門の下に出る。
山門には仁王さんと共に、
自然の木を利用したこんなワニが置かれてある。
製作者は住職さんかな
それとも村の人かな?
せっかくだから書いててほしいなあ。
そして登りきったところが
「高仙寺」だ。
これが本堂で、
その脇に行者堂が立つ。
役行者の諡(おくりな)である
「神変大菩薩」の表札が上がっている。
そしてこれが、役行者の母の墓。
どの石なのか不明。
ここ飯盛山一帯は
役行者の金剛葛城にいたる
28の修行場である「葛城28宿」の
第三の霊場となっている。
ちなみに第一はこの春、
ジダンと共に出かける予定の友ヶ島だ。
と、さり気なく予告しておきましょう。
本堂で、登山の安全をお祈りし、
さあ飯盛山へと向かいましょう。
決して修行僧歩きのガシガシ登りではなく、
仏と共にしずしず歩くようにね。
本堂の右奥から続く山道を登り、
最初に目指すのが
「高野山」です。
三国ヶ丘で高野線に乗り換えて・・・
とちゃうちゃう。
「こうやさん」ではありません。
「たかのやま」です。
ん?この石の文字は何となく
徳本さんの名号碑の字体に似てるぞ。
いろんなところに影響を与えておられるんですねえ。
登山道はウバメガシの林をくねくねと登って行きます。
と、ここまでは何もアタフタすることなく
「とても楽しそうで飯盛山」だったのですが・・・
続く