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石見銀山〔銀山ゾーン〕

2017年11月28日 | World Heritage in Japan
11月27日、世界遺産『石見銀山遺跡とその文化的景観』銀山ゾーンを散策しました。
石見銀山は、1526年に九州博多の豪商・神屋寿禎によって発見されて以来、1923年の休山まで約400年にわたって採掘されてきた日本を代表する鉱山遺跡です。大航海時代の16世紀、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在でした。16世紀半ばから17世紀前半の全盛期には、世界の産銀量の約3分の1を占めた日本銀のかなりの部分が石見銀山で産出されたものだと考えられています。まずは、"間歩(まぶ)"と呼ばれる銀鉱山を採掘するための坑道のひとつ「龍源寺間歩」を目指します。石見銀山には大小あわせて600箇所を超える間歩があることが分かっていますが、「龍源寺間歩」は江戸時代前期、大久保間歩(870m)に次ぐ大坑道で、昭和8年まで稼働していたのだそう。「永久」「大久保」「新切」「新横相」の間歩とともに5カ山と呼ばれていました。間歩の壁面には当時のノミの跡がそのまま残っていて、鉱脈に沿って掘り進んだ横穴"ひおい抗"や、垂直に彫られた"竪坑"を見ることができました。途中、高さがなく頭をぶつけてしまいそうな部分や、人ひとりがやっと通れるほどの坑道、そのスケールと坑道を作り上げた人間の力は感動もので、当時の坑内の様子に思いをはせました。また、明治時代、良質な銀鉱石を製錬するために、巨額の費用をかけて建設された近代的な製錬所「清水谷製錬所跡」は、森の中の石積廃墟と化して趣きを感じるものでした。今となっては神聖なスピリチュアルな雰囲気漂う遺跡。世界遺産とはいえ商業的観光地化していない保存環境に、一見の価値ありです。





〝龍源寺間歩〟



















〝福神山間歩〟



〝新切間歩〟



〝清水谷製錬所跡〟









〝佐毘売山神社〟



〝高橋家(山師遺宅)〟




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