おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

ピカソ展

2015年04月18日 | Museum
4月16日『ピカソと20世紀美術』東京ステーションギャラリーにて。
勤務先本社会議にて上京も時間に余裕があり、東京駅のステーションギャラリーに立ち寄りました。北陸新幹線開業記念:富山県立近代美術館コレクションから『ピカソと20世紀美術(PICASSO and The 20th Century Art Masterpieces from the Museum of Modern Art, Toyama)』の企画展を鑑賞。本展は、北陸新幹線の開業を記念し、充実したコレクションで知られる富山県立近代美術館の所蔵作品を中心に、ピカソとともに歩み始めたといってもいい20世紀美術の流れを概観し、9点のピカソ作品をはじめ、シャガール、ルオー、エルンスト、ミロ、マン・レイ、デルヴォー、フォンタナ、ベーコン、ジャスパー・ジョーンズ、ウォーホルなど20世紀を代表する47作家による約100点の名品を紹介されています。
お目当てはやはりピカソ。スペイン生まれのピカソが初めてフランスを訪れたのは、20世紀の幕が明けたまさにその時でした。19世紀末から20世紀初頭にかけて、フォーヴィスムやドイツの表現主義が色彩における革命をおこした一方で、フォルムにおける革命を起こしたのがピカソやブラックを中心としたキュビスムの運動でした。ピカソは、長い件p生活の中でたびたびその様式を変えたことでも知られていますが、本展では、スペイン時代の木炭画から、キュビスム的傾向、新古典主義、1960年代にいたるまでの9点の作品を展示。1960年生まれの自分にはピカソは過去の偉人ではなくオンタイムの件p家なのです。それら作品を鑑賞でき至福の中で勤務中のわずかな空き時間を有意義に過ごすことができました。














vs 湘南ベルマーレ〔J.League Division1第5節〕

2015年04月13日 | FC TOKYO
4月12日『湘南ベルマーレvsFC東京〔J.League Division1第5節〕』ShonanBMWスタジアム平塚。
ACL、ナビスコの影響で日曜日開催のJ1リーグ戦。以前はバスツアー利用で参戦することが多かった久しぶりの平塚競技場。ハリルホジッチ日本代表監督が視察に来ているとは驚きですが、明らかにFC東京の選手を見に来たということ。ボール狩人ヨネに期待するしかありません。
さて、全員ディフェンスのターンオーバーから、ショートカウンターで全員が前鰍ゥりで疾走する全員オフェンスのサッカーで昨年J2を圧唐オたベルマーレ。そのスタイルでJ1の台風の目になるかどうか興味深いところです。迎え撃つFC東京は、ナビスコお休みでコンディションは良いはずですし、なんといっても7億円男の動向が気になります。
さて、ゲームは予想通り、ハードワークの応酬で、主審のさばき方もあるのでしょうがピッチ上の選手はエキサイト、ヒートアップする場面が目につきます。一発触発の雰囲気の中、徐々にペースは東京へ。後半16分、太田のクロスに武藤が岡崎慎司ばりのヘッディングシュートで先制。ヨッチはやはり御前試合に強かった。その後も激しくスピーディで攻守の切り替え早くオープンな展開に、両チームとも走る走る。小気味よいテンモフサッカーに時間の経つのも忘れてしまいます。気が付けばアディショナルタイム4分もあっという間。「0≠P」の辛勝にほっと安堵で胸を撫ぜおろしました。
これにてJ1リーグ戦は、浦和と並んで首位タイ。リーグ戦首位は初体験で浮かれ心地ですが、このまま先行逃げ切りとまいりましょう。



この人の視線の先にいるのは?










後半19分 太田のクロスを武藤のヘッディングシュートは決勝ゴール!












J1リーグ首位タイに躍り出た!






不死鳥 No.7 大苧m平 イマジネーション溢れるプレーは青赤譲り












湘南ひらつか七福神めぐり

2015年04月12日 | NON
4月12日『湘南ベルマーレvsFC東京〔J.League Division1第5節〕』にて平塚へ。
本日、山手線・京浜東北線が運転見合わせにて自家用車で平塚に向かいましたが、早くついてしまったのと、昨日までの寒さからやや暖かい日差しに気分も上々で、『湘南ひらつか七福神めぐり』にチャレンジしました。『湘南ひらつか七福神』は2011年7月に発足した平塚市の新観光スャbト。以前から知ってはいたのですがご縁がなく初めての巡礼です。平塚駅を中心に総距離約8キロ、徒歩でおよそ3時間で巡拝できるとのことでしたが、車を若干利用しての2時間弱の巡礼となりました。
『湘南ひらつか七福神』ではオリジナルの御朱印用色紙が用意されています。色紙に各寺社の「御朱印」をひとつずつ押してもらい、御朱印が7つ集まった色紙には満願した日付を書き込んでもらえます。七福神めぐりは、七難を除き七福を与える神さまの御利益をいただきながらのスタンプラリーですが、この歳になると心身ともに清められ、たいへん有難く、また満願成就の達成感十分で大満足の巡礼。桜はもう終わりでしたが、春の草花も見られ、楽しい七福神めぐりとなりました。









【毘沙門尊天】〔春日神社〕1191年頼朝が馬入川の橋供養のために建立







【大黒尊天】〔妙安寺〕家康の側室の妙安という尼が開いた寺院で鬼子母神を祀っている







【弁財天】〔平塚八幡宮〕およそ1630年前、第15代応神天皇を祀った社









【恵比寿神】〔三嶋神社〕1000年以上昔から漁業を営む人々に相模国の海運、海路の玄関口









【福禄寿】〔善性寺〕350年前横須賀で創立、1942年平塚に移転、別名湯呑み寺









【寿老尊】〔長楽寺〕弘法大師空海が滞在したとされている歴史ある寺







【布袋尊】〔蓮光寺〕慶長年間開山 布袋様だけでなく寶船もありました








世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群〔荒船風穴〕

2015年04月08日 | World Heritage in Japan
4月5日世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の“荒船風穴”を訪れました。
世界文化資産登録後、どうせなら春桜欄間の時期に訪れてみたいと思っていた『富岡製糸場と絹産業遺産群』。「富岡製糸場」だけでなく4つの遺産群の制覇に、あいにくの小雨空も強行観光となりました。
『荒船風穴』は、明治38年(1905)から大正3年(1914)に造られました。製糸技術が発展して生糸が大量に作られるようになると、繭が大量に必要になりました。養蚕はそれまで年一回しか行うことができませんでしたが、岩の間から吹き出だす冷たい風を利用して蚕の卵を貯蔵し、卵がかえる時期をずらすことにより、養蚕の回数を増やすことができるようにと、蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設です。3基の風穴があり、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にし、また、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及びました。現在でも大きな石垣が残り、夏でも2℃~3℃の冷たい風が吹き出しているのだそう。実はココ、自動車で片側一車線の細い山道を登りつめたところ、かなりの山奥にあります。世界文化遺産巡りにて彼方此方訪れていますが“荒船風穴”が今まででは、最も人里離れ、商業化、観光地化されていない、ある意味穴場の世界文化遺産かもしれません。『富岡製糸場と絹産業遺産群』の4つの文化遺産を無事巡ることができましたが、思いのほか一か所一か所が離れていましたが、日本における近代絹産業の普及の重要さを実感するに十分でした。







奥から“1号風穴”“2号風穴”“3号風穴”


〔1号風穴〕




〔2号風穴〕




〔3号風穴〕




“冷風体験スペース”










“世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群”(位置関係)




世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群〔高山社跡〕

2015年04月07日 | World Heritage in Japan
4月5日世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の“高山社跡”を訪れました。
世界文化資産登録後、どうせなら春桜欄間の時期に訪れてみたいと思っていた『富岡製糸場と絹産業遺産群』。「富岡製糸場」だけでなく4つの遺産群の制覇に、あいにくの小雨空も強行観光となりました。
むかしは、蚕は「運の虫」と言われるほど飼育が難しく、農民たちは困っていました。高山長五郎は養蚕方法の改良に取り組み、明治16年(1883)、蚕が病気になりにくい通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。そしてそれを教えるために、翌年、この地に設立された養蚕教育機関『高山社』は、その技術を全国及び海外に広め、清温育は全国標準の養蚕法となりました。日本中から集まった生徒によって全国に広がった「清温育」は、日本国の品質の高い生糸を大量に作ることに大きく貢献しました。明治24年(1891)に建てられた住居兼蚕室は「清温育」に最適な構造で、現在でも、住居兼蚕室、長屋門や桑貯蔵庫は見ることができ、また、案内人の方から富岡製糸場と絹産業遺産群についての丁寧な説明も聞け、理解を深めることができました。感謝です。





〔長屋門〕


〔蚕室〕
















〔桑貯蔵庫〕