おてんきぷらぷら

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ジブリの立体建造物展

2014年08月17日 | Museum
8月16日、『ジブリの立体建造物展』を都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」にて。
スタジオジブリは1985年の創立以来、多くのアニメーション作品を発表してきました。作品中にはドラマが起こる舞台として、沢山の建造物が登場します。本展覧会では、出発点となった「風の谷のナウシカ」から、最新作「思い出のマーニー」まで、作品に登場する建造物の背景画や美術ボード・美術設定といった制作資料を公開。代表的な建造物を立体で表現し、その設計の源に触れます。空想された建造物、が、ただの空想とは違います。現実の世界を注意深く観察した上で、登場人物の生活・時代などの想定・検証を十二分に経てデザインされたものであり、何より登場人物との関係性が建物としての魅力を高めています。
この日は夏休みの土曜日とあって、館内は大変多くの人々でにぎわい、展示品を鑑賞するには数珠つなぎの大渋滞。その分ゆっくりじっくり、かつ、これだけ多くの展示物を入館料一般400円のみで鑑賞できたことはお値打ち感満載でした。「部分を見れば、全体が見える」が本展の副題ですが、直近で「思い出のマーニー」を鑑賞したばかりの自分には、より効果的にジブリアニメーションの世界にどっぷり浸かることがことができました。

ジブリの建造物の世界へ(展示作品)
  『思い出のマーニー』  (2014年、監督:米林 宏昌)
  『風立ちぬ』  (2013年、監督:宮崎 駿)
  『かぐや姫の物語』  (2013年、監督:高畠 勲)
  『アルプスの少女ハイジ』  (1974年、演出:高畠 勲)
  『コクリコ坂から』  (2011年、監督:宮崎 吾朗)
  『ゲド戦記』  (2006年、監督:宮崎 吾朗)
  『借りぐらしのアリエッティ』  (2010年、監督:米林 宏昌)
  『耳をすませば』  (1995年、監督:近藤 喜文)
  『崖の上のャjョ』  (2008年、監督:宮崎 駿)
  『ハウルの動く城』  (2004年、監督:宮崎 駿)
  『魔女の宅急便』  (1989年、監督:宮崎 駿)
  『紅の豚』  (1992年、監督:宮崎 駿)
  『千と千尋の神隠し』  (2001年、監督:宮崎 駿)
  『もののけ姫』  (1997年、監督:宮崎 駿)
  『平成狸合戦ぽんぽこ』  (1994年、監督:高畠 勲)
  『おもいでぽろぽろ』  (1991年、監督:高畠 勲)
  『となりのトトロ』  (1988年、監督:宮崎 駿)
  『天空の城ラピュタ』  (1986年、監督:宮崎 駿)
  『風の谷のナウシカ』  (1984年、監督:宮崎 駿)


















るろうに剣心 京都大火編

2014年08月16日 | Movie
8月14日、映画『るろうに剣心 京都大火編』シネプレックス水戸レイトショーにて。
2012年夏公開『るろうに剣心』のシリーズ第2作。94~99年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載された和月伸宏さんの人気マンガ『るろうに剣心*セ治剣客浪漫譚=xは、幕末に「人斬り抜刀斎」として恐れられた緋村剣心(ひむら・けんしん)が、明治維新後「不殺(ころさず)」を誓った流浪人(るろうに)として、さまざまな人たちとの出会いや、宿敵との戦いをへて、新たな時代の生き方を模索していくという物語。本作は、原作のクライマックスにあたり、人気の高いエピソード「京都編」を描いた2部作の前編。緋村剣心の後継者として「影の人斬り」を引き継いだ志々雄真実(ししお・まこと)が、全身に大火傷を負わせた明治政府へ復讐を企てていると知った剣心が、逆羽刀を手にとり、志々雄のいる京都へ向かうストーリー。愚息が小さい頃一緒に見ていたアニメが面白かったので興味津々で、前作同様、鑑賞した次第。前作を鑑賞しているので主要な登場人物はお馴染みですんなりと入り込めました。まずは、先日訪問した、つくばみらい市「ワープステーション江戸」で撮影されたであろう京都の町シーンが気になってしまいます。本来は日本橋のはずの太鼓橋を中心に京都の街中が撮影されてるよう。ここ知ってるぞ感はうれしいもの。ストーリーは次期続編への起承編。転結編への前振り感は否めません。それでも細かいエピソードの積み重ねで、この一本だけでも一映画作品として成立しています。ラストシーンで謎の男(福山雅治)の登場があったりして、続編が楽しみに。まんまと製作サイドの術中にはまりました。















思い出のマーニー

2014年08月13日 | Movie
8月13日、映画『思い出のマーニー』シネプレックス水戸にてレイトショー鑑賞。
イギリスの作家ジョーン・G・ロビンソンの「思い出のマーニー」を、スタジオジブリがアニメーション映画化。物語の舞台を北海道の美しい湿地帯に置き換え、心を閉ざした少女:杏奈が、金髪の少女マーニーと出会って秘密の友だちになり、体験するひと夏の不思議な出来事を描いた作品。
私ことながら、道東勤務がある者ものにとって、JR北海道、特急あおぞらが出てきた時点で思い出深く、美しい湿地帯の風景にデジャヴ。道東の長い冬があればこその、ひと時の夏、道東の夏、いいんだなあ。
さて、物語ですが、ストーリー展開に不思議な印象を持ちつつもストーリー吸い込まれていくというミステリー児童文学でしょうか。主人公:杏奈が心を病む少女なだけに、杏奈を囲む脇役達が皆いい味を出していて、なんとなく幽霊話的になりがちなストーリーに明るい光を与え良い調和感を醸し出しています。最期に謎解きがなされ心熱くなるとともに、主人公の少女のひと夏の成長を人の親として感動し嬉しくなってしまいます。ネタばれになってはいけませんが、杏奈が七夕まつりで友人から「あなたの瞳は蒼くてきれい」と言われるあたりの伏線は、玄人好みで、ミステリー好きにはたまりません。
スタジオジブリというブランド映画、それなりの期待を持って鑑賞しましたが、不思議な印象という所感は変わりませんが、それなりに、かつ大いに楽しめました。















vs セレッソ大阪〔J.League Division1第19節〕

2014年08月10日 | FC TOKYO
8月9日『セレッソ大阪vsFC東京〔J.League Division1第19節〕』ヤンマースタジアム長居。
この日は、強い台風11号が、九州と四国を暴風域に巻き込みながら非常にゆっくり北上し、10日未明にかけて四国・近畿に上陸するおそれがあり、大阪も猛烈な雨との予報。東京出発時は大いに心配したのですが、意外なことに大阪は風強いものの雨はやんでいました。想定外の曇り空、意気揚々とスタジアムへ向かいました。既にフードパークは中止とのことで、楽しみはゲームのみ。ゲームは、降格圏争いの渦中で不退転の背水の陣で挑むセレッソ大阪が、全体をとおして押し気味でしたが、しっかり守るFC東京に隙はありません。アウェイで無失点の勝点1は納得の結果。あえて云えば、後半開始の東京の時間帯でゴールが欲しかったかなあ。時より大粒の雨がパラパラするも、雨を気にせず観戦できたのもまたヨシ。
試合開始前には、大阪勤務在住の愚息と5月24日ガンバ戦以来の再開。中途半端な時間帯でしたが、心斎橋でひととき鉄板焼きで舌鼓を打ちつつ、男同士の語らい。人の親、サッカー応援に託けて、愚息に会うことも大阪遠征の楽しみな目的のひとつなのです。事前の覚悟に比べればまずまずの夏休み大阪遠征だったと思います。








セレッソ背水の“大阪の陣”、風雲長居スタ、両軍善戦するも決着つかず




J1初のイタリア人ミステル対決は、勝点1をシェア




長谷川くん包囲網はばっちり




スピードスター復活へ!




大阪RONIN5 〔真田幸村 毛利勝永 長宗我部盛親 後藤又衛 明石装煤l






がんばっぺ!!福島 〔ミスピーチ キビタン〕








赤毛のアン展

2014年08月09日 | NON
8月9日『モンゴメリと花子の赤毛のアン展~カナダと日本をつないだ運命の一冊~』大丸心斎橋店。『セレッソ大阪vsFC東京〔J.League Division1第19節〕』ヤンマースタジアム長居遠征の寄り道で、NHKの連続テレビ小説『花子とアン』にちなんだ企画展を鑑賞。『花子とアン』にて、「赤毛のアン」末メとして、明治、大正、昭和にわたる波乱万丈の半生記を描かれ、一躍脚光を集める村岡花子と、「赤毛のアン」原作者ルーシー・モード・モンゴメリ。本展では、この物語を生み出したカナダ人作家と、名末ャし遂げた村岡花子のふたりの女性にスャbトをあて、その生涯と作家活動を、「赤毛のアン(原題/アン・オブ・グリン・ゲイブルス)」の直筆原稿など貴重な資料も交えた展示品、そして物語のアンのグッズを通して「赤毛のアン」の世界を楽しみ味わうことができる企画展です。「赤毛のアン」と云えば、孤児院暮らしからグリン・ゲイブルスにやってきた赤毛でやせっぽちのアン・シャーリーが、マシューとマリラの愛情に包まれ、同級生のダイアナと永遠の友情を狽「ながら成長していく物語。1960年代生まれの我々世代はどこかで触れたことのある物語。その頃の懐かしい感動の思い出が甦り、カナダへの憬れ増す、ほのぼのさを感じる企画展でした。









【ルーシー・モード・モンゴメリ】
カナダの小説家(1874-1942)
プリンス・エドワード島に生まれ育ち島の大自然と生活を愛しました。緑と海に囲まれた大自然のなかで優しく賢い少女へと成長していく姿を描いた物語「アン・オブ・グリン・ゲイブルス(赤毛のアン)」は、その美しい風景や生活が生き生きと描かれ、物語は1908年の発表から今日まで多くの人々に読み継がれ、「赤毛のアン」の物語は、100年以上も出版され続け25カ国以上で末ウれています。













【村岡花子】
末ニ、児童文学者(1893-1968)
「アン・オブ・グリン・ゲイブルス」を末オ、日本において「赤毛のアン」を誕生させました。
「赤毛のアン」が村岡花子によって初めて日本に紹介されたのは昭和27年。関東大震災、愛児の死、そして戦争という大きな苦難のなかで、カナダからやってきた赤毛の女の子に日本語で息を吹き込み、日本において多くの「赤毛のアン」ファンを生み出しました。