おてんきぷらぷら

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音戸の瀬戸

2012年09月02日 | NON
8月25日『サンフレッチェ広島vsFC東京〔J.LEAGU Division1第23節〕』広島ビッグアーチへ。
1泊2日の遠征、2日目は、「男たちの大和/YAMATO」「海猿」のロケ地、かつて東洋一の軍港と云われた“呉”を訪れました。呉中央桟橋から呉湾観光遊覧船で「音戸の瀬戸」へクルージング。出航するとすぐに「似島」を右に見ます。「似島」は‘安件ャ富士’とも呼ばれ、戦時中は陸軍の似島検疫所があり、捕虜収容所があったところ。第一次世界大戦では収容されていたドイツ人捕虜のカール・ユーハイムが、「似島」の地で、日本で初めて“バウムクーヘン”を焼いたところでもあります。また、メキシコ産の工業塩の貯蔵地である「三ツ子島」の目を見張る白さでした。
さて、「音戸の瀬戸」とは、仁安2年、日宋貿易促進のために平清盛が開削したと伝えられる幅90m程度の海峡で、呉市(本州側)警固屋と呉市倉橋島(音戸町)との間にあります。現在、海峡には「音戸大橋」がかかり、また平成25年春開通見込みの「第2音戸橋」がかけられていました。
「音戸の瀬戸」の、平清盛『日招き伝説』は、清盛の神通力(平家の経済力)を誇示する有名な伝説。本遠征旅行の外せない目的地のひとつです。音戸の瀬戸は平安時代には歩いて渡れるほどの海峡でしたが、平清盛が日宋貿易船の航行のために深く掘り下げる開削工事を一日で完了させたといわれています。
1165年7月16日夏の夕暮れ時のこと、開削工事最終日、日没にあたりどうしても今しばらく・・・と清盛。西の山に沈まんとする日輪を、金の扇を右手に持った平清盛は、“かえせぅ、もどせぅ、おちまいぞぅぅぅ”と仰ぎ返すとなんと日輪が頭上高く舞い戻り工事が続行できたという、夕日を招き返した伝説。音戸の瀬戸公園内には「清盛公日招像」が西の空に立っています。残念ながら山の上にある音戸の瀬戸公園には時間の関係で訪れませんでしたが、音戸漁港にある『清盛塚』前の「おんど観光文化会館」では‘うずしお企画展示’『平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館』に寄りました。ここの見どころは、実際にドラマ撮影で使われた平安時代の船の展示。ドラマの撮影舞台道具とはいえ、平安の世の瀬戸内の海賊たちに思いをはせました。






似島 バウムクーヘン発祥の地


三ツ子島


音戸大橋


第二音戸大橋


清盛塚


音戸の瀬戸ドラマ館













JR呉駅 平清盛 日招き像 立鳥帽子直垂姿




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