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登呂遺跡

2017年06月05日 | NON
6月4日、清水エスパルス戦、日本平遠征で静岡市駿河区『特別史跡〝登呂遺跡〟』へ。
幼かりし頃、小学校の教科書で、弥生時代の遺跡といえば〝登呂遺跡〟でした。〝吉野ケ里遺跡〟が発掘された昭和61年には既に就職し社会人でしたから。〝登呂遺跡〟の響きは、"火おこし"、"高床倉庫"、"弥生式土器"などを学ぶ、弥生時代の象徴でした。恥ずかしながら〝登呂遺跡〟が静岡市にあることもあまり認識しておらず、今回、初見参です。
〝登呂遺跡〟は、太平洋戦争中の昭和18年、軍需工場建設中に発見され、弥生時代の遺跡であると判明します。戦後、昭和22年~25年にかけて本格的な発掘調査が行われ、遺跡からは土器をはじめ木製の容器や農具が出土し、住居や米を保管する高床倉庫の跡、さらに8ha以上の広大な水田域が確認されました。弥生時代後期の農村の姿をよく表す遺跡として、昭和27年に国の"特別史跡"に指定され、その後、住居や倉庫と水田の復元を中心とする史跡公園として整備。平成11年~15年に再発掘調査がなされ、棟持柱がそえられた祭殿と考えられる大型の掘立柱建物跡や、集落と水田域を区画する溝など発見。平成23年度まで再整備が行われ、現在の"登呂ムラ"全体の姿がより詳細に復元されたのだそう。朝方だったこともあり、見学者の姿は見えず〝登呂遺跡〟を独り占め。弥生時代の農耕文化を知るに良い機会となりました。