おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

平泉:世界遺産散策〔中尊寺〕

2013年04月15日 | World Heritage in Japan
4月13日『ベガルタ仙台vsFC東京〔J.League Division1第6節〕』ユアテックスタジアム仙台へ。
在阪時代に奈良・京都の世界遺産巡りにはまり、気がついたら平泉。平泉は東に北上川、北に衣川、南に太田川と三方を大小の川に囲まれ、西に小高い山々を頂き、中央を南から北へ東北の幹線である「奥の大道」が通り抜ける要衡の地でした。
平泉文化は、平安時代後期(11~12世紀)奥州平泉に奥羽の豪族藤原清衡(きよひら)を父として子の基衡(もとひら)、孫の秀衡(ひでひら)のいわゆる奥州藤原三代がおよそ100年にわたって築いた文化をいいます。清衡は『中尊寺』を建立、基衡は『毛越寺』を建立、秀衡は『無量光院』を建立。藤原三代は黄金花咲く平泉文化=平和な理想郷を目指しました。

まずは、初代清衡の造営の『中尊寺』。
“金色堂”はその名のとおりお堂の内外すべてを金箔で覆い、皆金色の極楽浄土を現世に著しています。ご本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに6体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いています。内陣は螺鈿細工、蒔絵などの漆工撃竦ク緻な彫金で荘厳され、平安仏教美術の最高峰をなしています。中央の須弥壇の内に初代清衡公、向って左の壇に二代基衡公、右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています。




また、300年以上昔に、松尾芭蕉が「奥の細道」で、
  “五月雨の振残してや光堂”
     と詠んだことでも有名です。


ここ平泉は、奥州藤原三代が、永遠の平和への願いを込めて、この世の浄土を創り出そうとした独特の都市空間であり、浄土思想を表したもの。
まさに感動!、未来の世代に引き継いでいくべき日本人の宝物でしょう。






八幡堂


弁慶堂


地蔵堂


薬師堂


観音堂



中尊寺本堂













不動堂


峰薬師堂


大日堂


中尊寺鐘楼


阿弥陀堂


弁財堂



中尊寺金色堂






経堂







旧覆堂


釈迦堂


白山神社神楽殿


白山神社