学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

0152 鎌倉遺文研究会第264回例会参加の記、付 第96回例会の思い出

2024-08-31 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第152回配信です。


一、鎌倉遺文研究会

https://assoc-kamakura.w.waseda.jp/

第96回 2003年11月29日 鈴木小太郎 「『増鏡』の作者と成立年代について」
https://assoc-kamakura.w.waseda.jp/%e4%be%8b%e4%bc%9a%e8%a8%98%e9%8c%b2/


二、第264回例会

日時:2024年8月24日(土)16:00
場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館6階第7会議室
報告者:亀田俊和氏
題目:「『太平記』史観の総合的研究ー歴史学と文学の融合を目指してー」

https://x.com/chikunda1882/status/1826922187221323784

目的:「歴史学と文学の融合を目指し、その一手段として『太平記』史観の問題を検討する」

『太平記』史観とは?
「『太平記』が紡ぎ出す物語・視座(物の見方・『太平記』的な見方」(谷口2020)

日文研シンポジウム「投企する太平記―歴史・物語・思想」〔2020-11-14〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/da9d7cd6c627aa7d42306b2c13c72d96

亀田氏の研究手法
1 『太平記』全話を網羅的に検討し、『太平記』史観とされてきたものを検出する。
2 それらの『太平記』史観を以下のように分類
 ①他の史料等により、再検討を要する史観
 ②誤りや誇張はあっても概ね史実と認められ、ほぼ妥当と認定できる史観
 ③史料的制約などの理由により真偽不明の史実に基づく史観
3 個別の史観をいくつか取り上げ、文学など他分野の研究も援用し、多面的に考察
4 『太平記』史観の法則や傾向などをある程度出したい


三、個人的に特に関心を持った点

・作者論と「『太平記』史観」の関係
・今川了俊『難太平記』が示唆する幕府介入の実態
・延暦寺無用論(巻十八の十三「比叡山開闢の事」

『古典の未来学』を読んでみた。(その1)~(その6)〔2020-12-17〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/384b125bc3a1a4f2d42f4d21b9b6385d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/76d31174f58bfb3065b1071440cafd73
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c8057e72256cb89a1fd65390eb8e20d6
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/447d127d0730cf882b249833b4dc329e
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/969a55492ae6704d9c2a1b07dc5989a7
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3fafc43a5b77355ee906434193e6fb35

0083 「太平記史観」について(その1)〔2024-05-07〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/accb1e5fd424050340428d18ce4ae12f
0084 「太平記史観」について(その2)〔2024-05-08〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/862767e9de4731e704f12d62c2176317
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0151 鈴木小太郎の日本中世史・中世文学講座

2024-08-26 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第151回配信です。

※追記。10月から毎週土曜日に変更しています。時間帯は同じです。

-------
「大人の『逃げ若』講座」というタイトルで予定していた歴史講座の件、再考の結果、『逃げ若』への便乗はやめて、ごく平凡な「日本中世史・中世文学講座」というタイトルで行うこととしました。
下記内容でパンフレットを作成し、会場の公民館や近隣の図書館等に置かせてもらっています。
興味を持たれた方はご連絡いただければ幸いです。

-------
       鈴木小太郎の日本中世史・中世文学講座

日本中世史・中世文学の在野の研究者で、1990年代半ばからホームページ・ブログ、2024年からYouTubeで発信してきた鈴木小太郎(ペンネーム)が、故郷の甘楽町で、一般の歴史愛好者向けの講座を開設します。
2024年8月30日を初回(趣旨説明)として、下記の通り行います。

日時:毎週金曜日 午後3時(休憩を挟んで90分程度の発表と30分程度の質疑応答を予定)
場所:甘楽町公民館・中会議室
費用:無償、但し資料代として各回300円程度を予定。

内容:
1、中世史と中世文学の中間領域の研究
(1)『とはずがたり』
(2)『増鏡』
(3)『五代帝王物語』
(4)流布本『承久記』と慈光寺本『承久記』
(5)『太平記』
2、中世女性の個別研究
(1)後深草院二条
(2)「姫の前」(北条義時室。離縁後に京都で歌人・源具親と再婚)
(3)竹殿(義時と「姫の前」の娘)
(4)遊義門院(後深草院皇女、母は東二条院)
(5)赤橋登子(足利尊氏室)
3、中世国家論の研究
(1)「国家」概念の源泉
(2)権門体制論批判
(3)新・東国国家論
4、初期浄土真宗の研究
 鎌倉時代の東国における浄土真宗の動向。(『とはずがたり』の作者、後深草院二条の義理の弟(父・雅忠の猶子)が本願寺に敵対した唯善という人物で、本願寺の描く正統的な浄土真宗の歴史の空白を埋める存在)

鈴木小太郎(1960年、甘楽町生)
高崎高校・東京大学法学部卒。平凡な会社員生活を送っていた三十代半ばに、鎌倉後期の宮廷社会を描いた『とはずがたり』という、日本古典文学史上かなり特異な性格の作品に出合い、以後、『増鏡』『五代帝王物語』『竹向きが記』『徒然草』『太平記』『承久記』などの古典文学、そして鎌倉・南北朝初期を中心に中世史を研究。2011年の東日本大震災をきっかけに会社員を辞め、法律関係の翻訳等の傍ら、中世史研究に専念。研究対象を法制史・宗教史に拡大し、現在は中世国家論の通説である黒田俊雄の「権門体制論」を批判的に検討し、佐藤進一の「東国国家論」をリニューアルすることに取り組んでいる。

ブログ:「学問空間」
X(旧ツイッター): 
https://x.com/IichiroJingu
YouTube:鈴木小太郎チャンネル「学問空間」

-------
場所:甘楽町公民館(甘楽町役場裏)、中会議室
   群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡 161-1
上信越自動車道の甘楽スマートICまたは富岡ICから車で5分程度。
https://www.town.kanra.lg.jp/kyouiku/gakusyuu/map/01.html

連絡先:
iichiro.jingu※gmail.com
※を @ に変換して下さい。
またはツイッターで私をフォローの上、DMにて。
https://x.com/IichiroJingu
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0150 東島誠「基礎概念序説」論文前半の問題点(その3)

2024-08-23 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第150回配信です。


一、前回配信の補足

樋口陽一『憲法という作為』(岩波書店、2009)
https://www.iwanami.co.jp/book/b265234.html

「法学における歴史的思考の意味─憲法学の場合」p203
-------
 歴史研究者のあいだで、「規範史学のナンセンス」という言い方がある(6)。もとより、この言葉は、いまさら、歴史認識と価値判断を始めから区別しない立場にむけられているのではなく、「近代」の解明にあえてこだわたった先学たちの歴史認識の立場を相手としている。それなら、まんべんなく歴史上の事実を並べて──そういうことが可能だとして──それを記述することで、歴史学が成立するのだろうか。あるいは、"個人の自由と生活者の権利を擁護する立場の実定法解釈者にとっては規範的立場が必要だが、歴史家にとっては規範はいらない"というふうに、法学と歴史学の違いを持ち出して折り合いをつけてよいことなのだろうか。
 私はそう考えない。歴史学を含む社会科学にとって、自分自身の問題意識、世良の言葉でいえば「観点」(7)が【自分にとって持つ「規範」性】を自覚することが、何より重要だと考える。高橋幸八郎の批判する「無概念的」(8)歴史把握への態度のとり方は、今なお致命的な分岐点をなしているはずである。

(6)「規範史学のナンセンス」という言葉をめぐる議論として、例えば、川北稔・鈴木正幸編『シンポジウム・歴史学と現在』(柏書房、一九九五年)六七頁以下。シンポジウム参加者の中で、この言葉によって言おうとされていることを「よくわかる」としながらも、「社会の最前線で人権擁護のためにたたかおうとする法律家が、そうした議論の正当性を歴史に求める場合に、その歴史認識が、西洋近代をかなりの程度理念化・理想化し、規範化する発想になることもまた、よくわかるような気がするのです」(六八頁の水林彪発言)、という議論が出されていることに注意したい。"それなら、認識の学にたずさわる歴史家には、「人権擁護」という問題意識、観点──とりもなおさず彼が選びとる規範──があってもなくても同じことなのだろうか"、という疑問が生ずるからである。
(7)世良晃志郎『歴史学方法論の諸問題』(木鐸社、一九七三年)、とくにその第一部Ⅰ「歴史の見方」。
(8)高橋幸八郎『近代社会成立史論』(日本評論社、一九四七年〔のちお茶の水書房から重版〕の「序言」は、そのような歴史観のマニフェストであった。「無概念的」歴史把握という言葉自体は、「歴史における最高の範疇たる国家権力あるいは文化構造体を、与えられたものとして、即ち混沌たる諸表象の全体として、何の媒介規定もなしに分析するということは、決して歴史学の方法ではない。もし、そうしたならば、通俗的意味での旧来の政治史または文化史のあの無概念的把握に堕してしまうことは明白であるからである」(『市民革命の構造』〔お茶の水書房、一九五〇年〕ⅱ頁)、という文脈で使われている。最近では、「国家についてのなんらかの哲学的規定からではなく、経験科学的、歴史的分析から国家の属性や諸機能を総括しようとする立場に立つということは、この問題に無概念、無前提に接近するということではない」、という石母田正の文章を引いて、「「現象そのものの観察」というもの」の問題性をあらためて適示するという見地に立って書かれた、東島誠『公共圏の歴史的創造──江湖の思想へ』(前出二六註(10))が参照されるべきである(上記の文章は三─四頁)。
-------

世良晃志郎(1917‐89)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%89%AF%E6%99%83%E5%BF%97%E9%83%8E

「"それなら、認識の学にたずさわる歴史家には、「人権擁護」という問題意識、観点──とりもなおさず彼が選びとる規範──があってもなくても同じことなのだろうか"、という疑問」

ガーシークイズ(その1)【問題編】〔2024-08-07〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caf8d474ca7fd0d8f5dccd3b62d2c4da


二、「小括―「室町幕府」概念の放棄」

東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」(『立命館文学』660、2019)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/660/660PDF/higashijima.pdf

p35
-------
 「「東関柳営(幕府)」「関東幕府」に相当する語がない以上、室町幕府なる語を使用することには大いに躊躇される。それが前節より得られる結論である。東国国家論に立つならば、「〇〇幕府」は、鎌倉幕府、鎌倉府のようにあくまで関東に樹立された軍政府のみを指して用いるべきであろう。
 もちろんこのことは、いわゆる室町幕府が「幕府」ではない、ということを、いささかも意味しない。足利尊氏・直義兄弟を「柳営・武衛両将軍」と呼んだように、「柳営将軍」の語は「幕府」用例③ないし①において普通に用いられている。それどころか足利直義にいたっては、いかにも直義らしく、 「柳営」の語を、きわめて明解に「幕府」用例③において用いている。
-------

-------
しかし、右の直義の自負を想起するならば、ただそこが将軍の「居処」ゆえ「室町幕府」や「堺幕府」「鞆幕府」などと呼称することには、ほとんど意味がない。【中略】「〇〇幕府」は、東国国家論、二つの王権論、いくつもの幕府論等、列島の中心の多点化を問う議論に限定して用いるべきだ、というのが私の提言である。
-------

現代の歴史研究者が何故に「直義の自負を想起」しなければならないのか。
「直義の自負を想起」したら、何故に「室町幕府」が使用できなくなるのか。
そもそも権門体制論者はどうしたらよいのか。

「「室町幕府」の代案はあるのか、という、ささやか過ぎる疑問に対しても、一応お答えしておきたい」(by 東島誠氏)〔2019-07-15〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8d8d59c137e802682c122ef438482cd6
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0149 東島誠「基礎概念序説」論文前半の問題点(その2)

2024-08-22 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第149回配信です。


一、前回配信の補足

筆綾丸さんのコメント
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ae467d48607b5218e13c81d663165be0
與那覇潤(1979生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%87%E9%82%A3%E8%A6%87%E6%BD%A4

二、「武家政権としての「幕府」用例」

p31
-------
 冒頭述べたように、佐藤進一は史料概念としての「幕府」と分析概念<幕府>が同じでないことを強調したが、じつは佐藤の言う「抽象的な歴史的存在」としての「幕府」用例は実在するのである。
-------

(私見)
「幕府論」において、佐藤は『吾妻鏡』等の「幕府」の用例を紹介しているだけであって、別に「抽象的な歴史的存在」としての「幕府」用例が存在しないなどとは主張していない。

-------
この場合の「幕府」が場所(具体物)なのか、機構(抽象的な歴史的存在)なのか、いずれか一方に決めることにはさほど意味がないどころか、一方に決められない重畳関係にこそ、「幕府」の、あるいは日本史上の機構一般の持つ特質がある、と言うべきなのである。むしろ、こう言うべきであろう、歴史上の概念において、抽象的な意味での政治機構が明確に想定しづらいこと、それが為政者自身、また為政者の在所というように、きわめて人格化した形でしか現れえないことこそが、一九六〇年代初頭に佐藤が盟友石母田正と共有していた究極の問題だったはずである、と。
-------

佐藤進一と石母田正は「盟友」なのか?〔2019-07-11〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5558f345f8fd45606ea3121964a1eb89

-------
 そして、以上のごとく「幕府」用例Cの希薄さのもつ問題性を十全に踏まえつつ権力機構の問題を論じる限り、さきの渡辺浩による警告は、学問の規範性の問題としても十分クリアできるものと信じるし、今後の研究もそうあるべきである。

注21
歴史学もまた社会科学の一員であり、①歴史家にも規範が必要であるとし、さらに、②自分自身の問題意識、「観点」が自分にとって持つ「規範」性の自覚が、致命的に重要である、として、高橋幸八郎、石母田正、東島誠を挙げて論じた、樋口陽一「法学における歴史的思考の意味─憲法学の場合」 ( 『憲法という作為』岩波書店、二〇〇九年)註8を参照。
-------

「高橋幸八郎・石母田正・東島誠」のトライアングルは実在するのか。

高橋幸八郎(1912‐82、元東京大学社会科学研究所教授)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%B9%B8%E5%85%AB%E9%83%8E


三、「「関東幕府」と「東関柳営」」

p33
-------
 ついで、元徳三年(一三三一)六月、執権金沢貞顕異母弟で鶴岡八幡宮若宮別当の顕弁の回向文にも、次のように見える。
-------

顕弁(1269‐1331)は金沢貞顕(1278‐1333)の九歳上の異母兄。
また、貞顕は嘉暦元年(1326)三月十六日、執権に就任し、同二十六日に辞任して出家しているので、元徳三年当時は執権ではない。

「貞顕は、生まれながらの嫡子ではなかったのである」(by 永井晋氏)〔2021-02-24〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2c9bb3e0633c321b445e4c7d5946e87a
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0148 東島誠「基礎概念序説」論文前半の問題点(その1)

2024-08-21 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第148回配信です。


一、前回配信の補足

筆綾丸さんのコメント
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/65ac4519876570884d3d8466e5959db1

東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」(『立命館文学』660、2019)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/660/660PDF/higashijima.pdf

-------
はじめに
Ⅰ 「関東幕府」もしくは「東関柳営」
 ⅰ問題の所在―東国国家論 ・ 権門体制論における 「幕府」 呼称の問題
 ⅱ武家政権としての「幕府」用例
 ⅲ「関東幕府」と「東関柳営」
 ⅳ小括―「室町幕府」概念の放棄
Ⅱ歴史学におけるヴェーバー受容の可能性
 ⅰ問題の所在―佐藤進一はいかに誤読されたか
 ⅱ一九六〇年代初頭の丸山眞男と石母田正・佐藤進一(※2011)
 ⅲ古代史研究と中世史研究の現在(※2011)
おわりに
-------

カテゴリー:東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/0be1a4629b0f45baa21f23c42052a260


二、「はじめに」

與那覇潤・安冨歩・東島誠のトライアングル〔2019-07-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6a7a3820d4cc5c44d40c529c94d36cf8
安冨歩・東島誠・桜井英治のトライアングル〔2019-07-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/26d8495214eeb63a56d47cde4d89a744


三、「問題の所在―東国国家論 ・ 権門体制論における 「幕府」 呼称の問題」

『「幕府」とは何か』
p37
-------
 ちなみに、私がこのことをさきの論文で発表したところ、東島は渡辺浩説を肯定して「幕府」という言葉を使うべきでないと主張している、などというネット上のご批判がある旨を聞いて、驚きをはるかに通り越して、唖然とするほかない。その手の論客たちは、渡辺説の要諦をさえ誤読している時点ですでに論外なのだが、それだけでなく、私の論文はそもそも渡辺説を批判して、「幕府」という語を正当に使用する道を拓いたものである。いったいいつ渡辺説を肯定したのか。昨今幾人もいるらしい歴史系ネット論客たちのリテラシーとは、所詮その程度のものなのか。
-------

渡辺浩『東アジアの王権と思想』に安易に依拠してよいのか。〔2019-07-12〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/70bc57994e17dc4477d1670b229c9396

私は「東島氏は学術概念として「幕府」を使うべきではないという東大名誉教授・渡辺浩氏の提案を肯定的に紹介」と言ったのみ。
渡辺著は「幕府」論以外にも問題が多い。

カテゴリー: 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/2d695da8c56b4f9cf60bc0b6fa0f530b
コメント (2)
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0147 亀田俊和氏「佐藤進一の将軍権力二元論再論」を読む。(その2)

2024-08-20 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第147回配信です。


一、前回配信の補足

安富歩(1963生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%86%A8%E6%AD%A9

「東大=ショッカー」説〔2012-01-27〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b4813511410cb1dca32ce970e93e5f3
いささか恥ずかしい思い出〔2012-01-28〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dc6535cadc527e9cd92c9194dfe6af2d
「twitterと下部意識」考〔2012-01-29〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/38258fe6bbc6a04e9b69e62be6a176a8
不評の喜び〔2012-01-29〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bcb51005eefd8f254d47b1e6d8e2ca3f
雪の飯舘村〔2012-01-29〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0417c4642d2fa1ec2e55d658440f031c
騒々しい「カナリヤ」たち〔2012-02-03〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/70e7d2636a55249cb9e8203159aa2340
早川由紀夫氏と「東京大学原発災害支援フォーラム」〔2012-05-01〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3848f51a4d28fdf86b3baacb38b0185e
謎の安冨歩ワールド〔2012-05-03〕
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1f978b99d59bcdb833c9383e9f9c6e25
潤と誠〔2013-10-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/77132f27d804f2985ec41a07e7eb8c50
「原発関連死」の原因をつくった人々〔2014-08-07〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/710ae53244fa3d992ecc29879218d8f1
Only Yesterday〔2014-08-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/28d6eba9197a0067ff1120b505cfd45f
謹告:「中切」のお話は中断させていただきます。〔2016-12-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5309aed7c6a3f27875f827ba8a4e1315
與那覇潤・安冨歩・東島誠のトライアングル〔2019-07-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6a7a3820d4cc5c44d40c529c94d36cf8
安冨歩・東島誠・桜井英治のトライアングル〔2019-07-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/26d8495214eeb63a56d47cde4d89a744

東島誠・與那覇潤『日本の起源』(太田出版、2013)
https://www.ohtabooks.com/publish/2013/08/29153651.html

與那覇亭と東島亭の芸風比較〔2013-10-15〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/014623ff97c0c451d9174cd601402387


二、「第一章 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」の概要」

p32以下
-------
 東島論文は、内容的に前半と後半に分割できる。まず前半部分は「幕府」呼称を検討し、「東国国家論に立つならば、「◯◯幕府」は、鎌倉幕府、鎌倉府のようにあくまで関東に樹立された軍政府のみを指して用いるべきであろう」と提言するものである。この部分については、本稿の趣旨からそれるので詳細な検討はしない。

(15)ただし 「室町幕府」に代わる呼称について、「論者は真剣に呼称を、しかも権力の各段階に相応しい呼称を考えるべきであろう」(注(8)所掲東島論文三五~三六頁)と丸投げするのは賛同できない。旧説を批判するのであれば、その代替案を提示するのが最低限なすべきことであると筆者は考える。なお、二〇二三年の『「幕府」とは何か』(注(7)所掲)では、東島は結局「足利政権」という呼称を使用している。つまり「政権」という、古今東西の政治権力を表現するごく一般的で平凡な名称に帰結している。ともかく足利氏の武家政権を室町幕府と称するべきではないとする東島の見解には同意できないので、本稿においても室町幕府の名称を使用する。ただし、「六波羅幕府」「福原幕府」 「奥州幕府構想」「安土幕府」など新奇な幕府呼称が乱立している近年の状況を東島が問題視している点(注(8)所掲東島論文二九頁)は筆者も同意する。
-------
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0146 亀田俊和氏「佐藤進一の将軍権力二元論再論」を読む。(その1)

2024-08-19 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第146回配信です。


一、前回配信の補足

東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」(『立命館文学』660、2019)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/660/660PDF/higashijima.pdf

亀田俊和「佐藤進一の将軍権力二元論再論─東島誠からの批判への応答を中心として─」(立教大学史学会『史苑』84巻1号、2024)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/2000372

-------
はじめに
第一章 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」の概要
第二章 足利直義の軍事指揮は、単なる「例外」にすぎないのか
第三章 所務沙汰権や所領安堵権を行使できるのは「第三者」のみなのか
第四章 「分析のツール」とは、具体的にいかなる研究手法なのか
おわりに
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二、「はじめに」

p31
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 しかし、以上の私見には批判も存在する。その批判は、大別して二種類に分けられるように見受けられる。一つは佐藤の研究の実証面を高く評価する立場からと、もう一つは理論面を重視する立場からである。
 前者の実証的立場からの批判は、古澤直人・近藤成一・水野智之から寄せられた。この批判は、前述の名古屋大学のシンポジウムの討論においてなされた。彼らは、佐藤の将軍権力二元論がマックス・ヴェーバーの支配原理の三元論の影響を受けていると筆者が推定したことを否定し、佐藤は古文書の実証研究から二元論を生み出したのであり、ヴェーバーの理論の影響はまったく受けていないとする。この批判に対してはすでに回答している。
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中世史研究会2019年度大会「佐藤進一の軌跡―いま、「中世国家」を問う―」
報告1「佐藤進一氏の鎌倉時代政治史研究について」近藤成一氏(50分)
報告2「中世法と中世国家」渡邉正男氏(50分)
報告3「佐藤進一氏と「王朝国家」論」遠藤珠紀氏(50分)
報告4「室町幕府と中世国家」水野智之氏(50分)

https://blog.goo.ne.jp/chuseishi/e/3b57e99cd8161a59c97d439fba6f074d

「南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義」(『南北朝期室町幕府をめぐる諸問題』所収、国立台湾大学出版センター、2022)p67
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80 古澤直人・近藤成一・水野智之が筆者のこの見解を批判し、二元論は実証のみから生み出されたと主張する(「2019年度中世史研究会大会シンポジウム「佐藤進一の軌跡」討論記録」(『年報中世史研究』45、2020年)71‐72頁。しかし、彼らも佐藤説とヴェーバー説が完全に無関係であるとする明確な論拠は持っていないように見受けられるし、佐藤がヴェーバーの学説を知っていた可能性も否定していない。また、筆者もヴェーバーの影響については「何らかのヒント」程度のものであり、二元論の基盤は実証にあったと考えている。それより筆者は、1960年当時に類型論を行うと社会学的であると厳しく批判されたという古澤の指摘に興味を覚える。佐藤がヴェーバーに一切言及しなかったのも、この風潮と関係があるのかもしれない。
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(13)東島は、安冨や與那覇が 「歴史学で網野善彦を誤読していないのは、東島誠と桜井英治だけだ」と評価していると述べる (注 (8)所掲同氏論文二八頁) 。確かに多くの論者が網野の論じた無縁と有縁の表裏一体の関係を無視している中で、東島 ・桜井がそれに気づいた点を安富は評価している。しかし、同時に安富は東島 ・桜井がこれを無縁論の欠陥と考えた点は批判している (以上、安富 「無縁 ・マツコ ・オタク」 ( 『現代思想』 四二―一九、 二〇一五年) 一一五頁) 。また、與那覇は 「安冨によれば、東島の (筆者註 :網野学説の)解釈は狭すぎ、桜井の解釈は広すぎる」と述べている (與那覇「無縁論の空転」 ( 『東洋文化』八九、 二〇〇九年)二五〇~二五一頁) 。筆者は、安富と與那覇の見解は 「従来の中世史研究者と比較すれば東島と桜井の網野解釈は核心にせまっている (が、まだ不十分である) 」という意図だと考える。注 (7)でも指摘したが、東島の先行研究理解には誤読や速断が多いように見受けられる。なお本注の私見は、鈴木小太郎が運営するブログで述べた見解( https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/26d8495214eeb63a56d47cde4d89a744)に着想を得ている。
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安冨歩・東島誠・桜井英治のトライアングル〔2019-07-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/26d8495214eeb63a56d47cde4d89a744
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0145 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その5)

2024-08-18 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第145回配信です。


一、前回配信の補足

p58以下
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 しかし、「主従制的支配権」「統治権的支配権」という支配原理そのものに対する批判は、ほとんどなされていない。新田一郎と秋山哲雄が言い換えを試みた程度である。そもそも、なぜ異なる支配原理が二つ存在しなければならないのだろうか。一つ、あるいは三つ以上ではいけないのか。
 その理由について、権力の二元性は古くから政治学や社会学で議論されてきたからだと筆者は説明されたことがある。不勉強なのは申し訳ないが、それは答えになっていないと思う。権力の本質は二元的であるかもしれないが、少なくとも草創期の室町幕府の統治体制を主従制と統治権の論理で説明するのには、無理がありすぎると言わざるを得ない。
 袋小路に陥っているとしか形容しようがない逼塞的な状況下、呉座勇一が尊氏・直義兄弟の「二頭政治論」に初めて疑義を唱えた(呉座:二〇一四)。
 呉座は、「直義が実質的に尊氏の全権限を代行してい」たとし、「「二頭政治」という表現は厳密には正しくない」と述べた。管見の限りで、これが二頭政治を明確に否定した初見である。確かに権限も残存文書数も直義が圧倒的に多く、これを「二頭政治」と形容するのは無理がある。
 これも踏まえて、近年筆者が当該期の幕府体制について新たな試案を提示した。結論を要約すれば、初期の室町幕府は、直義が実質的な最高権力者"三条殿"として、幕府のほぼすべての権限を行使する体制であった。
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『足利直義 下知、件のごとし』(ミネルヴァ書房、2016)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b244221.html

p71以下
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 佐藤氏は日本中世政治史において数多くの定説を打ち立てたが、それらの中で「二頭政治論」は最も批判が多かったと思われる。しかし、かと言ってこれを超える枠組みを打ち出した研究者は皆無である。そのため、現在なお不動の定説の地位を占めている。構図も明快であるので、多くの研究者が内心疑問に思いながらも佐藤説を踏襲してきた。実は筆者もそうであった。
 しかし、さすがにその呪縛から解放されるべき研究段階に来ているように思う。以下、つたないながらも私見を開陳してみたい。
 「二頭政治」と表現すると、尊氏と直義が権限を均等に二分して行使していたイメージをどうしても抱いてしまう。しかし、右に見たように、両者の権限は著しく不均等で、直義に大きく偏っている。文書の残存比率を見ても、上島有氏によれば暦応二年(一三四一)は直義文書の比率が九割にせまり、尊氏はわずか六通しか文書を発給していない。こうした状況を、「二頭政治」と形容してしまうことが問題なのではなかろうか。
 繰り返すように、『梅松論』は尊氏が直義に政務のすべてを譲り、その後一切介入しなかったと述べている。多くの論者がこれに言及しながらも、重視していないように見受けられる。しかし『梅松論』がまさに述べるとおりで、初期室町幕府の体制は直義が事実上の首長として主導する体制だったのである。事実、直義その人を幕府そのものを意味する「武家」と称した事例が存在する(『東宝記』など)。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6b791d02e92f7d0def9dcdce06749c3

(私見)
「二頭政治」はあくまで「イメージ」の問題であって、「主従制的支配権」「統治権的支配権」とは次元の異なる問題。
直義が「実質的な最高権力者"三条殿"」だとしても、その背後に尊氏が控えているとの「イメージ」はぬぐえない。
例えば「天龍寺造営記」には「柳営〔尊氏〕・武衛〔直義〕両将軍、哀傷・恐怖甚だ深きなり」などとある。


二、呉座勇一『戦争の日本中世史』

呉座勇一(1980生、国際日本文化研究センター助教)
https://www.nichibun.ac.jp/ja/research/staff/s377/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E5%BA%A7%E5%8B%87%E4%B8%80

『戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―』(新潮選書、2014)
https://www.shinchosha.co.jp/book/603739/

p117
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 尊氏と直義の関係に関しては、世人は尊氏を「弓矢の将軍」、直義を「政道」の担当者とみなしていたという『難太平記』(二〇五頁)の記述が著名で、両者が権限を分割していたことが強調されてきた。しかし右の論評は、二人の仲がギクシャクするようになって、どちらに与すべきか人々が迷うというエピソードの中に見えるものである。それ以前の、両者の関係が良好な時期には直義が実質的に尊氏の全権限を代行しているのであり、概説書などでしばしば説かれる尊氏と直義の「二頭政治」という表現は厳密には正しくない。
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呉座勇一氏『戦争の日本中世史』〔2014-02-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6660880a5d0731690b574fc2291a245
「歴史学研究会幕府」〔2014-04-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/42750aab1ea3f4ab74dcc230fe099987
「さすがにその呪縛から解放されるべき研究段階」(by 亀田俊和氏)〔2017-12-18〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6b791d02e92f7d0def9dcdce06749c3
「皮肉なことに、研究が進めば進むほど、それらの仮説が成り立たないことが明らかになっていき…」(by 呉座勇一氏)〔2020-09-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd09d6f406b181672282d558241a563c
「そう、これらの学説は「階級闘争史観」のバリエーションでしかない」(by 呉座勇一氏)〔2020-09-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e47fb1aa07b926849bc8edb8a5f6cf6e
「ひとまず「鎌倉幕府の滅亡は必然だった」という暗黙の前提を取り払ってみてはどうだろうか」(by 呉座勇一氏)〔2020-09-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/19d0088a22e01a33551e189060f38b94
呉座説も「結局、人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論」〔2020-09-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3a05fda1f50c2afc2ca40b7feee442db
ちょっと仕切り直しします。〔2020-09-14〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d86e6a94ca234b007dbadd4a68da5891
四月初めの中間整理(その1)〔2021-04-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/58a9690364e67cd32698c73544e024b9
「もっとも、尊氏が敗走している段階では院宣にもさしたる効果はなく」(by 呉座勇一氏)〔2021-04-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4edce2afbc11e7f6cb0975992e43863e
山家著(その6)「尊氏を頼朝後継者に擬する演出」〔2021-04-27〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/66f6f0e3ed51507efa651209c9ccc9f1
0070 「幕府滅亡は偶然の産物であるという回答も十分ありうる」(by 木下竜馬氏)〔2024-04-24〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/47b4b88a5c177c4de31fa86f008f6a0a
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「大人の『逃げ若』講座」(2024年8月30日開講)

2024-08-17 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
※追記。10月から毎週土曜日に変更しています。時間帯は同じです。

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テレビアニメ『逃げ上手の若君』の放送開始によるプチ南北朝ブームに便乗して、私も「大人の『逃げ若』講座」を下記の通り開催することにしました。
後醍醐天皇、足利尊氏・直義兄弟、護良親王、新田義貞、北条時行等、南北朝初期に活躍した人物たちを史実に即して概観するとともに、それらの人物が『太平記』にどのように描かれているかを検討し、「太平記史観」の問題にも触れたいと思っています。
2024年8月30日を初回として、毎週金曜日の午後3時から、休憩を挟んで90分程度の発表と30分程度の質疑応答を行うことにします。
場所は群馬県甘楽郡甘楽町の甘楽町公民館・中会議室です。
資料代として各回300円程度を予定しています。
資料準備の必要から、参加を希望される方は予め下記連絡先に連絡をいただけるとありがたいです。
(当日参加も可)

     記

日時:
 第1回 8月30日(金)午後3時~5時
 第2回 9月6日(金)午後3時~5時
 第3回 9月13日(金)午後3時~5時
 第4回 9月20日(金)午後3時~5時
 第5回 9月27日(金)午後3時~5時

場所:甘楽町公民館(甘楽町役場裏)、中会議室
   群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡 161-1
上信越自動車道の甘楽スマートICまたは富岡ICから車で5分程度。

https://www.town.kanra.lg.jp/kyouiku/gakusyuu/map/01.html

連絡先:
iichiro.jingu※gmail.com
※を @ に変換して下さい。

またはツイッターで私をフォローの上、DMにて。
https://x.com/IichiroJingu

「大人の『逃げ若』講座」(仮称)〔2024-07-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2711aad86e26b30b8e75d2a723e25069
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0144 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その4)

2024-08-16 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第144回配信です。


一、「「将軍権力の二元性」論に対する理論的検討」の続き

p56以下
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 永原の見解を踏まえ、古澤直人も佐藤説を批判した(古澤:一九九一)。古澤は、裁判の判決の執行が守護使あるいは両使(幕命を執行する二人の御家人)によって保障されていることを具体的に挙げ、統治権を遂行する幕府権力の根幹が主従制的に編成された権力であり、主従制と統治権はやはり同一の次元に並べられないとする。古澤は、「主従制的支配権」に対応する概念は官僚制的支配であると述べた。
 一九九〇年に、佐藤の論文集である『日本中世史論集』が刊行された。二頭政治や二元性論に関する論文のほとんどが、この著書に収録された(佐藤:一九九〇)。一九九二年、新田一郎がこの著書の書評でこの問題を論じ(新田:一九九二)、二〇〇六年には「統治権的支配」というそのままの題名の論文を公表した(新田:二〇〇六)。
 新田の議論は、支配権力を「ゲーム」に喩えるなどユニークであるが、きわめて抽象的かつ難解である。筆者の粗雑な頭脳でようやく理解できたところでは、ある権能が主従制的であるか統治権的であるかよりも、その権能が機能するあり方に新田は注目しているようだ。
 総体的に見れば、「主従制的支配権」を「個別的な態様で機能する権能」、「統治権的支配権」を「一般的な態様で機能する権能」と読み替えることで、永原・古澤の批判に対抗して佐藤の学説を理論的に補強しているのであろう。おそらくではあるが。正直、ほとんど禅問答にしか聞こえない。
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古澤直人(1958生、法政大学教授)
https://researchmap.jp/read0174768

新田一郎(1960生、東京大学教授)
https://www.j.u-tokyo.ac.jp/faculty/nitta_ichiro/

『中世に国家はあったか』に学問的価値はあったか?(その1)~(その18)〔2021-10-03〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b528c87e85b851cfa02eb2f51e7142d7
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5da1e4a2c47e38abdd62cc4bafe4231d
あなたの「国家」はどこから?─総論〔2021-10-19〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6593d078bacf58aac01ff2fd91d6c469

p57以下
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 また二〇〇六年には、秋山哲雄による「「個」「職」論」も登場した(秋山:二〇〇六)。「個」とは、個人として知名度や力量を期待される人物およびその権能、「職」は鎌倉幕府の役職と権能を指す。秋山は、「個」と「職」を用いて、北条氏権力の展開を説明した。
 「個」は「主従制的支配権」、「職」は「統治権的支配権」に似た概念である。永原・古澤の批判を踏まえて新田の議論も取り入れた、新しい理論構築の試みであると評価できる。しかし、用語の言い換えにとどまっている印象は否めない。
 二〇一〇年には、吉田賢司が室町幕府軍制研究の観点から「主従制的支配権」を検討した(吉田:二〇一〇)。主従制的支配・統治権的支配等の用語の実体は時代ごとに異なり、各時代の歴史的な特質を反映した多様性を解明することが提言される。確かに妥当な提言ではあるが、当たり前と言えば当たり前である。
 以上、二頭政治や将軍権力の二元性をめぐる議論はいっそう複雑化し、混迷の度合いを深めているように見える。
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秋山哲雄(1972生、国士舘大学教授)
https://www.kokushikan.ac.jp/education/researcher/details_107001.html
https://researchmap.jp/read0077112

秋山哲雄氏「鎌倉幕府論 中世の特質を明らかにする」を読む。(その1)~(その5)〔2023-03-03〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/19baebe9b4dc92ff486665b0aa746b2a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bafbbf39beb86543a14824a100ac792
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33d6ee1e3db10ae91ea95944500c90c2
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a1008bdcbf78597a3afc9e95ab01f86a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/503df80f7ac867852ebbba528d584aea

吉田賢司(1974生、龍谷大学教授)
https://www.let.ryukoku.ac.jp/teacher/yoshida.html
https://researchmap.jp/read0133785?lang=japanese


二、「「創造」と「保全」の機能」

p58
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 佐藤進一の「二頭政治論」は、実証面からも理論面からも数多くの反例や批判が提示され、そうした研究成果は蓄積してきている。判決の執行といった「統治権的支配権」の根幹とも言える権能に主従制的な要素が見いだされ、逆に主従制の根幹であるはずの軍事編成にさえも統治権的な要素が存在する。恩賞充行・所領安堵に双方の要素が混在することも、筆者の指摘したとおりである。
 しかも所領安堵のような重要な権限が、時期に応じて支配原理を頻繁に変える。あまりにも例外や時期的変遷が多い。そもそも、この二つの支配権は同列には並べられない、別次元の支配原理である。率直に言って、破綻しているのではなかろうか。
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0143 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その3)

2024-08-15 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第143回配信です。


一、前回配信の補足

佐藤進一は所領安堵を、鎌倉時代では「主従制的支配権」、南北朝初期では「統治権的支配権」に分類。
1981年、二十六歳の近藤成一青年が、分別が間違っているのでは、と疑問を呈す。

近藤成一「文書様式にみる鎌倉幕府権力の転回―下文の変質―」(『古文書研究』17・18合併号、1981)

佐藤は、1983年の『日本の中世国家』(岩波書店)において、所領安堵の管轄は、

将軍の専権事項
→(弘安年間)庶子に対する所領安堵のみ執権の管轄
→(嘉元年間)すべて執権の管轄
→(南北朝初期)(執権の後継者である)足利直義の管轄

と変遷したと説明。
しかし、「主従制的支配権」から「統治権的支配権」に移行した理由は示さず。
ガーシーの表現を借りれば、佐藤は「主従制的支配権」と「統治権的支配権」を、理念型(分析のための道具)ではなく、分別用の「ゴミ袋」として使用しているのではないか。

【設問】東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」を読んで、その内容を五字で要約せよ。〔2019-07-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/55ba16ae9afea6e4e705e5b08a304837


二、「恩賞充行が内包する統治権的要素」

p52以下
-------
 所領安堵から主従制的支配の要素を完全に排除することが不可能であるとすれば、逆に恩賞充行に統治権的支配の要素が含まれることを、完全に否定することも無理なのではないか。
 平時の室町幕府においては、まず武士が恩賞方に軍忠状や感状を提出し、合戦で挙げた勲功(軍忠)が審査される。軍忠が認定されると、案件は所付方という部局へ移され、武士の希望あるいは諸国の守護が作成した闕所地注進によって恩賞地が決定された。将軍の下文が発給された後には、執事が施行状を発給して守護に下文の執行を命じることも多かった。現実には充行のミスが多かったことを差し引いても、十分に公的・領域的な支配ではないだろうか。
-------

還補〔げんぷ〕の問題
還補とは何らかの理由で所領を失った武士に対して、その所領を返還すること。
還補は充行か、それとも安堵か。

三、「軍事指揮権を完全に掌握していた直義」

p55
-------
 さらに重要なのは、同じ羽下が一九七三年に発表した論文である。これによって、建武三年(一三三六)後半以降、感状と軍勢催促状が、すべて直義によって発給されたことが解明された。(羽下:一九七三)。すなわち、直義は「主従制的支配権」の根幹を占める軍事指揮権を完全に掌握していたのである。
-------

羽下徳彦(1934生、東北大学名誉教授)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%B8%8B%E5%BE%B3%E5%BD%A6


四、「「将軍権力の二元性」論に対する理論的検討」

p55以下
-------
 以上論じてきたのは、主に実証面からの「二頭政治論」に対する批判である。しかし、一方で理論的側面からも、この学説に対する批判が時折出現した。
 こうした批判は、古くは永原慶二によってなされた(永原:一九七二)。永原は、主従制的支配と統治権的支配を並列的な次元でとらえることを批判し、「前者(筆者注:主従制的支配)は後者(同注:統治権的支配)のための権力構成原理の問題に他ならな」いと論じた。永原は、佐藤の言う統治権的支配に相当するものとして、「先行国家の枠組」を想定しているようである。
-------

永原「本来、主従制は領主階級内部における階級結集の問題であり、統治権的支配こそ農民支配の問題であるから、前者は後者のための権力構成原理の問題に他ならず、両者を「支配」の二要素として同一にとらえるべきではない」

永原慶二(1922‐2004)

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0142 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その2)

2024-08-14 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第142回配信です。


一、前回配信の補足

素朴な疑問:「統治権的支配権」は相当に変な表現ではないか。
統治とは「すべおさめること。主権者が国土・人民を治めること」(『精選版日本国語大辞典』)。
一般的には「領域を支配すること」だから、「統治権的支配権」は「支配権的支配権」というトートロジーではないか。

幕府の「主従制的支配」+「統治権的支配」とは、単に「軍事組織が領域を支配している」だけのことではないか。
現代でも類似の事態はあり得る。

戒厳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92%E5%8E%B3

時期によって支配の形態は合目的的に変化する。

戦時:権力は特定人(カリスマ)に集中する傾向。
平時:権力は諸組織が分掌する傾向。

特定の権限を誰、ないしどの機関が掌握するかを時期ごとに分析することは意味があっても、その権限が「主従制的支配権」と「統治権的支配権」のいずれに該当するかを分類することは意味がないのではないか。
ガーシーの表現を借りれば、「主従制的支配権」と「統治権的支配権」は分別のゴミ袋か?


二、「所領安堵は「主従制的支配権」か、「統治権的支配権」か?」

p50以下
-------
 佐藤進一の「二頭政治論」は、公表直後から不動の定説の地位を獲得したように見える。しかし、今まで批判が存在しなかったわけではない。例えば、鎌倉時代に「主従制的支配権」に分類されていた所領安堵が、十四世紀初めの南北朝初期には「統治権的支配権」として扱われている論理矛盾が近藤成一によって指摘された(近藤:一九八一)。
 この指摘に対し、佐藤は以下のように答えた。
 すなわち鎌倉幕府の所領安堵は、当初は将軍の専権事項であったが、まず弘安年間(一二七八~八八)以降に庶子に対する所領安堵が執権の管轄となった。さらに、嘉元年間(一三〇三~〇六)以降は「外題安堵」という様式に統一され、すべての安堵が執権の権限となった。そして室町幕府において、所領安堵が執権の後継者である直義の管轄となったのは自然な帰結であると論じた(佐藤:一九八三)。
 しかし、これでは所領安堵が執権の権限となる過程を解明しただけで、「主従制的支配権」であるはずの所領安堵が、「統治権的支配権」に分類されるのは論理矛盾ではないかという疑問には何も答えていないことになる。少なくとも、十三世紀初頭の鎌倉初期において、所領安堵が「主従制的支配権」であったことについては佐藤も認めざるを得なかったし、事実、佐藤自身がそう述べたこともある。
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近藤成一(1955生)
https://researchmap.jp/read0170895?lang=ja
「三十四年間もかけてたった三年足らずの分しか編纂できなかった」(by 近藤成一氏)〔2018-01-01〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bdf8e212f65ccf8fbcbd04615366c75b

p51以下
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 その後、笠松宏至が"人"から"モノ"へと安堵の対象の本質的な変化が生じたことを論証し、佐藤の説を補強した(笠松:一九八六)。しかし、それでも所領安堵の「主従制的支配権」が存在することを"完全に"否定することは困難であると筆者は考えている。
 それは、武家文書の観点から見ても否めない。将軍が発給する下文が「主従制的支配権」、執権が発給する下知状が「統治権的支配権」に属するとする佐藤の見解に対しては(佐藤:一九九〇)、近藤も同意している(近藤:一九八一)。
 ところが足利直義は、「主従制的支配権」の文書であるはずの下文で所領安堵を行っているのである。しかも、康永四年(一三四五)以降の直義下文は袖判となり、様式に関する限り、兄の将軍尊氏が発給する恩賞充行の袖判下文と完全に同格となった。
 直義から、尊氏とまったく同じ様式の下文を拝領した武士は、両者の支配権に質的差異を認めたであろうか。それはあり得ないと筆者は思う。大いに感激し、尊氏に対するのと同様、直義へのいっそうの奉公を心に誓ったであろ。その奉公には、当然、軍事的なものも含まれる(後述するように、軍事指揮権は直義が行使していた)。これを主従制的支配と見なすことに何か問題があるだろうか。
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0141 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その1)

2024-08-13 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第141回配信です。


一、前回配信の補足

筆綾丸さんのコメント

佐藤雄基氏「鎌倉幕府政治史三段階論から鎌倉時代史二段階論へ : 日本史探究・佐藤進一・公武関係」(『史苑』81‐12、2021)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/20515

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(93)二〇一九年九月一四日にはシンポジウム「佐藤進一の軌跡─いま、「中世国家」を問う─」が名古屋大学で開催されたが、その基調は実証史家としての佐藤だった(『年報中世史研究』四五号、二〇二〇年)。当日筆者も発言した(前掲注(92)に関わる)。同年には、東島誠による新たな問題提起がなされ(「「幕府」論のための基礎概念序説」『立命館文學』六六〇号、二〇一九年)、亀田俊和「南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義:所務沙汰制度史と将軍権力二元論を中心に」( 『法制史研究』六八巻)も発表された。なお、 拙稿「書評 近藤成一著『鎌倉時代政治構造の研究』」( 『史学雑誌』一二七編六号、二〇一八年)でも若干の検討を試みている。本稿では詳述しないが、佐藤進一の歴史観や「実証主義」への批判的見方については「研究法」(前掲注(67)編著所収)四六頁が興味深い。
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二、「佐藤進一の著名な学説」

『初期室町幕府研究の最前線―ここまでわかった南北朝期の幕府体制』(洋泉社、2018)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784800315083

全体の構成
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佐藤進一の著名な学説
所領安堵は「主従制的支配権」か、「統治権的支配権」か?
恩賞充行が内包する統治権的要素
軍事指揮権を完全に掌握していた直義
「将軍権力の二元性」論に対する理論的検討
「創造」と「保全」の機能
幕府の最高文書としての裁許下知状
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p47以下
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佐藤進一の著名な学説
 草創期の室町幕府における制度史の研究史を論じるに際しては、佐藤進一の「二頭政治論」が必要不可欠である。著名な学説で、筆者も今までの論文や著書でたびたび言及してきたが、改めて簡単に紹介しよう。
 初期室町幕府において、政令が足利尊氏(一三〇五~五八)と弟直義(一三〇七~五二)の二途から出されており、幕政が尊氏・直義兄弟の二頭政治であったとする評価自体は、すでに戦前から田中義成などによって呈されていた。また尊氏が恩賞充行、直義が所領安堵の下文を発給し、直義が所務沙汰裁許(不動産訴訟の判決)の下知状を出したことも、相田二郎が指摘している(相田:一九四九)。
 しかし、それらの実証的成果に基づいて、尊氏が侍所・恩賞方等、直義が評定・安堵方・引付方(所務沙汰の審議機関)・禅律方等を管轄していたことに初めて言及したのは、佐藤進一が一九六〇年に公表した「室町幕府開創期の官制体系」である(佐藤:一九六〇)。
 この論文で佐藤は、尊氏の軍事指揮権と行賞権を「主従制的支配権」(弓矢の将軍)、直義の民事裁判権と所領安堵権を「統治権的支配権」(「政道」「天下」)と定義した。さらに尊氏の支持層が畿内・西国の地侍的武士層、直義のそれが鎌倉幕府以来の東国の伝統的な地頭御家人(評定衆・奉行人や足利一門でも最上位に位置する家)と、両者の支持基盤や地域が異なることや、康永三年(一三四四)、引付方を発展させて成立した内談方などに直義の親裁権強化の志向が見られ、これが観応二年(一三五一)の義詮御前沙汰の登場や、後年の管領制の成立に帰結したことなどが論じられている。この論文で、すでに「二頭政治論」の骨格が現れている。
 その後、佐藤は一九六三年の「室町幕府論」において、この問題を改めて論じた(佐藤:一九九〇)。ここでは、尊氏の「主従制的支配権」が私的・個別的・人格的、直義の「統治権的支配権」が公的・領域的であることなどが指摘される。「官制体系」が実証に基づく立論であったのに対し、「室町幕府論」は理論的な側面から論証した形となっている。
 この論文で画期的なのは、将軍権力の二元性が草創期の室町幕府の特殊な条件によって出現したのではなく、前代の鎌倉幕府から普遍的に存在したと主張されたことである。
 佐藤によれば、源頼朝(一一四七~九九)の持つ「主従制的支配権」が、右近衛大将・征夷大将軍という役職で王朝国家から承認され、同時に東国、次いで日本全国に対する公的・領域的な支配権が王朝国家から認められたという。
 これを筆者なりに咀嚼すれば、王朝国家に対する私的な反乱者として出発し、武家の棟梁となった頼朝が本来持っていた「主従制的支配権」に、王朝国家が持っていた公的・領域的な支配権を分与されることで、頼朝の東国勢力は公的な武家政権として成立したということである。
 そして、名著『南北朝の動乱』において、佐藤は自身の「二頭政治論」を一般向けにも紹介した(佐藤:一九六五)。この著書は、以前の論文と比較すると、初期の将軍権力の二元性が観応の擾乱(一三五〇~五二)等の幕府の内訌や政争の度重なる原因となったことが強調されている。すなわち、二頭政治の矛盾が幕府の分裂をもたらし、それを克服するために将軍親裁権の強化が試みられ、将軍権力の一元化が達成されたという構図が明確化されたのである。
 以上、少なくとも公表された論文・著書に拠る限り、佐藤が一九六〇年代前半に「二頭政治論」を急速に深化させていった様相が看取できる。加えて一般向けの書籍で公開されたこともあり、佐藤の「二頭政治論」は通説として幅広く受容されることになったのである。
 佐藤の研究以降、一九七〇年代から九〇年代にかけて羽下徳彦・山家浩樹・家永遵嗣・岩元修一らが、「二頭政治論」に基づいた所務沙汰(不動産訴訟)関連の論文を次々と公表した。佐藤が将軍親裁権の強化は、直義の「統治権的支配権」を軸としてなされたと主張したことも影響し、これらの研究は直義の権限の実証的解明に集中することとなった。そして「二頭政治論」は、現在もなお基本的には定説の地位を維持していると評価できる。
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0140 ガーシーの亀田俊和氏批判は正当か。(その3)

2024-08-11 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第140回配信です。


一、前回配信の補足

「ガーシー」とは何か。→「出発点が変な人」
「佐藤進一は、主従制的支配と統治権的支配という、極めて有用な二つのモノサシを提供した」(p176)というが、ガーシーはいつどこで、佐藤進一の「二つのモノサシ」が「極めて有用」であるかを検証したのか。
それを実際に執拗に検証したのが亀田俊和氏。
検証の結果、亀田氏は佐藤進一の「二つのモノサシ」が「極めて有用」でもないことを明らかにされた。


二、「私であれば絶対に犯さない誤謬」考

p177
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 なお、右の亀田批判に対する学問的反論はいまだなされていない。その一方で亀田は、私の亀田批判から四カ月後、二〇一九年六月に刊行された『法制史研究』六八号(奥付では二〇一八年度末の三月になっているが、実際の刊行は六月十五日である)誌上に、いかにも生兵法でヴェーバーと佐藤進一との関連を論じる論考を発表している。一応、亀田の名誉のために言っておくと、そこには、私であれば決して犯さない誤謬がいくつも含まれているので、四カ月前に発表された私の論考を剽窃したものではない、と断定する。雑誌の発行が三カ月も遅延したのも、私の論考を見て、亀田が直前に手直ししたことによる、とかではなくて、きっと別の理由があるのだろう。ただし、である。その後、佐藤雄基が、ヴェーバーと佐藤進一の研究との関連を論じた論文として、東島とこの亀田の論文を挙げている点には、苦言を呈しておきたい。「三類型」を「三元論」などと平気で書けてしまったり、「伝統的支配」を「カリスマ的支配」と誤断できたりする論文、つまりモノサシを使いこなせていない論文を、私の論文と並べた瞬間に、佐藤雄基の見識自体が疑われかねないからである。
 以上、佐藤進一学説とそれへの批判をどう受け止めるべきか、さらにその先をどう展望すべきか、についてはこれぐらいにとどめ、議論を先に進めよう。やや抽象度の高い議論を続けたので、ここで思い切って一枚の図(図3-1)を披露することにしよう。
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「「幕府」論のための基礎概念序説」(『立命館文学』660、2019・2)の注(46)に「東島誠『幕府とは何か』(NHKブックス、二〇一九年刊行予定)」とある。

亀田俊和氏「佐藤進一の将軍権力二元論再論─東島誠からの批判への応答を中心として─」(立教大学史学会『史苑』84巻1号、2024)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/2000372

p33
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 以上が東島論文の構成と概要である。以下、東島の私見に対する批判を紹介するが、その前に筆者が佐藤説を検討した著書・論文を発表順に並べると以下のとおりである。
①『足利直義』 (二〇一六年)
②『観応の擾乱』 (二〇一七年)
③「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(二〇一八年)
④ 「南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義」 (二〇一九年)※『法制史研究』68号
⑤「初期室町幕府体制の「滅び」 」 (二〇二二年)
⑥「南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義」(二〇二二年。④に加筆・修正したもの)
 東島の批判は主に①②③に対して向けられたものであり、それが公表された二〇一九年段階においては④⑤⑥は存在しなかった。
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『「幕府」とは何か』が刊行された時点では④⑤⑥は存在しており、ガーシーも④には陰湿な表現で言及。
⑥『南北朝期室町幕府をめぐる諸問題』(国立台湾大学出版中心、2022)は台湾で出版されたもので、気づきにくいところは多少ある。ただ、リサーチマップには明記。

亀田俊和
https://researchmap.jp/read0066419

佐藤雄基云々ついては、⑥注(7)に説明がある。

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(7)東島 『自由にしてケシカラン人々の世紀』(講談社、二〇一〇年)六〇頁など。ただし東島は、 筆者のヴェーバー理解を誤っていると批判する。同時に佐藤雄基に対しても、彼がヴェーバーと佐藤進一の研究との関連を論じた論文として東島論文と拙稿を列挙した点について「佐藤雄基の見識自体が疑われかねない」と述べている(以上、東島『「幕府」とは何か』(NHK出版、二〇二三年)一七七頁)。本稿ではその是非には立ち入らないが、さしあたり筆者としては佐藤進一の学説がヴェーバー理論の影響を受けているとする意見が一致すれば十分である。なお、東島がここで言及する佐藤雄基論文は「鎌倉幕府政治史三段階論から鎌倉時代史二段階論へ」(『史苑』八一―二、二〇二一年)三六頁を指すと思われる。しかし、佐藤雄基は佐藤進一の学説を論じた近年の研究として注(5)所掲シンポジウム討論記録などとともに本注所掲東島論文と注(2)所掲拙稿の初出論文(『法制史研究』六八)を列挙しているだけであり、筆者と東島の見解が一致するなどとは一言も述べていない。また正直に告白すれば、注(2)所掲拙稿の初出論文を公表した段階においては東島が佐藤進一とヴェーバーの関係について論じた著書を筆者は知らず、そのため東島を引用しなかった(注(2)所掲拙著収録に際して、六四頁に加筆した)。この点、この場を借りて東島に不勉強をお詫び申し上げる次第である。
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0139 ガーシーの亀田俊和氏批判は正当か。(その2)

2024-08-10 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第139回配信です。


一、前回配信の補足

(1)「逃げ場のないシステム」

「武家も公家も寺社も、荘園制を経済基盤とする相似の支配構造を持っており、どこを切っても基本的には同じ構造の、まさしく逃げ場のないシステムだ」(p46)

「どこを切っても基本的には同じ構造」なら、何故に「逃げ場のないシステム」なのか。
逃げ方をひとつ見つけたら、どこでも簡単に逃げられるのではないか。

ガーシーは鎌倉幕府が「悪党」の問題に苦しめられたことをどう考えるのか。
十三世紀末には「悪党」問題をめぐって、鎌倉幕府が朝廷の「違勅綸旨」を執行するシステム(悪党召し捕りの構造)が整備された。
しかし、実際には「悪党」は簡単に逃げていた。

東国:正統的暴力を幕府が独占→「悪党」はそもそも存在しない。
西国:正統的暴力を幕府が独占せず。→「本所一円地」には立ち入らず。→「違勅綸旨」(悪党召し捕りの構造)

(2)「二頭政治論と命名」

「亀田俊和は二〇一七年の著『観応の擾乱』の「初期室町幕府の体制」において、佐藤の議論を「二頭政治論」と命名」(p170)

https://x.com/uizhackiinmuufb/status/1822030996046512618


二、「モノサシ」「ゴミ袋」と「理念型」

p173以下
-------
  例外の指摘が可能だということ

 ところが、驚いたことに、亀田は二〇一八年の編著において批判を更にエスカレートさせ、佐藤説に対し、「率直に言って、破綻しているのではないだろうか」とまで述べるに至っている。だが亀田による破綻宣告の根拠は、次に引くとおり、はなはだ危ういものである。

(前略)判決の執行といった「統治権的支配」の根幹とも言える機能に主従制的な要素が見いだされ、逆に主従制の根幹であるはずの軍事編成にさえも統治権的な要素が存在する。恩賞充行・所領安堵に双方の要素が混在することも、筆者が指摘したとおりである。
 しかも所領安堵のような重要な権限が、時期に応じて支配原理を頻繁に変える。あまりにも例外や時期的変遷が多い。そもそも、この二つの支配権は同列に並べられない、別次元の支配原理である。

 以上の理由から、佐藤説は「破綻している」のだ、という。
 だが、そうだろうか。右に挙げられた混在や例外の指摘は、せっかく佐藤がいいモノサシを二本も用意してくれたにもかかわらず、それを亀田がゴミ袋として使おうとするからそうなるのであって、そもそもある権力分析に、「これはこっち」というようなゴミ袋を使おう、という発想自体が間違っているのである。そうした使い方では、どちらかに分別できない「例外」が発生することなど、事例を積み上げるまでもなく、論理上の問題として当たり前の話だ。それだけではない。そもそもモノサシとは、時期的変遷のように、差異、変化を抽出するための道具ではないのか。
 つまり、右の亀田の一文のように、「であるはずの」といった瞬間に、この人は複数のモノサシを組み合わせて使うという、道具の使い方を知らない人だと露呈してしまうのである。亀田はこうも言う。「鎌倉幕府において、統治権的支配者であるはずの執権が、『主従制的支配権』に当たる充行を行った事例がわずかながら認められることも、例外として看過できないと考える」。ここでまたしても「であるはず」だ。
 改めて言おう。そもそも亀田のいう例外や変遷の指摘が可能ということ自体、主従制的支配権や統治権的支配権が。<理念型>のセットとして成功していることの、何よりの証左ではないのか。なぜなら理念型とは、くどいようだが、差異を測定するためのモノサシなのだから。ちなみに私は、一方では、亀田が指摘してきた個々の事象には学ぶところ大である旨を認めている。だがそれらの事実は佐藤学説の破綻を示しているのではない。【本人の「つもり」とはうらはらに】、むしろ佐藤の提示した理念型が有効に活用された成果である、ということに気づくべきであろう。
-------

参考:亀田俊和氏「佐藤進一の将軍権力二元論再論─東島誠からの批判への応答を中心として─」(立教大学史学会『史苑』84巻1号、2024)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/2000372

p34
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第二章 足利直義の軍事指揮は、単なる「例外」にすぎないのか

 前述したように、東島は筆者の実証面の指摘を単なる「例外」の指摘に過ぎないと述べる。
 確かに筆者は、佐藤理論に反する実証的史実を「例外」と表現してきた。だが、この表現は不正確であった。筆者の指摘は佐藤理論の単なる 「例外」 ではなく、「重大な反証」と形容すべきだったと反省している。
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p175以下
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  <理念型>とはなにか─それは、歴史家村の隠語としての「理論」ではない

 本書の読者のために、ここでヴェーバーの<理念型>について、説明を補足しておこう。
 まず大前提として、『日本の起源』でも明確に、それこそ誤読の余地なく述べたとおり、佐藤進一の提示した理念型はヴェーバーそのものではない。そして別段、そのこと自体は何ら問題ではない。理念型とはモノサシ、分析のためのツールに過ぎないのに、何やら高邁な理論のことと思い込んでいる人がいるらしく、こういう硬直した思考の人を相手にすると、本当にメンドクサイ。ヴェーバー自身が日本社会をどう分析しただとか、それが妥当なのか、だとか、そんなことはどうでもよい(そもそも私には関心がない)話である。
 理念型というのは、くどいようだが、モノサシに過ぎない。例えばAは三十五センチ、Bも三十五センチ、しかしCだけは三十六センチある、というように、理念型とは<差異>を計測するための道具であって、その一センチの<差分>が何なのかを解明することが、研究である。対象によっては複数のモノサシを組み合わせることも必要だ。そして佐藤進一は、主従制的支配と統治権的支配という、極めて有用な二つのモノサシを提供した。ただそれだけの話である。ところが、五十センチのモノサシを用意したのにこの物体は五十センチではない、みたいな、思いっきりズレたことを言いだす人たちがSNS上に次々と現れた。まさに累累たる屍だ。
 五十センチのモノサシを使って、Cという物体が三十六センチであるとわかった瞬間に、この物体は五十センチではなかったからこのモノサシは間違っている、そのように主張したのが、亀田俊和である。まずはモノサシという道具の使い方を理解してはいかがであろうか。植物の成長を例にとれば、一粒の種から芽が出て、茎が伸び、やがては花を咲かせる。一カ月前は十センチだった茎が、いまや三十センチに伸びた。モノサシとはまさにその<差分>を測る道具なのである。ある権力の成長もまた、これと同じである。しかもその成長の過程で、タテに伸びるだけでなく、ヨコにも伸びだしたのであれば、ここで二本のモノサシが必要となる。ある権力の場合は初期にはタテに伸びる傾向が見られたが次第にヨコに伸びる傾向が見られる。ところが別の権力では、初めからヨコに伸びる傾向が濃厚である。こうしたことが分析できるのも、極めて有用な二本のモノサシがあるからである。佐藤進一の提示した二つの理念型が、まさにそれだ。それは分析のための道具であって、分析結果を分別収集するためのゴミ袋ではないのである。それに何より、理念型分析の面白さは、例外、規格外のものを索出できることである。なぜほかの地域の花は赤いのに、この地域の花だけは白いのか。せっかく珍しい花を見つけたのに、破綻もへったくれもない。
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