学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

秋休み

2009-09-27 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月27日(日)21時45分58秒

このところ仕事がかなり忙しいので、10月に入ったら少しずつ投稿します。
The Coast of Utopia は難解なところもありましたが、良い舞台でした。
正午開演、午後10時半終了というスケジュールは観る側にも体力と気力を要求しますが、できれば10月4日の最終日あたりにもう一回行きたいですね。

>好事家さん
私もよく知りませんが、ご参考まで。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4642028617.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Coast of Utopia

2009-09-18 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月18日(金)12時59分40秒

ブチブチ文句を言いながらも、製作発表のビデオを見ていたら何となく見たくなってしまって、15000円を9で割ると1時間あたり1666円だから、まあ、いいかと思ってチケット購入手続きに入ったところ、S席29000円しか余っていないことが分かり、一瞬目が点になったものの勢いで買ってしまいました。
うーむ。
魔が差した、というべきか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トム・ストッパードの父の死因

2009-09-16 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月16日(水)19時50分30秒

芝居の内容は別に英文サイトを参考にしなくても、BUNKAMURAサイトに出ていました。
ただ、少し気になったことがあります。

--------------
チェコ出身のイギリスの劇作家。観念的なテーマをはらむ一見難解な物語の中で、極めて純粋な人生の在り方についてを真摯に捉えて描く作品を数多く生んでいる。ウィットに富んだ理知的なせりふ・文体も特徴の一つ。
1927年、チェコのズリーンに生まれる。ナチス・ドイツの侵攻を逃れ、幼少期に両親とともにシンガポールへ亡命。その後、日本軍の侵略から逃れてインドで英国式の教育を受ける(シンガポールに残った軍医の父親は、日本軍に捕らえて死去)。その後、母親の再婚相手であるイギリス陸軍少尉の姓を受け、家族とともにイギリスへ移住。17歳でジャーナリスト・劇評家として執筆を始め、やがてテレビやラジオ用のシナリオや短編戯曲を書くようになる。

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/09_coast/index.html

生年が1927年となっていますが、これは明らかに1937年の誤りですね。
また、「シンガポールに残った軍医の父親は、日本軍に捕らえて死去」とありますが、若干の疑問があります。
というのは、前の投稿でウィキペディアの日本版を引用しましたが、日本語版のリンクはアドレスが長くて鬱陶しいので、英語版をリンクしておきました。
しかし、英語版と日本語版で内容に違いがあります。
日本語版では「1942年、一家は日本に攻撃されるシンガポールを離れ、今度はインドへ転居した。この脱出行のなかで父は死去した」ですが、英語版では、

Born Tomas Straussler in Zlin, Czechoslovakia, Stoppard fled to Singapore with other Jews on 15 March 1939, the day that the Nazis invaded Czechoslovakia. In 1941, the family was evacuated to Darjeeling, India, to escape the Japanese invasion of Singapore. His father, Eugen Straussler, remained behind as a British army volunteer, and died in a Japanese prison camp after capture.[1]

となっていて、「英軍の志願兵となった父は、捕虜になった後、日本軍の収容所で死去した」と書かれています。
英語版には出典が、「(1)Amy Reiter (13 November 2001). "Tom Stoppard". Salon.com.」とあり、その記事を見てみました。

http://dir.salon.com/story/people/bc/2001/11/13/tom_stoppard/print.html

このAmy Reiter なる週刊誌記者?の女性の記事には、

Although Stoppard's language and imagery are exquisitely British, he was born Tomas Straussler in Czechoslovakia on July 3, 1937. His father, Eugene Straussler, worked as an in-house doctor for the Bata shoe manufacturing company. In 1939, his family -- Jewish, though Tom wouldn't know to what degree until years later -- fled the country of his birth just before the Nazis invaded. Settling in Singapore with his father, his mother, Martha, and his older brother, Tomas attended an English convent school until 1942, when the Japanese invaded Singapore and he was evacuated to India with his mother and brother. His father was taken to a Japanese prison camp, where he died.

となっていて、「日本軍の収容所で死去した」となっています。
しかし、2008年のイスラエルのHaaretzという新聞の署名記事によると、

The story of the death of Tom Stoppard's father could easily be part of one of the early plays of the renowned Czech-British playwright, in which questions of fate and an absurd reality intermingle. One early morning at the end of 1938, the Jewish owner of the shoe factory in the Czech town of Zlin gathered all of the physicians who worked for him - Stoppard's father, Eugen Straussler, among them - and advised them to leave town with their families, before the Nazis took over the country. Stoppard's Jewish father and mother were supposed to go to the company's branch in Nairobi; Stoppard at the time was an infant named Tomas Straussler.
Stoppard heard the story from the shoe-factory owner's widow, who was by then 100 years old. He says Eugen Straussler's best friend had been slated to head off to Singapore, but several days before his scheduled departure, he decided he wasn't happy with his chosen destination. Since the elder Straussler didn't care one way or the other where he went, he agreed to trade places with his friend. That is how he ended up being killed by Japanese warplanes, which strafed the boat on which he was trying to leave Singapore.

http://www.haaretz.com/hasen/spages/981613.html

となっていて、シンガポールを避難しようとして乗り込んだ船が日本軍の飛行機に攻撃されて亡くなった、とありますね。
本人にきちんと取材した手堅い記事であり、これが事実なのだろうなと思います。
ウィキペディアの出典となっているAmy Reiterなる女性の記事(2001年)は、内容からみて、あまり信頼はおけそうもないですね。
ネットには特に出典を示さず、「日本軍の収容所で死去した」云々の記述が山ほどありますが、みんな実際にはウィキペディアあたりしかみてないようです。
BUNKAMURAの記事も、おそらくその程度の調べ方しかしていないでしょうね。
生年を10年間違えるような雑な記事ですから。
別に「軍医」じゃないし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Sir Tom Stoppard

2009-09-15 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月15日(火)23時47分21秒

>筆綾丸さん
5月に『桜の園』の日本語訳・英訳をいくつか読み比べてみましたが、Tom Stoppard訳は読みやすかったですね。

----------------
1937年、チェコスロバキアのズリーンのユダヤ系の家系に生まれ、トマーシュ・ストラウスレルと名付けられる。医者だった父親は、ユダヤ人迫害の懸念が強まりつつあるチェコを離れ、1939年他のユダヤ系医師らとともに家族を連れてシンガポールへ転居した。1942年、一家は日本に攻撃されるシンガポールを離れ、今度はインドへ転居した。この脱出行のなかで父は死去した。トマーシュはインドのダージリンでイギリス式の教育を受け、母はインドで英国陸軍少尉ケネス・ストッパードと再婚し、トマーシュも義父の姓を名乗ることになり、トム・ストッパードと名乗るようになった。一家は1946年、イギリスに転居した。

http://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Stoppard

わずか9歳までの間にこれほどの経験をしたというのは、激動の時代を考慮しても、やはり驚きですね。

The Coast of Utopia は、ご紹介のBunkamuraのサイトには、「激動の19世紀のロシアを舞台に、若き知識人達が、理想の社会を求めて他の地へ。挫折や絶望を経験しながらも・・・。やがて培われた熱い思いは彼らから子供たちに受け継がれていく30年以上に渡って展開する壮大な歴史ロマン」とありますが、少し検索してみたら、

Set in the mid-19th century in Russia and Europe, the trilogy follows a group of friends who come of age under the Tsarist autocracy of Nicholas I.
Among them are the idealist and anarchist Michael Bakunin who was to challenge Marx for the soul of the masses; Ivan Turgenev, author of some of the most enduring works in Russian literature; the brilliant, erratic young critic Vissarion Belinsky; and Alexander Herzen, a nobleman's son and the first self-proclaimed socialist in Russian history, who becomes the main focus of a drama of politics, love, loss and betrayal.

http://www.nationaltheatre.org.uk/The%20Coast%20of%20Utopia%3A%20Voyage+1334.twl

ということで、バクーニン・ツルゲーネフ・ベリンスキーらが登場するんですね。
まだ多少空席があるようなので、少し迷ってしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私がヒッグスの海で溺れかけた場所

2009-09-13 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月13日(日)19時41分42秒

『磁力と重力の発見』でエーテルについて多少聞きかじった私は、ヒッグスの海ってエーテルとどこが違うのか、という初心者っぽい疑問を抱いたのですが、ま、そのあたりは親切な回答がありました。

--------------
 対称性が破れるという概念と、電弱ヒッグス場が実際に対称性を破っているという事実が、素粒子物理学と宇宙論の分野で重要な役割を果たしているのは間違いない。しかし、あなたはこんな疑問をもつかもしれない。普通はからっぽだと思われている空間がヒッグスの海で満たされており、しかもその海は目に見えないというなら、それはまるで、とうの昔に葬られたエーテルが復活したようではないか?この疑問に対する答えは「イエス」であり、「ノー」でもある。
 「イエス」だというのは、ヒッグスの海にはたしかにエーテルに似たところがあるからだ。凝結したヒッグス場は、エーテルと同様、空間を満たし、いたるところに存在し、あらゆる物質に染み込んでいる。それはからっぽの空間がもつ特徴であり、取り除くことは決してできない(宇宙を再加熱して※度よりも高い温度にしないかぎり、取り除くことはできない)。それは「無」の概念を再定義するものだ。しかし、音波が空気を伝わるように、光を伝える透明な媒質として導入されたエーテルとは異なり、ヒッグスの海は、光の運動とは関係がない。ヒッグスの海は、光の速度にはいかなる影響も及ぼさない。光の運動を調べることによりエーテルを葬り去った十九世紀末の実験は、ヒッグスの海に対しては何の意味もないのだ。
 さらに、ヒッグスの海は等速度運動をする物体には影響を及ぼさないため、エーテルとは異なり、どれかひとつの視点を特別なものとして選び出すことはない。それどころか、たとえヒッグスの海が存在しても、等速度運動をしている観測者は相変わらず対等の立場に立っているので、ヒッグスの海は特殊相対性論と矛盾しない。もちろん、だからといってヒッグスの海が存在する証拠にはならない。むしろ以上のことからわかるのは、ヒッグスの海にはエーテルに似たところもあるが、その存在はいかなる理論や実験とも矛盾しないということだ。(p39)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

統一とひも理論

2009-09-13 | その他
統一とひも理論 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月13日(日)18時56分30秒

>筆綾丸さん
『宇宙を織りなすもの』下巻に進んでヒッグスの海で溺れそうになり、暗黒物質に戸惑い、ひも理論に感銘を受け、「第2次超ひも理論革命」でまた溺れそうになり、最後の「第16章 時空は本当に宇宙の基本構造か」は5マイル霧中で通り過ぎましたが、何とか読了しました。
理解したとはとても言えませんが、現代の最高の頭脳にとって宇宙がどのように把握されているのかを垣間見られただけでも相当な収穫でした。
原文を確認したいところがいくつかあったので英語版も注文し、ついでに『エレガントな宇宙』も英語版・日本語版を注文しました。
しばらく物理熱が続きそうです。

熱弁を振るうBrian Greene
http://www.youtube.com/watch?v=YtdE662eY_M
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ限定

2009-09-12 | その他
ここは私の掲示板、「Japanese Medieval History and Literature」への投稿を保管しているだけのブログなのですが、こちらのみ見ている方や掲示板の存在を知らない方もいらっしゃるようですね。
掲示板でのやりとりの中での私の発言だけを集めているので、訳が分からんと思われたら掲示板の方も見てください。
また、ご意見等がある場合はなるべく掲示板でお願いします。
古い投稿へのコメントは、もちろんこちらでもけっこうです。

http://6925.teacup.com/kabura/bbs

ブログ訪問者への特別サービスとして、こちら限定のリンクを張っておきましょう。

http://www.zukan.tv/2007/07/27/kiyotaka-naoe/?by=home
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュレディンガー音頭

2009-09-10 | その他
シュレディンガー音頭 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月10日(木)23時49分33秒

>筆綾丸さん
『宇宙を織りなすもの』上巻を読み終えました。
『磁力と重力の発見』と『一六世紀文化革命』の場合、読み進めるにつれて少しずつ賢くなれたような実感があったのですが、『宇宙を織りなすもの』はなかなか微妙ですね。
著者の比喩の能力が抜群なので、何となく分かったような気もして、素人なりに楽しめるのですが。
シュレディンガーの猫については以下のような記述がありました。

-------------
 デコヒーレンスとは要するに次のようなことである。孤立した一個の光子が、スリットが二つ開いたスクリーンに向かって進むという単純なケースにシュレーディンガー方程式をあてはめれば、よく知られた干渉パターンが得られる。そして実際、実験室ではその通りのことが観察される。しかし、こういう実験室での出来事には、日常の世界にはない、きわめて特殊な二つの性質がある。第一に、私たちが日常出会うものは、光子よりも大きくて複雑だということ。第二に、私たちが日常出会うものは、他と相互作用をしない孤立した状態にはなく、私たち自身とも、周囲の環境とも相互作用をするということだ。
(中略)
 光子や空気の分子はあまりにも小さすぎるため、この本や猫といった大きな物体の運動にはこれといった影響を及ぼせないが、それとは別のことができるのだ。光子や空気の分子は、大きな物体の波動関数をたえず「小突く」ことにより(物理学の言葉で言えば、波動関数の「コヒーレンス」を乱すことにより)、整然と並んでいた山、谷、山の系列をぼやけさせるのである。これは非常に重要なことだ。なぜなら、波動関数が秩序だっていることは、干渉効果が生じるためには必須の条件だからである。
(中略)
 何十年ものあいだ、「半分は生き、半分は死んでいるという状態は、猫にとって何を意味するのか?」とか、「蓋を開けて猫を観測するという行為は、いかにして猫にひとつの確定した状態を選び取らせるのか?」といった問題をめぐって熱い議論が戦わされてきたが、デコヒーレンスの考え方によれば、人間が箱の蓋を開けるずっと前から、環境は何十億回もの「観測」を行って、量子力学の不思議な確率を、あっという間に不思議でも何でもない古典力学の確率にしていたことになる。あなたが猫を観察するずっと前から、環境は猫にひとつの確定した状態を取らせていたのだ。デコヒーレンスは、大きな物体から、量子物理学の奇妙な部分を叩き出す。周囲の環境からやってくる無数の粒子が物体に衝突して、量子的世界の奇妙なところを少しずつ運び去っていくのである。
-------------

もっとも、著者はデコヒーレンスでは説明できないものが残ることを続けて力説していますが。

シュレディンガーの猫
http://en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

シュレディンガー音頭
http://schrodinger.haun.org/

猫の鈴木小太郎
http://yaplog.jp/replay-gohan/archive/1483
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直江君、ふたたび。

2009-09-08 | 佐藤優『国家の罠』&モロゾフ・野坂参三
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月 8日(火)20時06分27秒

私が『天地人』を見ると、最高レベルのデジタル画像処理技術によって、妻夫木聡の顔がすべて「ねずみ男」に置き換えられているわけですね。
なかなか面白い体験です。
ま、いろいろ書いておいてなんですが、私は決して直江君が嫌いではありません。
直江君も、仮に私の文章を読んだとしても、Cheshire catのようにニヤニヤ笑うだけだと思います。

>筆綾丸さん
共通一次試験を生物と地学で受けた私にも『磁力と重力の発見』と『一六世紀文化革命』計5巻は何とか読めたので、次は『熱学思想の史的展開』全3巻に挑戦しようかと思いましたが、ちょっと気分を変えてブライアン・グリーンの『宇宙を織りなすもの』を眺めることにしました。

http://soshisha.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d69f.html

>八海山
修験の聖地で、登山道にはけっこう恐い箇所があるようですね。
私は上越の山が好きで、周辺にはけっこう行っているのですが、八海山の山頂は踏んでいません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『長ぐつのロミオ』、よかった。

2009-09-06 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月 6日(日)22時45分37秒

昨日、昭和芸能舎の『長ぐつのロミオ』を観に新宿に行ったのですが、何となく予想していたのより遥かにスピーディでエネルギッシュで変幻自在な舞台で、驚きました。
屁理屈好きの私もちょっと圧倒されてしまって、一日たった今でも、いやー、舞台っていいものだなあ、くらいの感想しか書けません。
9日(水)までなので、何とかもう一回行こうと思っています。

昭和芸能舎
http://sgs4109.kir.jp/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「軽々とめぐり歩く」

2009-09-04 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月 4日(金)19時21分14秒

山本義隆氏『十六世紀文化革命』の2巻を読み進めて残りが50ページほどになりましたが、なんだか読み終えるのが惜しいような気持ちです。
第9章「16世紀ヨーロッパの言語革命」は迫力ある記述が静かに続きますが、次の一文は妙に私の心を騒がせます。

---------
 このようなヨーロッパの知識層における知の秘匿体質ともいうべきものの根っこは古代にまで遡る。古来ヨーロッパにおいては、神から与えられた真理は不心得な者の手に入らぬようにみだりに公開してはならない、という観念が広くゆき渡っていた。ピュタゴラスの弟子リュシスは、哲学を公にすることは師のピュタゴラスが禁じたと伝えている。同様に、アレクサンドル・コイレによれば「プラトンの哲学的教えというものは選ばれた少数者にだけ与えられるという、奥義とも言うべき性格をいくぶんもっている」のである。実際プラトンは対話篇『パイドロス』において「言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人のところであろうとも、ぜんぜん不適当な人のところであろうと、おかまいなしに、軽々とめぐり歩く。そしてぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない」との危惧をソクラテスの口から語らせている(275DE)。そして三世紀の教父オリゲネスが「神的な事柄は人間にはいくらか隠された形で知らされる。人が不信仰でふさわしくない状態にあればあるほど、ますます隠される」と語っているように、この点はキリスト教においても変わりがない。(p571-2)
---------

最近、ウィキペディアのことをいろいろ考えている私には、このプラトンの「危惧」は「希望」のように感じられます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直江君の思い出

2009-09-04 | 佐藤優『国家の罠』&モロゾフ・野坂参三
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月 4日(金)18時45分7秒

私はもともとNHK大河ドラマにそれほど興味がないのですが、今年の『天地人』の場合、ちょっと特別な理由があって、全く見ていません。
というのは、私の大学時代の登山仲間に直江君という人がいて、「ナオエ」と聞くとどうしても彼の顔を連想してしまうからです。
彼は非常に頭が良く、特に記憶力が優れていました。
高山植物に関して該博な知識を持ち、彼と一緒の山行では珍しい植物に出会うと彼がたちどころに詳細に解説してくれて、大変便利でした。
彼はよく笑う人でしたが、妻夫木聡のような爽やかな笑顔の持ち主ではなく、どちらかというとへらへらした笑顔でした。
風貌にも妻夫木聡のような爽やかさは全くなく、本当は清潔好きで潔癖な人でしたが、どことなく『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくるネズミ男を連想させるところがありました。
また、彼は思想的な面で若干変わった人で、難解な左翼的言辞を好み、普通の話題を変に政治的な方向に曲げて、周囲を困惑させることが得意でした。
ところで今年初め、この掲示板で佐藤優氏の『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて』が話題になりましたが、私が佐藤氏の本をいくつか読んで非常に奇妙に思ったのは、佐藤氏が浦和高校、同志社大学神学部、同大学院神学研究科時代に学生運動にかかわっていたことを自慢そうに書いていたことでした。
そして、浦和高校時代、佐藤氏が所属していた新聞部の部室には赤や青や黒のいろんなセクトのヘルメットが転がっていた、という記述を読んだとき、私の頭の中には直江君のへらへらした笑顔が浮かんできました。
直江君も浦和高校出身なのですが、彼に関する断片的な記憶をつなぎ合わせると、どうも直江君は浦和高校新聞部で佐藤氏の後輩だったようです。
浦和高校の一角には既に10年以上前に終息していた全共闘運動の残り火がチラチラと燃えていて、佐藤氏も直江君もその火種を守って生きてきた変人たちの仲間だったのだろうなあ、などと勝手に想像してしまいます。
直江君は今は大学の先生となって、相変わらず難解な文章を書いているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする