投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 8月31日(金)10時21分12秒
>筆綾丸さん
>「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」
良い句ですね。
芭蕉のこうしたユーモラスな側面は、一般人が持っている芭蕉像からはずれている、というか殆ど知られていないのでしょうね。
少し気持ちの余裕が出来たら、とか言いながら森見登美彦の作品を引き続き読んでいます。
デビュー作の『太陽の塔』(2003)に続く「腐れ大学生」シリーズの『四畳半神話体系』(2005)、ホラー系の『きつねのはなし』(2006)と『夜行』(2016)、たぬきシリーズの『有頂天家族』(2007)と『有頂天家族 二代目の帰朝』(2016)、エッセイ集の『美女と竹林』(2008)・『森見登美彦の京都ぐるぐる案内』(2011)・『太陽と乙女』(2017)、そして『ぐるぐる問答: 森見登美彦氏対談集』(2016)を読み終えたところです。
森見登美彦はファンタジーっぽい作風や京大出身という経歴の点で、筆綾丸さんがお好きな万城目学に似ていますが、『ぐるぐる問答』には二人の対談があり、『太陽と乙女』にも万城目学に触れている箇所が多数ありますね。
年齢は1976年生まれの万城目学が三歳上ですが、万城目学のデビュー作『鴨川ホルモー』が出版されたのは2006年で、森見登美彦のデビュー作『太陽の塔』に三年遅れています。
しかも、万城目学は『鴨川ホルモー』が書けたのは『太陽の塔』のおかげだと言っていますね。
『ぐるぐる問答』から少し引用すると(p17以下)、
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万城目 最初に小説を書いたのは、大学三回生のときで、丁度その頃「自分探し」という言葉が世に出始めていて、いち早く敏感にそれを取り入れて、大学生がみんなでうじうじ悩むという……ひどいものを……(声が小さくなる)。
森見 いや、それがあったからこそですよ。
万城目 腐臭を放ってますよ。まあそれを一年くらいかけて書きまして。
森見 長いんですか?
万城目 はい。で、それを友達二人に読ませて。
森見 お!
万城目 その感想が「気持ち悪い」「恥ずかしい」「客観的に読めない」「これ、お前のことやんか」などなど……。
森見 うわ~(我がことのように悶える)。
万城目 それで僕は、自分に近くなってしまって恥ずかしいから二度と大学生は書かないと決めて、時代小説を書くように。奈良時代の仏像彫りの話とか書いていましたね。
森見 なるほど。
万城目 それが『鴨川ホルモー』の一作前からがらっと変わったんです。チャールズ・ブコウスキーっていう、もう飲んでヤッて競馬して、そればっかの人が書いた小説を読んで、自分もこういう乱暴なものを書きたい、今までのは繊細すぎた、と思って。それから次に『鴨川ホルモー』を書いたんですが、あれを書けたのは『太陽の塔』を読んだからなのは間違いないんです。
森見 オッ!
万城目 大学生の話を書けば一番うまくいくことは自分でも分かってるんだけど、またあんな風になってしまうのが怖くて作品に大学生はもう出さずにおいたんですよ。それが『太陽の塔』を読んで、ああ、こういう風に書くと自分のことは全く書かずに、かつ何かを伝えることができるのか! と。
森見 もう、それだけ聞けたら僕は今日はもうこれでいいです。ありがとうございました(笑)。
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といった具合です。
「腐れ大学生」シリーズはもちろん事実の記録ではありませんが、森見登美彦が実際に送った学生生活の経験がベースにあることも確かで、しかもそれは1979年生まれの人にしてはずいぶん古風な感じがしますね。
『ぐるぐる問答』での綾辻行人との対談でも、
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綾辻 同じ大学の、十八年違いの先輩後輩の関係になるんですね。森見さんが生まれた年に僕が入学した、という勘定。そんなに違うのに、森見さんが描く大学や大学生像は、僕なんかの目にもなんだかとても懐かしく感じられます。この何年間かで特に、京大のキャンパスもずいぶん変わったでしょ。ところが森見作品には一九八〇年代から九〇年代あたりの、僕たちもよく知っている空気感があるんですね。良い感じで止まっている、とでもいうか。これはきっと京都という土地柄も関係してのことなんでしょうけれど。でも、だから今、若い人から僕たちの世代まで、幅広い読者層に受け入れられているんでしょうね。
森見 うちは父親も京大なんです。父親から学生時代のことをいろいろ聞かされていて、昔の学生生活に憧れていたからかもしれません。京大を目指したのも、父親から聞いた話からイメージを膨らませて、行きたいなあ、と。だから、僕自身もあまり若々しくない学生生活を送っていたし、入ったクラブもライフル射撃部という、あまり華やかじゃないクラブなんです。
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とあり(p99以下)、たまたま自分と同年の生まれの綾辻行人の感想にうんうんと肯きたくなります。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
小太郎さん
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当初は、債権者、債務者の二者だけのあいだで繰り広げられていた素朴なシーソー・ゲームに幕府法という第三者が登場し、ゲームの裁定者としての役割を果たしはじめた。ゲームの参加者たちは気づかないうちにあらゆる法の上に立った幕府法に飲み込まれ、その顔色をうかがわなければならなくなってしまっていたのである。
そして裁定者となった幕府は、幕府内部の独自の論理で債権の法と債務の法とのあいだ(に?)くりひろげられていたシーソー・ゲームを複雑にする新たなルールを導入するようになった。この点を確認するために、次に十五世紀中葉に幕府が導入した、ある奇妙な法について章をあらためて述べていこう。(180頁~)
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前半には、ちゃんと、「債権者、債務者の二者」とあるのに、後半でまた、「債権の法と債務の法のあいだ」となってしまうのですが、これは、法律の理解にたいする正道と邪道のシーソー・ゲームとみるべきなのか、教祖に対する半信半疑のゆらぎとみるべきなのか、よくわからないですね。
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率直に言えば、史料と課題にまっすぐ向き合える、研究という、いわゆる「蛸壺」は、狭さは感じつつあったものの居心地のよい空間であり、そこから出るのは、まだ早いと思っていたのである。(309頁、あとがき)
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芭蕉の「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」ではありませんが、教祖と弟子が同じ蛸壺の中で仲良く同じ夢を見ているような感じで、漁師に引き上げられて干し蛸にされなければいいが、と思いました。