学問空間

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合祀神社という名前の神社(その2)

2013-01-31 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月31日(木)09時39分24秒

普代村は高い防潮堤が津波を防いだので有名になりましたね。
津波の5か月後に訪問したときも、漁港は復興が順調に進んでいる様子でした。
2011年4月3日付読売新聞記事の写真と比較すると、復興の迅速さがよく分かると思います。

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明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手

津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。
 村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。
 「これがなかったら、みんなの命もなかった」。太田名部(おおたなべ)漁港で飲食店を営む太田定治さん(63)は高さ15・5メートル、全長155メートルの太田名部防潮堤を見上げながら話した。
(後略)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6707

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合祀神社という名前の神社(その1)

2013-01-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月30日(水)23時19分32秒

神社合祀で思い出したのですが、岩手県下閉伊郡普代村の太田名部漁港には「合祀神社」という名前の神社がありました。
いくつかの神社を合祀する場合、地域で一番重要な神社名のみを残すタイプが数としては多いのかなと思いますが、地域全体をカバーする地名、特に古い地名をつける神社も多いですね。
それが難しいときには祭神の数が五つだったら「五柱神社」にする、といった例もありますが、「合祀神社」にしてしまうのは全国的にも珍しいのではないかと思います。
私は初めて見ました。

下の写真、撮影したのは2011年8月5日です。
三枚目の写真は一枚目の鳥居を裏から見たものなのですが、

----------
金毘羅神社
恵比須神社
稲荷大明神
荒神社
牛頭天王
----------

と書かれています。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6706
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『せんだい歴史の窓』

2013-01-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月30日(水)22時49分43秒

仙台市史編纂室長の菅野正道氏が『せんだい歴史の窓』という近著で神社合祀について簡単に触れられていて、行政が保管する書類上では合祀されたと扱われている神社であっても、実際には地域において存続していたものが結構あった、ということを書かれていますね。
仙台市内の事例が具体的に説明されているので、なるほどそうなのか、とは思ったのですが、それが仙台ないし宮城の特殊な現象だったのか、それとも東北全般、あるいはもっと広い範囲で見られた現象なのかは慎重に考えなければならないでしょうね。
私にとって身近な地域では、例えば群馬県はけっこう徹底的に神社合祀をやっていて、書類とのズレはあまりないように感じます。

http://www.tohoku-bunko.jp/details/00200.html

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藤浪小道具の謎

2013-01-29 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月29日(火)11時25分14秒

石母田正氏の8歳下の弟、白沢純氏が社長を務めた藤浪小道具株式会社のホームページを見たら、明治5年創業の同社の営業内容のひとつに「蜘蛛の糸の製作、販売」とありますね。

http://www.fujinami-kodougu.co.jp/company/

「蜘蛛の糸」って歌舞伎以外に使い道があるんですかね。
使い道があるとしても、主たる営業の「演劇・舞踊・テレビ小道具の装飾、製作、賃貸及び販売業務」以外にわざわざ項目を立てるほどの重要性があるのか。
門外漢には謎の世界ですね。

白沢純氏は「歌舞伎小道具製作技術保存会」の会長でもあり、「古典芸能の発展に寄与し、91年に長谷川伸賞を受賞」、2002年に81歳で亡くなったときの葬儀委員長は松竹会長の永山武臣氏とのことで、歌舞伎界の隠れた重鎮だったんですね。

http://sougi.bestnet.ne.jp/php/funeral_jump.php?select_year=2002&select_month=3&type=FP&start_id=1&rcv_funeral_id=6E2B/vDDSJkuGpIzxI

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石母田正輔翁

2013-01-28 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月28日(月)21時56分6秒

ついでにと言っては何ですが、石巻市の住吉公園内にある初代石巻市長・石母田正輔翁の銅像も載せておきます。
石母田正氏の父ですね。
石巻wikiというサイトに経歴がかなり詳しく出ています。

--------
(前略)
 正輔は五人の息子をもうけた。二男・正(1912-86)は日本古代史の学者(法政大名誉教授)として戦後の歴史学に大きな影響を与えた。四男・白沢純(1920-2002)は歌舞伎の伝統を裏で支え続けている藤浪小道具(本社東京)の社長、五男・達(1924-)は元衆院議員。
 桐朋学園(東京都調布市)に勤めていた三男・節(1915-、石巻市在住)は父正輔について次のように振り返る。「頑固で封建的なおやじでした。『友達を大事にしろ』と『貧乏は恥じやない』が口癖。外見は立派にしていましたが、家の中は清貧というより火の車。苦学するのは当たり前という考えだったから、子供は学費も出してもらえませんでした。子供たちは集まると父の悪口をよく言ったものですが、本当はみんな尊敬していました」
http://www.ishinomaki-wiki.jp/index.php/%E7%9F%B3%E6%AF%8D%E7%94%B0%E6%AD%A3%E8%BC%94

住吉公園は北上川沿いにあるので津波の直撃を受け、銅像も倒壊したはずですが、特に損傷は見受けられませんでした。
撮影したのは一か月前、去年の12月24日なので、あるいは修復の手が入っているのかもしれません。
それと銅像の裏面、「石佛石母田正輔翁は剛直にして・・・」とあって、「石佛」が号みたいですね。
ずいぶん変わった号ですね。

住吉公園とその周辺の様子はこちら。

石巻百景
http://ishinomaki-photo.blogspot.jp/2012/10/sumiyoshi.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6703
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金剛山普行院大安寺

2013-01-27 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月27日(日)20時49分20秒

大安寺にはずいぶん立派な聖観音像がありましたが、北村西望作だそうですね。
二枚目の写真、お地蔵様の左手、上部を凹状に丸く削った直方体(正式名称を何というのか。雨水鉢?)に、

--------
寄進人

角田林兵衛
角田省一
角田文衛
角田平兵衛
角田三郎
角田藤二郎
--------

とありました。
手がかじかんでピンボケになり、更に掲示板に載せるために画像の質を落としたので、非常に読みにくくなってしまっていると思いますが。

大安寺
http://jodo.jp/08-052/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6702


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桑折町の角田林兵衛種徳翁

2013-01-27 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月27日(日)20時11分25秒

>筆綾丸さん
正解です。
最初のヒントだけだと、けっこう難しい問題でしたね。
洋風の建物から弘前あたりを連想した人もいるかもしれませんが、この時期、弘前だともっと雪深いはずです。
桑折(こうり)は経済的に相当豊かな土地柄なのですが、その中でも角田文衛氏の実家の角田家は町一番の大地主、多額納税者ですね。
筆綾丸さんご紹介の種徳美術館の公式サイトに、

--------
種徳美術館の概要

 種徳美術館は故角田林兵衛氏(旧桑折町長、福島信用金庫会長など歴任)が地域文化向上を願って家伝の美術品と美術館を町に寄付され1981年10月に開館いたしました。
 収蔵美術品は角田氏の祖父、貴族院議員角田林兵衛種徳翁の蒐集にかかるもので、主として江戸、明治初期の代表的作者による書画400点にのぼります。
 館名は角田種徳翁の雅号にちなみ種徳美術館と銘々されました。
--------

とありますが、「旧桑折町長、福島信用金庫会長など歴任」された角田林兵衛氏が角田文衛氏のお兄さんだと思います。
以前、ちょっと調べようと思ったのですが、桑折町の図書室が地震で壊れて未だに使えないこともあって、私の調べ物も中断しています。
角田林兵衛種徳翁が銅像の人で、この銅像は桑折町立醸芳小学校前の、その名も「種徳公園」に置かれています。
角田家の菩提寺は大安寺なのですが、たまたま工事中で防護用のシートに覆われており、写真を出してもヒントにならないため、無能寺の方にしました。

大安寺
http://www.fukutabi.net/fuku/kouri/daian.html

無能寺は無能という奇妙な名前の浄土宗の僧侶の名にあやかって、その弟子の、不能というこれまた変な名前の僧侶が再興したお寺ですね。

http://jodo.jp/08-051/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6701
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ヒントの追加

2013-01-27 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月27日(日)09時18分52秒

「無能寺」という奇妙な名前のお寺があります。
市ではなく町で、町名とJRの駅名が同じです。
そして駅前の公園を始め、町内各所にリアルタイムの放射線量測定装置があります。
一番下の写真では毎時0.457マイクロシーベルトと表示していますね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6699


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歴史家の名前

2013-01-27 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月27日(日)07時25分40秒

昨日は某歴史家の出身地である東北地方の某県・某町を訪問したのですが、以下の三枚の写真でその歴史家の名前が分かる方がいらっしゃるでしょうか。
銅像の人はご本人ではなく、先祖です。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6698
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甲斐の三枝

2013-01-27 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月27日(日)07時10分20秒

>筆綾丸さん
三枝昂之氏には格別の関心はないのですが、山梨県甲府市出身なので古代豪族の三枝氏との関係がありそうだなと想像できて、ちょっと面白いですね。
辻邦生に『銀杏散りやまず』(新潮社、1989年)という作品があって、辻家のルーツ探しの経緯がいろいろ書かれています。
同書p73の説明によると、『甲斐国志』に「世ニ称スル所ノ三枝ノ七名トハ三枝・能呂・林戸・於曾・石原・立河・辻、是レナリ」とあり、三枝の分流は「三枝ノ七名」と総称され、春日部町で代々医家を営んでいた辻家も三枝一族だそうです。

辻邦生
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E9%82%A6%E7%94%9F
『銀杏散りやまず』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%9D%8F%E6%95%A3%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%9A

福島泰樹氏って短歌界の内田裕也みたいな感じですかね。
日蓮宗だと聞くと、少しだけ納得します。

岡井隆氏の歌会始での作品、「やうやくに行方見え来てためらひの泥よりわれは立ち上がりたり」は平明な歌で、前衛歌人の面影は全くないですね。
晩年になっての心境の変化なのでしょうか。
まあ、これだと、まるで津波被災者の歌のようで、仲間内での評判は期待できなさそうですが。

岡井隆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E4%BA%95%E9%9A%86

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【歌会始】赤軍歌人

2013-01-24 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月24日(木)23時35分9秒

>筆綾丸さん
「短歌ポータル tankaful」サイトの「歌中の歌人」、全部眺めてみました。
今年の歌会始選者の四人を年長順に並べると、岡井隆氏(1928年生まれ)、篠弘氏(1933年)、三枝昂之氏(1944年)、永田和宏氏(1947年)という具合に結構な年齢差があるんですね。
人名をそのまま詠み込むことに私は抵抗を覚えますが、そんなことは気にしないのが現代歌人の特徴のひとつのようです。
三枝昂之氏の「まみなみの岡井隆へ 赤軍の九人へ 地中海のカミュへ」という歌(?)は、背景が分かりませんが、選者の方々は狭い世界の中で、みんな仲が良いみたいですね。

http://www.tankaful.net/capping/capping_okaitakashi.html

三枝氏は1969年、25歳のときに<福島泰樹、伊藤一彦、三枝浩樹らと共に伝説の同人誌「反措定」を創刊。創刊号の時評「内なる"王国"に向けて」では「短歌をボソボソとつくり続けている唯一の理由は、自己の暗い衝動を自己から発して、自己に帰るという孤立的な円環の中で表現し、対象化し続けることがある全体への融合、自己の根や王国に限りなく自己を近づける行為であると確信するからに他ならない」と論じている>そうで、まあ、かなり陰気な人ですね。
三枝氏が44年経った今でもこうした「確信」を維持しているのかは分かりませんが、これほど歌会始にふさわしくない信念・信条もないように思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9D%E6%98%82%E4%B9%8B

全共闘世代の三枝昂之氏の歌に刺激されて、筆綾丸さんが紹介された永田和宏・河野裕子夫妻の歌への感想を詠むと、

殺すだの 殺されるだのと 騒々しい 赤軍派の如き 相聞歌かな

てな感じですかね。
私は歌会始自体は非常に良い行事で、今後も長く続けてほしいと思っているのですが、選者はもっと穏当な思想の人に入れ替えてほしいですね。
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「天川弁財天曼荼羅スカーフ」、研究者への無償進呈について

2013-01-23 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月23日(水)10時10分52秒

(2)を追加しましたので、お知らせします。

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【研究者への無償進呈のお知らせ】

(1)天川弁財天曼荼羅・荼枳尼天曼荼羅・伏見稲荷曼荼羅等の中世宗教絵画に関して論文・資料紹介等を発表されている研究者の方に「弁財天曼荼羅スカーフ」を進呈します。
 長谷寺能満院の原画を厳密に復元したものではありませんが、書籍や展覧会目録の画像では分かりにくい部分を、六角堂能満院仏画工房の画僧・大願による近世の模写を参考に、より詳細に描いていますので、充分ご参考になると思います。

(2)中世史・中世文学の若手研究者で、天川弁財天曼荼羅に興味を持たれた方に「弁財天曼荼羅スカーフ」を進呈します。現時点で中世宗教絵画に関する論文等がなくても結構です。美術史からの天川弁財天曼荼羅へのアプローチは既に相当深化していると思いますので、より広い観点から研究の進展を期待しています。もちろん五年・十年単位の話です。

 上記(1)(2)とも、抜き刷りのお返しや感想の掲示板への投稿等、一切不要です。メールにてご連絡願います。

http://chingokokka.sblo.jp/article/53314160.html

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笹野観音堂の算額

2013-01-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月22日(火)08時59分36秒

筆綾丸さんの数学的な回答を見て、笹野観音堂にあった算額を思い出したので、写真を載せておきます。
内容は古そうですが、非常に綺麗な文字で書かれているので、個別に掲示されていた多数の算額を、ある時点で纏めたものなのかなと思います。
何かご存じの方がいらっしゃればご教示願います。

(23日、追記)
米沢市の公式サイトには、「近年、米沢商業高校の生徒が復元奉納した算額」とありました。
http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1116.htm

『和算の館』というサイトには、「吉川益助門人多田進之助 奉納」「昭和58年 勝見英一郎復元」とありますが、元々の年代は書いてないですね。
http://www.wasan.earth.linkclub.com/yamagata/sasano.html

『和算の館』には多数の算額の写真が掲載されていますが、山形県・岩手県・福島県などにもずいぶん沢山残っているんですね。
http://www.wasan.jp/


※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6691

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【歌会始】現代短歌の到達点

2013-01-22 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月22日(火)08時30分7秒

>筆綾丸さん
皇太子殿下の歌は学習院初等科の銀杏を詠んだものだそうですね。

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幾人の巣立てる子らを見守りし大公孫樹の木は学び舎に立つ

(説明)皇太子殿下には、昨年の秋、御自身が学ばれ、現在は愛子内親王殿下が通われている学習院初等科で「大いちょう」と呼ばれて親しまれている大きな銀杏(いちょう)の木が美しく黄葉し、その下で多くの児童が遊んでいる様子を御覧(ごらん)になりました。そして、昭和のはじめ頃から自生するこの銀杏の木に見守られながら、幾人のこどもたちが巣立っていったのだろうと感慨深く思われ、歌にお詠みになられたものです。
http://www.asahi.com/national/update/0116/TKY201301160101.html

私は鶴岡八幡宮の銀杏は思い出しませんでした。
ずいぶん前のことのような気がしたのですが、倒れたのは平成22年3月10日なんですね。

http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ooityo-hatiman.htm

現代では何を不吉な言葉と考えるかも流動的で、「先見えて」など別にいいのでは、と思う人が多いのかもしれないですね。
ただ、その点は百歩譲っても、篠弘氏の歌には歌会始にふさわしい要素が皆無です。

篠弘氏の名前で検索したら、「古書店の間に刃物屋ひそめるを高野公彦がこだはりて詠む」という、まあどうでもいいようなことを述べた歌が出て来て、ついでに同じく歌会始選者である岡井隆氏の「前登志夫が煙草をさぐる。篠弘が挟める煙草。言葉をそへて」というとても歌とは思えない駄文も出てきたのですが、こういうのを見ると、現代歌人って一人ひとりがそれぞれに変だし、グループ全体としても本当に奇妙な人々だと感じます。

http://www.tankaful.net/capping/capping_shinohiroshi.html

現代短歌の到達点って、古代・中世の天才歌人たちの出発点の手前に位置しているように感じます。
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【歌会始】子子子子子比呂子子子子子子比呂子

2013-01-21 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月21日(月)06時35分4秒

【設問】
「子」の字を12個連ね、更に「比」「呂」をそれぞれ2字追加した文字列の読み方を問う。
(嵯峨天皇御出題、鈴木小太郎改訂)

 子子子子子比呂子子子子子子比呂子

【回答例】
(1)猫の子の猫ひろし 獅子の子の篠弘
(2)猫の子の猫ひろし 獅子の子の篠ひろ子

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90%E5%AD%90

ちなみに猫ひろし氏はカンボジア国籍の著名なマラソンランナー、篠ひろ子氏は元女優で、夫は直木賞作家の伊集院静氏ですね。
篠弘氏はもちろん現代日本を代表する歌人で、日本文藝家協会理事長の要職にいる方です。
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