学問空間

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0139 ガーシーの亀田俊和氏批判は正当か。(その2)

2024-08-10 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第139回配信です。


一、前回配信の補足

(1)「逃げ場のないシステム」

「武家も公家も寺社も、荘園制を経済基盤とする相似の支配構造を持っており、どこを切っても基本的には同じ構造の、まさしく逃げ場のないシステムだ」(p46)

「どこを切っても基本的には同じ構造」なら、何故に「逃げ場のないシステム」なのか。
逃げ方をひとつ見つけたら、どこでも簡単に逃げられるのではないか。

ガーシーは鎌倉幕府が「悪党」の問題に苦しめられたことをどう考えるのか。
十三世紀末には「悪党」問題をめぐって、鎌倉幕府が朝廷の「違勅綸旨」を執行するシステム(悪党召し捕りの構造)が整備された。
しかし、実際には「悪党」は簡単に逃げていた。

東国:正統的暴力を幕府が独占→「悪党」はそもそも存在しない。
西国:正統的暴力を幕府が独占せず。→「本所一円地」には立ち入らず。→「違勅綸旨」(悪党召し捕りの構造)

(2)「二頭政治論と命名」

「亀田俊和は二〇一七年の著『観応の擾乱』の「初期室町幕府の体制」において、佐藤の議論を「二頭政治論」と命名」(p170)

https://x.com/uizhackiinmuufb/status/1822030996046512618


二、「モノサシ」「ゴミ袋」と「理念型」

p173以下
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  例外の指摘が可能だということ

 ところが、驚いたことに、亀田は二〇一八年の編著において批判を更にエスカレートさせ、佐藤説に対し、「率直に言って、破綻しているのではないだろうか」とまで述べるに至っている。だが亀田による破綻宣告の根拠は、次に引くとおり、はなはだ危ういものである。

(前略)判決の執行といった「統治権的支配」の根幹とも言える機能に主従制的な要素が見いだされ、逆に主従制の根幹であるはずの軍事編成にさえも統治権的な要素が存在する。恩賞充行・所領安堵に双方の要素が混在することも、筆者が指摘したとおりである。
 しかも所領安堵のような重要な権限が、時期に応じて支配原理を頻繁に変える。あまりにも例外や時期的変遷が多い。そもそも、この二つの支配権は同列に並べられない、別次元の支配原理である。

 以上の理由から、佐藤説は「破綻している」のだ、という。
 だが、そうだろうか。右に挙げられた混在や例外の指摘は、せっかく佐藤がいいモノサシを二本も用意してくれたにもかかわらず、それを亀田がゴミ袋として使おうとするからそうなるのであって、そもそもある権力分析に、「これはこっち」というようなゴミ袋を使おう、という発想自体が間違っているのである。そうした使い方では、どちらかに分別できない「例外」が発生することなど、事例を積み上げるまでもなく、論理上の問題として当たり前の話だ。それだけではない。そもそもモノサシとは、時期的変遷のように、差異、変化を抽出するための道具ではないのか。
 つまり、右の亀田の一文のように、「であるはずの」といった瞬間に、この人は複数のモノサシを組み合わせて使うという、道具の使い方を知らない人だと露呈してしまうのである。亀田はこうも言う。「鎌倉幕府において、統治権的支配者であるはずの執権が、『主従制的支配権』に当たる充行を行った事例がわずかながら認められることも、例外として看過できないと考える」。ここでまたしても「であるはず」だ。
 改めて言おう。そもそも亀田のいう例外や変遷の指摘が可能ということ自体、主従制的支配権や統治権的支配権が。<理念型>のセットとして成功していることの、何よりの証左ではないのか。なぜなら理念型とは、くどいようだが、差異を測定するためのモノサシなのだから。ちなみに私は、一方では、亀田が指摘してきた個々の事象には学ぶところ大である旨を認めている。だがそれらの事実は佐藤学説の破綻を示しているのではない。【本人の「つもり」とはうらはらに】、むしろ佐藤の提示した理念型が有効に活用された成果である、ということに気づくべきであろう。
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参考:亀田俊和氏「佐藤進一の将軍権力二元論再論─東島誠からの批判への応答を中心として─」(立教大学史学会『史苑』84巻1号、2024)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/2000372

p34
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第二章 足利直義の軍事指揮は、単なる「例外」にすぎないのか

 前述したように、東島は筆者の実証面の指摘を単なる「例外」の指摘に過ぎないと述べる。
 確かに筆者は、佐藤理論に反する実証的史実を「例外」と表現してきた。だが、この表現は不正確であった。筆者の指摘は佐藤理論の単なる 「例外」 ではなく、「重大な反証」と形容すべきだったと反省している。
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p175以下
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  <理念型>とはなにか─それは、歴史家村の隠語としての「理論」ではない

 本書の読者のために、ここでヴェーバーの<理念型>について、説明を補足しておこう。
 まず大前提として、『日本の起源』でも明確に、それこそ誤読の余地なく述べたとおり、佐藤進一の提示した理念型はヴェーバーそのものではない。そして別段、そのこと自体は何ら問題ではない。理念型とはモノサシ、分析のためのツールに過ぎないのに、何やら高邁な理論のことと思い込んでいる人がいるらしく、こういう硬直した思考の人を相手にすると、本当にメンドクサイ。ヴェーバー自身が日本社会をどう分析しただとか、それが妥当なのか、だとか、そんなことはどうでもよい(そもそも私には関心がない)話である。
 理念型というのは、くどいようだが、モノサシに過ぎない。例えばAは三十五センチ、Bも三十五センチ、しかしCだけは三十六センチある、というように、理念型とは<差異>を計測するための道具であって、その一センチの<差分>が何なのかを解明することが、研究である。対象によっては複数のモノサシを組み合わせることも必要だ。そして佐藤進一は、主従制的支配と統治権的支配という、極めて有用な二つのモノサシを提供した。ただそれだけの話である。ところが、五十センチのモノサシを用意したのにこの物体は五十センチではない、みたいな、思いっきりズレたことを言いだす人たちがSNS上に次々と現れた。まさに累累たる屍だ。
 五十センチのモノサシを使って、Cという物体が三十六センチであるとわかった瞬間に、この物体は五十センチではなかったからこのモノサシは間違っている、そのように主張したのが、亀田俊和である。まずはモノサシという道具の使い方を理解してはいかがであろうか。植物の成長を例にとれば、一粒の種から芽が出て、茎が伸び、やがては花を咲かせる。一カ月前は十センチだった茎が、いまや三十センチに伸びた。モノサシとはまさにその<差分>を測る道具なのである。ある権力の成長もまた、これと同じである。しかもその成長の過程で、タテに伸びるだけでなく、ヨコにも伸びだしたのであれば、ここで二本のモノサシが必要となる。ある権力の場合は初期にはタテに伸びる傾向が見られたが次第にヨコに伸びる傾向が見られる。ところが別の権力では、初めからヨコに伸びる傾向が濃厚である。こうしたことが分析できるのも、極めて有用な二本のモノサシがあるからである。佐藤進一の提示した二つの理念型が、まさにそれだ。それは分析のための道具であって、分析結果を分別収集するためのゴミ袋ではないのである。それに何より、理念型分析の面白さは、例外、規格外のものを索出できることである。なぜほかの地域の花は赤いのに、この地域の花だけは白いのか。せっかく珍しい花を見つけたのに、破綻もへったくれもない。
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