ちょっと体調を崩してしまったため間が空いてしまいましたが、「三 lex posterior」の清宮説の検討をしておきます。
「違法の後法」については、樋口陽一氏が『ジュリスト』 964号(1990)の「国法秩序の論理構造の究明─清宮四郎先生の戦前の業績」において、また芦部信喜氏も同号の樋口陽一・高見勝利氏との鼎談「研究会 清宮憲法学の足跡」において若干の分析をされていますが、いずれも「事実の規範力」や「根本規範」に関心が集中していて、lex posterior derogat priori(後法優位の原理)に関する清宮説への言及はありません。
他の学者で、この部分を検討した人がいるのかも気になりますが、とりあえず「違法の後法」を最初に読んだ時の感想に若干の補足を加えたものを記しておきます。
まず、多くの学者がlex posterior derogat priori を<殆ど自明の「法的」原理として取り扱っている>(『国家作用の理論』、p81)そうですが、少なくとも日本の中世には「新儀非法」という全く別の法的原理、即ち新しいことは駄目、古くからの決まりに従え、という原理が生きていた社会があった訳ですし、日本以外でも、例えば絶対的な宗教的権威が過去に定めた法が全てで、時代の変化に適応した解釈の変更はあっても法自体の変更などとんでもない、といった社会はいくらでもありそうですから、まあ、「自明」ということはないんでしょうね。
次にlex posterior derogat prioriの「自明」性を疑い、むしろ不可変更性の原理が存在するのだというメルクル・ケルゼン説ですが、これも容易に納得し難い結論ですね。
純粋法学にはいろいろ強引な点がありますが、この時間の問題に関しては特に無理が多いように感じます
また、「総ての法段階における規範、例えば、憲法、法律、命令、行政行為、判決等の全部を包含させるか、或いは特種の段階の法規範、例えば法律、命令の如きについてのみ認められるか」(p83)という問題意識は、立法・行政・司法行為を一纏めにしている点で、それ自体が純粋法学的な発想に基づいていますが、司法行為(判決)の扱いはやはり強引な感じです。
このあたり、私も煮え切らない言い方になってしまうのですが、純粋法学には反常識的ではあってもそれなりに一貫した論理の世界があるので、常識に反する、みたいなことを言っても仕方ない、といえば仕方ないですね。
ま、純粋法学の迷宮に入り込むと2年くらいは戻って来れなくなりそうなので、これ以上触れるのはやめておきます。
さて、第三に清宮説ですが、「われわれ人類を始め、およそこの世に生あるものが可及的長生を求めつつも遂に流転必滅の運命を免れ得ぬように、永続性を要求しつつ生れた法もやがては改廃さるべき宿命をもつのである」(p84)云々の平家物語的な抒情詩の世界は、いくらなんでもひどいんじゃないですかね。
そこまで遡ってしまったら、世界に存在するあらゆる法的現象が流転必滅の運命から説明できそうです。
正直、こんなことを法律の論文に書くなんて、清宮は莫迦ではないかと思います。
この程度の人が「苦しまぎれ」に考え出した論理、というかポエムを追っても仕方ないので、清宮の結論、即ち、「われわれは一般には法規範の創設・変更、従ってその可変性、特別には後法による前法の改廃の問題は、結局は実定法の内容を離れて法の本質から導き出さねばならない」の是非だけを検討してみたいと思います。
清宮は「実定法の内容を離れて」しまいましたが、古代・中世はいざしらず、近代市民社会においては、lex posterior derogat priori は、ごく簡単に、実定法から合理的に説明できるんじゃないですかね。
即ち、民主主義原理です。
lex posterior derogat priori を認めなかったら、新しい立法を希望する現在の民意は、過去の立法に具体化された過去の民意に拘束されてしまうことになります。
時代の変動により民意が変化しても駄目、過去の定めに従え、というのは明らかに不合理ですね。
もちろん、現在の民意も万能ではなく、憲法に定められた特定の重要事項については厳格に拘束されるべきですが、それ以外の事項は過去の民意ではなく現在の民意が優先するのだ、時を超えて民意を拘束できるのは憲法だけ、というのは近代立憲主義の下での民主主義原理からごく自然に出てくる話であり、清宮のように「法の本質」まで遡る必要は全くないと思います。
ちなみに司法行為(判決)において過去の判決の既判力が優先するのは「一事不再理」という別の憲法原理から簡単に説明できて、民主主義原理に基づくlex posterior derogat priori とは別問題とすることができますね。
さて、以上のようにlex posterior derogat priori を民主主義原理に結び付けて理解しようとする場合、最後に問題になるのは、1934年に発表された「違法の後法」は帝国憲法の桎梏の下での議論だったことをどう評価すべきか、という点です。
国会を唯一の立法機関と定める日本国憲法と異なり、帝国憲法の下では立法権は天皇が掌握し、帝国議会は天皇の立法権に「協賛」する権限のみを有していた訳ですが、しかし、立憲君主制の限られた範囲であっても民主主義的要素があったことは間違いないのですから、清宮が「実定法の内容を離れて」独自の怪奇な「法の本質」論に逃避してしまったのは愚か、と評するのが言い過ぎなら、まあ、民主主義への理解が足りなかったことになりますね。
美濃部達吉や宮沢俊義は、おそらくlex posterior derogat prioriは「自明」と思っていたでしょうが、説明を求められたら帝国憲法の民主主義的要素を根拠にしたのではないかと思います。