学問空間

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lex posterior と民主主義原理─「窮極の旅」を読む(その42)

2015-09-28 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月28日(月)13時46分48秒

ちょっと体調を崩してしまったため間が空いてしまいましたが、「三 lex posterior」の清宮説の検討をしておきます。
「違法の後法」については、樋口陽一氏が『ジュリスト』 964号(1990)の「国法秩序の論理構造の究明─清宮四郎先生の戦前の業績」において、また芦部信喜氏も同号の樋口陽一・高見勝利氏との鼎談「研究会 清宮憲法学の足跡」において若干の分析をされていますが、いずれも「事実の規範力」や「根本規範」に関心が集中していて、lex posterior derogat priori(後法優位の原理)に関する清宮説への言及はありません。
他の学者で、この部分を検討した人がいるのかも気になりますが、とりあえず「違法の後法」を最初に読んだ時の感想に若干の補足を加えたものを記しておきます。
まず、多くの学者がlex posterior derogat priori を<殆ど自明の「法的」原理として取り扱っている>(『国家作用の理論』、p81)そうですが、少なくとも日本の中世には「新儀非法」という全く別の法的原理、即ち新しいことは駄目、古くからの決まりに従え、という原理が生きていた社会があった訳ですし、日本以外でも、例えば絶対的な宗教的権威が過去に定めた法が全てで、時代の変化に適応した解釈の変更はあっても法自体の変更などとんでもない、といった社会はいくらでもありそうですから、まあ、「自明」ということはないんでしょうね。
次にlex posterior derogat prioriの「自明」性を疑い、むしろ不可変更性の原理が存在するのだというメルクル・ケルゼン説ですが、これも容易に納得し難い結論ですね。
純粋法学にはいろいろ強引な点がありますが、この時間の問題に関しては特に無理が多いように感じます
また、「総ての法段階における規範、例えば、憲法、法律、命令、行政行為、判決等の全部を包含させるか、或いは特種の段階の法規範、例えば法律、命令の如きについてのみ認められるか」(p83)という問題意識は、立法・行政・司法行為を一纏めにしている点で、それ自体が純粋法学的な発想に基づいていますが、司法行為(判決)の扱いはやはり強引な感じです。
このあたり、私も煮え切らない言い方になってしまうのですが、純粋法学には反常識的ではあってもそれなりに一貫した論理の世界があるので、常識に反する、みたいなことを言っても仕方ない、といえば仕方ないですね。
ま、純粋法学の迷宮に入り込むと2年くらいは戻って来れなくなりそうなので、これ以上触れるのはやめておきます。
さて、第三に清宮説ですが、「われわれ人類を始め、およそこの世に生あるものが可及的長生を求めつつも遂に流転必滅の運命を免れ得ぬように、永続性を要求しつつ生れた法もやがては改廃さるべき宿命をもつのである」(p84)云々の平家物語的な抒情詩の世界は、いくらなんでもひどいんじゃないですかね。
そこまで遡ってしまったら、世界に存在するあらゆる法的現象が流転必滅の運命から説明できそうです。
正直、こんなことを法律の論文に書くなんて、清宮は莫迦ではないかと思います。
この程度の人が「苦しまぎれ」に考え出した論理、というかポエムを追っても仕方ないので、清宮の結論、即ち、「われわれは一般には法規範の創設・変更、従ってその可変性、特別には後法による前法の改廃の問題は、結局は実定法の内容を離れて法の本質から導き出さねばならない」の是非だけを検討してみたいと思います。
清宮は「実定法の内容を離れて」しまいましたが、古代・中世はいざしらず、近代市民社会においては、lex posterior derogat priori は、ごく簡単に、実定法から合理的に説明できるんじゃないですかね。
即ち、民主主義原理です。
lex posterior derogat priori を認めなかったら、新しい立法を希望する現在の民意は、過去の立法に具体化された過去の民意に拘束されてしまうことになります。
時代の変動により民意が変化しても駄目、過去の定めに従え、というのは明らかに不合理ですね。
もちろん、現在の民意も万能ではなく、憲法に定められた特定の重要事項については厳格に拘束されるべきですが、それ以外の事項は過去の民意ではなく現在の民意が優先するのだ、時を超えて民意を拘束できるのは憲法だけ、というのは近代立憲主義の下での民主主義原理からごく自然に出てくる話であり、清宮のように「法の本質」まで遡る必要は全くないと思います。
ちなみに司法行為(判決)において過去の判決の既判力が優先するのは「一事不再理」という別の憲法原理から簡単に説明できて、民主主義原理に基づくlex posterior derogat priori とは別問題とすることができますね。
さて、以上のようにlex posterior derogat priori を民主主義原理に結び付けて理解しようとする場合、最後に問題になるのは、1934年に発表された「違法の後法」は帝国憲法の桎梏の下での議論だったことをどう評価すべきか、という点です。
国会を唯一の立法機関と定める日本国憲法と異なり、帝国憲法の下では立法権は天皇が掌握し、帝国議会は天皇の立法権に「協賛」する権限のみを有していた訳ですが、しかし、立憲君主制の限られた範囲であっても民主主義的要素があったことは間違いないのですから、清宮が「実定法の内容を離れて」独自の怪奇な「法の本質」論に逃避してしまったのは愚か、と評するのが言い過ぎなら、まあ、民主主義への理解が足りなかったことになりますね。
美濃部達吉や宮沢俊義は、おそらくlex posterior derogat prioriは「自明」と思っていたでしょうが、説明を求められたら帝国憲法の民主主義的要素を根拠にしたのではないかと思います。

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2015-09-25 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月25日(金)12時14分40秒

>筆綾丸さん
茂吉の留学時代の短歌には前衛的、というか珍しい素材を扱ったものが多いですね。
少し風邪気味のため、次の投稿が遅れます。
あしからず。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

或る日の維納大学 2015/09/25(金) 11:40:58
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6
日本語版ウィキのウィーン大学の項にハンス・ケルゼンの名はありませんが、ドイツ語版にはありますね。アドルフ・メルケルはドイツ語版にもないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E8%8C%82%E5%90%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E7%B2%8B%E6%B3%95%E5%AD%A6
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%96%8E%E8%97%A4%E8%8C%82%E5%90%89_%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E6%AD%8C
留学中の茂吉は大学構内でハンス・ケルゼンを見かけているかもしれないですね。
純粋法学は歌には向かないでしょうが、

  みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
  あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
  最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

などは、ある種の「無限後退」を思わせるものがありますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3
ハンス・ケルゼンはフルトヴェングラー指揮でどんな曲を聴いたろう、などと想像すると、純粋法学にも興味が湧いてきますね。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883283
近藤正高氏の『タモリと戦後ニッポン』は面白い本です。タモリと満州について論じた序章をはじめ、興味深い指摘が色々あります。
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「長い道中の末」─「窮極の旅」を読む(その41)

2015-09-23 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月23日(水)06時59分5秒

清宮説の検討は後で行うことにして、「違法の後法」の「三 lex posterior」で残った部分を紹介しておきます。(『国家作用の理論』、p85以下)

--------
 もちろん、法秩序がその改廃についての規定を有し得ることは疑ないが、右に一言した如く、かかる規定をもたないこともあり得る。かかる場合、一度発布された法律・命令は特別の改正規定がない限りは改廃できないであろうか。法内容的問題としても、メルクルは否定するが少なくともこれらの法を創設する権限ある機関は後法の創設によって前法を改廃し得ると見るべく、或る機関に対する法創設の授権は、決して該機関に一度定立した法をもはや絶対に変更してはならない義務を負わせるものではなく、単にそれに法の創設に当って右の授権の限界を越えてはならぬという拘束を加えるに過ぎないもので、法律定立の授権は原則としては従来の法律の改廃のそれをも含み、これがために特別な改廃規定は不要のものと解すべきである。一般に改正規定なくとも、特別の制限規定がない限りは法は原則として変更可能であり、後法は前法を廃止するものと見るべきである。しかして実定法による右の制限規定には限度があって、可変性という法本質的属性と窮極において矛盾衝突し得ぬもので、立法機関の議決によって lex posterior の命題を廃止しようとする如きは、モーアのいう如く「全く無謀の企図」である。
-------

ここでメルクル、ピタミック(Leonidas Pitamic)、ケルゼン、モーア(Julius Moór)の引用の原典を示す注が七つ記されますが、省略します。
本来であれば清宮が各説を正確に引用しているかを検討しなければならないのですが、それは原典入手の手間と時間、そして何より私のドイツ語能力(ドイツの小学校低学年ないし幼稚園児レベル)の問題があるので、立ち入りません。
特に確認したいのはメルクル説と「法段階説」の関係ですが、「メルクルは否定するが」の後、「少なくともこれらの法を創設する権限ある機関は後法の創設によって前法を改廃し得ると見るべく」以下の内容は一応妥当だと思うので、やはりメルクル説には問題がありそうな感じはします。

さて、注を七つ記した後、更に若干の説明が続きます。
この部分は(その16)で既に紹介しているのですが、参照の便宜のため、再掲します。

--------
 かくして、一般には後法による前法の廃止が認められるとして、しからば、前法において自ら後法による廃止変更を禁ずる旨を明定する場合は如何。ここでわれわれは長い道中の末、わが選挙法の規定に帰って来た。廃止変更禁止の宣言にも永久不変更を宣言するものと、選挙法の例の如く一定の期間を限るものとがあり得る。前者は「永久法」、殊に「永久憲法」の問題であるが、紛糾を避けるため別の機会に譲る。選挙法の例において十年不更正を宣明する条項についていえば、憲法との問題は別として、十年くらいの不更正は法の可変性とも矛盾せず、立法政策の問題はとに角、法の内容としては可能である。さて、かかる条項あるに拘わらず、十年以内に内容の異なる別表をもつ法律を制定する時は、同一立法機関によって成規の手続を経て行われるにしても、後に制定された法律は前の法律に違反する法律、違法の後法になりはしないか。この場合、直ちに lex posterior の原理で説明しようとするのは早計である。
--------

これで「三 lex posterior」は終わって、「四 違法の法」に移ります。
ま、個人の趣味の問題ではありますが、「長い道中の末」云々は、先の『平家物語』的な「遂に流転必滅の運命を免れ得ぬように」と同様、妙に叙情的というか講談的というか漫談的というか、ちょっと不真面目な印象を与えますね。
これは、あるいは「苦しまぎれ」の叙述を続けていることの照れ隠しなのかもしれません。

「十年くらいの不更正は・・・」─「窮極の旅」を読む(その16)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/42800beaaa96ec8c253d631ee97c5717

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「遂に流転必滅の運命を免れ得ぬように」─「窮極の旅」を読む(その40)

2015-09-23 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月22日(火)21時15分12秒

さて、「違法の後法」の「三 lex posterior」を紹介し始めて4回目ですが、ここで初めて清宮説が展開されることになります。
そして、清宮に帰依する石川健治氏が情熱的に唱える謎の呪文、「法の本質」、「純粋法学の一つの限界点」、「ケルゼンでさえここでは怪奇な根本規範に逃避」、「純粋法学における動学以上の動学」が全て登場して来ます。(『国家作用の理論』、p84以下)

-------
 法規範が実定法としては、時間的に通用し、一つの社会的事実として発生、消滅、変更するものと見る以上、不変性・永久性ではなく、可変性・偶然性が法規範に内在する性質、実定法規範の本質と看做されなければならない。不変性・永久性は実は実定法の本質と相容れぬものである。法規範が人間の社会生活における行態についての規範であり、人間の意識的又は無意識的行為によって定立又は形成され、換言すれば創設され、更に変更され、廃止される以上、絶対的の硬定性(Starrheit)ではなく、柔軟性(Biegsamkeit)がその本質的属性でなければならない。単なる観念的形象として純粋に形式的意味における法ならば格別、実定法として時間的に通用する法は結局流動的のものである。朝令暮改の法も、政策的当否は別として法である。固より実定法が一面確実性の要請をもち、多面固定性の要請をもって、可及的に永続しようと求めて存立することは確かである。しかし、われわれ人類を始め、およそこの世に生あるものが可及的長生を求めつつも遂に流転必滅の運命を免れ得ぬように、永続性を要求しつつ生れた法もやがては改廃さるべき宿命をもつのである。近くは前掲選挙法の例の如く、或いはいわゆる硬性憲法における如く、実定法自らが向後の変動を抑制しようとするのも、右の先天的宿命との闘争の努力と見る外なく、否、実定法が、その制定・変更についての定めを有し、最上段階の憲法さえがその変更についての規定をその中にもつのは、総ての法規範に通ずる右の本質的属性を前提としてこそ始めて正当に理解出来るのである。なる程、実定法はその規範の可変性について何等の規定ももたないこともあり得るし、またかくなし得る。それにも拘わらずわれわれは法規範の可変性を容認せねばならないのである。われわれは一般には法規範の創設・変更、従ってその可変性、特別には後法による前法の改廃の問題は、結局は実定法の内容を離れて法の本質から導き出さねばならない。ここにおいてわれわれは純粋法学の一つの限界点に達した。ケルゼンでさえここでは怪奇な根本規範に逃避した。われわれは更に純粋法学における動学以上の動学を構成する必要に迫られる。
-------

理解が困難な点があるにしても、メルクル・ケルゼン説は極めて硬質な議論でしたが、「われわれ人類を始め、およそこの世に生あるものが可及的長生を求めつつも遂に流転必滅の運命を免れ得ぬように」云々となると、『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」も連想されて、ずいぶんと叙情的ですね。
清宮ポエム、とでも言うべきでしょうか。
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res judicata jus facit inter omnes ─「窮極の旅」を読む(その39)

2015-09-21 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月21日(月)11時34分29秒

メルクル説は、「法段階説」との関係ははっきりしませんが、「徹底的実定法説」である点は明確ですね。
これに対しケルゼンは、<「法の変更を可能ならしめる規範は、始源仮説そのものであるか、乃至はこの始源規範に基づいて始めて定立された(或いは習慣的に形成された)法規範であるか」については、曖昧にしてはいる>のだそうで、清宮の引用を見る限り、万事明晰なケルゼンにしては奇妙に煮え切らない印象を与えます。
ま、メルケルとケルゼンにはかなり考え方に差があることを確認した上で、清宮の案内に従って次に進みたいと思います。(『国家作用の理論』、p83以下)

---------
 一般に lex posterior derogat priori における lex とは、前後の両者が同位段階にある法規範なることを意味する。上位段階の法規範による下位段階の法規範の変更、下位段階の法規範による上位段階の法規範の変更─一般にかかることがあり得るか、もしあるとすれば、如何なる意味において、如何なる仕方、如何なる範囲においてあり得るかは暫くおくとして─は、たとえ時間的に前後の関係にある二つの法規範によって生ずるものでも、lex posterior の原理外のものとされるのが普通である。なお、同位段階における二つの法規範といっても総ての法段階における規範、例えば、憲法、法律、命令、行政行為、判決等の全部を包含させるか、或いは特種の段階の法規範、例えば法律、命令の如きについてのみ認められるかには議論がある。通説においては、法律、命令及び行政行為については原則として lex posterior の原理を認め、司法行為即ち判決については res judicata jus facit inter omnes を認めるに対して、メルクルは国家行為の総てについて lex posterior non derogat priori が内在的であるとなし、また或る者は総ての法的段階において原則として lex posterior derogat priori を認め、ピタミックの如きはあらゆる法的段階において judicium posterius derogat judicio priori が通用するとなす。第一の通説が主に法政策的見地から漠然と右のような異なる取扱いをなすのは、メルクル・ケルゼンの指摘する通り不当であるが、この両者、殊にメルクルが法の不可変性・永久性を前提とし、法規範の時間的通用期間、法規範の変更の問題を法内容的問題となし、法秩序には lex posterior non derogat priori が内在的で、lex posterior derogat priori の命題はただ実定法的条定によってのみ通用するとなす見解には俄かに賛同し難い。
----------

「通説においては、法律、命令及び行政行為については原則として lex posterior の原理を認め、司法行為即ち判決については res judicata jus facit inter omnes を認める」とありますが、res judicata はラテン語由来の英語の法律用語でもあって、「既判力」と訳すのが普通です。
文脈から言うと、過去の判決の既判力が優先する、ということなのでしょうが、こういう文章に出会うと、大学時代にローマ法をやっておけばよかったな、と反省したりもしますね。
ま、全然解説せず、注記もなしに<res judicata jus facit inter omnes>や<judicium posterius derogat judicio priori>などと書くのは、今でもかなり感じが悪いように思いますが、1934年当時だと相当にイヤミな人、という印象を与えたかもしれないですね。
語句だけではなく、清宮の文章は総じて読者に親切ではなくて、この人は一体どこを目指して進んでいるのだろう、と少し不安になりますが、この後にやっと清宮の主張が出てきます。

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「根本規範にたてこもる」─「窮極の旅」を読む(その38)

2015-09-21 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月21日(月)09時30分5秒


法秩序には断じて「後法は前法を廃止する」などという命題は内在せず、逆に「後法は前法を廃止しない」という命題が内在していて、実定法に定めがない限り、後の法規より前の法規が優越するのだ、というアドルフ・メルクルの「徹底的実定法説」を紹介した後、清宮はハンス・ケルゼン説の説明に移ります。(『国家作用の理論』、p82以下)

--------
 ケルゼンの見解もその大綱においてはメルクルのそれと軌を一にする。彼も法秩序は「永久に通用せんとの要求を以て現われる」といい、法の「通用期間はただ実定法内容的規定によってのみ限局され得る」となし、更に「およそ規範体系は諸規範の論理的に完足した一複合である……。かかる規範体系はいずれも、それ自体拡大も変更も出来ぬという意味においても『完足したもの』と看做すべきである。一つの最高秩序として前提される各秩序……の通用は、ただこの秩序自身からしてのみ把握され、殊に、個別的諸規範の通用範囲も通用期間も右の秩序自身の諸規定に従ってのみ評価され得るからして、規範の複合に対して一つの新規範が、該秩序によって定立された当為の綜体内容を変化させつつ、いわば外部から加わるということは、該秩序が、旧来の複合に新しい諸規範が加わり得ること及びその加わり方に対する条件を指定する規範を包有するのでもなければ不可能である。新たに加わる規範はいずれも……もとの秩序状態の変更を意味するからして、新しい諸規範がもとの規範複合に加わり得ること及びその加わり方に対する諸条件を定立する各規範体系は─かかる条件を条定せぬ不可変的な一規範体系に対比して─可変的なものと指称されねばならぬ」と。ケルゼンの説のメルケルのそれと異なるところは、後者があくまでも実定法の内容に基づいて問題を解決しようとするに反して前者は、「法の変更を可能ならしめる規範は、始源仮説そのものであるか、乃至はこの始源規範に基づいて始めて定立された(或いは習慣的に形成された)法規範であるか」については、曖昧にしてはいるが、「実証主義の要求のために……可変性の条定従って lex posterior の命題が既に始源規範中、但し当該法体系の論理的始源中に存在する可能性を看過するのは短見であろう」といい、右の命題は「実定法的命題・法律的規範ではなく、法認識の前提であり、但し根本規範の意味中に包含されている」という点にあって、この意味において、メルクルの徹底的実定法説から区別されると同時に、根本規範に立てこもるにしても、法規範変更の問題を一般に実定法の内容の問題とする彼の前提に対して内在的矛盾に陥っている。
--------

ここで注記が七つ記されますが、いずれもメルクル・ケルゼンの引用の原典を示すものであり、省略します。
ケルゼンの純粋法学の世界を垣間見て、耐え切れないと思った人も多いでしょうが、まだまだ続きます。

(追記)
ウィキペディアのハンス・ケルゼンの項目は34ヶ国語版もあるのに、アドルフ・メルクルはドイツ語とイタリア語の二つだけですね。
ちょっと気の毒。

Hans Kelsen(1881-1973)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3
Adolf Julius Merkl(1890-1970)
https://de.wikipedia.org/wiki/Adolf_Julius_Merkl
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「やりたい放題の勉強をした」(by 石川健治)

2015-09-21 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月21日(月)08時58分32秒

>筆綾丸さん
>論理が欠落
私がリアルタイムで憲法学、といっても「お受験」憲法学の世界に触れていたのは芦部信喜の時代までですが、当時の論文のスタイルは実に堅実でしたね。
これを崩したのがおそらく長谷部恭男氏で、夥しい哲学用語が流入するとともに論文のスタイルが多様化し、本文の内容を予想できないタイトルの論文が増えて行きます。
ただ、シニカルでユーモラスな文体を特徴とする長谷部氏の論文には絶妙のバランス感覚があり、内容的には斬新で刺激的なものであっても、全体の印象は意外に穏やかで、静謐と言っても良いくらいですね。
長谷部氏が適度にバランス良く崩した論文のスタイルを更に崩したのが石川健治氏で、「ドイツ語でいうgeistlos(才気のない、退屈な)な学問を好ま」ず、「弟子たちが師匠の学問を乗り越えるべく師匠の不案内なことを勉強しようとするのを、健全なインセンティヴであるとして、むしろ奨励された」樋口陽一氏の下で、「誰に気兼ねすることもなく、やりたい放題の勉強をした」弟子の一人である石川氏は、論文のスタイルの面でも果敢な挑戦者だったようです。
そして、「窮極の旅」は、スタイルの点でも「やりたい放題」の最終段階に到達した窮極の論文ですね。
長谷部氏の論文の静謐さと比べると、実に騒々しい論文です。
まあ、とても斬新で結構ではありますが、ここまで崩してしまうとエッセイとの区別も困難で、膨大な情報量でいくら誤魔化しても、論理的な詰めは甘くなりますね。

ケルゼン/清宮/樋口―連環と緊張
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4ad219ac548a15d94fab5cd82e1d401

>清宮のくどい話
前回引用した部分はハンス・ケルゼン(1881-1973)の高弟であるアドルフ・メルクル(1980-1970)の主張なんですね。
この後、ケルゼン説を紹介した上で清宮自身の主張の表明となります。
メルクルは「法の変更はただ法自身がその法規の規定内容において、法創設者に法上創設せられたもの(Rechtserzeugnisse)の変更についての授権をなす場合にのみ可能」と述べますが、このあたり、メルクル自身の「法段階説」との関係がよく分かりません。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

善悪の彼岸としての法論理的公理? 2015/09/20(日) 14:39:06
小太郎さん
石川氏はその学歴からすれば国内では最も優秀な法学者の一人と云えるのでしょうが、その人にして、最も重要な論理が欠落しているとすれば、それはそれで甚だ由々しき問題になりますね。

清宮のくどい話を要約すれば、この法は変更しうる、と法自身が言明しないかぎり、法は永遠に不変である、まるで神のように、ということになりますか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%90%86
「法論理的公理」という奇怪な用語ですが、清宮という人は基本的に「公理」の意味がわかっていない、としか思えないですね。lex posterior derogat priori は公理系(Axiomatic system)の一部だ、というだけのことじゃないか。旧制高校時代にユークリッド幾何で「公理」の意味くらい習ったはずなんですがね。なぜ、こんな寝言のような馬鹿話ができるのか、わかりません。
lex posterior derogat priori から出発しても法的な議論は展開できるだろうし、lex posterior non derogat priori から出発しても法的な議論はできるだろう、というだけのことで、どちらかの優越性を「証明」しようとしても、そもそも出発点が違うのだから、それは無意味だよ、と普通は考えますがね。

https://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
清宮の議論には目も眩むばかりの深遠な法理がある、と石川氏が思っているとすれば、それはまあ、宗教的信仰のようなものだから、とやかく言うべきではないのかもしれません。
 ・・・Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.
 (おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ)-『善悪の彼岸』
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lex posterior derogat priori─「窮極の旅」を読む(その37)

2015-09-20 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月20日(日)10時59分28秒

石川氏の論文を読んだだけでは、「純粋法学の一つの限界点」とか「怪奇な根本規範に逃避」とか、何のことやらさっぱり分かりませんが、これは「違法の後法」の「三 lex posterior」に登場する表現です。
ここで清宮は、ごく僅かの例外を除き、大半の学者が自明と思っている「後法は前法を廃止する」原理を執拗に究明しようとするんですね。
冒頭から丁寧に紹介してみます。(『国家作用の理論』p80以下)

---------
三 lex posterior

 仮りに今、右の十年不更正を宣明する法律が有効に成立するとして、かかる規定があるにも拘らず、わが国における実例の如く、十年以内に新たな法律を設けて別表を改正した場合、前の法律と後の法律との関係はどう考えたらよいか。ここで多くの学者はいわゆる後法は前法を廃止する(lex posterior derogat priori)の原理を持ち出して解決を求める。佐々木博士は「立法作用は此の規定自身を改廃することを得るが故に結局任意に該表を改正することを得べし」(一)と述べられ、恐らくこの原理によられるものと推測されるし、美濃部博士は前述の如く十年不更正を宣言する条項の法的効力を否認する一方、「この制限は絶対の制限ではない。法律は法律を以て変更し得ることはもちろんであるから、この制限自身も法律で変更し得るのであって、もし比例代表法を採用するとか又はその他の理由で別表を改正する必要が起こったならば、十年以内であってもこれを改正することは敢て妨げない」(二)といわれ、やはり後法前法の原理を論拠として後の法律の有効の成立を主張される。

(一)佐々木惣一・日本憲法要論初版四四八頁。
(二)美濃部達吉・概説一〇三頁。博士の所説において、もし前法の法的効力否認論が成り立つとすれば、この点は宮沢教授の説と同説となって、もはや後法前法の問題を生ずる余地は無くなる訳であるから、前法の法的効力否認論と同時に後法前法の理を説かれるのは当たらぬように考えられる。
--------

この注(二)を読んで、清宮は面倒くさい人間だな、と思った人は、この先を読まない方が賢明です。
まだ、清宮の面倒くささの序の口にも入っていません。
続けます。

--------
 一体、後法は前法を廃止するとの原理は古来かなり多くの学者によって取扱われ、実際にも屡々引用されたものであるが、これについてはなお学者間に異論が存し、いまだその真相が究明されたとはいい難く、われわれは今まずこの問題を全般として一応研究しなければならない。
 法は、実定法としては、時間的に通用し、歴史的生命を有し、種々に変更され得るしまた変化するものであることは、ひとまず異論のない事実として前提し、そこで、法の時間的通用の変更の一問題として後法による前法の廃止の原理が、論議されるのである。多くの学者はこれを殆ど自明の「法的」原理として取り扱っているが、異色あるのはメルクルの説である。彼は既にその一九一七年の論文=Merkl, Adolf, Die Rechtseinheit des österreichischen Staates. Eine staatsrechtliche Untersuchung auf Grund der Lehre von der lex posterior.(Archiv des öffentlichen Rechts, Bd.37,S.56 ff.) において、法はその総ての発現形態において不可変性(Unabänderlichkeit)、永久性(Ewigkeit)という固有性を持つといい(a.a.O.,S.120)、従って法の変更はただ法自身がその法規の規定内容において、法創設者に法上創設せられたもの(Rechtserzeugnisse)の変更についての授権をなす場合にのみ可能であり(a.a.O.,S.121)、lex posterior derogat priori という命題は実定─法的規定であって、法の可変性は一般に法内容の問題であるとなす。曰く、「lex posterior の原理はこれを正当に解すれば、法の変更、殊に憲法の変更を規定する法規の表現に過ぎず、その法論理的通用においてかかる法規によって制約される。或る法律が他の法律、殊に後の法律が前の法律を変更したという判断に対する認識の基礎は、法秩序の法規に適合した変更可能性ということである。lex posterior derogat priori という命題が法律の変更を可能ならしめるというのは正当ではなく、むしろ逆に(法秩序中に設定された)変更可能性が始めて lex posterior の命題を宣言せしめるのである」(a.a.O.,S.33)と。その後の著作においても同一の理論を展開し、「法は─自ら定立したその変更の諸条件による外─不変的である」という認識が確保され得るとなし、「法秩序には断じて lex posterior derogat priori の命題は内在せずして、却ってその反対たる lex posterior non derogat priori がそれに内在する。換言すれば=疑ある時は前の法規は後の法規に優越し、法は総ての段階において柔軟的ではなくて硬定的である。前の法規に対する後の法規の優越、法の柔軟性、その程度並びに事実は実定法上基礎づけられねばならぬ。lex posterior derogat priori の命題はただ実定法的条定に基づいてのみ通用するもので、通例解されるように法論理的公理としては、通用せぬ」と。
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やっとここで改行となりましたが、まだまだ続きます。
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怪奇な丸投げ男─「窮極の旅」を読む(その36)

2015-09-20 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月20日(日)10時11分3秒

石川氏に対する批判といっても、要は石川氏が怪奇な丸投げ男である点に尽きますね。
「7月クーデター説」みたいな奇矯な言説をあちこちの新聞・雑誌で喧伝しているので、どれほど深い論理に基づいているのだろうかと調べてみたら、結局のところ肝心な部分は全て、ショムローを読んでください、清宮四郎を読んでくださいと、今はもう死んでしまっている学者に丸投げです。
ショムローの「約束法」については、石川氏のように集団的自衛権の問題に結びつけるのは無理としても、一般論としてはそんなに変なことを言っている訳でもないと思います。
しかし、石川氏が帰依している清宮の「違法の後法」は、帝国憲法の桎梏の下での議論という制約を割り引いたとしても、いろいろ問題がありますね。
そこで、石川氏への批判を兼ねて、清宮が本当に<「実定法の内容を離れて法の本質」に肉薄し、「純粋法学の一つの限界点」に到達した>のか、<「ケルゼンでさえ」これより先に分け入ることなく>、「怪奇な根本規範」に「避難した」にもかかわらず、<しかし清宮は、たじろぐことなく、「更に純粋法学における動学以上の動学」をめざして突き進んで>行ったと言えるのかを検討したいと思います。
その出発点として、数回にわたって、普通の人にとっては耐え切れないほど煩瑣な議論を紹介することになりますので、あまり真剣に読むと熱が出そうになるでしょうから、まあ、適当に読み流してください。

違法の後法─「窮極の旅」を読む(その11)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/166a3d2d745e0d4b969ab3cac22c04f4

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「苦しまぎれにやった」(by清宮四郎)─「窮極の旅」を読む(その35)

2015-09-19 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月19日(土)08時07分2秒

>筆綾丸さん
>石川氏のロジック
石川氏の「論文」には膨大な薀蓄と華麗なレトリックはあっても、一番重要な論理がないですね。
「7月クーデター説」の肝心な部分は、全てショムローや清宮に丸投げです。
石川氏はまるで1920年に自殺したショムローや1989年に亡くなった清宮四郎が自らに憑依したかのように、<ショムローの場合は、当該政府答弁には、約束の名宛人─まずは国民、つぎにアジア諸国、最後にアメリカというところであろうか─に対する義務が生じている、ということを指摘するだろう>とか、<清宮によれば、この説明は「大体正しい」>などと言われますが、これもどこまで正しいのか。
トランシルヴァニアから1926年(ショムローの遺作『第一哲学・考』が発行された年)に発射された大陸間弾道ミサイル「森の彼方」や、京城から1934年に発射された中距離弾道ミサイル「玄界灘の向こう」が、時空を超えて2014年7月1日、東京に飛来し、永田町の首相官邸に正確に着弾して安倍内閣の「クーデター」を「破砕」するストーリーは、SF作家の作品ならともかく、法律の論文とは思えません。

石川氏の見解を批判する前に清宮の「違法の後法」に関する自己評価を見ておくと、石川氏の絶賛や「清宮の弟子のなかでも末っ子にあたる樋口陽一」氏の「恩師の最高傑作」という評価(p24)にも拘らず、意外なことにそれほど高くもないんですね。
まず、「違法の後法」の最終部分を見ると、

--------
八 結語
 かくしてわが選挙法の問題から図らずも国家作用論に関する諸種の難問に逢着し、一面ウイン学派の純粋法学における法の動学・法創設理論と、他面、主としてゲ・イェリネックの事実の規範力とを省みつつ、問題の解決に曙光を得ようと努力したが、残された謎は多い。一般の示教を仰いで更に想を練り、一段の高処に至る一階梯にというのが筆者のせめてもの念願である。
                ─昭和九年三月十六日稿─
(美濃部教授還暦記念 公法学の諸問題第二巻所収)(昭和九年一二月)
--------

という具合です。
「一段の高処に至る一階梯に」はメルクルとケルゼンの法段階説を踏まえたユーモラスな表現ですが、「問題の解決に曙光を得ようと努力したが、残された謎は多い」のですから、多少の謙遜はあるにしても、とても清宮自身が八十年を越える「射程距離の長さ」や「目先の実益を追う解釈法学では及びもつかない問題解決力」を持つと自負していたようには思えません。
次に『法学セミナー』に連載された座談会記録「憲法学周辺50年」の第四回(1979年8月号)を見ると(p125)、

--------
 「違法の後法」は昭和九年の論文ですけれども、【中略】一〇年間更正せずという規定は立法の方針を示したにすぎないもので、法的効力を持つものではないと見るのが、美濃部、宮沢、二人の学者の説でしたが、私は、その右の規定はやはり違法の後法だというふうに考えました。ただ、それを基礎づけるのに困ったのです。そして、苦しまぎれにやったのが、事実の規範力を認めるべしというような原理があるのだと。これは非常に苦しまぎれなことですけれども。もちろん、いろいろ問題があるでしょうけれども、一応そういうふうな形で結論みたいなことを、私は書いたんです。
--------

という具合で、「苦しまぎれ」を二度繰り返していますから、謙遜を割り引いても、あまり高い自己評価とは言い難いですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

野暮台詩 2015/09/17(木) 13:54:44
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E8%A9%A9
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/
足利義満を眩惑させたという『野馬台詩』の伝でゆけば、百王ならぬ百代目の総理が誰になるのか、興味が尽きませんね。(小泉進次郎、かもしれない)
prophecy のことを、中国では、讖と言いますね。

「今後とも集団的自衛権の行使を禁ずる、という類の約束法」がなぜ「普通の政府見解よりも上位規範」になるのか、よくわからないのみならず、さらに、そういう類の「約束法」は、「法規範は自己授権できない、すなわち、selbstherrlich(独断的)ではありえない」という論理と矛盾するはずで、私には石川氏のロジックをフォローすることはできません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A
自己言及は忌々しくも難しい問題です。

追記
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-34275105
お笑い番組としては大成功ですが、おバカな論点には驚きます。レベルの低さはひとえに億万長者の賜ですね。
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考えぬかれた「机上の空論」─「窮極の旅」を読む(その34)

2015-09-17 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月17日(木)09時03分46秒

石川氏の見解の検討は後にして、第七章の残りの部分の紹介をしておきます。(p33)

-------
 通常であれば、「後法は前法を改廃する(lex posterior derogat priori)」という原理(後法優位の原理)が働くので、新しい閣議決定が直ちに約束法になりそうである。しかし、「今後とも集団的自衛権の行使を禁ず」という類の約束法は、普通の政府見解よりも上位規範であるため、そこには、同位の法規範を対象とする後法優位の原理は働かない。閣議決定で当然に約束─法規範を変更できる、ということにはならないのである。それにもかかわらず改正を強行すれば、上位規範を下位規範によって倒したわけであり、それは法の破砕におかならない。
 このように、集団的自衛権の行使容認に踏み切った二〇一四年七月一日の閣議決定で、安倍内閣が何を行おうとしたのかを、清宮の「違法の後法」論文は明らかにしているのである。この観点を、「普通の憲法規範」と「憲法改正規範」の関係に置き換えれば、二〇一三年五月をピークとする憲法九六条改正論議にそのままあてはまることを、慧眼の読者は見逃さないであろう。この点についても、基本的なことは、すでに「違法の後法」のなかに書かれている。いまからちょうど八〇年前の論文ではあるが、その射程距離の長さには恐れ入るほかない。考えぬかれた「机上の空論」こそが、目先の実益を追う解釈法学では及びもつかない問題解明力をもっていることを、それは教えてくれる。
--------

第七章はこのように清宮の「違法の後法」への熱烈なる賛美で終わってしまいます。
石川氏によれば、「違法の後法」はまるで聖徳太子の「未来記」のような、あるいは「ノストラダムスの大予言」のような「射程距離の長さ」を持ち、「目先の実益を追う解釈法学では及びもつかない問題解明力」を発揮する偉大な論文のようですね。
ま、「7月クーデター説」の緻密な論証を期待した者にとっては、ちょっとあっけない感じのする終わり方です。

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「日本の防衛法制にとって最も枢要なピース」─「窮極の旅」を読む(その32)

2015-09-16 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月16日(水)10時45分46秒

さて、8月18日に始めた「窮極の旅」を読むシリーズは、前回までが前置きで、いよいよ「7月クーデター説」の論理が展開される第七章に入ります。
全体の構成は(その1)にて確認願います。

石川健治「窮極の旅」を読む(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caca5613175b8a22bbaae950977105c4

第七章は今まで部分的には引用しているのですが、参照の便宜上、改めて冒頭から丁寧に紹介してみます。(p31以下)

-------
七 「日本選挙法附表」と約束法論の含意

 「違法の後法」論文の今日的意義の一つに、ショムローに倣って、約束─法規範(Versprechungs-Rechtsnorm)を主題化したことがあげられる。有力な見解は、一般人民を拘束する命令を含む規範のみを法規範として捉えるが(いわゆる下命─法規範 Befehls-Rechtsnorm)、これに対して清宮は、「国家機関が国家機関自身の行態について定めをなすこと」、「広くいえば国家が国家自らの行為につき規定する」「自己制限」についても、法規範性を認めて「約束─法規範」と呼ぶべきだ、と説いた。清宮に対する「匈牙利」法学派の影響は明瞭である。
 二〇一四年夏の時点でわかりやすい例としては、安倍晋三内閣が独断的に(selbstherrlich)変更する以前の、「集団的自衛権そのものは国際法上日本にも認められているが、それを行使することは許されないと考える」、という一連の政府答弁を挙げることができる。典型的な自己制限・自己拘束であって、この約束─法規範(約束法)に分類されよう。たとえば、そうした例を念頭に考えると、ショムローや清宮の主張はわかりやすい。
 ショムローの場合は、当該政府答弁には、約束の名宛人─まずは国民、つぎにアジア諸国、最後にアメリカというところであろうか─に対する義務が生じている、ということを指摘するだろう。だから、内閣自らがつくった政府見解なのだから、内閣限りで自由に変更できるはずだろう、と安倍内閣が主張しても、そういう理屈は成り立たないという話になる。政府解釈の変更は、違法であり、「法の破砕(Rechtsbruch)」である。二〇一四年七月一日、日本の防衛法制にとって最も枢要なピースが破壊され、ひとつのクーデターが起こったのである。
-------

いったん、ここで切ります。
「約束─法規範(Versprechungs-Rechtsnorm)」とか「約束法(Versprechungsrecht)」については、(その7)などを参照してください。

「約束法(Versprechungsrecht)」─「窮極の旅」を読む(その7)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8db8bdd7b07373807e94dbf9c6c8ec92

「約束の名宛人」については(その8)で少し書きましたが、また後で議論するつもりです。

「まずは国民、つぎにアジア諸国、最後にアメリカ」─「窮極の旅」を読む(その8)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b6e15476be81d81bbd33699d4ec13496

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「失職した植民地大学教員の受け皿」(by 酒井哲哉氏)

2015-09-16 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月16日(水)09時41分59秒

鵜飼信成が石川健治氏らに宮沢俊義は狡猾だと言った理由について、「ボケたから」で済ませるのはあまりに乱暴かもしれないので、少し想像を膨らませてみます。
1906年生まれの鵜飼は敗戦で京城から引き揚げてきた後、1946年8月、南原繁の主導で東大に設立された社会科学研究所の創設メンバーとなりますが、南原の理想はともかく、実態として社会科学研究所は「大日本帝国の解体により失職した外地組と、戦中期にマルクス主義者であったために大学の外に身を置いていたマルクス主義在野組」で編成され、「失職した植民地大学教員の受け皿という側面を濃厚にもっていた」機関です。(引用は酒井哲哉「研究所という装置─学知における戦争と脱植民地化」<『帝国日本と植民地大学』ゆまに書房、2014>p486から)
ま、口の悪い人は、社研は東大における筋金入りの左翼学者の牙城、ないしは吹き溜まり、などと言ったりもしていますね。
さて、鵜飼は社研で15年を過ごした後、1961年に国際基督教大学の第二代学長となりますが、これは鵜飼の父、猛(1866-1948)がプロテスタントの世界での有力者であったことなど、鵜飼のキリスト教人脈によるものと思います。
そして還暦後の1967年に成蹊大学教授、1975年に専修大学教授となり、1980年に日本学士院会員となって、鵜飼は表面的には学者として功なり名を遂げたことになりますね。
ただ、不思議なのは、普通は学士院会員クラスの学者だと『○○教授還暦記念論文集』とか『○○先生古稀記念論文集』みたいなものが編まれるはずなのに、鵜飼にはその種の著作が見当たりません。
これは敗戦により鵜飼が40歳まで過ごした京城帝国大学が解体されてしまったこと、日本に戻ってから15年勤めた社研は人材の寄せ集め的組織であって、落ち着いて弟子を育てるような教育的環境になかったこと、6年間学長を務めた国際基督教大学は、キリスト教の世界では有名ではあっても法学教育の面では全く評価されない大学だったこと、晩年に勤めた成蹊大学・専修大学も新たに弟子を育てるような環境ではなかったであろうことなどを考えると、おそらく記念論文集の編集・出版を担ってくれる有力な弟子がいなかったからではないかと思います。
ま、晩年の鵜飼信成は学士院会員となって社会的名声は得たとしても、ちょっと寂しかったんじゃないですかね。
また、年のせいで多少ひがみっぽくもなり、宮沢は狡猾だ、みたいな妄想が生まれるとそれが頭から離れなくなり、そこに若い学生諸君が大勢訪問してくれたので、ついつい誰にも語っていない秘密の認識を若い諸君に披露してしまった、てなことじゃないですかね。
ま、以上も妄想かもしれませんが、もともとの出発点が変な話なのでご容赦を。

安良城盛昭氏と「関東史観」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/56ef1bba76a4094a7786b5c2ef1afc82

>筆綾丸さん
>中田薫
1877年生まれですから、筧克彦より5歳、美濃部達吉より4歳下ですね。
『筧教授還暦祝賀論文集』の執筆者16人のうち、増田福太郎の名前は聞いたことがありませんでしたが、台北帝大教授だったようです。
この人の出身大学は分かりませんが、残り15人の内、京大卒は佐々木惣一だけで、大半が東大卒、そして現役または将来の東大法学部教授ですね。
この点、美濃部の『公法学の諸問題』執筆者には京大卒も多く、林田和博のように新設の九州帝大卒の人もいて、林田の参加は美濃部が九州帝大の初代法学部長(兼任)だったことと関連していそうです。
執筆者の出身だけでなく、勤務先大学も多様で、これは美濃部が公法学界全体の指導者的存在であったことの反映なんでしょうね。

>村井良介氏
昔、知人の中世史研究者に、「村井章介氏の息子?」と聞いて、「えー、違うんじゃないの。知らんけど」との返答を得たことがあります。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

戦国暴力団論ー法と権力 2015/09/15(火) 17:48:37
小太郎さん
『筧教授還暦祝賀論文集』の中で、「唐代法に於ける外国人の地位(中田薫)」は読んでみたいですね。碩学の守備範囲の広さは凄いものだ、とあらためて感じます。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586108&_ga=1.175743586.1161516704.1442302329
村井良介氏の『戦国大名論 暴力と法と権力』を読み始めたのですが、水林彪氏の論文の引用などもあり、ずいぶん意欲的な人だな、と思いました。(最初、村井章介氏の新著かと錯覚しました)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%B3
アガンベンの名を「ジョルジュ」としていますが、この哲学者はイタリア人だから、「ジョルジョ」としないといけませんね。Agamben という変な姓は生粋のイタリア人とは思えないのですが。

http://www.sankei.com/west/news/150915/wst1509150040-n1.html
以下の文を読みながら、山口組の分裂を連想しました。
------------------
近世には在地領主が消滅し、一元的な大名家臣団が成立する。従来の多くの研究では、そうした統合は、より広域的な利害調整をおこなう必要から進行するとされ、こうして近世大名は絶対的、公的な権力へと転換するとされてきた。この転換を必然のものとしてとらえ、戦国期をその過渡期と位置づけるならば、戦国領主は消えゆく運命にあることになる。しかし果たして戦国領主は、全領主層統合への一階梯、すなわち、より広域的な利害調整のために成立し、そしてさらにより広域的な利害調整のために消滅していく宿命にある存在なのだろうか。(61頁、但し、二ヶ所、傍点省略)
------------------
・・・こうも問うことができる。「日本最大の広域暴力団山口組」は広域的な利害調整のために成立し、そしてさらにより広域的な利害調整のために消滅していく宿命にある存在なのだろうか、と。なお、サンケイ新聞(電子版)によれば、「歴史学会では、戦国大名(山口組)と戦国領主(神戸山口組)が、東京を拠点とする警察庁を巻き込みながら抗争に発展する可能性もあるとして、洞ヶ峠を決め込んでいる」とのこと。

追記1
毛利元就が長男隆元に宛てた自筆書状の紹介があり(4頁~)、末尾は「なお、この書状は読み終えたら返却するように」とあるそうですが、現代人には不思議な尚書きですね。あの時代、こういうことはよくあったのか。
追記2
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20150915-japon-yamaguchi-gumi-criminalite-yakuza-mafia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%A4%A7%E5%88%86%E8%A3%82
フランスのメディアでは un profond schisme と報じていますが、この schisme は「教会大分裂(Grand Schisme)」というときに使われる語ですね。また、標題「La plus grande famille de yakuzas du Japon」の famille は、戦国期における「家中」に近い概念ですね。
なお、文中の「petit doigt coupé」は小指を詰めることを指しますが、この表現では、小指を根元から丸ごと一本切り落とすような意味になってしまいます。実際は最初に第一関節から落とし、二度目に第二関節から落とし、最後に根元から落とすわけで(途中、薬指や中指にどう移行するのか、詳しいルールは知りませんが)、裏社会の微妙なニュアンスが正しく伝わっていないですね。
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「京城」の憲法学者・清宮─「窮極の旅」を読む(その31)

2015-09-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月15日(火)10時21分57秒

前回投稿で触れた鳩山一郎文部大臣の「具体的には何をいっているのかわからない答弁」、けっこう面白いので引用しておきます。(宮沢俊義『天皇機関説事件(上)』P73)

--------
国務大臣(鳩山一郎君)
 菊池男爵にお答え致します。日本精神、国体観念の宣揚に付きましては、有ゆる機会に於て出来るだけの事を致して居る積りであります。先刻の御質問の中に高等文官試験委員の、国体観念に関して十分に確信を有って居ない人があるような御話がございました。御承知の通りに、高等文官試験委員は、内閣に於て任命するものでありますが、任命せらるる方々は大抵大学の諸先生方であります。大学は御承知の通りに、大学令の第一条に書いてあります通りに、国家の須要なる学術の研究或は其の蘊奥を究むるを以て目的とし、兼て人格の陶冶竝国体観念の涵養に留意するものと書いてあるのであります。此大学令の第一条が各大学に於て徹底するように、只今出来るだけ努力中であります。左様に御承知を願いたい。
--------

宮沢の言うように、全くもって「具体的には何をいっているのかわからない答弁」ですが、1934年2月の時点では、これで済んでしまった訳ですね。

さて、「生前の鵜飼信成は、美濃部還暦論集の公刊と天皇機関説事件の進行を、同時並行的な現象として本稿筆者に説明した」云々の後、石川氏は「京城には京城の、植民地統治に特有の困難な事情」(p28)があることを、「人気教授で同僚の三宅鹿之助(財政学)が、脱走した朝鮮人運動家を自らの大学官舎に匿い、治安維持法違反と犯人蔵匿の容疑で逮捕・起訴されるという事件」(p29)などを紹介しつつ述べます。
そして、

---------
 こうしたなか、「京城」の憲法学者・清宮は、何をなすべきだと考えたのか。彼は、自分のなすべきことについて、天皇機関説事件に先立つ「違法の後法」論文段階で、すでに肚を括っていた形跡がある。それは、植民地朝鮮における法的安定性(Rechtssicherheit)への奉仕である。実際、植民政策学者・矢内原忠雄が戦前から指摘していたように、満洲事変こそが不可逆的な歴史の分岐点であったのだとすれば、すでに清宮のなし得ることは限られていた。
----------

ということで、清宮がラートブルフの『法哲学』を熱心に読んでいたことなどが紹介されています。
ま、「すでに肚を括っていた」かどうかは分かりませんが、少なくとも対外的には清宮には特に目立った活動はなく、1941年に京城を去って東北大学に赴任することになります。
なお、「満洲事変こそが不可逆的な歴史の分岐点であったのだとすれば」には(83)と付されており、注83を見ると、

--------
(83) 矢内原は、満洲事変に一貫して批判的な論陣を張って当局に睨まれ、一九三七年の夏、盧溝橋事件をうけて中央公論誌上に発表した論文(「国家と理想」)が学内外で問題視され、最終的には同年秋の講演会における、「どうぞ皆さん」「日本の理想を活かすためにひとまず」ファッショ的な「この国を葬って下さい」と述べた信仰上の発言を咎められて、同年一二月の「自発的な辞職」に至った。参照、将基面貴巳『言論抑圧─矢内原事件の構図』(中公新書、二〇一四)。戦後も矢内原は、機会あるごとに、そうした歴史認識を披瀝している。たとえば参照、矢内原忠雄「『現代日本小史』はしがきと総説」同『矢内原忠雄全集 第一八巻』(岩波書店、一九六四)三九一頁以下。
--------

とあります。
将基面貴巳氏の『言論抑圧─矢内原事件の構図』については、去年、かなり細かく検討しましたが、私はあまり評価できませんでした。

『言論抑圧-矢内原事件の構図』への疑問(その1) ~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea5b2f468d424f577a3b571c9007a17d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f845d4872f82d1feb488e49909cd7502
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/04fc98e86340bf2030df8d6300a98afb

また、この本をきっかけに、蓑田胸喜と原理日本社について少し調べてみて、思想的には全然たいしたものではなかったことを確認し、ちょっと時間を無駄にしてしまったかな、とも思ったのですが、今になってみると、天皇機関説問題をしっかり考える上で多少の役には立ったようです。
その時の一連の投稿は「学問空間」の方にカテゴリー「将基面貴巳『言論抑圧-矢内原事件の構図』」としてまとめてあります。

「学問空間」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin

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「ある学者」(by 民主党・枝野幹事長)

2015-09-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月15日(火)09時13分8秒

9月9日付産経新聞記事によれば、

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 民主党の枝野幸男幹事長は9日の記者会見で、政府・与党が安全保障関連法案を16日に採決する方針を示したことについて、戦前ドイツのナチス政権の例を持ち出して厳しく批判した。
 枝野氏は「ナチスの場合は民主的な手法で権力を掌握した後、立憲主義を破壊する全権委任法を成立させて暴走、独裁を始めた」とした上で、「この法案を成立させようというプロセスを考えると、まさに立憲主義の破壊だ。ある学者が言っていたが、憲法秩序を破壊する一種のクーデターだ。これと断固戦うことは、国会の議席を得ている者として歴史への責任だ」と強調した。


とのことですが、何故、枝野氏は「ある学者」の名前を出さないんですかね。
東大法学部教授の肩書きを付けて石川健治氏の名前を出せば、よりインパクトがあって政治的宣伝には都合がよさそうですが。
なお、私が見た限り、石川氏はナチスとの組み合わせで「クーデター」とは言っていないようで、この点は枝野氏独自の工夫なのでしょうが、「クーデター」はこの種の組み合わせを容易に誘発する表現ではありますね。

>筆綾丸さん
>三代目市川猿之助のスーパー歌舞伎
これ、脚本は梅原猛ですよね。
石川氏が膠着語がどーたらこーたらと書いているのを見て、梅原猛も膠着語について何か言っていたなと思いましたが、両氏は発想がユニークかつ壮大ですから、学者としてのタイプがちょっと似ている感じもします。
まあ、別にこの種の気宇壮大な発想自体が悪い訳ではなく、個人の研究の活力にはなるでしょうし、芸術活動の源泉にもなるでしょうが、きちんとした論文にするのは無理でしょうね。

>ただのトートロジーなのか、もっと深い意味があるのか
深い意味はないと思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

スーパー歌舞伎 2015/09/14(月) 22:52:54
小太郎さん
『自由と特権の距離』を読んだかぎりでは、石川氏には三代目市川猿之助のスーパー歌舞伎のような外連味がふんだんにあり、眉唾とは言わぬまでも、話半分に聞いておくくらいでいいのではないか、という気がします。
「大正期民本主義革命」という造語ですが、大正ではなく大正期とあるほどだから、明治天皇の崩御・嘉仁親王の践祚の日(1912年7月30日)を以て「革命」勃発の日とするのでしょうか。とすれば、「大正期民本主義革命」はもう一つの「7月革命」ということになりますね。あるいは、この「革命」は何時起きたのか年月日を特定できないが、大正時代の任意の或る日に勃発したのだ(終期も無論あるが、何時なのか、不明)、というような意味なのか。
また、「「大正期民本主義革命」としての大正デモクラシーの成果」という表現も曖昧で、ただのトートロジーなのか、もっと深い意味があるのか、よくわかりません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F
大正デモクラシーのウィキの説明には、欧米ではドイツ語とイタリア語しかなく、不思議な感じがしますが、これは日独伊三国同盟の歴史的な残滓なのかもしれないですね。
この同盟のイタリア語 Patto tripartito は直訳すれば「三者間条約」で、拍子抜けするほど淡白ですが、ドイツ語 Dreimächtepakt の方は macht(権力)の複数形 mächte が使われていて、いかにも権力・権威主義的なドイツらしいですね。
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