学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

時国家住宅と平時忠墓

2010-01-31 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月31日(日)22時35分15秒

昨日は午前中少し仕事をしてから、能登に行ってきました。
北陸の高速道路には渋滞はないので、東京近辺の感覚と違って、距離は離れていても移動時間はあまりかからないですね。
遅く出発し、途中でかなり寄り道もしたのに、輪島から20kmほど離れた時国家には午後6時過ぎに着きました。
もっとも見学できる時間は過ぎていたので、輪島に一泊して今日の朝9時に再度訪問したのですが、受付のある部屋では中年女性3人がおしゃべりに夢中で、私が「あのー」と言ったら「うわっ」とびっくりされてしまいました。
受付にお客が普通に立ってるだけなのに化け物扱いするなんて、どんだけ暇なんじゃ、てな感じでした。
ま、実際、夏場なら観光客が押し寄せるような観光名所は、どこもガラガラでしたね。
海沿いは雪など全然なく、山間部に多少残っている程度なので、混雑するであろう夏より移動はずっと楽なのですが。

上時国家住宅

平時忠墓と称される五輪塔がある場所にも行ってみましたが、時代はかなり違うようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もしかしたら。

2010-01-29 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月29日(金)20時20分10秒

>筆綾丸さん
「世にはしたり顔でそう言う人々が多いが、この言葉はどこの誰が言い出したのか出所不明なのである。ヘロドトスもギボンもミシュレもそんなことを言っていない」とのことですが、E.H.カーは、読みようによってはイフ否定論と思われる表現を使っているようですね。

--------------
 次に、そうした一般化を考えるのではなく、過去に起きた一回限りの事象それ自体を対象とする場合について考えてみよう。これについても、「もしかしたら、それは防げたかもしれない」という風にみる見方と、「それは歴史の必然――あるいは高度の蓋然性――の産物であり、防ぐことはできなかった。もし防ごうとしても、別の形で起きたろう」という風に見る見方とがある。どちらも「歴史におけるもし(if)」を語っているのだが、その方向が異なっている。いうまでもなく、前者が「未練史観」であり、後者は「勝てば官軍史観」ということになる。カーの歴史観は、単純な「勝てば官軍史観」だというわけではもちろんないが、どちらかといえば後者の方に親近性をもつことは否定しがたい(この点は後で改めて取りあげる)。彼の批判の矛先が後者よりも前者に集中して向けられていることはそのことを物語っている。
 カーの挙げている具体例は次のようなものである。「ロシア革命は不可避だったか」というような議論が立てられるのは、その事件(ロシア革命)によって損害をこうむった人々がまだ生きており、それが起きなければよかったのにという感情が人々の心を捉えているからだ。これに対し、「バラ戦争は不可避だったか」というような議論はそもそも立てられることがない。これは遠い過去のこととなっており、今更それをひっくり返そうなどということを誰も考えないからだ。ノルマン人の征服にしろ、アメリカの独立にしろ、「もしそれがなかったなら」ということを誰も考えはしない。ロシア革命も、いまはまだ時間が十分隔たっていないから、「もしなかったなら」という感情論をもつ人がいるが、歴史家というものはそうした感情論を退け、それらを閉じた章(a closed chapter)、既成事実(fait accompli)として見るものだ、というのである(一四一‐一四四頁)。

塩川伸明氏、読書ノート(E・H・カー『歴史とは何か』)
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/carr.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瓢湖と五頭山

2010-01-28 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月28日(木)00時41分32秒

先日、華報寺へ行ったときは雪が降っていたので、私は五頭山の麓に行きながら五頭山そのものは見ていませんでした。
そこで今日、仕事が終わってから高速を使って瓢湖までささっと行ってみました。
リンク先の上から2枚目の写真の撮影場所と同じ位置に立ち、煌く星空の下、あちこちから聞こえてくる白鳥の鳴き声をBGMにして鈍く光る峰々を眺めたのですが、なかなか良い経験でしたね。
中野豈任氏は水原(すいばら)高校の教諭だったそうなので、これは中野氏が日常的に見ていた光景でもありますね。

http://www30.tok2.com/home/MASATOREKKINNG/gozu2004.html

白鳥の声
http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-oohaku.html

>筆綾丸さん
『のだめ』は公開直後に観ましたが、俳優は現地の言葉で話して字幕がつくのかと思ったら、最初から最後まで日本語で押し通していたので、ちょっと驚きました。
ま、『アマルフィ』だったら観客も怒るでしょうが、『のだめ』の場合はおっけーでしょうね。
ちなみに私は『Avatar』を二度も観て、James Cameron監督による興行収入世界記録の更新にちょこっと貢献してしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一青

2010-01-26 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月26日(火)01時27分55秒

>筆綾丸さん
北陸で青がつく地名というと、一青もそうですね。
一青窈の母親の出身地だそうですが、彼女が有名になる前は相当な難読地名でした。
↓のサイトでは解説が吉田東伍の『大日本地名辞書』から始まっていますね。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/5161/Hitoto.htm

>粟
ご紹介のブログを読みましたが、本当に粟が青の転訛と言ってよいのか、少し疑問を感じます。
ちなみに新潟県には粟ヶ岳という山もあって、諸橋轍次の故郷である旧・下田(しただ)村はこの山の麓です。

http://shitada.blog-niigata.net/shitada/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華報寺の墓地

2010-01-24 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月24日(日)09時06分47秒

出湯温泉の旅館の女将さんのブログ「出湯温泉物語」によると、

----------
なんと、お墓が山の中にあるんですよ。華報寺本堂の裏側一体の
山に、お寺檀家の皆様のお宅のお墓が点在します。
私の家のお墓は一番頂上のしかも一番奥にありまして、お墓参りへ行くときは、
軽い登山のような気合が必要です。毎年家族で、出かける前にはお参り用の
持ち物チェック。
「お水、お花、お線香、お灯明、お供え用のなすときゅうりの刻んだもの、
蚊取り線香(山だけに蚊やアブが多いんです)、みんな、持った?」
忘れ物なんてしたときは大変です。何せ取りに帰ってくるのがひと手間です。

http://deyuonsen.jugem.jp/?eid=74
http://deyuonsen.jugem.jp/

ということだそうです。
夏場でこれだったら冬はとても無理なので、墓参はまたの機会にするつもりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田東伍と諸橋轍次

2010-01-24 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月24日(日)01時22分25秒

今日はかなり雪が降ったのですが、かまわず華報寺まで行ってみました。
参道から華報寺を見ると、一番高いところに華報寺があって、左右に温泉旅館を陪臣の如く従えているといった風情ですね。
ここは境内に温泉があるだけでもかなり珍しい寺ですが、場所を貸しているのではなく、温泉の権利自体を古くからお寺が持っているのだそうです。
できれば中野豈任氏のお墓に詣でたいものだと思って、暫く境内をうろうろしていたのですが、墓地が見当たりません。
そこで雪掻きをしていた旅館の人に墓地はどこにあるのかを聞いたところ、裏山のかなり上の方との返事でした。
積雪の量から見て、普通の長靴程度の装備で行ったら遭難しそうだったので、さすがにあきらめました。
その後、近くの遺跡から発掘された石造物が保管されているという郷土博物館に向かったのですが、閉鎖されていて空しく引き返しました。

http://www.city.agano.niigata.jp/kankou/sasa-kyoudo.html

ついで白鳥が飛来するので有名な瓢湖の周囲を一周してから、越後有数の大地主の邸宅跡の北方文化博物館に行ってみました。

http://www.hoppou-bunka.com/

ま、お金持ちだったのだなあ、と感心はしましたが、建物も展示されている書画骨董もあまり私の趣味とは合わず、よせばよかったかな、というのが率直な感想です。
次に向かったのは吉田東伍記念博物館ですが、ここはかなり立派な施設で、郷里の人々の吉田東伍に対する深い敬意が伺われる展示内容でした。

http://www.city.agano.niigata.jp/togo_museum/index.html

最後の訪問先は三条市の山の中にある諸橋轍次記念館ですが、漢学のような地味な学問をやっていた人ですから、何となく質素な建物を想像していたら、意外にも非常に立派な施設で、ちょっと驚きました。

http://gaku2003.hp.infoseek.co.jp/CHIHEI/BUNGAKUKAN/MOROHASHI.html

吉田東伍と諸橋轍次は、その粘り強さと頑固さがいかにも新潟県民的だなあ、という感じがします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華報寺

2010-01-23 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月23日(土)07時56分16秒

>通りすがりさん
情報提供、ありがとうございます。
Caryl Churchill の Top Girls については、この掲示板でも何度か話題にしたことがあります。
実は私、ここ2ヶ月、テレビが存在しない家で暮らしていまして、ご紹介の番組を見ることができないのですが、衣装はたぶん、リンク先のような感じになるんでしょうね。

http://nymag.com/arts/theater/features/46619/

>筆綾丸さん
華報寺は前々から気になっていたので、これからちょっと行ってみようと思います。
温泉ファンには人気のあるお寺さんらしいですね。

べにこのおふろたび
http://veniko.no-blog.jp/tiikibetu/2008/09/post_f260.html

南禅寺開山の無関普門も華報寺に縁のある人なのですが、思文閣の「美術人名辞典」には、

------------
鎌倉後期の臨済宗の僧。南禅寺開祖。信濃生。初め法諱を玄悟・玄象と称した。顕密二教を学び、東福寺円爾の法を嗣ぐ。越後華報寺を開創。のち入宋し、浄慈寺断橋妙倫の印可を受けた。帰国後、各地を歴住し東福寺三世となる。亀山上皇の帰依を得て離宮禅林寺殿を太平興国南禅寺とし、その開山となった。正応4年(1291)寂、80才。諡号は大明国師。

http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=mu&s=0

と出ています。
しかし、「越後華報寺を開創」は変ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小泉荘粟島における霊地信仰」

2010-01-22 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月22日(金)00時05分27秒

>筆綾丸さん
岩船港の粟島汽船乗り場に行ってみましたが、真夏には一日5便出る連絡船が冬場は僅か1便で、待合室もうらびれた雰囲気が漂っていました。
『 忘れられた霊場』には「小泉荘粟島における霊地信仰-梵字石をめぐって」という章があり、粟島についての詳しい説明があります。
冒頭だけ紹介してみます。(p124)

------------
 中世の小泉荘のうち、新潟県岩船郡の粟島には、この小さな孤島にしては異常なほど、多量の中世石造物があることは、既に多くの人の知るところである。この石造遺物の大部分は、粟島浦村内浦の観音寺周辺に集中しており、時代はいずれも南北朝期を前後する時期に造立されたものであり、大部分が自然石に梵字を陰刻した供養塔婆である。この小論では、この供養塔婆を梵字石と呼ぶこととする。
------------

この石造物は「板碑」という言い方をされることも多いのですが、かなり厚みがあるため、「板」という言葉は若干不自然な感じがします。

「新潟県北部の史跡巡り」
http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/42449001.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加納

2010-01-21 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月21日(木)23時33分11秒 編集済

>筆綾丸さん
高橋氏は「十二世紀を通じて形成される王家領以下の中世荘園は、地域性や荘域の広狭を問わず、国衙領や他領を包摂した荘域構成を基本形態とする。そして、その立荘は王家から国衙や現地の百姓にいたる合意形成に裏打ちされており、その調整システムとして機能したのが『加納』である。これが中世荘園の内部構造とその立荘に関する私見の概略である」(p146)と要約されていますが、加納とは要するに利権調整区域なんでしょうね。
中世の勉強を始めた頃、私は藤原忠実が上野で五千町もの荘園の立荘を画策したなどという話が全く理解できなくて、国衙権力を割譲する、といった説明だと、それって国家の財産の横領ないし強奪、あるいはプチ革命じゃないの、みたいな感想を抱いていたのですが、高橋氏の見解に従えば素直に理解できますね。
国衙領といっても実際には地域の有力者の利権の固まりですが、加納という利権調整区域を設けることにより、名前が荘園に変わったところで、従来の利権はそれなりに確保され、あまり不満は生じないんでしょうね。
調整がうまく行かず、トラブルになったところは猛々しい訴訟関係文書が残りますが、実際には適切な調整が行われて安定した支配が継続した荘園も多かったはず、との説明も十分説得的だと思います。

今日は故・中野豈任(やすひで)氏の『 忘れられた霊場―中世心性史の試み』(平凡社選書、1988)を久しぶりに読み直してみたのですが、石井進氏が絶賛されただけあって、確かに名著ですね。
ただ、宗教と政治との関係について、中野氏の基本的なスタンスに疑問も感じますので、後で少し書いてみたいと思います。

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E2%80%95%E4%B8%AD%E4%B8%96%E5%BF%83%E6%80%A7%E5%8F%B2%E3%81%AE%E8%A9%A6%E3%81%BF-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E8%B1%88%E4%BB%BB/dp/4582841236
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い花

2010-01-19 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月19日(火)23時21分12秒

下の投稿でリンク先とした「埋もれた古城」は大変な力作サイトだと思いますが、荘園制についての説明はずいぶん古めかしく、かつ粗っぽいですね。
中世に興味がある人であっても、荘園制のような地味で複雑なテーマは近寄りがたいんでしょうね。
私も中世の勉強を始めた頃は、荘園制についての論文を読めば読むほど頭が混乱してしまうような感じを受けたのですが、近年はかなり状況が変わってきたのではないかと思います。
今、荘園制の勉強を始めるとしたら、高橋一樹氏の著書は高度な専門書でありながら入門書としてもベストかもしれないですね。
論旨はすっきりしており、荘園をめぐる学説史の整理も非常に分かりやすいと思います。
最近読んだ高橋氏の「中世荘園と墓地・葬送」(『国立歴史民俗博物館研究報告』112、2004年)には網野善彦氏や黒田日出男氏のロマンチックな中世墓地論をサバサバした権力論であっさりと切り捨てている部分があり、なるほどなと思いました。

>筆綾丸さん
なぜ、片栗が「赤」なのだろうと不思議に思いましたが、

-------------
「エリトロニウム」という属名は、リンネによって最初に命名されたヨーロッパ原産のErythronium dens-canisが赤色の花を咲かせるので、 ギリシャ語の「赤い」を意味する「erythros」から付けられたものです。この種は、日本のカタクリに非常に近縁な種です。 このような由来で命名されましたが、その後、北アメリカで黄色や白色の種が多く発見されています。

http://www.afftis.or.jp/hana/yuri/yuriindex.htm

という事情なんですね。

>胎内
何とも生々しい響きがありますが、2005年の北蒲原郡中条町・黒川村の合併に際し、市の名前にもなっていますね。
「母なる大地」というようなイメージでつけたのでしょうか。

http://www.nippon-foundation.or.jp/org/jidainofukei/10_100118kato.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Erythronium japonicum

2010-01-19 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月19日(火)00時36分14秒

ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ
    カタカゴ カルタゴ カタクリコ

新作早口言葉を作ってみました。
カタクリは日本・朝鮮・中国東北部のみに産するそうなので、カルタゴの名将ハンニバルが片栗の花をめでたことはなかったんでしょうね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Erythronium_japonicum

>職人太郎さん
丸谷才一氏らが問題視するまでは、大学側は全く無頓着だったそうですね。
大学入試問題に出してあげるのだから光栄に思え、てな感覚だったんでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたかごの花

2010-01-18 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月18日(月)01時23分14秒

高橋一樹氏の『中世荘園制と鎌倉幕府』をパラパラめくっていたら、何となく奥山荘あたりを訪問したくなり、幸いに天気も回復したので、正午過ぎに自宅を出発しました。
北陸自動車道と日本海東北自動車道を利用したら意外なほど早く胎内市に着いたのですが、その後、荘園現地調査の代わりに単なるドライブに方向転換してしまい、岩船港・村上市街を通って笹川流れを北上し、ほんの少し山形県に入った鼠ヶ関まで行ってみました。
春になったら行こう、などと思っていた地域なのですが、海岸沿いは雪もあまり降らないので、この時期でも簡単に行けますね。
出発時間が遅かったので、鼠ヶ関で遅い昼食をとって帰途に着くころには夕方になってしまいましたが、奇岩越しに神秘的な日没をみることができて、なかなか良かったですね。

奥山荘
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Okuyama/index.htm

笹川流れ
http://www.city.murakami.lg.jp/kanko/sanpoku/kankou-3_18.jsp

>筆綾丸さん
うっかり「御歌」と書いてしまいましたが、皇太子殿下は「お歌」でしたね。
修正しました。
文仁親王妃紀子殿下お歌、「早春の光さやけく木々の間に咲きそめにけるかたかごの花」の「かたかご」が直ぐには分からなかったのですが、これはカタクリなんですね。

http://manyo.web.infoseek.co.jp/katakago.htm

>職人太郎さん
清水義範の『国語入試問題必勝法』は読まれましたか。
職人太郎さんのお立場だったら、笑うに笑えない部分がありそうですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古本と蔵書印」

2010-01-14 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月14日(木)23時44分40秒

>職人太郎さん
ある歴史研究者のブログに、資料をどんどんデジタル化して紙はさっさと処分する、という解決策が出ていましたが、手間と時間を考えるとなかなか実行できないですね。
薄田泣菫も同じような悩みを抱えていたそうで、「古本と蔵書印」というエッセイに次のようにあります。(冨山房百科文庫、谷沢永一・山野博史編『泣菫随筆』、p140)

------------
 本屋の息子に生れただけあつて、文豪アナトオル・フランスは無類の愛書家だつた。巴里のセイヌ河のほとりに、古本屋が並んでゐて、皺くちやな婆さんたちが編物をしながら店番をしてゐるのは誰もが知つてゐることだが、アナトオル・フランスも少年の頃、この古本屋の店さきに立つて、手あたり次第にそこらの本をいぢくりまはして、いろんな知識を得たのみならず、老年になつても時々この店さきにその姿を見せることがあつた。(中略)
 一度こんなことがあつた。──あるときフランスは来客を書斎に案内して、自分の蔵書をいちいちその人に見せてゐた。愛書家として聞こえてゐる割合には、その蔵書がひどく貧しく、とりわけ新刊物がまるで見えないのに驚いた客は、すなほにその驚きを主人に打ちあけたものだ。すると、フランスは、
「私は新刊物は持つてゐません。はうばうから寄贈をうけたものも、今は一冊も手もとに残してゐません。みんな田舎にゐる友人に送つてやつたからです」
と、言ひわけがましく言つたさうだが、その田舎の友人といふのが、実はセイヌ河のほとりにある古本屋をさしていつたのだ。
 そのフランスを真似るといふわけではないが、私もよく読みふるしの本を古本屋に売る。家が狭いので、いくら好きだといつても、さうさう書物ばかりを棚に積み重ねておくわけにもゆかないからである。
------------

物理的に減らすためには売るのが一番でしょうが、いつかまた必要になるかも、などと思ってしまうので、これも実行が困難ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇太子殿下のお歌

2010-01-14 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月14日(木)23時06分57秒

雪国をナメたことを書いていたら、40センチの降雪がダブルで来て、かなり苦労しています。
朝はホワイトアウトの恐怖の中を運転し、夜は雪は止んだものの路面が凍り付いていて、アイスバーンの恐怖を心底味わって帰宅しました。

>筆綾丸さん
お昼にNHKで歌会始のニュースを見て、今年も筆綾丸さんの批評を聞けるだろうなと楽しみにしていました。
ご指摘のように、皇太子殿下・妃殿下の歌の英訳はひどいですね。

------------
His Imperial Highness the Crown Prince
The rays of the sun appear above the clouds. Fuji's surface glows in red.
(Background of the poem)
In the summer of 2008, the Crown Prince climbed Mt. Fuji.
This poem recalls how moved he was at that time by the sight of the sun's light coloring the slopes of Mt. Fuji red as the first beams of dawn rose from the sea of clouds at his feet.

Her Imperial Highness the Crown Princess
The wavelets rising on the pond catch the light of the winter sun and glitter brightly.
(Background of the poem)
The Crown Princess enjoys her daily walk around the gardens of the Akasaka Palace.
This poem calls to mind her delight when she went on her stroll one mild winter's morning at the surprisingly beautiful sparkling of the ripples on the Oike pond (“large pond”) in the quiet garden as they caught the sunlight.

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-h22.html

特に皇太子殿下の歌は、「太陽光線は雲の上に現れる。マウント富士の表面は赤く輝く。」ですか。
うーむ。
宮内庁の公式ホームページなんですから、さすがにもう少し工夫しないといかんですね。
ただまあ、率直に言うと、皇太子殿下の歌もかなり問題がありますね。

 雲の上(へ)に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり

何も書いていないので「たいようのひかりは」と読むのでしょうが、2字の字余りはひどく間延びした感じです。
そして「たり」と「せり」を並べるのは単調に過ぎ、かつ前半と後半の関係が不明確になってしまっています。
英訳者からすれば、真中でぶった切ったのは殿下であって、自分は殿下の歌の構造を忠実に再現しているのだ、との主張ができそうですね。
「いできたり」を、例えば「さしいでて」などとすれば、それなりに歌らしくなるんじゃないですかね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「歌会始」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5283
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本海夕日ライン

2010-01-12 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 1月12日(火)00時34分32秒

9日(土)は「新潟市歴史博物館みなとぴあ」に行ってきました。

http://www.nchm.jp/

設備は新しく、新潟市や新潟県の全体像を把握するには便利な博物館ですね。
新潟県の場合、博物館のメインテーマのひとつは必然的に「水」となります。
中世までの新潟は至るところ沼や湿地だらけだったのですが、近世以降、「悪水」を排除して米作地域を拡大する努力が延々続けられ、この新田開発史が新潟県の近世・近代史の相当部分を占めることになります。
新潟市歴史博物館の展示はそのあたりも非常に分かりやすく説明しているのですが、残念ながらウェブサイトはあまり充実していません。
リンク先は個人のウェブサイトですが、水との闘いの様子が丁寧に描かれていて役に立ちますね。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~ecoline/sekiyabunsui.htm

新潟市歴史博物館を見学した後は、「日本海夕日ライン」を南下して出雲崎まで行きました。

http://kanzaki.sub.jp/archives/000943.html

10日(日)は出雲崎から上越市の名立まで廻ったので、新潟県の日本海側の海岸線を3分の2ほどは眺めたことになります。

http://www.pref.niigata.lg.jp/jouetsu_kikaku/1211475656225.html

佐渡も年末に北部の外海府海岸・内海府海岸をぐるっと廻りましたので、新潟に来て1ヶ月ほどのペーパードライバーしては、それなりに頑張ったかなと思います。
ま、環境の変化を理由にいつまでも遊んでいる訳には行かないので、そろそろ落ち着いて勉強せねば、と思っています。

>如月さん
新潟大学なら9日に寄ったばかりです。
6月の18世紀学会の大会、楽しみにしています。

>皆様
レスを返さなくて申し訳ないですが、今日は駐車場の雪かき作業に熱中するあまり、ぎっくり腰気味になってしまったので、早めに寝ることにします。
あしからず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする