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日文研シンポジウム「投企する太平記―歴史・物語・思想」

2020-11-14 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年11月14日(土)11時25分21秒

荒木浩編『古典の未来学 Projecting Classicism』(文学通信)が11月6日に出ましたが、近くの図書館が発注済みであることを知って、わざわざ買うまでもないか、と未だに購入していないセコい私です。
まあ、税込み8,800円と結構高価な本ですし、私が読みたいのは「Ⅱ 特論―プロジェクティング・プロジェクト」「第1部 「投企する太平記―歴史・物語・思想」から」の和田琢磨・谷口雄太・亀田俊和氏の三論文だけですからね。

荒木浩編『古典の未来学 Projecting Classicism』(文学通信)
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-39-5.html

また、三氏の論文の概要は日文研の『大衆文化研究プロジェクトニューズレター』第3号(2019)の「古代・中世班 H30年度共同研究会 ④シンポジウム「投企する太平記―歴史・物語・思想」レポート」(呉座勇一氏)で知ることができます。
これによると、

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 初日1本目の報告、和田琢磨(早稲田大学)の「『太平記』と武家―南北朝・室町時代を中心に―」は、近年国文学で急速に進展している『太平記』諸本論の成果と課題を総括したものである。従来の研究では、『太平記』諸本における合戦場面の叙述の揺れ(本文異同)については、諸大名が自身・先祖の戦功を『太平記』に書き入れるよう個々に要求したため、と解釈されてきた。この考えは、『太平記』を「室町幕府監修あるいは公認の歴史書、いわば南北朝の動乱に関する正史」と捉える通説と密接に結びついていた。しかし上記の説の史料的根拠は、『太平記』に先祖の武功が記されていないので書き足して欲しいと嘆く今川了俊の『難太平記』(1402)しか存在しない、と和田は指摘する。和田は『太平記』諸本の中で最も特異な伝本である天正本や現存最古の伝本である永和本の再検討を通じて、功名書き入れ要求―『太平記』正史説に疑問を呈し、『太平記』の生成過程・異本派生の過程を再考すべきと主張した。質疑では、常に本文が流動する中世軍記と、出版によってテキストが固定される近世軍記との違いについての議論などが行われた。

https://taishu-bunka2.rspace.nichibun.ac.jp/wp-content/uploads/2019/07/NewsLetterVol.3.pdf

とのことですが、前回投稿で紹介した「今川了俊のいう『太平記』の「作者」」(『日本文学』57巻3号、2008)では、和田氏は「『太平記』を「室町幕府監修あるいは公認の歴史書、いわば南北朝の動乱に関する正史」と捉える通説」に賛成していたはずです。
現在の和田氏は、この通説を根本的に批判する立場に転じたのか、それとも「功名書き入れ要求」と「『太平記』正史説」を結び付けることに反対するだけで、「『太平記』正史説」自体は維持されているのか。
ま、これは『古典の未来学』を読んで確認したいと思います。
また、

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 2本目の報告、谷口雄太(立教大学兼任講師)の「「太平記史観」をとらえる」は、『太平記』が提供した歴史認識の枠組みが現代に至るまで南北朝史研究を規定してきたことを論じた。谷口がこれまで進めてきた足利氏研究を題材に、足利尊氏と新田義貞が武家の棟梁の座をめぐって争ったという『太平記』の構図が、新田氏を足利氏と並ぶ源氏嫡流と捉える歴史認識を生み出し、新田氏は足利一門であるという歴史的事実の発見を妨げてきたと説く。その上で、『太平記』の史料としての活用法を自覚的に追究せず、結果的に『太平記』の歴史観に絡め取られてきた中世史学界の問題を鋭く批判した。質疑では、仏教思想・無常観というひとつの思想・構想で貫かれた『平家物語』と異なり『太平記』には一貫した歴史観が見出せないにもかかわらず、「太平記史観」という概念を設定することは適切かとの意見が提出され、白熱した討論が行われた。
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とのことですが、これは『中世足利氏の血統と権威』(吉川弘文館、2019)に含まれていたか、その延長線上の議論ですね。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b475200.html

そして、亀田氏の発表については、

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 シンポジウム2日目には亀田俊和(台湾大学)が「『太平記』に見る中国故事の引用」という報告を行った。『太平記』の特色として、中国故事の大量の引用が挙げられる。国文学では古くから注目され、研究が積み重ねられてきた。しかし、出典はどの作品かという点に関心が集中し、引用の意図などの考察は少ないと亀田は批判する。亀田報告は『太平記』において本筋の話を遮ってまで延々と中国故事を紹介する長文記事を「大規模引用」と名付け、その分布傾向や引用方針の変化を分析した。そして大規模引用、特に政道批判型の大規模引用が巻を追うごとに増加する傾向があると指摘した。さらに大規模引用が観応の擾乱を叙述する巻でピークに達して、日本の南北朝史との対応関係も複雑でひねったものになることに着目し、一見無関係に見える故事を引用するという“道草”によって読者の興味関心を引くという逆説的な演出があったのではないかと論じた。質疑では、中世の日本人がどのようにして漢籍を学んだかという問題も視野に入れる必要があり、幼学書の研究も参照すべきではないかとの意見が提出された。他にも、混沌とした『太平記』の叙述に対して予定調和を排したものとして積極的・肯定的な評価を与えることはできないかなど、興味深い意見が寄せられた。
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とのことですが、「一見無関係に見える故事を引用するという“道草”によって読者の興味関心を引くという逆説的な演出」との指摘は興味深いですね。
ただ、「読者」はそれでよいとしても、『太平記』が語られるのを聞いた聴衆にとってはどうだったのか。
「大規模引用」を聞いて理解できる人は当時としてもごく少数だったはずで、『太平記』を語る場合、演者は「大規模引用」など殆ど省略してしまったのではないか、という感じもします。
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