第六天 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2007年 1月31日(水)20時09分22秒
皆様、ご無沙汰しております。
実朝話が満開の一方、kanjisinさんが書かれた第六天については誰もコメントされていませんが、私は実はちょっと興味を持っております。
きっかけは後深草院二条の伊勢参詣に関連するものとして調べていた「通海参詣記」でして、ここで第六天の魔王という変なものを知りました。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-hagiwara-tatuo-sankeiki.htm
その後、細川涼一氏の「第六天魔王と解脱房貞慶」(『逸脱の日本中世』)などを読みまして、中世の宗教は訳分からんというような感想を抱いておったのですが、その時点では第六天の魔王などというのは基本的に中世限定のお話だと思っておりました。
それがある日、狛犬のかわりにウサギがお出迎えするので有名な浦和の古社・調神社の周辺をブラブラしておりますと、「第六天社」という小さな社があり、ありゃ、と思いました。
おお、こんなところに中世が残っていると、自分では何だか大発見をしたような気分になったのですが、それは単なる誤解でして、その気になって調べると関東にはやたら第六天があるんですね。
小さめの社が殆どですが、元荒川沿いにある岩槻の第六天神社はかなりの規模だと聞き、ものは試しと行ってみました。
http://www5.ocn.ne.jp/~mikeppi/motoarakawa.html
また、鎌倉建長寺近くにも第六天がありますし、昨年11月の中前勉の遠足で行った小動神社にも摂社として第六天社がありました。
このときは工事中で境内に進入禁止に柵があったのですが、私と釈さんの不良中年二人組みだけが不法侵入しまして、第六天を拝んだのでした。
http://www.shonan-kanko.com/visit/koyurugi.html
また、先日、一人で浦賀に行きまして、さびれた街をぶらぶら歩いてみたのですが、今はボロい市営アパートが建っていて昔を偲ぶよすがもない浦賀奉行所跡に廻ったところ、裏山に「大六天榊神社」というのがありました。こちらは「第六」ではなく「大六」に変わっている訳でして、kanjisinさんご紹介の「大六天山」も同様ですね。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/uragaws/nisi11.html
江戸末期には武蔵を中心に300を越える第六天社があったそうで、廃仏棄釈の時期に相当減ってしまったようですが、今でもかなり残っています。文京区にはかつて「第六天町」という地名もあって、徳川慶喜が晩年を過ごした町だそうですね。
もちろん近世の第六天は中世の「魔王」とは様相が変わっていて、病気平癒等の効き目のある神社として信仰されていたようです。
以上、kanjisinさんのように深く調べたわけではありませんが、酒席で西国出身の人に話したところ、意外とウケたので、ちょっと書いてみました。
皆様、ご無沙汰しております。
実朝話が満開の一方、kanjisinさんが書かれた第六天については誰もコメントされていませんが、私は実はちょっと興味を持っております。
きっかけは後深草院二条の伊勢参詣に関連するものとして調べていた「通海参詣記」でして、ここで第六天の魔王という変なものを知りました。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-hagiwara-tatuo-sankeiki.htm
その後、細川涼一氏の「第六天魔王と解脱房貞慶」(『逸脱の日本中世』)などを読みまして、中世の宗教は訳分からんというような感想を抱いておったのですが、その時点では第六天の魔王などというのは基本的に中世限定のお話だと思っておりました。
それがある日、狛犬のかわりにウサギがお出迎えするので有名な浦和の古社・調神社の周辺をブラブラしておりますと、「第六天社」という小さな社があり、ありゃ、と思いました。
おお、こんなところに中世が残っていると、自分では何だか大発見をしたような気分になったのですが、それは単なる誤解でして、その気になって調べると関東にはやたら第六天があるんですね。
小さめの社が殆どですが、元荒川沿いにある岩槻の第六天神社はかなりの規模だと聞き、ものは試しと行ってみました。
http://www5.ocn.ne.jp/~mikeppi/motoarakawa.html
また、鎌倉建長寺近くにも第六天がありますし、昨年11月の中前勉の遠足で行った小動神社にも摂社として第六天社がありました。
このときは工事中で境内に進入禁止に柵があったのですが、私と釈さんの不良中年二人組みだけが不法侵入しまして、第六天を拝んだのでした。
http://www.shonan-kanko.com/visit/koyurugi.html
また、先日、一人で浦賀に行きまして、さびれた街をぶらぶら歩いてみたのですが、今はボロい市営アパートが建っていて昔を偲ぶよすがもない浦賀奉行所跡に廻ったところ、裏山に「大六天榊神社」というのがありました。こちらは「第六」ではなく「大六」に変わっている訳でして、kanjisinさんご紹介の「大六天山」も同様ですね。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/uragaws/nisi11.html
江戸末期には武蔵を中心に300を越える第六天社があったそうで、廃仏棄釈の時期に相当減ってしまったようですが、今でもかなり残っています。文京区にはかつて「第六天町」という地名もあって、徳川慶喜が晩年を過ごした町だそうですね。
もちろん近世の第六天は中世の「魔王」とは様相が変わっていて、病気平癒等の効き目のある神社として信仰されていたようです。
以上、kanjisinさんのように深く調べたわけではありませんが、酒席で西国出身の人に話したところ、意外とウケたので、ちょっと書いてみました。