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『古典の未来学』を読んでみた。(その6)

2020-12-20 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月20日(日)11時45分3秒

「六、おわりに」で、谷口氏は小秋元段氏の「『太平記』研究はこの二十年、何を明らかにしてきたか」(『日本文学研究ジャーナル』第11号、2019年9月)に触れていますが、私もこの論文について少し検討したことがあります。

「『太平記』研究はこの二十年、何を明らかにしたか」(by 小秋元段氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a681d594bf8c5e2e55f353fe5d8833d1

また、同じく谷口氏が言及されている『アナホリッシュ国文学』第8号での兵藤裕己・呉座勇一氏の対談については、合計十七回の投稿で検討しています。

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/db63ea4c3d8fad2ca351f503f523a7d5
兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その17)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0c6970ab230a337886d62cb29cb1729b

兵藤裕己氏は国文学者には珍しく左翼思想を含む政治的な方面の知識が豊富な人で、谷口氏を含め、多くの歴史学者が兵藤説にかなり信頼を置かれているようですが、私は極めて懐疑的です。

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/30c279b88bdfbaa1b77daf695e74ae07

ところで、前回投稿の最後の方で「思想史についてある程度専門的な研究をしている人でなければ無理じゃないですかね」などと書いてしまいましたが、思想史という表現はあまり適切でなかったですね。
抽象的な思想ではなく、あくまで具体的事実に即したモノの見方ということで、歴史観そのものです。
「太平記史観」の克服は歴史観の問題ですから、隣接学問である国文学の研究者の協力を得ることは重要ですが、結局は歴史学者が負うべき課題ですね。
そして、谷口氏は個人的経験などではなく、先行する歴史学者の「太平記史観」克服の試みを先ずは整理し、そこから「太平記史観」克服の方法を探るべきだったように感じます。
「太平記史観」という表現が広まったのはごく最近ですが、『太平記』の影響による歴史認識の歪みを正そうとした努力は従前から行われていて、亀田俊和氏が「「建武の新政」は、反動的なのか、進歩的なのか?」(『南朝研究の最前線』、洋泉社、2016)で明らかにされたように、意外にも平泉澄なども重要な貢献をしていますね。
さて、私も批判ばかりで建設的な提案がないという指摘を受けそうなので、ほんの少しだけ自分なりの見通しを書くと、私は『太平記』を研究してきた歴史研究者を研究すること、例えば佐藤進一とは何か、網野善彦とは何かを、その著作だけでなく、思想的な背景を含め、徹底的に突き詰めて考えることが結構有効ではないかと思っています。
そして、佐藤進一の発想は『太平記』に混在する同時代の様々な歴史観のうち「足利直義史観」とでも言えそうな、公武協調ではなく幕府独立を貫く路線とシンクロしているな、といった具合に、『太平記』の歴史観と歴史学者の歴史観を突き合わせて行くと、「太平記史観」解明についても何らかのヒントが得られるのではないかと思っています。
ただ、まあ、一般論をいくら語ってもあまり意味はなくて、実際に「太平記史観」克服の実績を上げないと何の説得力もないですね。
たまたま私は、成良親王をきっかけとして建武新政期の俄か勉強をしてみた結果、「太平記史観」の極めて重要な柱の一つが「征夷大将軍史観」、即ち征夷大将軍はとっても大事なものなのだ、それは頼朝の時代からずっと武家が重視した尊貴な存在で、武家たる者、究極的には征夷大将軍を目指して頑張らねばならんのだ、という史観ではないかと思っています。
この点の解明をもう少し続けてから、方法論的な問題を振り返ってみるつもりです。
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