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「男女の壁を超越した人間心理の並はずれた洞察力」(by 鈴木一守氏)

2015-02-27 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月27日(金)21時02分59秒

下の投稿、川北稔氏の論文の骨休めに英文で750ページの本を読んだのではなく、あくまで翻訳ですので念のため。
ジャン・モリスの『パックス・ブリタニカ(上) 大英帝国最盛期の群像』(椋田直子訳、講談社、2006)の「第一章 ローマを継ぐ者たち」から少し引用すると、

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3 資産と活力と進取の気運
 英国民をこの絶頂に押し上げた原動力は、多種多様だった。後ろ暗い企み、崇高な目的、信仰篤いこころざし、宗教には無縁の欲望─さまざまな衝動が国民を帝国主義者に変貌させた。「帝国主義者」という言葉自体、うさんくさいという侮蔑的なニュアンスが消えて、異論の余地なく正しいという市民権をほぼ確立していた。
 当初は単純な話だった。ヴィクトリア朝の英国には、資産と活力と進取の気運があふれていた。刺激的な時代にあって、英国というダイナミックな国の資本は投資先を求め、活力は成功の機会を求め、数々の新発明は応用すべき新たな分野を求めていた。ついで、さまざまな予言者たちが登場した。最大多数の最大幸福を説く哲学者ジェレミー・ベンサム、世紀末の不安と混沌を叙情的に詠い上げた桂冠詩人テニスン、保守党の首相ディズレーリ、英国国教会からカトリックに改宗した枢機卿ニューマン等々が、広々とした空間や権力や華麗な宗教儀式を求める国民の本能をかきたてた。ダーウィンは、進化論についての半可通の解釈が世間に広まったため、動物同様人間にも効率よく進化した人種がいて、他を統率し、所有する権利を持つ、ということを証明したとみなされる始末だった。一方、伝道活動が盛んになると熱帯の先住民に注目が集まり、神の教えを知らない哀れな人々に救いの手をという声がわき起こった。ディケンズの『荒涼館』に登場する、「ニジェール川左岸のボリオブーラ・ガーに住む先住民に教育を」与えることに専念するあまり家を顧みないジェリビー夫人を想起されたい。紳士階級のあいだでは、トマス・アーノルドに代表されるパブリックスクール改革派が、特権に伴う奉仕の概念を植えつけた。これは当然、「新しいローマ」の理念につながっていく。
-------

といった具合です。(p21以下)
翻訳を読んだだけでも原文のキビキビした力強い文体が想像できますね。

講談社BOOK倶楽部サイト内の「講談社創業100周年記念企画 この1冊!」には講談社の編集者である鈴木一守氏がジャン・モリスの『帝国の落日』を

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本書は、英国の司馬遼太郎とも言われる著名な歴史作家モリスの代表作である。上下巻合わせて800頁以上の大作だが、面白いエピソードが次々に紹介されて読者をあきさせることがないのは、さすが英国の司馬遼と舌を巻く外はない。
http://konoichi.kodansha.co.jp/1103/07.html

と紹介していますが、「英国の司馬遼太郎」云々を見て、やっぱりみんな同じような譬えを思いつくものだなと感心しました。
また、私はウィキペディアの記事を見た後も、ウィキペディアは悪意を持った人が適当にウソを書くことも可能だから、とジャン・モリス女性説に微かな疑いを抱いていたのですが、鈴木一守氏の

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さらに、『帝国の落日』に登場するチャーチル、アラビアのロレンス、インド独立の闘士ガンディーほか大英帝国の英雄、女傑、市井の人々に至るさまざまな人物の心理描写もリアルで細やかである。実はジャン・モリスはもともとジェイムス・モリスといい、1970年代に性転換して改名したという事実を知れば、男女の壁を超越した人間心理の並はずれた洞察力をもっていることも納得できるのである。
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との記述を読んで、やっとジャン・モリス女性説に納得したのでした。
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米国のプリンセス戦士と大英帝国の司馬遼子

2015-02-27 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月27日(金)09時52分6秒

>筆綾丸さん
>parole
私もアメリカの刑法・刑事訴訟法は全然詳しくありませんが、ウィキペディアを見ると、

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Parole is the provisional release of a prisoner who agrees to certain conditions prior to the completion of the maximum sentence period. Originating from the French parole ("voice", "spoken words"), the term became associated during the Middle Ages with the release of prisoners who gave their word.

とありますね。
やはり元々はフランス語で、仮釈放に際して付せられた条件をきちんと守ると声を出して約束し、その約束を破ったら再び刑務所に戻される、という仕組のようですね。

>"socio-religious dogma" of a purely binary gender
心理学者との共著だそうですから、クリスティン・ベック自身の率直な思考・感情の発露というより、学問的にきれいに整理されてしまっているような感じはしますね。

川北稔氏の著書・論文をまとめて読んでいた頃、骨休めに気楽に読めそうなイギリス史の本を探してジャン・モリスという人の『パックス・ブリタニカ』に出会い、大英帝国の波乱万丈の歴史を雄渾なタッチで描き出すイギリス版司馬遼太郎みたいな人だなと思いつつ上下二冊750ページほど読み終わった後、この人は多分軍歴のある人なんだろうなと思ってウィキペディアを覗いてみました。
すると、ジャン・モリスは1926年にジェイムス・モリスとして生まれ、1972年に性転換してジャン・モリスに名前を変えたとあり、びっくり仰天しました。

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Jan Morris, CBE, FRSL (born James Humphrey Morris, 2 October 1926) is a Welsh historian, author and travel writer. She is known particularly for the Pax Britannica trilogy (1968-78), a history of the British Empire, and for portraits of cities, notably Oxford, Venice, Trieste, Hong Kong, and New York City.
Born in England of an English mother and Welsh father, Morris was educated at Lancing College, West Sussex, and Christ Church, Oxford, and considers herself Welsh. She is a trans woman and was published under her birth name until 1972, when she transitioned from living as male to living as female.

クリスティン・ベックの場合、現代のアメリカだから元特殊部隊のエリート軍人が性転換したところで、ああそう、で済んでしまいますが、イギリスの1972年はどんな状況だったのか。
司馬遼太郎は1923年生まれなのでジャン・モリスとほぼ同世代ですが、司馬が『竜馬がゆく』(1962年)・『国盗り物語』(1965年)・『坂の上の雲』(1968年)を書いた後に性転換して、今日から「司馬遼子」の筆名で小説を書きますと言ったら、新作どころか旧作の売り上げも減ったのではないかと思いますが、ジャン・モリスも落ち目のイギリス国民に偉大な大英帝国の歴史を思い出させ、勇気を吹き込むような存在だったらしいので、出版社は相当心配したかもしれないですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

アニマとアニムス 2015/02/26(木) 19:22:15
小太郎さん
Eddie Ray Routh の判決文にある without parole の parole ですが、ソシュール言語学であればパロールとラングとして有名ですが、アメリカでは仮釈放というような意味になるのですね。日本の刑法では仮釈放無しの終身刑とか仮釈放付きの終身刑などというものは聞いたことがないですね。

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I do not believe a soul has a gender, but my new path is making my soul complete and happy...I hope my journey sheds some light on the human experience and most importantly helps heal the "socio-religious dogma" of a purely binary gender.
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ご紹介の Kristin Beck のウィキにある "socio-religious dogma" of a purely binary genderとは何なのか、意味不明ですが、ユングのアニマ・アニムスに似ているのかもしれないですね。

このブルース・ウィリスのようなイギリス人(ティム・ロックス、38歳) はビジネスで成功した資産家ですが、Daech を殲滅するために銃を取ってイラク北部のクルド人の都市 Souleimaniye に飛び、Je reviendrai chez moi quand Daech aura disparu de la Terre(ダーイシュが地上から消滅したら家に帰る)とのことで、戦績によっては映画化されるかもしれないですね。
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二人のクリス

2015-02-25 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月25日(水)20時49分49秒

>筆綾丸さん
>『アメリカン・スナイパー』
話題に乗り遅れないようにと思って私も観てみましたが、新兵のしごきと結婚話はリチャード・ギアの『愛と青春の旅だち』を思い出させ、狙撃手が互いに相手を意識して剣豪の決闘みたいになる展開はジュード・ロウの『スターリン・グラード』と似ていますね。
ご指摘のように携帯の国際電話の場面は、仮に事実としてもひどく不自然な感じがしてスクリーンへの集中を妨げ、結局、レッド・ネックの粗野な主人公には最後まで感情移入できませんでした。
何だか全体的にチグハグな寄せ集め感が漂い、寒々とした気持ちで映画館を後にしました。
戦闘場面が好きな軍事オタクの人以外には奨められない映画ですね。

たまたま今日のBBCニュースで知ったのですが、クリス・カイルを殺害した犯人は精神的障害を理由とする無罪の主張を認められず、仮釈放なしの終身刑となったようですね。

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Eddie Ray Routh guilty of American Sniper Chris Kyle's murder

A Texas jury has found Eddie Ray Routh guilty of the murder of US Navy Seal Chris Kyle, who wrote American Sniper, and his friend Chad Littlefield.
The judge sentenced Routh to life in prison without parole; prosecutors had not sought the death penalty.

クリス・カイルと同じ米海軍特殊部隊の出身者としては、もう一人の非常に有名なクリスとしてクリスティン・ベックさんがいますね。
この人は1966年にクリストファー・ベックとして生まれ、海軍特殊部隊のスーパーエリートとして数々の危険な任務をこなし、20年の輝かしい軍歴を残して退役した後、2013年、47歳にして性転換手術を受け、名前もクリスティン・ベックに変えたそうです。
クリント・イーストウッド監督の次回作としては、悲惨な最期を遂げたクリス・カイルと対照的に、自叙伝がベストセラーとなり、充実した後半生を送っているらしいクリスティンをヒーロー兼ヒロインとする Warrior Princess を期待したいですね。

Kristin Beck

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

映画『アメリカン・スナイパー』 2015/02/21(土) 17:11:04
小太郎さん
ジル・ケペル『中東戦記』を面白く読了しました。デテールの描写が生き生きしていますね。
---------------
もう少し歩くと、背の高いレトロな細首のボトルに入った泡立つステラ・ビールを今でも出してくれる唯一の大衆カフェがある。通りから見えないようにと張られた幕をくぐり、地元産のブランデーを水と一緒に用心深く飲んでいる男たちの間に席を取る。このカフェはコプト教徒の経営である。コプト教はエジプトのキリスト教で、手首の内側にある十字架の刺青で見分けることができる。消すことのできないインクが神の子羊たちの、あまねく広がるイスラーム教の下での脆い被保護者の立場と、支配宗教への改宗圧力への抵抗のしるしである。(「エジプトを嗅ぐ」38頁)
---------------

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%B3%E5%85%B8%E7%A4%BC%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A
マロン派というキリスト教の一派の名を初めて知りましたが、カルロス・ゴーンはマロン派の信徒なんですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Houari_Boumediene
http://www.bbc.com/news/world-europe-30786139
アルジェリアのブーメディエン大統領の話がありますが(113頁)、先月のパリ襲撃事件の女性容疑者 Hayat Boumeddiene と何か関係があるのか、興味を惹かれました。(なお、両者のスペルは少し違うものの、フランス語風に発音するなら、ブーメディエンではなくブーメディエンヌですね)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%A9
ミシェル・スーラ(Michel Seurat)は(「レバントの街道をゆく」91頁)、新印象派の画家ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)と同じ姓で、これも惹かれますね。

http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/
『アメリカン・スナイパー』の評価は高いようですが、戦闘シーンをしばしば中断する家庭の話(妻、妊娠、出産・・・)がくどすぎて、興趣を殺がれました。また、イラクの戦場で狙撃の最中に携帯の国際電話で妻と話をする場面は実話なのか、不明ですが、人間として不自然な行為のような気がしました。
二人のスナイパーの対決はゴルゴ13のような神業(キリスト教の神とイスラム教の神の腕競べ?)でした。射程距離2?というのは、時々刻々変化する風向きや風速や空気密度を考えると(また、弾丸の先端に誘導装置がないとき、重力の影響による弾丸の放物線軌道をどのように計算すればいいのか)、ほとんど物理的な限界なんでしょうね。

追記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B9%EF%BC%9D%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AA
元国連事務総長ガリはコプト教徒ということなので、手首に十字架の刺青があるのでしょうね。ウィキに「(ガリは)訪日時には必ず東郷神社に参拝していた」とありますが、なぜ東郷元帥なのか。

2015/02/24(火) 13:56:10
彷徨える墓 小太郎さん
落し所としてはちょうど好い塩梅なのでしょうね。
http://d.hatena.ne.jp/xuetui/20090204/1233764836
克念という聞き慣れぬ語は、「惟聖罔念,作狂。惟狂克念,作聖」(『尚書』多方篇)を典拠にするとのことですが、この哲学的な漢文の意味がわかりません。
http://homepage3.nifty.com/kanaya/history.html
京都市内の町名は殆ど何も知りませんが、風間家に関係の深い金屋町は四条堀川の北に位置するのですね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Tomb_of_Suleyman_Shah
http://en.wikipedia.org/wiki/Suleyman_Shah
オスマン帝国の後継者を任ずるトルコにとっては重要な霊廟のようですが、スレイマン・シャー(1178-1236)は後鳥羽院(1180-1239)とほぼ同時代の人なんですね。川の規模に雲泥の差があるものの、方や溺れた人、方や水練の人。ユーフラテス河に寄り添う彷徨える霊廟(mausoleum)というか、まるでヴァーグナーのオペラのようです。

http://www.bbc.com/news/world-asia-31585492
この記事は Prince Naruhito が Prime Minister Shinzo Abe を批判した、と読めなくもないですね。
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酒田の本間家VS鶴岡の風間家(その3)

2015-02-24 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月24日(火)08時58分56秒

ここ数日、妙にカウンターの数字が伸びていて、昨日あたりからやっと通常ペースに戻ったのですが、原因は本間家・風間家の雛人形訴訟ですかね。
和解が成立したとのニュースを聞いて検索をかけた人が多かったのかもしれません。
ツイッターには少し書いたのですが、備忘のため、こちらに河北新報の記事を保存しておきます。

--------
<ひな人形訴訟>和解、今春「里帰り」

 ひな人形の所有権をめぐり、鶴岡市の旧家風間家の財産管理団体「克念社」が、酒田市の旧家本間家設立の本間美術館に約65年前に貸したとする人形の返還を求めた訴訟は19日、山形地裁酒田支部で和解が成立した。所有権を美術館側に認めた上で4年ごとに克念社側に人形を貸し出すとの内容で、この春ひな人形の「里帰り」が実現する。
 和解には「郷土の貴重な財産であるひな人形が末永く鑑賞されるよう連携する」との条項が盛り込まれた。美術館側がことしから4年に1度、3月1~31日に貸し出し、荷造りや輸送の費用は克念社側が負担する。
 訴えなどによると、ひな人形は江戸時代に風間家に伝わった56点。時価700万~1000万円とされる。
 2013年に始まった訴訟で風間家側は、1950(昭和25)年ごろに本間家が企画したひな人形展に貸し出したと主張。本間家側は58年以降に10万円を支払ったが、賃貸料と購入費で対立していた。人形は以後、本間美術館が保管して毎春公開してきた。
 和解を受け、美術館は27日にも人形を送る。鶴岡市の旧風間家住宅「丙申堂」で3月1~31日に開催されるひな人形展で里帰り公開される予定。本間美術館が2月28日~4月6日に開く展示会では、ほかに受け継いできた人形を飾る。双方とも会場に経緯の説明文を示すことを検討している。
 美術館側は「さまざまな経緯があったが、この機会に人形の歴史的価値を知ってほしい」と述べ、克念社側は「早く解決して里帰りを実現させたかった。関係者に感謝したい」と話している。


ま、和解といっても所有権が本間家側にあることが明確にされているので、実質的には訴訟を提起した風間家側の全面的な敗北ですが、大人の事情で勝ち負けをはっきりさせるのを避けたのでしょうね。
私も当初から法律論では本間家の勝ちだろうなと思っていました。

酒田の本間家VS鶴岡の風間家
酒田の本間家VS鶴岡の風間家(その2)
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ミュージカル劇団 Alumnae(アラムニー)

2015-02-22 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月22日(日)22時39分19秒

今日は読書をサボって群馬県藤岡市で行われた劇団アラムニーの公演「モーツァルト!」を観てきました。
劇団アラムニーといっても全国的な知名度は低いでしょうが、群馬県ではそれなりに有名です。
それなりに有名といっても私もうわさを聞いていただけで、実際に観劇したのは初めてだったのですが、予想を遥かに超えてレベルが高かったので、ちょっとびっくりしました。
アラムニーは卒業生という意味ですが、

------
メンバーは群馬県内の女子高校の卒業生を中心にしており、
それぞれの学業や仕事に励みながら、
「高校を卒業して一歩大人になったからこそできる、新たなミュージカルの可能性」
を求めて、大好きなミュージカル制作に取り組んでいます。


とのことで、県立高校が男女別学という全国的には非常に珍しい群馬県ならではの存在形態ですね。
「モーツァルト!」はもともとオーストリアのミュージカルで、日本では帝国劇場でやっていますが、劇団アラムニーは登場するのが全員女性なので宝塚っぽい雰囲気になりますね。
我が郷土ながら文化的なレベルの点ではさほど高いと評価されることのない群馬県ですが、それでもしっかりやっている若い人はいるものだな、群馬おそるべし、と思った一日でした。

帝国劇場「モーツァルト!」

>筆綾丸さん
>『中東戦記』
アメリカがイラクに侵攻する前のアメリカ当局者の発言も興味深いですね。
イラクに突き進んだ人々が、決して栗田禎子氏が強調するような「新自由主義」の金儲け主義者ではなく、むしろ彼らなりの信念を追求する理想主義者であったことが簡潔に描かれていますが、そうした過剰な理想主義が甘い将来予測の原因となり、膨大な戦死者と民間人の犠牲を生んだ訳ですから、何とも落ち着かない気持ちになります。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

映画『アメリカン・スナイパー』 2015/02/21(土) 17:11:04
小太郎さん
ジル・ケペル『中東戦記』を面白く読了しました。デテールの描写が生き生きしていますね。
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もう少し歩くと、背の高いレトロな細首のボトルに入った泡立つステラ・ビールを今でも出してくれる唯一の大衆カフェがある。通りから見えないようにと張られた幕をくぐり、地元産のブランデーを水と一緒に用心深く飲んでいる男たちの間に席を取る。このカフェはコプト教徒の経営である。コプト教はエジプトのキリスト教で、手首の内側にある十字架の刺青で見分けることができる。消すことのできないインクが神の子羊たちの、あまねく広がるイスラーム教の下での脆い被保護者の立場と、支配宗教への改宗圧力への抵抗のしるしである。(「エジプトを嗅ぐ」38頁)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%B3%E5%85%B8%E7%A4%BC%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A
マロン派というキリスト教の一派の名を初めて知りましたが、カルロス・ゴーンはマロン派の信徒なんですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Houari_Boumediene
http://www.bbc.com/news/world-europe-30786139
アルジェリアのブーメディエン大統領の話がありますが(113頁)、先月のパリ襲撃事件の女性容疑者 Hayat Boumeddiene と何か関係があるのか、興味を惹かれました。(なお、両者のスペルは少し違うものの、フランス語風に発音するなら、ブーメディエンではなくブーメディエンヌですね)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%A9
ミシェル・スーラ(Michel Seurat)は(「レバントの街道をゆく」91頁)、新印象派の画家ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)と同じ姓で、これも惹かれますね。

http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/
『アメリカン・スナイパー』の評価は高いようですが、戦闘シーンをしばしば中断する家庭の話(妻、妊娠、出産・・・)がくどすぎて、興趣を殺がれました。また、イラクの戦場で狙撃の最中に携帯の国際電話で妻と話をする場面は実話なのか、不明ですが、人間として不自然な行為のような気がしました。
二人のスナイパーの対決はゴルゴ13のような神業(キリスト教の神とイスラム教の神の腕競べ?)でした。射程距離2?というのは、時々刻々変化する風向きや風速や空気密度を考えると(また、弾丸の先端に誘導装置がないとき、重力の影響による弾丸の放物線軌道をどのように計算すればいいのか)、ほとんど物理的な限界なんでしょうね。

追記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B9%EF%BC%9D%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AA
元国連事務総長ガリはコプト教徒ということなので、手首に十字架の刺青があるのでしょうね。ウィキに「(ガリは)訪日時には必ず東郷神社に参拝していた」とありますが、なぜ東郷元帥なのか。
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赤い旗の人

2015-02-20 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月20日(金)20時39分35秒

ジル・ケペルの『ジハード─イスラム主義の発展と衰退』(丸岡高弘訳、産業図書、2006)は本文が500ページ、詳細な注を加えると650ページの大著で、なかなか読みごたえがありますね。
やっと200ページほど進んだところですが、ジル・ケペルの知識の膨大さと分析の鋭さには圧倒されます。

>筆綾丸さん
>この人はダメなんじゃないか
まあ、そうなんですよね。
「現代史とは何か」には「帝国主義の全面展開」という勇ましい表現が合計六箇所も登場するのですが、その最初は、

-------
(前略)現代は、帝国主義の全面展開の時代といえるのではないか。
 いうまでもなく、現在の世界資本主義が示すさまざまな様相や形態を把握するにあたり、レーニンが二〇世紀初頭に行った分析を機械的に適用するだけでは全く不充分であることは当然である。(1)
-------

とあって、この注1を見ると、

-------
(1)現在の資本主義の性格をどうとらえるかをめぐっては、たとえば「新自由主義」の歴史的性格をめぐる小沢弘明の分析がある。(中略)また、日本共産党は、おそらくはレーニンの「帝国主義」概念はもはや現在の世界情勢を分析するにあたり必ずしも有効ではないという判断から、綱領等で「帝国主義」という用語の使用を保留するようになっている。
-------

という具合です。
栗田氏自身の考えに従えば「帝国主義」こそ、まさにこの論文における最重要の基本概念となるでしょうが、その説明をすべき部分に日本共産党の綱領云々と出てくるので愕然とします。
まあ、この論文が日本共産党の理論誌『前衛』あたりに載るのならこのような表現も良いでしょうが、歴史学の学会のシンポジウムをまとめた本なのですから、政治と学問の区別はきちんとつけてほしいですね。
なお、『歴史学のアクチュアリティ』には岸本美緒氏の「中国史研究におけるアクチュアリティとリアリティ」という思慮深い論文や、岸本・栗田氏の論文を比較検討し、穏やかな表現ながら栗田氏を批判する松沢裕作氏のコメントなども載っていて、全体として栗田氏に肯定的な内容になっている訳ではありません。

「解釈で憲法9条壊すな」国会包囲“人間の鎖”
「平和国家日本というイメージは中東でも完全に崩れ去りつつある」

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

エジプト革命 2015/02/19(木) 14:47:06
小太郎さん
栗田禎子氏は、小太郎さんが最初に引用された『歴史学のアクチュアリティ』所載の文章を読んで、甚だ僭越ながら、この人はダメなんじゃないか、と思いました。

鈴木恵美氏の『エジプト革命』を読み終えました。優秀な方ですね。エジプトの事情が少しわかりました。アメリカとの軍事的関係を考えると、最新鋭の戦闘機を売り込んだフランス外交の狡猾さ・したたかさに、あらためて驚きました。

http://www.rfi.fr/afrique/20150217-egypte-demande-une-intervention-internationale-libye/
フランスの国営ラジオ放送RFIは、「Abdel Fattah al-Sissi, maréchal à la retraite et président de l'Egypte」というように、 大統領を「退役元帥」と書いていて、現役の軍人は大統領にはなれないのですね。鈴木氏の表記は「スィースィー」です。

http://www.heibonsha.co.jp/book/b163570.html
長沢栄治氏は鈴木氏の恩師とのことですが、次はこの本を読んでみようかと思います。恩師の書名と同じというところに、鈴木氏の自信が溢れていますね。

http://www.shinchosha.co.jp/book/603643/
池内氏は、『中東 危機の震源』も面白そうですね。

座漁荘における棋聖戦 2015/02/20(金) 13:49:08
http://www.yomiuri.co.jp/local/aichi/news/20150218-OYTNT50151.html
棋聖戦第四局は「座漁荘」で。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784166606092
伊藤之雄氏『元老西園寺公望―古希からの挑戦』には、静岡県興津の座漁荘について、以下のような記述があります。
------------
その名は、古代中国の呂尚(太公望)が、茅(かや)に坐して漁したという故事による。座茅漁荘とすべきところを、座漁荘と略した。周王朝を建てる文王の師となった釣好きの「太公望」と、西園寺の名の「公望」の字をかけている。(194頁)
------------
(二・二六事件の起きた日の午前六時半、宮内省から座漁荘に知らせがあり、西園寺は静岡県警の自動車で知事官舎に避難した)
その夜、西園寺は知事官舎で晩酌をするなど、落ち着いていた。一夜明けて二月二七日になると、東京の情勢が好転したという情報が入ってきた。また西園寺はどうせ死ぬなら座漁荘の居間で死ぬ方がよいので、帰宅したいと側近に漏らした。そこで、西園寺は座漁荘に戻ることになり、午後三時に知事官舎を出発し、三時半頃に帰宅した。
この二七日には、座漁荘内に西園寺公特別警備本部が設置され、県警察部長が本部長となった。西園寺の避難も、自動車では無理な場合に備え、県の沿岸警備船等を待機させた。(300頁~)
(一九四〇年一一月二四日、於座漁荘、永眠、享年九一)
西園寺の葬儀は国葬となり、一二月五日に東京市の日比谷公園でとり行われた。寒中にもかかわらず、数万人もの参列者があった。国葬の当日、座漁荘が公開された。ここにも参観者が八〇〇〇人を超えた。(341頁)
---------------
昨日のNHKBSプレミアムの解説者小林九段によると、世界王者を目指す井山棋聖らしい凄味のある布石とのことでした。対局室の床の間にあった「極楽」の掛軸はおそらく旧主自筆の書で、そこは、「どうせ死ぬなら座漁荘の居間で死ぬ方がよい」と云ったという永眠の居間なのかどうか。公が碁に通じていたか、不案内ながら、碁によるオシャレな追善供養と云うべきなんでしょうね。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/0teika100.html#VR
こととへよ思ひ興津の浜千鳥 なくなく出でし跡の月影
定家卿百番自歌合中の歌が、元老の人生に対する反歌のように見えてきますね。これに番えた歌は、
関の戸をさそひし人は出でやらで 有明の月のさやの中山
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ジル・ケペル『中東戦記 ポスト9.11時代への政治的ガイド』

2015-02-18 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月18日(水)21時00分57秒

栗田禎子氏の論文を集めようと思ったら、近著の『中東革命のゆくえ─現代史のなかの中東・世界・日本』(大月書店、2014年10月)に纏められていたので通読してみましたが、正直、あまり感心しませんでした。
政治的な立場がガッチリ決まった人が、その人の目に世界の諸々の事象がどのように映るかを書いているだけなので、素材は違っても味付けが全部同じ料理を食べさせられているような感じですね。
栗田氏は『歴史学研究』の編集長をされていたそうですが、学者というよりは活動家タイプで、必ずしも歴史学研究会の知性を代表している訳ではないようですね。

『中東革命のゆくえ』

>筆綾丸さん
>鈴木恵美氏
栗田禎子氏に比べると筋の良い雑誌への寄稿が多いみたいですね。

私の方は少し前に筆綾丸さんが紹介されていた池内恵氏の『イスラーム国の衝撃』(文春新書、2015)を読んで、この人は秀才だなと思って著書をいくつか集めてみました。
出世作という評判の『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002)は後半の終末論云々の部分がくどくて全部は読めませんでしたが、池内氏が翻訳して詳細な補注を加えたジル・ケペル『中東戦記 ポスト9.11時代への政治的ガイド』(講談社選書メチエ、2011)は非常に面白いですね。

---------
9・11の直前と直後に、フランスの政治社会学者・イスラーム政治研究者ジル・ケペルはパレスチナ・イスラエルからエジプト、レバノン、シリアなど、中東の現地に頻繁に足を伸ばし、現地の反応や状況を微細に読み解いていく。
グローバル化の波の中で米国への憧れと敵意に揺れる若者たちを微細に描き、湾岸の繁栄の裏に潜む危機、ムスリム世界内部の分裂と闘争という最大の問題に言及していた本書は、9・11以後の10年とさらにその先を、鋭敏に見通していた。


あまり入門書的なものばかり眺めていても仕方ないので、次はジル・ケペルの『ジハード イスラム主義の発展と衰退』でも読もうかと思っています。
ケペルはあまりフランス人らしくない名前ですが、池内氏の解説によれば祖父がチェコの外交官としてフランスに来て、父親はカレル・チャペックの戯曲などをフランス語に翻訳した人だそうですね。

Gilles Kepel

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

現代のファラオのためのアンコール・ワット 2015/02/17(火) 12:35:13
小太郎さん
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/10/102236.html
鈴木恵美氏の『エジプト革命ー軍とムスリム同胞団、そして若者たち』を読んでみようかと思います。

http://www.lefigaro.fr/societes/2015/02/16/20005-20150216ARTFIG00409-au-caire-la-france-et-l-egypte-signent-le-contrat-du-rafale.php
http://en.wikipedia.org/wiki/Heliopolis_(Cairo_suburb)
フィガロによれば、「 palais présidentiel, ex-Heliopolis Palace construit par le baron Empain en 1911」(アンパン男爵建立(1911年)の旧ヘリオポリス宮殿、現在の大統領府)で、戦闘機ラファルの調印式は執り行われたようですが、ウィキにあるように、そこには軍の参謀本部もあって、要するにエジプトの国家権力の中枢なんですね。
-----------------
Heliopolis gained a special political and military importance in Egypt and the Middle East in recent decades. The Egyptian Military headquarters and the Egyptian Air Force headquarters are there. The Almaza Military Airbase is very close to Heliopolis. …… Heliopolis was the residence of the Egyptian ex-president Mohamed Hosni Mubarak. In 1981, the site of Heliopolis Palace Hotel became the Egyptian Republican Palace and the president's office.
--------------

http://en.wikipedia.org/wiki/Baron_Empain
http://en.wikipedia.org/wiki/Baron_Empain_Palace
エジプトになぜアンコール・ワットのような建築があるのか、アンパン男爵の勝手な思い付きには理解しかねるものがありますが(設計は別人とはいえ)、二十世紀初頭のエジプトにおける西欧の傍若無人ぶりを示す歴史的記念碑なのかもしれませんね。

追記
http://www.rfi.fr/moyen-orient/20150216-france-egypte-signent-premier-contrat-export-rafale/
ル・ドリアン国防相とアル・シシ大統領の間の絨毯(屏風?)にある文字、読めたら面白いのですが・・・。
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「エジプトで起きたのは軍事クーデタではなく、国民によるムスリム同胞団体制打倒革命」(by 栗田禎子氏)

2015-02-16 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月16日(月)20時06分58秒

12日の投稿で<栗田氏の立場からすれば、ムバラク辞任から初めて民主的な選挙で選ばれたムルシー大統領の誕生までは「不可逆的変化」だったはずで、それがクーデターでひっくり返ってしまったのだから相当な驚きだったと思いますが>云々と書いてしまいましたが、これは私の全くの誤解でした。
今日、栗田禎子氏の「エジプト『六月三〇日革命』とオリエンタリズムの罠─中東に対する国際社会のまなざし─」(歴史科学協議会編集『歴史評論』763号<2013年11月号>、校倉書房)を読んだところ、栗田氏はそもそも「エジプトで起きたのは軍事クーデターではなく、国民によるムスリム同胞団体制打倒革命(=「六月三〇日革命」)という事態であった」(p57)というご見解だそうです。
なかなか珍しい見解だと思いますので、少し丁寧に栗田氏の論理を追ってみます。
ということで、とりあえず冒頭を少し引用します。

-------
はじめに

 エジプトでは七月三日、ムルスィー政権が崩壊した。その後、現在(本稿執筆時)までの六週間の過程で強く印象に残るのは─現地の情勢のきわめて緊迫した展開は言うまでもないが─今回の事態をめぐるエジプト国民の多くの捉え方と、欧米や日本をはじめとするいわゆる「国際社会」の捉え方の驚くほどの乖離である。ひとことで言えば、今回のできごとがエジプトでは多くの国民によって二〇一一年のムバーラク体制打倒に始まる革命的プロセスの新たな局面と認識されている(特に左翼勢力の間では「六月三〇日革命」という呼称が用いられている)のに対し、欧米や日本ではこれに「軍事クーデタ」というレッテルを貼り、「民主化の後退」「アラブの春の終わり」と位置づける論調が圧倒的なのである。
 そしてこれは、単なる「情報不足」や「誤解」の所産ではない。「軍事クーデタ」と規定することは、現実のプロセスにおいては、まさにそれを根拠に「国際社会」がエジプトに圧力をかけ、また「民主主義の回復」の名のもとに、いったんはエジプト国民に拒絶されたムルスィー政権(=ムスリム同胞団体制)を復活させようとする動きと直結している。事態を根底で規定している民衆の力をことさらに無視し、あくまで「軍」を主語に語ろうとする傾向、あるいはムスリム同胞団に代表されるいわゆる「イスラーム主義」勢力の性格をめぐる一種のステレオタイプ的描き方─こうした傾向は単なる「誤解」ではなく、現代の世界における中東と「国際社会」の関係性の中で生み出され、再生産され続けているものと言うことができる。
 このような問題意識に基づき、以下では今回のエジプトの事態を糸口に、中東近現代史の捉え方をめぐる問題を考えてみたい。
-------

>筆綾丸さん
>呉座氏
なかなか活躍されていますね。
『現代思想』網野総特集も、呉座氏をはじめ「網野善彦主要著作10冊を読む」の執筆者となっている中堅・若手研究者にもっとスペースを与えて自由に書かせてあげたら遥かに学問的に価値のあるものになったでしょうが、出版社には営業的な事情もありますから、まあ、仕方ないのでしょうね。

>『後白河天皇』
私も今は中世前期に戻れないのですが、後で読んでみたいと思います。

>イラク国立交響楽団
ウィキペディアの記事を読んでみたのですが、2003年で終わってしまっていて、ちょっと中途半端ですね。
もう少し知りたいこともありますが、栗田氏の論文を読んだらなんだか少し熱が出てきてしまったようなので、今日は早めに寝ます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

イラク国立交響楽団 2015/02/15(日) 22:24:07
小太郎さん
http://www.asahi.com/articles/ASH1M71Z5H1MUHBI03F.html
シンクレティズムのシンフォニー・・・どんな『巨人』か、聴いてみたいですね。
-------------
イスラム教スンニ派やシーア派、キリスト教、クルド人。様々な背景を持つ団員の奏でる音色が、ひとつの指揮棒の下で共鳴した。
-------------

http://en.wikipedia.org/wiki/Iraqi_National_Symphony_Orchestra
http://www.greekworks.com/content/index.php/weblog/extended/the_sweet_sweet_sound_ofwhat_exactly_the_iraqi_national_symphony_orchestra_/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
イラク国立交響楽団のワシントン公演(国務省後援)の2003年12月9日は、フセイン大統領拘束(12月13日)の直前だったのですね。

https://twitter.com/goza_u1/status/520714825727361024
今日、朝日新聞で呉座氏の連載を初めて目にしましたが、御座候さんも有名になりましたね。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b190338.html
美川氏は後白河の評伝を完成されたのですね。後白河への関心は薄れてしまいましたが。
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『網野善彦対談集』

2015-02-15 | 網野善彦の父とその周辺

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月15日(日)12時26分41秒

>筆綾丸さん
2012年12月頃には何を話題にしていたかなと思って以前の投稿を眺めてみたら、11月22日に私がシリアの宗教都市マルーラについて少し書いて、筆綾丸さんもアラム語などに触れられていますね。
あの頃も穏やかならざる情勢でしたが、最近はあまりに殺伐としているので海外ニュースを追うのもいささか億劫になります。

Maloula
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6577405536b2a7b177e411bf71927f90

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6614
broken Aramaic
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/20e6eb32779f50f78eb9a7106b5e754c

>『網野善彦対談集』
『現代思想』の網野総特集は岩波が『網野善彦対談集』で儲けるための事前工作のような感じがしないでもないですね。
このシリーズは山本幸司氏の単独編集だそうですが、山本氏は編集者として網野氏に出会わなければ静岡文化芸術大学教授の地位も得られなかったでしょうから、最後のご奉公としてがんばってほしいものです。

※最後のご奉公云々はいつまでも網野氏の解説をしていないで独自研究をされたらいかがでしょうか、という程度の意味で、悪意は殆どありません。

『網野善彦対談集』
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092811+/index.html

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

疾風・・・ダッソ―の至福の瞬間 2015/02/13(金) 13:27:00
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%B3%95%E6%82%A6
現代史家には歴史に追い抜かれるという至福の瞬間があるという告白には、イタリア・バロックの傑作『聖テレジアの法悦』のような、中世史家や近世史家には無縁の禁断の史的法悦(?)とでも呼ぶべきものがありますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC
現在の大統領はクーデターの首謀者アッ=シーシーですね。

http://www.lefigaro.fr/societes/2015/02/12/20005-20150212ARTFIG00517-contrat-historique-pour-le-rafale-en-egypte.php
二基のピラミッドを背後に従えた戦闘機ラファルの雄姿は、ダッソ―の「至福の瞬間」を見事に表わしていて(ちなみに、フィガロはダッソ―・グループの新聞社)、ルーヴル美術館所蔵の名画を見るような、寸分の狂いもない美的構図には溜息が出ますね。超帝国主義的オート・クチュール的コンポジション?
ラファル24機とフリゲート艦1隻、関連部品合わせて、50億ユーロ(約7,000億円)の「歴史に追い抜かれるような」歴史的な売買契約で、オランド大統領はル・ドリアン国防相に、フランス国の名において署名するよう命じ、式典にはアッ=シーシー大統領臨席のもと、ダッソ―はじめ軍需産業の幹部が参列する予定で、契約の背景にはリビア国境やシナイ半島の治安問題がある、とのことです。(フランスの国営ラジオ放送 RFI によれば、この契約はムルシー追放を批判して F16 戦闘機20機の輸出を凍結したアメリカの裏をかいたものとのことなので、下品な表現をすれば、コキュ(間男)のような寝技で、フランス人の得意技のひとつですね)
フィガロは一貫して、「イスラム国」を Daech(ダーイシュ:ad-dawla al-islāmiyya の acronym )と表記していて、ほかのメディアと少し違いますね。
オランド大統領は、ミンスクでメルケル首相と仲人役(さながら初老の夫婦のよう)を演じていたと思いきや、返す刀でラファルを売り込むとは、原子力空母(シャルル・ド・ゴール)のスエズ運河航行におけるドゥルーズ/ガタリ的な平滑化という哲学的な問題もあったのでしょうね。オランドは顔に似合わずENA出身の大変なインテリだから、ポストモダンにも深い関心があるはずです。
RFI の記事には、le président égyptien(エジプト大統領)と同時に le maréchal (元帥)Sissi という表現をしていて、軍人は立候補できないというウィキの説明と読み比べると、元帥は軍人ではなく名誉称号であって、形式的には欧米的なシビリアン・コントロールだ、ということなんでしょうが、ただの大統領より恐い感じがしますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A6_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
蛇足ながら rafale は疾風という意味で、旧帝国陸軍の戦闘機「疾風」の後継機で、東北新幹線の車両「はやて」の姉妹機でもあって、逃足は速いそうです。そういえば、疾風という忍者もいましたね。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092811+/index.html
採算は関係ないとしても、この対談集はどれくらい売れるものでしょうか。
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羽仁五郎の再臨

2015-02-15 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月15日(日)12時04分8秒

私は今まで栗田禎子氏の論文やエッセイを読んだことがなかったのですが、国会図書館で検索すると121件出てきて、最近の著書に『中東革命のゆくえ : 現代史のなかの中東・世界・日本』(大月書店)
がありますね。


雑誌への寄稿は、

「『集団的自衛権』問題の正体 :『集団的帝国主義』の時代の日本型ファシズム」(『歴史学研究』927号、青木書店)
「エジプト『六月三〇日革命』とオリエンタリズムの罠 : 中東に対する国際社会のまなざし」(『歴史評論』763号、校倉書房)
「思想のフロンティア エジプト革命第二ステージをめぐる心理戦 : 中東の革命状況は今どのような段階にあるか」(『唯物論研究年誌』、大月書店)

といった具合であり、上記以外では『インパクション』、『金曜日』、『世界』などへの寄稿が多いようです。
「現代史とは何か」の最初の方を少し読んで、栗田氏は羽仁五郎みたいなタイプだなあと思いましたが、実際に羽仁五郎への言及もありますね。(p95以下)

---------
2 変革のためのたたかいと歴史意識
 二〇一一年エジプト「民衆革命」のような経験は、変革のためのたたかいと歴史意識の不可分の関係性を改めて実感させる。羽仁五郎は「現代史」はわれわれ自身がつくるものだと語り、さらに「歴史」自体についても、歴史はそれをわれわれが(覚えるもの、考えるものであるだけでなく)「生きるもの」なのであり、歴史学とは結局のところ「歴史を正しく生きる」ための学問だと述べているが、これは本質を突いたことばだと言えよう(7)。人が歴史を学ぶ必要性を最も切実に感じるのは、きわめて複雑で困難な、時にほとんど絶望的といえる状況のなかで、展望を求めてたたかっている場合なのではないか。逆に、真に価値のある歴史叙述、後世に残る歴史学の作品とは、傍観者的な記述ではなく、変革のためのたたかいに何らかの形で関わった人々、何らかの政治的課題に深くコミットした人が、そのたたかいの記録を残そうと試み、あるいは鋭い政治的意識に基づいて自らの時代と社会が抱える矛盾を分析しようとしたものだといえるのではないか。われわれが歴史叙述の古典と考えるものの多くは実はその当時の現代史なのであり、歴史叙述はある意味の「当事者性」が決定的に重要であるように思われる。
--------

注(7)には<羽仁五郎『羽仁五郎歴史論抄』(編集・解説、斉藤孝)筑摩書房、一九八六年、四─二六頁所収「歴史とは何か」(一九五〇年)。『羽仁五郎歴史論著作集』第四巻所収「現代史」(一九四七年)>とあり、栗田禎子氏は1960年生まれですから、引用されている羽仁語録は栗田氏誕生より更に十年以上も前の「古典」ですね。
羽仁五郎も、その再臨とも言える栗田禎子氏も、実に力強い文章を書く才能に恵まれていてうらやましいですね。
栗田氏の著作のうち、時事評論的なものにはあまり興味がありませんが、本業の中東研究については、池内恵氏の著作などと比較しつつ、いくつか読んでみようと思っています。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

疾風・・・ダッソ―の至福の瞬間 2015/02/13(金) 13:27:00
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%B3%95%E6%82%A6
現代史家には歴史に追い抜かれるという至福の瞬間があるという告白には、イタリア・バロックの傑作『聖テレジアの法悦』のような、中世史家や近世史家には無縁の禁断の史的法悦(?)とでも呼ぶべきものがありますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC
現在の大統領はクーデターの首謀者アッ=シーシーですね。

http://www.lefigaro.fr/societes/2015/02/12/20005-20150212ARTFIG00517-contrat-historique-pour-le-rafale-en-egypte.php
二基のピラミッドを背後に従えた戦闘機ラファルの雄姿は、ダッソ―の「至福の瞬間」を見事に表わしていて(ちなみに、フィガロはダッソ―・グループの新聞社)、ルーヴル美術館所蔵の名画を見るような、寸分の狂いもない美的構図には溜息が出ますね。超帝国主義的オート・クチュール的コンポジション?
ラファル24機とフリゲート艦1隻、関連部品合わせて、50億ユーロ(約7,000億円)の「歴史に追い抜かれるような」歴史的な売買契約で、オランド大統領はル・ドリアン国防相に、フランス国の名において署名するよう命じ、式典にはアッ=シーシー大統領臨席のもと、ダッソ―はじめ軍需産業の幹部が参列する予定で、契約の背景にはリビア国境やシナイ半島の治安問題がある、とのことです。(フランスの国営ラジオ放送 RFI によれば、この契約はムルシー追放を批判して F16 戦闘機20機の輸出を凍結したアメリカの裏をかいたものとのことなので、下品な表現をすれば、コキュ(間男)のような寝技で、フランス人の得意技のひとつですね)
フィガロは一貫して、「イスラム国」を Daech(ダーイシュ:ad-dawla al-islāmiyya の acronym )と表記していて、ほかのメディアと少し違いますね。
オランド大統領は、ミンスクでメルケル首相と仲人役(さながら初老の夫婦のよう)を演じていたと思いきや、返す刀でラファルを売り込むとは、原子力空母(シャルル・ド・ゴール)のスエズ運河航行におけるドゥルーズ/ガタリ的な平滑化という哲学的な問題もあったのでしょうね。オランドは顔に似合わずENA出身の大変なインテリだから、ポストモダンにも深い関心があるはずです。
RFI の記事には、le président égyptien(エジプト大統領)と同時に le maréchal (元帥)Sissi という表現をしていて、軍人は立候補できないというウィキの説明と読み比べると、元帥は軍人ではなく名誉称号であって、形式的には欧米的なシビリアン・コントロールだ、ということなんでしょうが、ただの大統領より恐い感じがしますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A6_(%E5%88%97%E8%BB%8A)
蛇足ながら rafale は疾風という意味で、旧帝国陸軍の戦闘機「疾風」の後継機で、東北新幹線の車両「はやて」の姉妹機でもあって、逃足は速いそうです。そういえば、疾風という忍者もいましたね。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092811+/index.html
採算は関係ないとしても、この対談集はどれくらい売れるものでしょうか。
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「歴史に追い抜かれる瞬間」(by 栗田禎子氏)

2015-02-12 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月12日(木)21時32分43秒

>筆綾丸さん
植民地云々が、例えば沖縄基地反対のデモとかでスローガン的に叫ばれるなら私も理解できるのですが、歴史学研究会のシンポジウムは学問の場ですからねー。
私が聴衆の一人だったら、栗田氏の言うところの「植民地」の定義は何か、また「帝国主義」の定義は何か、程度の質問はしたはずですが、当日の質疑応答はどんな状況だったのか。

さて、栗田氏の論文には「エジプト民衆革命」への詳しい言及がありますが、シンポジウムが2012年12月に行われ、『歴史学のアクチュアリティ』の発刊は2013年5月ですから、なかなか微妙な時期です。
少し引用してみます。(p92以下)

---------
三 「たたかいの記憶」を伝えることの重要性
1 エジプト二〇一一年「民衆革命」とたたかいの記憶

 このようにわれわれは、「新自由主義」と「対テロ戦争」の名のもと、資本の論理によって世界が支配される時代、帝国主義の全面展開の時代を生きているが、ではこのような状況を打開し、歴史を動かすものは何だろうか。単純すぎると言われるかもしれないが、それが民衆のたたかい以外にないことを、現在の世界の動きは示している。
 このような展望は、おそらくラテンアメリカの情勢を観察している人の目には、かなり前から映じ始めていたのかもしれない。中南米ではすでに二一世紀初頭以来、「新自由主義」と決別し、社会的公正を実現しようとする民衆のたたかいが高揚し、めざましい成果を挙げている。だが、中東を専門とする筆者の場合、「新自由主義」・「対テロ戦争」体制が民衆のたたかいによって打ち破られることが実感されたのは、ほかならぬ二〇一一年春の中東革命、特にエジプト民衆革命の過程においてであった。
----------

いったんここで切りますが、<中南米ではすでに二一世紀初頭以来、「新自由主義」と決別し、社会的公正を実現しようとする民衆のたたかいが高揚し、めざましい成果を挙げている>というのは具体的に何のことですかね。
ベネズエラのチャベス前大統領やエクアドルのコレア大統領の反米的政策のことのような感じもしますが、それが「民衆のたたかい」といえるのか、また「めざましい成果」が上がっているのか。
ま、それはともかくとして、続きです。

----------
 それは筆者にとって、いってみれば、「歴史に追い抜かれる」瞬間、ともいうべきものを味わわせてくれる、得難い経験であった。ある意味で「現代史」のひとつの定義は、まさにこの点、現代史を研究している場合には、「歴史家が歴史に追い抜かれる瞬間がある」ということかもしれない。歴史家は社会が抱える矛盾をさまざまな角度から分析し、民衆のたたかいが勝利することを信じて長年仕事を続けてはいても、時には惰性的な研究態度になり、また変化がおきることに懐疑的になったりもする。すると──あたかもその肩をポンと叩くかのように──民衆の側が動き出し、呆然としている「現代史家」を尻目に不可逆的変化が起きて、歴史は次の段階へと移っていくのである。このように「歴史に追い抜かれる」経験は、(民衆の力量や変化の起きるタイミングを見きわめ損なったという意味で)不面目なものなのではあるが、同時に、歴史家にとって至福の瞬間、現代史家の幸福ともいえる。
----------

時系列で少し整理しておくと、

2011年1月 ムバラク大統領辞任を求める大規模デモ発生
2011年2月 ムバラク大統領辞任 軍による暫定統治
2012年6月 ムスリム同胞団のムルシーが大統領に就任
2012年11月 新憲法案をめぐり対立激化
2013年7月 軍部クーデターによりムルシー大統領失脚

といった具合に「エジプト民衆革命」は展開したのですが、2012年12月の歴史学研究会シンポジウムの頃、エジプトはムルシーの新憲法案をきっかけとする厳しい対立と混乱の中にあり、翌年5月の『歴史学のアクチュアリティ』発刊後間もなく、軍事クーデターによりムルシーが失脚してしまった訳ですね。
とすると、「エジプト民衆革命」で「歴史に追い抜かれる」経験をした栗田氏は、ムルシー失脚後のエジプト情勢をどのように評価されるのか。
栗田氏の立場からすれば、ムバラク辞任から初めて民主的な選挙で選ばれたムルシー大統領の誕生までは「不可逆的変化」だったはずで、それがクーデターでひっくり返ってしまったのだから相当な驚きだったと思いますが、ではこの事態はいったい何なのか。
呆然としている「現代史家」を尻目に、「歴史」が猛然と後退し、再び「現代史家」が呆然としたまま「歴史」の先に立ってしまった、ということなのでしょうか。

ムハンマド・ムルシー

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ゴラン高原 2015/02/11(水) 13:41:55
小太郎さん
栗田禎子氏の考え方は、祖父の遺志を継いで戦後レジームからの脱却を声高に訴えて宗主国(?)の不信を買っている現首相に似ていて、ブレーン入りも近いのかな、という感がします。「第二次世界大戦後の日本は、米軍によって国土の重要部分を占領され、アメリカの事実上の植民地となるに至った」という場合の「国土の重要部分」とは、具体的に何処を指しているのか・・・皇居と永田町と霞が関(並びに憲法)? また、「重要部分」という言い方からすると、国土には重要でない部分もあるということなんでしょうね、きっと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E7%94%B0%E7%A6%8E%E5%AD%90
ウィキの「社会的活動」を見ると、うーん、ブレーン入りは無理かな、と思われますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Golan_Heights
ゴラン高原のフランス語名は Plateau du Golan、ドゥルーズ/ガタリ共著「千のプラトー」の原題は Mille Plateaux なので、イスラエル軍人の Plateau を踏まえたジョークだった、という気が確かにしますね。mille に対してはさらにキリスト教終末論 Millenarianism(千年王国)が暗示されているのかもしれないですね。ゴラン高原の歴史や地理は不案内なので、ただの勘にすぎませんが。
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The Golan Heights borders Israel, Lebanon, and Jordan. According to Israel, it has captured 1,150 square kilometres (440 sq mi).??According to Syria the Golan Heights measures 1,860 square kilometres (718 sq mi), of which 1,500 km2 (580 sq mi) are occupied by Israel. According to the CIA, Israel holds 1,300 square kilometres (500 sq mi)
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以上のようなウィキの Geography の説明は、「千のプラトー」の副題にある Schizophrénie(分裂病)を思わせるものがありますね。

『フランス現代思想史ー構造主義からデリダ以後へ』に次のような記述があるのですが、「アメリカの変な地名に関する folk etymology には Post Office が登場することが多い」と小太郎さんが言われていたことを思い出しました。地名決定に郵便局が関与するという背景には、「思想の巨匠は郵便の巨匠」という欧米の事情があるのかもしれないですね。
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デリダが「郵便」として想定しているのは、じっさいの「郵便」だけでなく、哲学的な書簡や、さらには著作そのものをも含み、広大な領域をなしている。たとえば、フロイトやハイデガーのような「思想の巨匠は郵便の巨匠(郵便局長)」でもある」と言われている。プラトンの『書簡』は、次々に配達され、プラトン自身が想像さえしなかった人々にまで、届けられる。(191頁)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%B3%B6%E5%AF%86
http://www.h2.dion.ne.jp/~pv0ngdn/jourakuji.html
「郵便制度の父」前島密の眠る浄楽寺には和田義盛寄進の運慶仏があり、尋ねる機会があれば、デリダって野郎が「盗まれた手紙(アラン・ポー)」は d'aventure(時には)届かないこともある、てなことを言ってましたぜ、旦那、と鴻爪翁に密告しようかと思います。
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『歴史学のアクチュアリティ』

2015-02-11 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月11日(水)12時59分18秒

2012年末に開催された歴史学研究会創立80年シンポジウムの発表をベースとする『歴史学のアクチュアリティ』(東大出版会、2013)、今ごろ通読してみたのですが、北海道大学教授・長谷川貴彦氏の「現代歴史学の挑戦:イギリスの経験」は、ちょうど自分の現在の関心にぴったりだったので、非常に興味深く感じられました。
この本は全体的に決して悪くはないのですが、千葉大学教授・日本中東学会会長の栗田禎子(よしこ)氏の論文「現代史とは何か」の存在感は強烈で、ちょっとびっくりしました。
栗田氏によれば、現在の我々は「「新自由主義」と「対テロ戦争」の名のもと、資本の論理によって世界が支配される時代、帝国主義の全面展開の時代」(p92)に生きているのだそうです。
「日本近現代史の基調低音としてのコロニアリズム」という標題の部分から少し引用してみます。(p90以下)

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 今さらいうまでもないことだが、日本における近代国家建設・経済発展と、アジアに対する植民地支配とは、不可分のプロセスとして進行した。
 国外における植民地主義は、必然的に国内の社会にもはね返り、(日露戦争→「韓国併合」→「大逆事件」という連関、あるいは治安維持法の成立過程に鮮明に表われているように)まさに侵略戦争や植民地支配の展開と軌を一にする形で、国内における非民主的体制が形成されていく。植民地支配は、日本における民主主義の(あるいは民主主義の不在の)歴史を根底で規定してきた要因でもある。
 さらに、第二次世界大戦後の日本は、米軍によって国土の重要部分を占領され、アメリカの事実上の植民地となるに至った。歴代の政府はこの厳然たる事実から国民の目をそらさせ、その意識を眠り込ませようとしているが、「沖縄」問題、あるいは最近のオスプレイ配備問題といった形で、矛盾は絶えず噴出し続けている。現在の日本にとってコロニアリズムは、まぎれもなく自らに課された問題となったのである。
 皮肉なのは、このアメリカによる植民地化という現在の事態が、まさに近代以降日本がアジアに対して行なってきた侵略戦争・植民地支配の歴史全体の結末、総決算としてもたらされた、ということである。そしてこのことは、第二次世界大戦後、他のアジア・アフリカ諸国では欧米の植民地支配に対する果敢なたたかいが実を結び、占領からの解放が勝ちとられて行ったのに対し、なぜ日本においては(民主勢力は一貫して占領からの解放を求めてたたかってきており、またその過程ではアジア・アフリカ諸人民との課題の共通性が認識・強調されてきたにもかかわらず)今もって米占領体制からの解放が実現しないのか、を考える上でも重要かもしれない。近代史上、インドにせよ中国にせよエジプトにせよ、占領され植民地化された国は多いが、これらの国々のように一方的に植民地化された場合と、日本のように自らが侵略戦争や植民地支配に邁進した末にその結果として外国支配下に陥った場合とは、質的に違うと言えるのではないか。一方的に植民地化された諸国民は、(その過程で人命・国土に筆舌に尽くし難い甚大な被害が及んだとはいえ)道義的には無傷である。これに対し、侵略戦争・植民地支配を行った挙句に植民地化された日本の場合は、いわばその近代史全体が道義的に破綻してしまっているので、解放のためのたたかいは屈折した、困難なものとなる。近代以降アジアに対する侵略や植民地支配を推し進め、他民族の主権を踏みにじってきた支配層が、第二次世界大戦後はアメリカによる占領体制に協力し、今度は自国民の主権を売り渡すという、倒錯した、「コロニアリズムの内在化」とも言える現象も生じることになる。
 このような状況下でアメリカ占領からの解放を勝ちとるためには、われわれは、絶えず植民地主義と共にあり、またそれを内在化してきた日本の近現代史全体を、徹底的に批判し、乗り越える姿勢を持たねばならないだろう。
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栗田禎子氏によれば「アメリカ占領からの解放」は未だ実現しておらず、今後「勝ちとる」べき目標なのだそうですが、このような認識を共有されている方々は歴史学研究会の会員の中でどのくらいいるのでしょうか。
栗田氏は単なる一会員ではなく、歴史学研究会の機関誌『歴史学研究』の前編集長(2009~2012年)で、同会を支える中心的メンバーの一人であることを踏まえると、このような発想に同調する人は相当多いのでしょうか。

『歴史学のアクチュアリティ』
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精強な軍隊の精妙な冗談?

2015-02-11 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月11日(水)10時21分37秒

>筆綾丸さん
しつこく「ジュディ」について考えていたのですが、アメリカでは「ジュディ」が1936年から1956年の間は女の子につける名前のベスト50に入っていたにもかかわらず、1960年に74位と減少し、2012年には893位と激減してしまったのは、もともとこの名前が一種の流行で命名されたからではないかと思い至りました。
具体的には『オズの魔法使』の子役などで一時は大変なブームを起こし、その後、薬物中毒の影響でイメージが悪化して、最後は47歳の若さで睡眠薬の過剰摂取で死亡したジュディ・ガーランド(1922-69)の影響なんじゃなかろうか、と思います。
この想像が正しいとすると、アメリカ人のリサ・ブルーム氏が「ジュディ」にユダヤ人性を感じなかった理由も説明がつきますね。

ジュディ・ガーランド

>「平滑」空間
國分功一郎氏の著書は一冊も読んでいませんが、高崎経済大学准教授で中沢新一との共著(『哲学の自然』、太田出版、2013)もある人なんですね。
「平滑」空間云々は昔、中沢新一が『悪党的思考』で書いていました。
オウム事件前ですからけっこう真面目に、後醍醐論あたりには傍線を引いたりして熱心に読んだのですが、その感想を本郷和人氏に話したら、くだらない本だと吐き捨てるように言われていましたね。
今では私も本郷氏の判断が正しかったな、と思っています。

>「作戦理論」
この話はスラヴォイ・ジジェクの手の込んだ冗談かもしれないし、仮に本当にスラヴォイ・ジジェクが聞いたとしても、それは哲学と冗談が好きなイスラエルの軍人にからかわれただけじゃないですかね。
哲学者にしろ思想家にしろ、物事を根本から思考していると自負している人間は、日常生活では結構からかわれたり騙されたりすることが多いですからね。
何となく相生山の「生駒庵」で「鳥刺し」から自慢の逸品を見せられ、そこに<中世語の「悪」の本来的な意味>を汲み取り、<農業が手を加え穏やかなものに改造してきた「自然」とは異質な、なまなましく、荒々しく、美しい、別の種類の「人間的自然」>を発見した網野善彦と中沢新一を思い浮かべてしまいます。


※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

「下天の天下」或いは「天下⊆下天」について 2015/02/09(月) 20:01:51
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA
ご紹介のサイトにあるTDA(The Times Digital Archive 1785-1985)ですが、なんと200年分もあるようで、読破できるのかどうか、大変な量ですね。ウィキに以下のようにあり、柴五郎の記事は興味を惹かれますが、留学中の鬱病の漱石が倫敦の下宿で読み、『坊ちゃん』は未生ながら、「会津っぽ」も頑張ってるな、と思ったかどうか・・・。
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1887年から北京へ派遣していたジョージ・アーネスト・モリソンが、1900年に義和団の乱に遭遇して55日間の籠城を伝えた特派員記事では柴五郎や日本を好意的に伝え、1902年の日英同盟締結に向けてイギリス国民の世論に大きな影響を与えた。
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以下は、「日本全土を意味する語としての「天下」は秀吉の後半ころから徐々に使われ始め、江戸時代初期には、日本全土を意味するものとなり、京都あるいは畿内の意で用いられることはなくなる(「はじめに」?頁)」という記述と明らかに矛盾するのですが(英俊の云う「天下」は広範囲である)、著者の説明は何もなく肩すかしを食らったような感じがします。伊勢、尾張、美濃、越前、播磨、丹波、若狭・・・ひっくるめて畿内ということなら、「天下」の範囲など論じても無意味ではないか・・・。
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(清須会議の結果)信長の旧領は、伊勢・尾張が信雄に、美濃が信孝に、越前のほか近江長浜周辺が柴田勝家に、播磨のほか山城・河内・丹波が秀吉に、若狭のほか近江二郡が丹羽長秀に、摂津池田・伊丹のほか大坂・尼崎・兵庫が池田恒興に、丹羽長秀の旧領が堀秀政に分割される。この様子を奈良興福寺多聞院の僧英俊は「天下の様、柴田(勝家)、羽柴(秀吉)、丹羽五郎左衛門(長秀)、池田紀伊守(恒興)、堀久太郎(秀政)、以上五人して分け取りの様にその沙汰あり、信長の子供は何も詮に立たずと云々」と記す。(『戦国乱世から太平の世へ』57頁)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%9B%9B_(%E5%B9%B8%E8%8B%A5%E8%88%9E)
天下と下天との間には、天下⊆下天、という関係が成立すると思いますが、敦盛を舞いながら、信長はこの皮肉な関係を意識していたのだろうか。・・・人間五十年、下天(化天)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。

ドゥルージアンなイスラエル軍? 2015/02/10(火) 20:37:32
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2015/01/102300.html
岡本裕一朗氏の『フランス現代思想史ー構造主義からデリダ以後へ』で、以下のようなことをはじめて知り、魂消ました。真偽の程は不明ながら、もし本当だとすれば、一国の軍隊の作戦理論に引用された「哲学書」というのは、史上空前かどうかはともかく、相当珍しい例になるでしょうね。「哲学書」などに依拠するまでもなく、イスラエル国防軍が中東では(核兵器は抜きにしても)最強の軍隊であることは、おそらく衆目の一致するところですが、それはそれとして、おいおい、ほんとに大丈夫かね、と思います。
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ちょっと皮肉まじりに、スラヴォイ・ジジェクが『ロベスピエール/毛沢東』(二〇〇七年)において、面白い観点を提供している。

 イスラエル国防軍の軍事学校では、パレスチナ人民に対するイスラエル国防軍の市街戦を概念化するために、ドゥルーズとガタリ、とくに『千のプラトー』を系統的に参照し、それを「作戦理論」として用いている。[……]彼らが依拠している重要な区別の一つに「平滑」空間と「条理」空間があり、それは「戦争機械」と「国家装置」という秩序概念を反映している。いまやイスラエル国防軍は、境界がないかに見える空間における作戦に言及する必要がある場合、しばしば「空間を平滑化する」という表現を用いるようにさえなっている。またパレスチナ人民の居住区は、そうした地区がフェンスや壁、溝や道路を塞ぐブロックなどで包囲されているという意味で、「条理化された」ものと考えられている。(「? 毛沢東」)(153頁~)
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http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10675246414.html
http://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/09/why_the_israeli.html
以下は、國分功一郎というドゥルージアン(ジル・ドゥルーズの研究者あるいは追随者)のトンチンカンな反応の一部です。
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・・・ドゥルージアンたちは完全に負けてるな。緊張感が違うんだ。もちろん軍事に関わる人間の緊張感はハンパないものだろうけど、でも、哲学やる緊張感だって同じじゃないの? もちろん緊張感があれば何でもやっていいというわけじゃないけど。俺はなんだか分からないけどドゥルーズ=ガタリがそこで使われているってこの話を知ってくやしかった。(中略)あの軍事学校に負けない緊張感を持って、それを圧倒するような読解を展開するべきですので、俺も努力します。
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「日本ヴィクトリア朝文化研究学会」会長

2015-02-09 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 9日(月)10時21分48秒

ここ数日、井野瀬久美恵氏の著書・論文を集中的に読んでみたのですが、非常に優秀な方ですね。
暫く前からイギリスの歴史を真面目に勉強しようと思って、大阪大学名誉教授の川北稔氏を中心に関西のイギリス史研究者の本をまとめて読んでいて、井野瀬氏の名前も川北氏編集の論文集で知りました。

「日本ヴィクトリア朝文化研究学会」

大英帝国のダイナミックな歴史は近代世界システム論の日本における第一人者である川北氏の著書で学ぶことができますが、女性史の観点も新鮮ですね。

>筆綾丸さん
>『戦国乱世から太平の世へ』
未読ですが、藤井譲治氏もこの時期の概説書をたくさん書いているので、イマイチ新鮮味がないような印象を受けてしまいますね。

※筆綾丸さんの下記投稿への返信です。

天下の形態学 2015/02/08(日) 15:28:29
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/
藤井讓治氏『戦国乱世から太平の世へ』を拾い読みしてみました。
最近の学説を踏まえて、信長・秀吉・家康の時代における「天下(天が下)」の意味の変容が大きなテーマになっていますね。
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このように、日本全土を意味する語としての「天下」は秀吉の後半ころから徐々に使われ始め、江戸時代初期には、日本全土を意味するものとなり、京都あるいは畿内の意で用いられることはなくなる。(「はじめに」?頁)
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天下布武、天下人、天下殿、天下の様、普天下、一天下、天下静謐、天下支配、天下愈々平和、天下一統、天下取り、天下の鎮撫、天下の覇府、天下の掌握、天下の政治、天下御仕置、天下泰平(太平)・・・。
http://en.wikipedia.org/wiki/Morphology
天下のモルフォロジー(Morphology)とでも命名したいような賑やかな種々相ですね。

最近の学説および著者の論に従えば、光秀の発句「ときは今 天が下しる 五月哉」(天正十年五月)の「天が下」は京都あるいは畿内となりますが、愛宕山威徳院で詠まれたという地理を考慮すれば、ずばり京都だと言えるのでしょうね。発句は眼前の景を詠み込むのがルールだから、この日、少なくとも洛外の愛宕山山頂には天ならぬ雨が降っていたはずですが、洛内の本能寺の瓦に雨粒が落ちていたかどうか、それはわかりません。

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(天正六年十月の本願寺との和睦交渉において)・・・天皇のヘゲモニーのもとで和談が成立するかにみえたが、信長有利に戦況が変化すると、毛利氏への勅使派遣は見送られる。天皇の綸旨であっても、信長の都合次第であり、天皇の権限や位置は脆弱なものであった。(50頁)
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「天皇の綸旨であっても、信長の都合次第であり、天皇の権限や位置は脆弱なもの」なのに、なぜ「天皇のヘゲモニー」などといえるのか、著者の語感が理解できない。信長に「ヘゲモニー」はあるかもしれないが、正親町天皇にヘゲモニーなどあろうはずもなく、ここは「天皇の斡旋(仲介)」くらいの意で、ドイツ語の Hegemonie にならっていえば Vermittlung ですかね。
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ジュディ・シカゴの戦略と優先順位

2015-02-05 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 5日(木)15時02分18秒

北原恵氏の論文をそれなりに丁寧に読んでみたつもりなのですが、ユダヤ人差別関係はよく分からないですね。
リサ・ブルーム氏はジュディ・シカゴの改名について、1975年の最初の自伝 Through the Flower(小池一子訳『花もつ女』、PARCO出版、1979年)と1996年の二番目の自伝 Beyond the Flowerでの説明の違いを指摘した上で、「もともとの民族的な名前を変えて、有名な白人の非ユダヤ人女性として、自分の民族より優勢なグループへと乗り換えた」と評価し、その理由を、「当時文化的エリートの一員として認められるためには、カリフォルニアで蔓延していた反ユダヤ主義的な公的文化に同化しなければならないという抑圧が存在した」等と分析しているそうですが、差別の問題は微妙ですから、かかる評価が適切なのか、またそもそも実態として当該「抑圧」が存在したのかなど、私の知識と能力では調べる方法もありません。
ただ、まあ、36歳のときの最初の自伝での説明はフェミニズム活動家としてのキレイゴトっぽいのに対し、画廊経営者の意見に従ったという二番目の自伝の説明は率直な感じはします。
「ゲロウィッツ」じゃどうにも語感的に冴えず、売れそうもないですね。
ジュディ・シカゴは自己のアート作品を通してフェミニズムの戦闘的な主張を展開した運動家ですから、何だかんだ言っても目立ってナンボ、作品が売れてナンボ、という現実的な要請を一番重視したんじゃないですかね。
『最後の晩餐』の利用もそれが最も有名だからであり、性器を素材にすることも、それが最も刺激的で世間を騒がせることが出来るからであって、運動家としての戦略は一貫しているように思います。
激しい運動が一応終息した後になって、後出しジャンケン的にいろいろ批判することは可能ですが、運動家には運動家としての戦略と優先順位があったんじゃないですかね。
「文化的エリートの一員として認められる」みたいなのんびりした目標は、仮にあったとしても、優先順位としては最下位くらいじゃないかなと思います。
ま、不得意な分野なのでジュディ・シカゴについてはこれで終えますが、北原恵氏の論文には後深草院二条は全く登場しないのに対し、井野瀬久美恵氏の論文には脇役として出てきますので、そちらの検討を少し続ける予定です。

>筆綾丸さん
>ルイーズ・ブルジョワの巨大化した蜘蛛
実物は六本木ヒルズのものしか見ていませんが、個人的にはあまり好きになれないですね。
リンク先のページには「子孫繁栄の象徴、命の誕生を賛え、希望溢れる作品」などとありますが、人それぞれだなと思います。


>ワルハラという町
以前、ミズーリ州の"Peculiar"(奇妙な)という名前の町について少し調べていて、アメリカの変な地名に関する folk etymology には Post Office が登場することが多いなと思いましたが、ご紹介のウィキペディアの記事を見ると、ワルハラの場合は郵便局長夫人が命名を主導しているんですね。

Peculiar という名前の町

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

パリ百景ー蜘蛛、ゴブラン織、獺祭 2015/02/04(水) 15:04:56
小太郎さん
http://fukusei-movie.com/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%http://en.wikipedia.org/wiki/Maman_(sculpture)83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AF
去年の夏、新宿で『複製された男』という映画を観ましたが、ラストシーンはルイーズ・ブルジョワの巨大化した蜘蛛がゴジラのように都市を伸し歩くというもので、彼女の影響力の強さを感じました(二流映画でしたが)。
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Bourgeois' mother, with metaphors of spinning, weaving, nurture and protection. Her mother Josephine was a woman who repaired tapestries in her father's textile restoration workshop in Paris.Bourgeois lost her mother at the age of twenty-one. A few days afterwards, in front of her father who did not seem to take his daughter’s despair seriously, she threw herself into the Bièvre River; he swam to her rescue.
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http://en.wikipedia.org/wiki/Ariadne
この蜘蛛はルイーズにとって母親の寓喩のようですが、大理石の卵はもしかするとギリシア神話のアリアドネの糸玉を意味しているのかもしれませんね。母親に先立たれた21歳のルイーズは鈍感な父親へのあてつけからビエーヴル川で入水自殺しようとして未遂に終わっていますが、この説明では彼女がイスカリオテのユダの場所を占めている理由はわかりません。ユダの裏切りに通ずるような何か深い闇があるのでしょうね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Gobelins_Manufactory
現在のビエーヴル(獺)川はパリ市内では暗渠ですが、川沿いに国立のゴブラン織物工房(La manufacture des Gobelins)があり、あの辺りの13区から5区にかけて昔は tannerie(なめし工場)とともに多数の織物工場があったようですね。人間の悲喜劇(女工哀史?)などには目もくれず、ゴブラン織のような華麗な獺祭が繰り広げられていたのだろう、と想像します。広重がパリに生まれていたら、描いたにちがい風景のひとつですね。

追記
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-31124170
http://en.wikipedia.org/wiki/Valhalla,_New_York
ヴァーグナー崇拝者の命名によるワルハラという町がニューヨーク郊外にあって、それは Census-designated place(国勢調査指定地域)だということを、この列車事故で初めて知りました。
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