学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

山口政二と山口啓二

2014-08-31 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月31日(日)23時05分30秒

今日、中澤俊輔氏の『治安維持法』(中公新書、2012)を読んでいたら、同法成立時の議会審議に関連して山口政二の名前が出ていました。(p55以下)

---------
国体とは何か

 その後の運用を考えると、治安維持法案の最も重要な争点は国体の定義である。この二文字は、治安維持法に「悪法」のイメージをまとわせてきた。
 そもそも、国体とは何だろうか。まず思い浮かぶのは、万世一系の皇統(天皇の血統)が継承され、天皇が政(まつりごと)を統(す)べるという、皇国史観的な国体論である。
(中略)
 それでは、治安維持法案における国体とは何を意味したのだろうか。
 内務省も司法省も起草段階では、万世一系の皇統という歴史的意味を強調していた。ただし議会の政府答弁は、あくまで憲法第一条にもとづく統治権の所在として国体を論じた。議員と政府の双方に、国体をタブー視する空気があったことは否めない。
 そんななか、山口政二(まさじ、政友会)は、「国体変革」を企図するような国民は一人としていないのではないか、という鋭い質問を放った。山岡万之助はこれに対し、国民は「国体変革」を想像することさえできないし、政府も現実に「国体変革」が起こると予想するわけではない、と回答している。
 山口が質問したように、当時の日本には果たして「国体変革」が起こる可能性はあったのか。たとえば小川法相は、二月革命から十月革命に至ったロシア革命のように、君主制の廃止から労農独裁政権の樹立への移行を警戒した。内務省もこの「無政府共産主義」を想定していた。しかし、当時は無政府主義の退潮が著しく、日本共産党は再建の途についたばかりであった。国体変革を目的とする結社は皆無であったといわざるをえない。(後略)

『治安維持法』
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/06/102171.html

著者の中澤俊輔氏は1979年生まれのまだ若い人だそうで、微妙に文章に甘さ、というか違和感を感じる部分があります。
上記引用でも山口政二は特に「鋭い質問を放った」とも言えないように思いますが、ま、それはともかくとして、山口政二とは何者かというと、この人は去年亡くなった東大史料編纂所元教授・山口啓二氏の父親です。
父子ともウィキペディアに立項されていますが、いずれも親子関係には触れていませんね。

山口政二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%94%BF%E4%BA%8C
山口啓二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%95%93%E4%BA%8C

山口政二(1887-1927)は旧制一高では応援団長で、「独眼流将軍」と呼ばれた名物男だったそうですが、思想的には大正デモクラシーを体現するリベラル派だったみたいですね。
山口啓二氏(1920-2013)は少壮代議士のお坊ちゃんとして幼少期は極めて裕福な暮らしをしていたのに、父親が40歳の若さで急死してしまった後、一家は銀行の厳しい貸付金取立てに苦労し、結局、母方の祖父のもとで暮らすことになったそうです。
この母方の祖父が一高教授の斎藤阿具(1868-1942)で、今では夏目漱石・正岡子規の友人として知っている人は知っているという存在ですね。
夏目漱石は斎藤阿具から借りていた千駄木の家で『我輩は猫である』を執筆したそうで、『山口啓二著作集』第5巻の「聞き書き-山口啓二の人と学問」には、この家の思い出が詳細に描かれていますね。

斎藤阿具
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%98%BF%E5%85%B7

山口啓二氏は歴史科学協議会設立の中心となり、また史料編纂所職員組合委員長・東大職員組合委員長として労働運動・社会運動にも熱心だった人ですから、正直、硬直的な運動家タイプの人なのだろうと思って「聞き書き-山口啓二の人と学問」にも全然期待していなかったのですが、実際に読んでみたら非常に良質の面白い読み物でした。
特に戦前の思い出が良いですね。

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歴研番付

2014-08-31 | 歴史学研究会と歴史科学協議会

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月31日(日)21時28分28秒

「在野」の謎、今日も少し考えてみたのですが、「大学院の専攻課程を経て」いるのが「専門的研究者」であって、そうでない人は「非アカデミズム」研究者=市民的研究者=「在野」と定義すると、石母田正氏や永原慶二氏も「非アカデミズム」=「在野」になってしまって、さすがにまずいですね。
とすると、羽仁五郎・林基・藤間生大の三氏がそれぞれ社会的に最も活躍していた時期には大学の教員ではなかった、だから「非アカデミズム」=「在野」だ、というあたりが適切かなと思います。

「在野」かどうかは別として、学問的レベルに基づき歴史学研究会の会員番付を作ったら、石母田正氏や永原慶二氏は理論・実証のいずれにおいても横綱クラスでしょうね。
羽仁五郎・林基・藤間生大氏の業績には詳しくありませんが、若干の理論倒れの面があったとしても、三人とも少なくとも大関クラスじゃないですかね。
このクラスに比べたら、失礼ながら深谷克己氏なんてせいぜい前頭十枚目くらいじゃないですかね。
よく知らないですけど。

>筆綾丸さん
"Hello Kitty is not a cat"で検索すると筆頭がBBCで、ワシントンポストやCNNなど主要メディアが軒並み出てきますね。
もっともワシントンポストはニュースとしてではなく、Alexandra Petri という冗談好きの女性作家?のエッセイですが。

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Hello Kitty is not a cat. Everything is a lie.

If you were wondering whether everything is a lie, the answer is: yes. Everything is a lie.
Hello Kitty is not a kitty. I repeat: Hello Kitty is not a kitty. According to Sanrio, Hello Kitty - whom you have seen on literally every consumer product at an increasing rate over the past 40 years - is in fact a human child.

http://www.washingtonpost.com/blogs/compost/wp/2014/08/27/hello-kitty-is-not-a-cat-everything-is-a-lie/

ハローキティはロンドン郊外に住む女の子という設定はともかく、ハローキティ自身がチャーミー・キティという名の猫の飼い主である点は個人的にはなかなか衝撃的でした。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

スヌーピーのツイート 2014/08/30(土) 18:35:28
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/20140829_41.html
どうでもいいような記事で恐縮ですが、
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Popular US cartoon character Snoopy tweeted that he is definitely a dog.
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は笑えますね。

「序章 信長の政治理念」に関する素朴な疑問
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将軍という立場とは無関係に天下静謐を号令しても容易に服そうとせず、逆に敵対行動をとる大名が多かった。信長は天下静謐維持のため彼らを服従させようとして、それが軍事行動(戦争)となるばあいもあった。その結果勝利して相手を滅ぼせば、信長の支配領域につながる。あえて言うなら、信長の勢力拡大は、天下静謐に刃向かう敵と戦った結果生じたのである。「天下」の領域が静謐となり、それを脅かす敵対勢力がいなくなれば、みずからの役割が果たされる、そう信長は考えていたにちがいない。(「織田信長<天下人>の実像17頁)
---------------
神田千里氏の規定によれば、「天下布武」という目標は、永禄11年(1568)、義昭を擁して上洛した時点で達成されたのであり、上洛後(「天下布武」後)の信長の政治理念は「天下静謐」であった(14頁)、として上記のように続きますが、強大な軍事力を前提にしなければ「天下静謐」などあろうはずがなく、永禄11年は「天下布武」の達成ではなく一過程にすぎず、以後もずっと「天下布武」の状態は続いたろう、「天下布武」という目的が突然消えて新たに「天下静謐」という目的になったのではあるまい、「天下布武」と「天下静謐」を別物のように概念操作しても無意味ではないか、と思われます。
「信長公天下十五年仰せ付けられ候」や「信長京師鎮護十五年」は(19頁)、「天下布武」後の「天下静謐」を指すのではなく、「天下布武」かつ「天下静謐」、と解すれば済むことではないか。「天下布武」後、信長は「天下布武」の印を何故15年間も使い続けたのであろうか。「天下静謐」⊆「天下布武」で充分だろう、という気がしますね。
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朝日新聞の精進料理

2014-08-30 | その他
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月30日(土)13時34分5秒

>筆綾丸さん
四月の出来事を今ごろ朝日新聞が騒いでいる件ですね。

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首相、A級戦犯ら法要に哀悼メッセージ「祖国の礎に」

 安倍晋三首相が4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていたことが朝日新聞の調べで分かった。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、首相は「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と伝えていた。

BBC記事は朝日の名前を出さず、"Local reports"と複数形にしていますが、中身は朝日の丸写しですね。
また、ニューヨークタイムズではマーチン・ファクラー記者が同種の記事を書いていますが、これは朝日を明示していて、BBCより多少は良心的のようです。

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Japan’s Premier Supported Ceremony for War Criminals

TOKYO Japan’s conservative prime minister, Shinzo Abe, sent a message of support earlier this year to a ceremony honoring more than 1,000 Japanese who died after convictions for war crimes, a government spokesman said on Wednesday. The move could worsen frictions between Japan and its neighbors, particularly China, over bitter memories of World War II in the region.
Mr. Abe wrote in the message that the convicted war criminals had “sacrificed their souls to become the foundation of the fatherland,” according to a news report that first appeared in The Asahi Shimbun, a major Japanese newspaper.


朝日新聞が中国・韓国にどうぞ怒ってくださいと食材を提供し、中国・韓国に欧米メディアを交えてキャッチボールをして話を大きくして行くパターンも少し飽きられてきた感じがしますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ルーベンスの絵の下で 2014/08/29(金) 18:35:41
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8A%AC
むかし、少年ネロと老犬パトラッシュが仲良く死んだ所とは知らずに、アントワープの大聖堂を訪ねたことがありますが、ルーベンスの大作、『キリストの昇架』と『キリストの降架』が、これまた仲良く並んでいる教会でした。

http://www.bbc.com/news/world-asia-28948501
--------------
It houses a monument to more than 1,000 "Showa martyrs," referring to soldiers who fought in World War Two in the name of the late Emperor Hirohito.
--------------
英文のBBCは不正確のようですが、

http://www.bbc.co.uk/zhongwen/trad/world/2014/08/140827_japan_abe_memorial.shtml
--------------
碑上刻有包括二戰後被遠東軍事法庭判定為甲級、乙級、丙級戰犯的日本軍人的姓名。(中略)刻有一千多名病死、自殺戰犯的紀念碑・・・
--------------
中文のBBCは正確のようです。

http://paper.wenweipo.com/2014/08/28/YO1408280017.htm
--------------
「昭和殉難者」專指日本戰敗後被追究戰爭罪行而處死或自殺的戰犯,「法務死」則是把這些被處死的戰犯等同於戰死沙場的普通軍人・・・
--------------
香港の新聞は、「法務死」の解釈が違っているような気がします。「沙場」は、ググると、「百戦沙場砕鉄衣」〔李白・従軍行〕、「胡霜漢月照刀環 百戰沙場久不還 萬馬夜嘶?海戍 孤鴻秋度玉門關」(木下順庵)などと使われ、ただの砂漠ではなく、戦場を意味するようです。漢文が正確にはわからぬながら、戰死沙場的普通軍人≒戦場で死んだ一般軍人、ではないのではないか。翻訳とともに意味がずれてゆくのは仕方ないことだけれども。
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「在野」の謎

2014-08-30 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月30日(土)12時35分18秒

細かなことかもしれませんが、深谷克己氏の「在野」の用法、よく分からないですね。
ウィキペディアを見たら深谷氏は早稲田大学文学部を卒業し、同大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。早稲田大学文学部助手→専任講師→助教授→教授→名誉教授という具合に人生早稲田一色で、まあ、早稲田といえば普通は大隈重信の「在野精神」を連想しますから、早稲田ブランドとの関係がまず謎ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E8%B0%B7%E5%85%8B%E5%B7%B1

ついで深谷克己氏は、その著作を見る限り歴史学研究会・歴史科学協議会の中心的メンバーだったようですが、両団体とも「在野」を標榜しているはずじゃないですかね。
試しに「在野」&「歴史学研究会」で検索してみると、保立道久氏のブログが出てきて、「私は歴史学研究会という在野のインターカレッジの学会の古代史部会で学問の手ほどきを受けたのだが」などと言われていますね。
従って所属研究団体との関係が謎の二点目。

『社会科学と信仰と』ー大塚久雄先生のこと
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-699f.html

また、立命館大学文学部日本史専攻のサイトには、

--------
戦後直後から、北山茂夫(古代史)、林屋辰三郎(中世史)、奈良本辰也(近世史)、前田一郎(思想史)、岩井忠熊(近代史)などのきわめて著名な研究者を擁し、その学風は「立命史学」とよばれてきました。その特色は、中央中心の歴史学が見落としてきた史料を堅実に掘り起こし、それらの史料を縦横に活用しながら、民衆の立場からダイナミックな歴史像を復元していくことにあります。こうした学風は、巷間から幅広い支持を集め、日本史学専攻は文字通り「在野史学」の騎手たる地位を築きあげてきました。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/jh/chara.htm

とありますが、「中央中心の歴史学」と対比して「民衆の立場からダイナミックな歴史像を復元」する学風を「在野史学」と呼ぶのも割とよく見かけるパターンなのに、「民衆運動史研究の第一人者」であるはずの深谷克己氏はそのような用法とは無縁みたいですね。
この学風との関係が謎の三点目ですね。

改めて深谷氏のエッセイを見ると、前回投稿で引用した部分に続けて次のような記述があります。

---------
 おおよそ八〇年代以降の学界で最前線を担ってきたのが「現代歴史学」だとすれば、その面々はおそらく大学院の専攻課程を経てきている。近年であれば博士学位を取得しているのが当たり前という傾向も進んでいる。今度の『岩波講座日本歴史』はそうした執筆者に支えられているはずである。しかし「戦後歴史学」の担い手が先頭に立っていた頃は、大学院制度は全国的に見れば成熟しておらず、多様な訓練のコースを経た研究者が少なくなかった。専門的研究者と市民的研究者の境界は曖昧であった。
 平沢氏の場合は、下伊那の研究に徹したが、信濃史学会に属して成果を発表し、また全国的な学会誌にも登場の機会を持ち、伊那谷の仲間的な刊行活動にも支えられるという、個性的な履歴を刻んだ「在野」の研究者であった。
---------

これを見ると、深谷氏にとって「大学院の専攻課程を経て」いるのが「専門的研究者」であって、そうでない人は「非アカデミズム」研究者=市民的研究者=「在野」ということですかね。
この基準だと史学系の学部は卒業していても大学院を出ていない羽仁五郎・林基・藤間生大の三氏は確かに「在野」と分類されることになりますね。
あと、考えられる可能性としては、学歴よりもむしろ職歴に注目して、羽仁五郎の東大史料編纂所在籍は短すぎるので無視、林基の専修大学、藤間生大の熊本商科大学(熊本学園大学)は偉大な早稲田大学と比べると大学としてのレベルが低すぎるので無視、ということですかねー。

羽仁五郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%BB%81%E4%BA%94%E9%83%8E
林基
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%9F%BA
藤間生大
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E9%96%93%E7%94%9F%E5%A4%A7
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早稲田と「在野」

2014-08-29 | 歴史学研究会と歴史科学協議会

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月29日(金)10時11分10秒

私は近世史に疎くて深谷克己氏の論文はあまり読んでおらず、たまたま深谷氏が「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」などと書いていたのを知って、史的唯物論の理論家・活動家タイプの人なのかな、と思っていたのですが、「『戦後歴史学』を受け継ぐこと」を読むと、多少誤解していたカモ、と感じないでもないですね。

「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/30b01514fae81f9d6c95a6335157c7d5

このエッセイの後ろの方には南信濃の郷土史家である平沢清人氏のことが出ていますが、たまたま飯田市には年上の知人が住んでいて、私も時々訪問して地域の雰囲気は一応理解しているので、興味深く読みました。

-----------
 長らく記憶から遠ざかっていたが、あらためて思い起こされるという研究者もいる。先だって長野県伊那谷の地方史を研究し、発表し続けた平沢清人氏の没後四十年に際して、その活動歴と歴史学の意義を問い返そうというシンポジウムが「飯田市歴史研究所」の主催で開かれ、私もその報告者の一人として参加した。平沢氏は一九〇四年の生まれで、「戦時下歴史学」「戦後歴史学」を実践的に生きた地方史研究者であった。私は、若い頃百姓一揆研究に打ち込み、幕末の一揆として『日本資本主義発達史講座』(一九三二-三三年)の中で羽仁五郎が論じた信州伊那郡の南山一揆に興味を持ち、それが機縁となって、この一揆について史料発掘を続けていた平沢氏を六〇年代から認識していた。その後『歴史評論』の編集委員として平沢氏と対面して回想録を録音し、誌上に載せる仕事も担当した(「下伊那の農民の中で」同誌236号、一九七〇年四月)。
 平沢氏に目を向けるだけでも、多くの研究成果(『近世南信濃農村の研究』一九五一年、『近世入会慣行の成立と展開』一九六七年、『百姓一揆の展開』一九七二年、『近世村落への移行と兵農分離』一九七三年、など)と同時に、戦後社会で近世史研究を志した人たちの生き様が浮かび上がってくる。あらためて思うのは、「在野」の研究者の存在が大きな比重を占めていたということである。平沢氏もその一人で、研究は「信州下伊那地方を中心に」と常にサブタイトルが付けられているように、ごく狭い地域の歴史を微視的に精査するものであった。平沢氏のような「非アカデミズム」研究者が各地に生まれたのが戦後社会である。
 それらの人々は、戦前の小作争議に関わっていた者や戦後の文化運動・労働運動・教育運動に加わった者の中から現れた。おおむね居住地域の史料を調査し、抵抗運動や騒動の歴史を中心におき、「革命的伝統」を確かめ、封建遺制克服の民主化の課題に結びつけようとする研究活動であった。こうした地域密着型の闘士的な郷土史家ではなく、羽仁五郎や林基(はやしもとい)や藤間生大(とうませいた)等々の、学界にも知名度の高い「中央」的な歴史家で、かつ「在野」の研究者である者も少なくなく、学生・市民への影響力も大きかった。
-----------

ま、これだけ長く引用しておきながら、なるほど、と思っただけで特に意見もないのですが、最後の「在野」の用法はよく分からないですね。
羽仁五郎(1901-83)は東京帝国大学法学部に入学するも法律学がつまらないので休学してドイツに留学し、帰国後は文学部史学科に入りなおして卒業。そして、ごく短期間ではあるものの史料編纂所にも勤務していた人ですね。
大学で継続的に教職に就いていた訳ではありませんが、それは群馬県桐生市の実家が極めて裕福で働く必要がなかったからで、戦後も横須賀の豪邸に住んで優雅な革命家生活を送っていた人ですね。
また、林基(1914-2010)は語学の達人で、慶大文学部史学科を卒業し、『歴史評論』の編集長等を経て専修大学教授を長く務めた人であり、藤間生大(1913-)は深谷氏と同じく早稲田大学文学部史学科を卒業し、共産党系の団体に勤めた後、熊本かどこかの大学教授になった人ですね。
旧制中学卒の平沢清人氏と異なり、羽仁五郎・林基・藤間生大の三氏ともおよそ学歴の点では「非アカデミズム」とは言いがたいと思いますが、深谷氏はいかなる意味で「在野」という表現を用いているのですかね。

革命的語学力
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/779badc5bafbcac08b7f6b32c5b29177

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「国家の死滅」だなんて、僕もう疲れたよ、パトラッシュ・・・。

2014-08-28 | 石母田正の父とその周辺

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月28日(木)21時51分4秒

まあ、私も石母田氏の歴史理論が全て素晴らしかった、などと思っている訳ではないのはもちろんです。
ひょんなことから石母田氏の著作の面白さに嵌ってガバガバ論文を読み始めた俄か石母田ファンの私ですが、それでも「国家の死滅」みたいな表現に出会うと、何だかなーという興醒め気分を味わざるをえません。
あれだけ頭の良い人が、なぜ「国家の死滅」みたいな妄想を生涯抱き続けることができたのか。

歴史学研究会や歴史科学協議会あたりで頑張っていた人々の中にも、「国家の死滅」などと聞くと、いささか気恥ずかしい思いを抱く方は多いようで、最近では早稲田大学名誉教授の深谷克己氏が次のように書かれていますね。(「『戦後歴史学』を受け継ぐこと」(『岩波講座日本歴史第10巻近世1』月報、2014年)

---------
(前略)
 私自身がその末端につながっている─と自認している─「戦後歴史学」の中の「戦後近世史研究」は、「グランドセオリー」と呼ばれたりもするような「世界史仮説」に牽引されて、「発展段階の規定」にこだわり、「先進・後進の規定」にこだわってきた。こうしたこだわりからの自由さが、「現代近世史研究」だと私は理解している。刊行され始めた『岩波講座日本歴史』は、執筆者に多少の年齢差はあっても、この自由さを力にして、一つの方向だけを向かない個性的な研究成果を発表してきた世代によって担われていると私は見ている。
 新しい歴史学の担い手層に、私は問題意識が薄いとか「個別分散」的であるというようには思わない。むしろ「現代歴史学」世代の問題意識は、たとえば「国家の死滅」というような見えない目標をあえて見ようとしていた「戦後歴史学」世代よりも、より率直であり、生活性が濃い。生活的な問題意識とは、環境破壊から環境歴史学を構想し、都市問題から都市史を対象にし、高齢化社会から介護やライフスタイルの歴史的研究に進み、地震・津波から災害史に取り組む等々、眼前の状態に対する不満や批判、ないしは強い興味から直接にテーマを立てて取り組んでいくあり方である。「戦後歴史学」も「現代歴史学」も、どちらも「課題」を引き受けるという点では同じだが、前提に強い「進歩の仮説」や概念の網をはりめぐらすかどうか、言いかえればアプリオリな「歴史理論」を前提にする度合いが大きいか小さいかの違いだと私は考えている。
---------

「「個別分散」的であるというようには思わない」というのは、強がりも些か度を越しているような感じがします。
また、将来の歴史学界が「歴史理論」などどうでも良い、「国民の生活が第一」「市民の生活が第一」といった方向に進むとしたら、それもずいぶん寂しいことですね。

>筆綾丸さん
金子拓氏の『織田信長〈天下人〉の実像』、少し読み始めたのですが、どうもしっくりこないですね。
感想はのちほど。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

a house of cardsー御内書の集合体としての 2014/08/27(水) 13:42:14
小太郎さん
受信料の上に胡坐をかくNHKは、余計なことはせず、報道に徹してもらいものですね。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/08/102278.html
谷口克広氏の『信長と将軍義昭』を読みましたが、以下のような考えが昨今の主流のようですね。ただ、この書の読後の感想は、将軍義昭という人は、要するに、傍迷惑なパラノイアではなかったか、というものです。氏は「鞆幕府」説を否定していますが、この説などはパラノイアの上に聳えたつ a house of cards(砂上の楼閣)の如きもので、この場合の cards とは義昭が乱発した御内書の集合体ですね。
--------------------
ところが近年、久野雅司氏・山田康弘氏の論考では、従来には見られなかったほど義昭政権の政治力を見直す結論がなされている。久野氏が、義昭時代の幕府の関係文書の分析から幕府の機能を検証したのに対し、山田氏は、室町幕府の本来の性格から信長と義昭との関係に迫っているのが特徴である。論法はまったく異なるけれど、久野・山田両氏の結論は、義昭政権と信長政権とは「相互補完関係」にあった、したがって、「二重権力」もしくは「連合政権」と呼びうるものということで一致している。ごく最近に出された堀新氏の論考も、山田氏の信長・義昭連合政権論に対して賛意を表明している。(42頁)
信長政権と義昭政権の関係について論じる時、従来の「傀儡政権」論はもう通用しがたいのではなかろうか。今後は久野氏・山田氏の説、すなわち「二重政権(連合政権)」論に基づいて、信長・義昭による政権を語ってゆくのが適当と考えられる。(45頁)
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追記
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本丸一つに追い詰められながらも、長政は二日間持ち堪えた。その間にあたるが、元亀四年(一五七三)八月二十九日付けで、家臣片桐孫右衛門尉に宛てた感状が残っている(『成簣堂古文書』)。家臣たちがみな逃げ出してゆく中で、最後まで忠節を通した片桐に心の底から感謝を表した一通である。そして九月一日、長政もまた自決した。(168頁)
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この年の七月二十八日に天正に改元されているから、「元亀四年(一五七三)八月二十九日」は「天正元年・・・」とすべきですが、それはともかく、この感状の末尾はたしか「長政(花押)」とあるものですね。信長に叛旗を翻した後、信長の偏諱「長」(及び「長」を崩した花押)を変更してもよさそうなんですが、浅井長政は「長政(花押)」として腹を切って死ぬのですね。お市を配慮したとも思えず、こういう戦国大名の感性は私には大きな謎です。このあたりの事情に言及した研究書は寡聞にして知らず、誰か解明してくれないかな、と思います。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/08/102281.html
山田雄司氏の『怨霊とは何かー菅原道真・平将門・崇徳院』は、もう夏が終ろうとしているのに怨霊でもあるまい、と買うのはやめました。
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歴史研究者のアリエッティ化

2014-08-26 | 石母田正の父とその周辺

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月26日(火)10時49分22秒

ツイッターで大阪府立大学教授の住友陽文氏が「石母田正氏との対話─自説を撤回することについて」に関し、次のように言われていますね。(8月22日)

--------
この石母田正の話は「自説撤回」云々が論点というより、「実証主義への復帰」(1946年)などで論じられた、歴史研究に見られる、史料と手垢にまみれた世俗の常識にだけ基づく実証主義の問題点が論点ではないか。
https://twitter.com/akisumitomo

別にこの見方が間違いとは言いませんが、1973年7月の発言なので、ヨーロッパ留学(1965~66)を踏まえた認識の部分が一番重要ではないかと思います。
以前の投稿では余計なことを書いてしまったので、石母田氏の発言だけを再掲すると、

----------
 実証をおろそかにしてはいけません。必要欠くべからざる作業です。しかし、それで終ってしまってはね・・・。
 まったく、日本の学者に未熟さを、海外で思い知らされます。イギリスでもフランスでもドイツでも。実証とかのレベルでは決して劣りませんが、問題関心・見識で到底かないません。日本的というか、小さく小さく完成された小世界ばかり作っているのです。
 ドイツの、ある有名な学者は、最初のうちは学生に史料など、さわらせないそうです。ギリシャやローマの古典を徹底的にやらせて、十分基礎固めをしてから、初めて史料を見せるのです。日本は、初めから史料を見せてしまうものだから、小実証本位の、スケールの小さい研究者ができてしまうんです」
----------

という部分ですね。
古代史のことはよく知りませんが、中世史においては「日本的というか、小さく小さく完成された小世界ばかり作っている」傾向は強まるばかりのような感じがします。
もちろん40年以上の経過の中で相当の新史料が発見され、分析は精緻になって、小さな小さなアリエッティ的世界がそれなりに素晴らしく、居心地も良さそうなのは理解できるのですが。

>筆綾丸さん
金子拓氏の『織田信長〈天下人〉の実像』、早速読んでみます。
金子氏は先月9日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」に出演されていましたが、派手好きの女性アナウンサーを中心とする番組構成はいささか下品で、最後に少しだけ登場された金子氏が気の毒でした。
金子氏のムーミン的風貌とのんびりした話し方は好きなので、下らないコントは省略して金子氏の解説だけ放映してほしかったですね。

http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/207.html

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

信長のユーモア 2014/08/23(土) 21:50:36
小太郎さん
ロベスピエールはなんとなく優男のようなイメージがありましたが、強面のデスマスクからは、こいつ、何人くらい殺めたのだろう、という感じがしてきますね。
ちなみに、マラーの暗殺現場は、パリ6区、メトロのオデオン駅を出てすぐ、パリ第5大学の構内のどこかで、むかし探検したとき、何の案内版もなくて、歴史にうるさいパリにしては珍しいな、と思ったものです。この大学は通称ルネ・デカルト大学という医学校ですが、マラーの死と何か関係があるのか、医師マラーを踏まえたものなのか、これもわかりませんでした。

金子拓氏の『織田信長〈天下人〉の実像』は、ひさしぶりに良書に出会えた、という感じです。キーパーソンは三条西実枝で、この人物の分析はとても面白いですね。ただ、「終章 信長の「天下」」は残念ながら尻切れトンボのような気がします。
興福寺別当職相論に関して、信長が正親町天皇を叱責し、誠仁親王が天皇に代わって詫びる、という書状の中に「瓜」が出てきますが、本文を能とすれば、これは狂言に相当するのでしょうね。
信長「・・・さりながら冥加のために候あいだ、この瓜親王様へ進上候。些少候といえども、濃州真桑と申し候て、名物に候あいだ、かくのごとく候。・・・」
誠仁「・・・まずまずこの瓜名物と候えば、ひとしお珍しく眺め入り候。・・・」
信長のとぼけたユーモア感覚といい、親王の返しといい(すぐ食べないで眺め入る、というところがよく、ひょっとすると、ポンポンと鼓のように叩いている気配すらあります)、狂言の名場面のようです。この場合、親王はシテ、信長はアド、ということで君臣の秩序は保たれているのかな。
大蔵流あたりで、この話を適当に脚色し新作狂言として上演してほしい。題はもちろん、真桑瓜、です。
注記
金子氏は、「さりながら冥加のために候あいだ、この瓜親王様へ進上候」を「とはいえ冥加のため、この瓜を親王様に献上します」と訳していますが、「冥加」のニュアンスが掴みにくいですね。神の御加護を得るために、あるいは、神の御加護に謝するために、と理解したとしても、神の御加護に対して、名物とはいえ、なぜたかが瓜なんだろう、神の御加護と瓜ではバランスがとれまい、という気がします。

些末なことですが、「塙直政」に「はのう なおまさ」とふりがなしてありますが(81頁)、塙保己一は「はなわ ほきいち」、塙直政は「ばん なおまさ」と記憶している者としては、この「はのう」の根拠は何なのか、知りたいと思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E7%9B%B4%E6%94%BF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E4%BF%9D%E5%B7%B1%E4%B8%80

天尽しの綸旨 2014/08/24(日) 17:36:00
---------------
ところが最近、高木叙子氏によって、「麟」花押が示唆する聖人君主とは義昭であり、この花押は義昭による理想の世の中の達成を願望したものではなかったかという議論が提起された(「天下人『信長』の実像?」)。「麟」花押が見られるのは永禄八年(一五六五)頃に義昭から上洛への協力要請が届いた時期であることから、この頃の信長は義昭に仕え幕府に入りこもうと考え、「麟」花押を考案したというのである。信長が室町将軍による政治秩序の枠組みを継承して登場したことを考えると、高木氏の「麟」花押論はすこぶる納得のゆくものである。(「織田信長<天下人>の実像」267頁)
---------------
天正改元の問題から、信長の天下静謐のための役割認識・考え方へと話が拡がった。これは、天正へと改元をうながしたことが、義昭追放後天下人の立場となった信長が最初に着手した行動であるとともに、かつてみずからが義昭に諫言した内容を誠実に履行したことを示す重要なできごとだからである。(同書55頁)
---------------
高木説の論理によれば、義昭を追放した後、信長は「麟」花押を破棄し新たな花押にしてもよさそうですが、追放後も同じ花押を信長はなぜ使い続けたのか、という素朴な疑問が湧いてきて、「すこぶる納得のゆくものである」と金子氏はいうけれども、まったく納得がゆかないですね。当該論文を読むべきなんでしょうが、他人のために自らの花押を考案するなどというのは、非常識というか、私の感性にいたく抵触するものがあります。義昭追放直後、天皇に改元を迫った信長が、義昭のための「麟」花押をのんびりと使い続けますかね。人は何を信じてもいいけれども、私には寝耳に水のようなアンビリーバブルな話です。
一部の戦国大名が足利将軍家の武家花押のマネをして、似たような花押を使用していますが、この場合であれば、ひたすら将軍家の弥栄を念じたもので他意はない、と言えなくもないけれども、やはり牽強付会でしょうね。というような訳で、当該論文を読んでみようかしら、という意欲は湧いてきません。

-----------------
改元執行せられ、年号天正と相定まり候。珍重に候。いよいよ天下静謐安穏の基、この時にしくべからざるの条、満足に察し思し食さるるの旨、天気候ところなり。よって執達くだんのごとし。
   七月廿九日  左中将親綱
   織田弾正忠殿             (『東山御文庫所蔵史料』勅封三八函-六九)(同書56頁)
----------------
信長による蘭奢待の切り取りの時と同じように、『東山御文庫所蔵史料』の勅封も勅使派遣により開かれたのでしょうね。
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「石母田正氏との対話─自説を撤回することについて」 (補足)

2014-08-23 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月23日(土)21時06分53秒

17日に投稿した「石母田正氏との対話─自説を撤回することについて」、ツイッター経由で保管庫のブログ記事を見てくれた人が意外と多いようなのですが、私が引用した部分だけだと石母田氏の人柄を誤解される人がいるかもしれないので、若干補足しておきます。
まず、石母田氏は南部昇氏との会話が対外的に公表されるなどとは全く予想せずに発言しています。
次に記録の正確性ですが、「印象的な話が多かったので、私はその日の夜、会話の内容を詳しく日記に記録した。現在、読み直しても考えさせられることが多いので、以下、その一部を紹介したい」とのことなので、記録者が北海道大学名誉教授の南部昇氏であることを考えると、まあ、基本的に正確と思ってよいだろうと思います。
そして、石母田氏の人柄との関係ですが、南部氏は石母田氏が「でもF大学のG君なんか、よく勉強する人ですね。視野が広くて、多くのものをこなしています」と高く評価したG氏と後に会ったところ、次のようなやりとりがあったそうです。

---------
 石母田氏も、氏が厳しく評価した古代史家たちも、すべて鬼籍に入った。初対面だった私は、氏はこのように談論風発で「言いたい放題」の人物なのだと思い、数年後、東京でG氏に会った時、その時の話をした。
 G氏は大いに笑い、驚き、石母田先生は慎重で、他の学者のことを、そんなにあけすけには言わないよ、生まれ故郷(札幌)で気がかわったのかなあ、と言った。
---------

ま、私はもちろん石母田氏との直接の面識はありませんが、これはG氏の言われるとおりなのだろうなと思います。
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La Mort de Marat

2014-08-22 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月22日(金)21時29分39秒

>筆綾丸さん
図書館でご紹介の『デスマスク』を手に取り、適当にページを開いたら、いきなりマリー・タッソー作のマラーのデスマスクが出てきて、ちょっとドキッとしました。
最近、竹中幸史氏の『図説フランス革命史』(河出書房新社、2013年)を読んでいて、マラー暗殺を描いた絵には有名なダヴィド作以外にもいくつかあり、時代によって画面構成が変化していることを知ったばかりだったのですが、巧妙に美化できる絵画と違ってデスマスクは本当に生々しいですね。

---------
 一九七三年七月一三日、「人民の友」ジャン=ポール・マラーがパリの自宅で入浴中に、ジロンド派の支持者シャルロット・コルデによって暗殺される。即死だったと言われる。さっそくそのデスマスクがとられることになるが、その任にあたったのが、マダム・タッソーの通称で知られる、ストラスブール生まれのアンヌ・マリー・グロスホルツ(一七六一-一八五〇)。次から次へとギロチンの露と消えていった革命の犠牲者たちのデスマスクや、それにもとづく蝋人形の製作で一世を風靡した女性である。今日も彼女の名前を冠した人気の蝋人形館がロンドンにあることは、皆さんもご承知のところであろう。
 そのマリー・タッソーが、『フランス革命の思い出と回想』(一八三九)という自伝を残しているが、それによると、マラー暗殺の一報を受けた彼女は、「要請に応じて、デスマスクの型をとるために必要な準備を抜かりなく整えて、マラーの家に一目散で直行せねばなりませんでした」、という。「彼はまだ生暖かく、血に染まった身体と、ほとんど悪魔のような顔立ちの青ざめた様相は、まるで恐怖に満ちた絵画のようでした」。彼女は、「ひじょうに痛ましい感情に襲われつつも自分の仕事を遂行したのです」。(p142)
---------

率直に言ってマラーの顔は若干貧相な感じが否めませんが、恐怖政治の主役であるロベスピエールは迫力のある顔をしていますね。(p151)

ジャン=ポール・マラー
La Mort de Marat

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Richard III ・・・骨は語りすぎる? 2014/08/20(水) 19:11:10
小太郎さん
「古代国家のことについて多くの論文を書きながら、さて、『国家とは何か』とDさんにきいたら、あの人は高校生以上のことは言えないでしょう」ですが、Dさんが誰なのか、知りたいところですね。

http://www.bbc.com/news/uk-england-leicestershire-28825653
http://www.cnet.com/news/richard-iii-bone-chemistry-reveals-royal-life-of-luxury/
現代の bone chemistry なるものは、これほど精密な情報を遺骨から抽出できるものなのか、ちょっと信じ難いものがあります。bottle-a-day drinker くらいならば、なんとなくわるのですがね。
歯と大腿骨と肋骨の isotope analysis により継時的な生活の場所や食事内容を特定できる、肋骨の分析では白鳥・鶴・鷺の類を食べていたこともわかる・・・というような話になると、これはもう科学への過度の信仰にすぎないのではあるまいか、という気がしてきます。
追記
http://www.lemonde.fr/sciences/article/2014/08/21/richard-iii-peut-etre-tyrannique-certainement-fetard_4473999_1650684.html
--------------
La prémolaire donne ainsi des indications sur son enfance, la molaire sur le début de son adolescence, le fémur sur l'ensemble de sa vie et la côte sur ses dernières années.
--------------
ル・モンドは、骨の部位について、より詳しく書いています。小臼歯からは幼少期の、大臼歯からは青年期始めの、大腿骨からは生涯全般の、肋骨からは晩年の情報が得られる、と。ますます眉唾っぽい感じです。
リチャード三世は苦笑し、シェークスピアは戯曲の一部を変更し・・・死後もなかなか忙しい。

追記
http://gendai-shinsho.jp/
本屋さんで、どれにしようかと思いましたが、仲正昌樹氏の『マックス・ウェーバーを読む』はやめて、金子拓氏の『織田信長〈天下人〉の実像』を買いました。帯には次のようにありますが、新史料とはどのようなものなのか、これから読んでみます。
------------
新史料があきらかにする最も新しい信長像
1.「天下布武」は「全国統一」の宣言ではなかった
2.信長は改革者ではなく、室町幕府の継承者だった
3.東大寺正倉院の秘宝「蘭奢待」の切り取りは、天皇の権威簒奪のために行われたのではなかった
4.天皇は信長を征夷大将軍に推任した
------------
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昨日の投稿の訂正

2014-08-19 | 石母田正の父とその周辺

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月19日(火)10時23分12秒

昨日書いた「Eさん=佐藤進一氏」云々は撤回します。
南部氏のエッセイの後ろの方に「石母田氏も、氏が厳しく評価した古代史家たちも、すべて鬼籍に入った」とあるので、あくまで古代史家だけが対象ですね。
まして佐藤進一氏はご存命ですから、対象になりようがありません。
結局、ABC三氏は一応分かりますけど、DE氏は材料不足で分からないですね。

>筆綾丸さん
ご紹介の『韓国とキリスト教』、私も昨日、手にとってパラパラめくってみたのですが、どうも韓国関係はあまり深入りしても仕方ないような感じがして、結局購入しませんでした。
私も大学生の頃はT・K生の「韓国からの通信」などを深刻な顔をして読んだ覚えがありますが、今では人生の黒歴史の一部ですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

余は如何にしてデスマスクとなりし乎 2014/08/18(月) 18:45:37
小太郎さん
---------------
もうひとつ、無教会主義を唱えた独自のキリスト者、内村鑑三(一八六一~一九三〇)のデスマスク(国際基督教大学図書館)にも注目しておこう。それは、ジャンセニストのパスカルのそれにも比することができるだろう。いわば聖遺物のようなものである。パスカルのものがポール・ロワイヤルの博物館に大切に保管されているとすれば、内村のものは、桐の箱のなかに納められて、ゆかりの深い国際基督教大学に眠っている。それを製作したのは、内村の勧めで東京美術学校洋画科に学び、内村を敬愛していた洋画家、石河光哉(一八九四~一九七九)である。石河はその後、東京大空襲の最中、記憶のなかの内村の肖像を描いている。やや強引かもしれないが、二人のつながりには、ジャンセニストと画家フィリップ・ド・シャンぺーニュのそれを連想させるところがある。(岡田温司『デスマスク』岩波新書227頁)
---------------
内村鑑三の思想信条からすれば、デスマスクなどはおそらく宗教者への冒瀆であり、光哉の大馬鹿者め、というようなことになるのでしょうね。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/07/102173.html
--------------
日本では、キリスト教というと、カトリックとプロテスタントの双方を含むが、韓国では両者は厳密に区別されている。一般にカトリックを「天主教(チョンジュギョ)」あるいは「カトリック」と呼び、プロテスタントを「基督教(キドッキョ)」あるいは「改新教(ケシンギョ)」と呼んでいる。現在の韓国では漢字はほとんど使われていないが、天主教と基督教の呼称は中国語(漢語)の影響がそのまま残っている。「天主」は、神を指す言葉であり、中国では十六世紀末に最初に伝播した時からそう呼ばれていた。「基督」は、英語の Jesus の音訳であり、漢字は中国語から来ている。プロテスタントの宣教にともなって、十九世紀以降に使われるようになった。韓国では、一般に「教会(キョフェ)」というとプロテスタント教会を指す。カトリック教会には「聖堂(ソンダン)」という表現が用いられる。(浅見雅一/安廷苑『韓国とキリスト教』9頁)
--------------
朝鮮半島へのキリスト教の伝播について(昔の景教はさておき)、韓国人の研究者は「朝鮮王朝は壬辰倭乱の際にキリスト教と接触はしたが、伝播には至らなかった」としていたそうですが、スペイン人イエズス会士ホアン・ルイズデメディナ(一九二七~二〇〇〇)が、ローマ・イエズス会文書館所蔵文書によって、それは文禄の役の結果であった、と実証的に解明したとのことです。(同書46頁~)韓国のキリスト教信者にしてみれば、悩ましくも忌々しい事実のようですね。

巻末の「Juan Ruiz-de-Medina」(201頁)が正しいならば、「ホアン・ルイス=デ=メディナ」くらいの表記か。「Ruiz de Medina,Juan G」であれば、「ホアン・ガルシア・ルイス・デ・メディナ」か。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/31/pub_kaigai-iezusu-genbun-02.html
東大の史料編纂所は「ホアン・ルイズ・デ・メディナ」としてありますが、スペイン語としての Ruiz の z は濁音ではなく清音です、たぶん。

http://asianews.seesaa.net/article/390709412.html
三権のトップクラスが出席する「国家朝餐祈祷会」(同書119頁~)というのは、はじめて知りました。韓国憲法が政教分離を明記しているにもかかわらず、大法官(最高裁判所裁判官)も出席するとのことです。主催者は誰なのか。・・・ヴァチカンの韓国重視も宜なるかな。

http://www.bbc.com/news/world-asia-28801253
------------
One of the women gave the pontiff a gold butterfly pin - a symbol of their continuing struggle for justice - which he wore during the Mass.
------------
金(色)の蝶がシンボルになるというのは、日本ではあまり考えられないですね。
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Eさん=佐藤進一氏?

2014-08-18 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月18日(月)09時12分11秒

古代史限定の話かなと思ったので最初はE氏の名前が思い浮かばなかったのですが、南部昇氏の「Eさんの論文など、手堅く手堅く、まとめられていて、そういうものをたくさん書いていますが」という表現を素直に受け取れば、これは佐藤進一氏なんでしょうね。
佐藤進一氏が石母田著作集月報に寄せたエッセイによれば、石母田氏と佐藤氏は一時期、二人だけで週一回の勉強会を行っていたそうで、また共編の論文集も出していますから、互いに相当強く意識していた存在ですね。
そして、「最近、手紙が来て、何か、するようなことを言っていましたが、しないでしょう」という石母田氏の予想に反し、佐藤進一氏が1983年に出したのが『日本の中世国家』なんでしょうね。

参考までに前回投稿の続きの部分も引用しておきます。

----------
 実証をおろそかにしてはいけません。必要欠くべからざる作業です。しかし、それで終ってしまってはね・・・。
 まったく、日本の学者に未熟さを、海外で思い知らされます。イギリスでもフランスでもドイツでも。実証とかのレベルでは決して劣りませんが、問題関心・見識で到底かないません。日本的というか、小さく小さく完成された小世界ばかり作っているのです。
 ドイツの、ある有名な学者は、最初のうちは学生に史料など、さわらせないそうです。ギリシャやローマの古典を徹底的にやらせて、十分基礎固めをしてから、初めて史料を見せるのです。日本は、初めから史料を見せてしまうものだから、小実証本位の、スケールの小さい研究者ができてしまうんです」
(後略)
-----------

※この記述は誤りで、翌日撤回しています。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b47d050edcfcb904f19fcda01e9f3996
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「石母田正氏との対話─自説を撤回することについて」

2014-08-17 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月17日(日)22時44分27秒

『日本歴史』765号(2012年2月号)に南部昇氏の「石母田正氏との対話─自説を撤回することについて」というエッセイが載っていますね。
私は『日本歴史』は定期購読しておらず、今日、図書館で歴史学関係の雑誌をいくつかめくっていて、初めて気づきました。

---------
 一九七三年七月、石母田正氏が集中講義のため、北大文学部にやって来た。博士課程の学生で、当時二十七歳だった私は、元気と積極性だけが取り柄であった。その日の講義の終了した七月十七日午後、私は「先生、コーヒー飲みに行きませんか」とさそって喫茶店に入り、二時間ほどさまざまな話をした。
(中略)
 私にとって特に意外だったことの一つは、氏が学者というものは自説の撤回など、しないものだ、と述べたことである。

「先生、古代史の論争なんか見ていると、明らかにこちらの勝ち、向こうの負け、ってことありますね」
「うむ」
「そういう時、どうして、負けた方は『まいった。撤回する』って言わないんでしょうか。そうした方が学問の進歩のためになるでしょう」
「いや、学者というものは滅多に自分の説を撤回しませんよ。Aさんなんか、あんな大学者ですが、誰も、あの人の近江令に関する説なんか認めなくなっているのに『今に地下から近江令が発見されて、私の正しさが証明されるでしょう』って言ってがんばってましたからね。撤回なんかしませんよ。僕は、そんな例、知らないなあ」
「Bさんなんか、郡評論争に参加して、Cさんと対立しましたけど、もう木簡がどんどん出てCさんの方が正しかったことが明らかなのに、まだ自説に固執して撤回しませんね」
「自説に固執する・・・。そう、Bさんもね。女性的な人ですが、人柄や、やっている内容にもよるんです。細かいことを調べあげて、こうだ、という結論を出すだけですから、それを否定されたら後に何も残りません。それでオシマイですから、固執するでしょう。
 史料のあるところばかり選んで、細かく完成されたものを書いて、そして、それをほめる人がいるものだから、ますます、そうなります。史料のない所も覆えるような仮説を論じることも必要でしょう。あちらこちら、小さな実証のことをいくらやっても、その人間の歴史というものに対する見識が高まるわけではありません。
 古代国家のことについて多くの論文を書きながら、さて、『国家とは何か』とDさんにきいたら、あの人は高校生以上のことは言えないでしょう。みんな、そうです。
 それでいて、そういう人たちのやっていることが無価値かというと、そうではない、有用なものです。歴史学というものが、そんな人たちで成り立っている。何とも不思議です」
「Eさんの論文など、手堅く手堅く、まとめられていて、そういうものをたくさん書いていますが、それらをまとめて、何か大きな理論を展開する、ということはしないのでしょうか」
「ああ、しませんね。最近、手紙が来て、何か、するようなことを言っていましたが、しないでしょう。C君だって、しないでしょう。
(後略)
---------

私は古代史に疎いので、ABCDE氏全員の名前は分かりませんが、石母田氏もなかなか辛辣ですね。

※補足があります。(8月23日追記)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7470
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韓国のキリスト教

2014-08-17 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月17日(日)21時51分49秒

>筆綾丸さん
レスが遅れてすみませぬ。
ご紹介のBBC記事に、

The Pope is spending five days in South Korea, where the Catholic Church is growing. It currently has just over 5.4 million members, some 10.4% of the population.

とあるのを見て、韓国のキリスト教徒はそんなに少なかったかな、と思ったら、プロテスタントがカトリックの約2倍いて、合計して約3割がキリスト教徒なんですね。
私はもともとキリスト教への理解が乏しい上に、韓国のキリスト教のことなど全く不案内ですが、ウィキペディアの「韓国のキリスト教」という項目を見ると、韓国のプロテスタントは日本のプロテスタントとはずいぶん性格が異なるようですね。


この項目でリンク先となっていた広島大学の崔吉城名誉教授のエッセイによれば、

----------
キリスト教は普遍的な世界宗教であるが地域によっては民族中心に土着化されている。韓国のキリスト教はシャーマニズムと混合している。つまりキリスト教の聖霊運動はシャーマニズムのトランス(憑霊)やエクスタシー(脱魂)の要素が含まれているのが常である。キリスト教会にはシャーマニズムとキリスト教が共存あるいは混在するようであり、日本人には新宗教のように感じるかも知れない。

のだそうで、ちょっと不気味な感じがしないでもありません。

このところ、南原繁から内村鑑三へ関心が移り、内村に影響を受けた人々や内村と対立した人々の動きを少しずつ追っているのですが、基本的にキリスト教を極めて理知的に受容している人が多く、それが日本におけるクリスチャンの一般的傾向でもありますね。
戦前の日本の知的な世界におけるクリスチャンの存在感は予想以上に大きいな、などと思っています。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

もうひとりのエイリアンの死 2014/08/12(火) 17:51:20
小太郎さん
密教の孔雀とも何か関係がありそうですね。

http://www.bbc.com/news/world-us-canada-28749702
Robin Williams の死を悼むオバマ大統領の言葉です。
-------------------
President Barack Obama was one of many offering condolences to his family when he said: "Williams arrived in our lives as an alien - but he ended up touching every element of the human spirit.
-------------------
「Mrs Doubtfire」は好きな映画で何度も見ました。老年期鬱病による自殺らしいとのことですが、ミセス・ダウトにはどこか悲しげな面影がありましたね。

--------------------
Martin and Williams appeared on stage together during an 1988 Broadway revival of Waiting for Godot.
--------------------
痛ましいことに、ゴドーを待ちきれずに自殺してしまったのか・・・。

http://www.robin-williams.net/godot.php
エストラゴン役だったのですね。いま、手元の英書で最後の言葉をみると、こうです。
---------------
VLADIMIR: Well? Shall we go?
ESTRAGON: Yes,let's go.
?? [They do not move.]
???????????????????????? CURTAIN
---------------

Vatican と Beijing の美しい予定調和 2014/08/15(金) 07:46:07
http://www.bbc.com/news/science-environment-28739373
アメリカはイランとは不倶戴天の関係のはずですが、ずば抜けた頭脳は歓迎するのですね。
イラン国内で、ヒジャブは問題にならないのでしょうか。

Comments のひとつ(Newtonne)に、
--------------
As far as I know, the last woman at the very top of mathematics was Emmy Noether who died in 1935.
--------------
とありますが、この女性ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

http://www.bbc.com/news/world-asia-28768880
中国の領空通過を許可されたローマ法王の無神論者宛テレパシーではなくテレグラム、
---------------
"I extend best wishes to your Excellency and your fellow citizens, and I invoke the divine blessings of peace and wellbeing on the nation,"
---------------
のうち、とくに I invoke the divine blessings には、興味深いものがありますね。

-----------
Earlier in the day, North Korea fired three rockets off its east coast as the Pope's plane approached South Korean airspace.
-----------
というのは、真昼の曳光弾のようで笑えます。

追記
http://www.bbc.com/news/world-asia-28814553
---------------
Meanwhile, China's leadership failed to receive a telegram sent by the Pope as he flew over the country on his way to South Korea, Vatican spokesman Federico Lombardi said on Friday.
(中略)
A technical glitch was thought to have stopped the message from being received, which was later resent via the Italian embassy in Beijing, Mr Lombardi said.
---------------
なるほど、外交儀礼上、テレグラムはこんな風に扱われるのですね。技術的な故障のため、法王のメッセージは総書記には届かなかったが、駐中国イタリア大使経由で再度送られた、と。駐中国イタリア大使はヴァチカンの代理も兼務、というか、文字通りメッセンジャー・ボーイの役割も果たしているのですね。これで両者のメンツが保たれる・・・とすると、a technical glitch は法王のヴァチカン出発前から予定されていた必然的なことだから、a technical glitch は the technical glitch とすべきで、子供騙しのような駆引きではありますが、見方を変えれば、Vatican と Beijing の美しい予定調和ともいえますね。
中世の書状形式でいえば、最初のテレグラムが直札(直状)で二番目のテレグラムが奉書あるいは副状、というようなことになりますか。後者の宛先は総書記ではなく外務大臣くらいか。
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真夏の憂鬱

2014-08-11 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月11日(月)22時42分24秒

>筆綾丸さん
イラクも本当にひどい状況になってしまいましたね。
ISIS改め「イスラム国」は国家とは何かを考える上で興味深い素材になりそうですが、今のところ支配領域は流動的であり、統治機構と呼べるような行政組織があるのかも不明なので、暫くは国際法上の「国家」とは言いがたい状態が続くのでしょうね。
ただ、排他的な実力支配が長期間継続すれば、どんなに非民主的な体制であろうと、「国家」として扱わざるを得ない場合も生じるでしょうね。

>the Yazidis
ワシントンポストの記事に "devil-worshipers"などとあったので妙に感じたのですが、ご引用のBBCの記事の方が丁寧な紹介ですね。

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Yazidis believe in one God who is represented by seven angels. According to Yazidi lore, one of the angels, Malak Tawous, was sent to Earth after refusing to bow to Adam, explains the Economist. Represented in peacock form, he is considered neither wholly good nor evil by Yazidis, but Muslim outsiders know him as "shaytan," or Satan. The Islamic State has justified its slaughter of Yazidis on the basis of the long-standing slur that they are "devil-worshipers."


唯一神の化身の孔雀が非常に尊重されているそうですが、BBC記事の写真を見ると、寺院の門の孔雀はなかなか優美ですね。
また、寺院の建物も簡素でありながら実に美しいですね。

>エイリアンに誘拐
日本には「宇宙人に誘拐されて金星に行った」元首相夫人がいますから、ロシアを笑えないですねー。

鳩山幸

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Who, What, Why: Who are the Yazidis? 2014/08/10(日) 18:54:01
小太郎さん
島薗・安冨・保立・早川とか安冨ファンの塾教師とか、変な人達はいるものですね。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/20140810_01.html
「NHK WORLD」の「The Yazidis follow an ancient religion with links to Zoroastrianism.」という一節に驚いて、BBCをみると、こんな記事がありました。
http://www.bbc.com/news/blogs-magazine-monitor-28686607
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Their own name for themselves is Daasin (plural Dawaaseen), which is taken from the name of an old Nestorian - the Ancient Church of the East - diocese, for many of their beliefs are derived from Christianity. They revere both the Bible and the Koran, but much of their own tradition is oral. Due in part to its secrecy, there have been misunderstandings that the complex Yazidi faith is linked to Zoroastrianism with a light/dark duality and even sun worship. Recent scholarship, however, has shown that although their shrines are often decorated with the sun and that graves point east towards the sunrise, they share many elements with Christianity and Islam.
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the Yazidis の人々には至極自然な信仰でしょうが、部外者からみると、なんとも複雑なシンクレティズムですね。

追記
http://www.bbc.com/news/world-europe-28736058
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%95
----------------
Mr Ilyumzhinov, 52, claims he was once abducted by aliens who communicated telepathically and took him to another planet in a giant spaceship.
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プ-チンの周辺にはアブナイ奴がいるんですね。エイリアンに誘拐されたことがある・・・いまどき、まだこんな寝言を言ってるとは。

コメント
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2014-08-10 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月10日(日)13時28分53秒

>筆綾丸さん
BBCはちょっととぼけた味わいのある記事が多くていいですね。
このところウクライナ・ガザ・イラクと殺伐とした出来事が続くので、アメリカのメディアはいささか胃にもたれます。

>「話法」
安冨歩の『原発危機と「東大話法」』について、私が「鬼気迫る愚書」という書評をアマゾンに書いてプチトラブルになったのは2012年1月でした。
コメント欄で大分県の塾教師だという熱狂的な安冨ファンにからまれて、若干の応酬の後、アマゾン側に全削除されてしまったのですが、実はあの後、アマゾンに抗議したところ、引用の分量を減らして、刺激的な表現を一箇所修正すれば再掲載を認める、みたいなことを言われました。
ま、その頃には下らない本の相手をすること自体に飽きてしまったので、結局そのままでしたが、このトラブルの経験がなかったら、某氏の本の書評に際し、星五つにして誉め倒す、というアイディアは思いつかなかったですね。
アマゾンに書評を書くと掲載まで数日の審査期間があるのですが、星五つだと機械的にOKと処理するらしく、即時に掲載されますね。

「東大=ショッカー」説
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b4813511410cb1dca32ce970e93e5f3
不評の喜び

島薗・安冨・保立等が「東京大学原発災害支援フォーラム」を始めたのもこの頃で、保立道久は福島への異常な差別発言を繰り返していた群馬大学の早川由紀夫を誉めていましたね。
「東京大学原発災害支援フォーラム」は後に早川由紀夫を東大に呼んでシンポジウムまで開催し、何をやっているのだろうかとあきれましたが、そのシンポジウムでトラブルが起きて、参加者同士で悪口を言い合っていたのには笑いました。

「twitterと下部意識」考

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

オスとメスと第三の性 2014/08/09(土) 14:52:08
http://www.bbc.com/news/uk-politics-28710522
http://www.bbc.com/news/uk-politics-27601264
閣僚の地位を反映して、ダウニング街10番地首相邸の Larry(♂) が top cat で、同11番地蔵相邸の Freya(♀) が second cat のようですが、バッキンガム宮殿の猫は(いるとして)、性別はともかく、Larry や Freya のさらに上に君臨する猫の王(女王)ということになるのでしょうね。

ジョーンズ女史の皮肉は(僭越ながら、文法的に変なところがあるような気がしますが)なかなかのものですね。
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"I have a lot of experience in helping homeless people off of the street and last year my organisation Thames Reach helped over 1,000 rough sleepers escape a life of rough sleeping," she said.
"I'm not so used to working with homeless cats but when we saw Freya we realised how distressed she was, we did the only right thing possible, and helped her get off the streets too."
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小太郎さん
安富歩の女装は五月祭の出し物としてもダメのような気がしますが、自己認識として女性性が強いということは、この人の「話法」は女言葉なのでしょうね。

http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/rigakuru/01/world/04/01.html
「原子番号マイナス1」というのは面白いですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Quantum_wire
「quantum wire」という言葉が書かれていますが、こういうものなんですね。といって、何のことかわかりません。JR東海のリニア新幹線にも関係してくるのかな・・・。
コメント
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