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0144 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その4)

2024-08-16 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第144回配信です。


一、「「将軍権力の二元性」論に対する理論的検討」の続き

p56以下
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 永原の見解を踏まえ、古澤直人も佐藤説を批判した(古澤:一九九一)。古澤は、裁判の判決の執行が守護使あるいは両使(幕命を執行する二人の御家人)によって保障されていることを具体的に挙げ、統治権を遂行する幕府権力の根幹が主従制的に編成された権力であり、主従制と統治権はやはり同一の次元に並べられないとする。古澤は、「主従制的支配権」に対応する概念は官僚制的支配であると述べた。
 一九九〇年に、佐藤の論文集である『日本中世史論集』が刊行された。二頭政治や二元性論に関する論文のほとんどが、この著書に収録された(佐藤:一九九〇)。一九九二年、新田一郎がこの著書の書評でこの問題を論じ(新田:一九九二)、二〇〇六年には「統治権的支配」というそのままの題名の論文を公表した(新田:二〇〇六)。
 新田の議論は、支配権力を「ゲーム」に喩えるなどユニークであるが、きわめて抽象的かつ難解である。筆者の粗雑な頭脳でようやく理解できたところでは、ある権能が主従制的であるか統治権的であるかよりも、その権能が機能するあり方に新田は注目しているようだ。
 総体的に見れば、「主従制的支配権」を「個別的な態様で機能する権能」、「統治権的支配権」を「一般的な態様で機能する権能」と読み替えることで、永原・古澤の批判に対抗して佐藤の学説を理論的に補強しているのであろう。おそらくではあるが。正直、ほとんど禅問答にしか聞こえない。
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古澤直人(1958生、法政大学教授)
https://researchmap.jp/read0174768

新田一郎(1960生、東京大学教授)
https://www.j.u-tokyo.ac.jp/faculty/nitta_ichiro/

『中世に国家はあったか』に学問的価値はあったか?(その1)~(その18)〔2021-10-03〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b528c87e85b851cfa02eb2f51e7142d7
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5da1e4a2c47e38abdd62cc4bafe4231d
あなたの「国家」はどこから?─総論〔2021-10-19〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6593d078bacf58aac01ff2fd91d6c469

p57以下
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 また二〇〇六年には、秋山哲雄による「「個」「職」論」も登場した(秋山:二〇〇六)。「個」とは、個人として知名度や力量を期待される人物およびその権能、「職」は鎌倉幕府の役職と権能を指す。秋山は、「個」と「職」を用いて、北条氏権力の展開を説明した。
 「個」は「主従制的支配権」、「職」は「統治権的支配権」に似た概念である。永原・古澤の批判を踏まえて新田の議論も取り入れた、新しい理論構築の試みであると評価できる。しかし、用語の言い換えにとどまっている印象は否めない。
 二〇一〇年には、吉田賢司が室町幕府軍制研究の観点から「主従制的支配権」を検討した(吉田:二〇一〇)。主従制的支配・統治権的支配等の用語の実体は時代ごとに異なり、各時代の歴史的な特質を反映した多様性を解明することが提言される。確かに妥当な提言ではあるが、当たり前と言えば当たり前である。
 以上、二頭政治や将軍権力の二元性をめぐる議論はいっそう複雑化し、混迷の度合いを深めているように見える。
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秋山哲雄(1972生、国士舘大学教授)
https://www.kokushikan.ac.jp/education/researcher/details_107001.html
https://researchmap.jp/read0077112

秋山哲雄氏「鎌倉幕府論 中世の特質を明らかにする」を読む。(その1)~(その5)〔2023-03-03〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/19baebe9b4dc92ff486665b0aa746b2a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bafbbf39beb86543a14824a100ac792
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33d6ee1e3db10ae91ea95944500c90c2
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a1008bdcbf78597a3afc9e95ab01f86a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/503df80f7ac867852ebbba528d584aea

吉田賢司(1974生、龍谷大学教授)
https://www.let.ryukoku.ac.jp/teacher/yoshida.html
https://researchmap.jp/read0133785?lang=japanese


二、「「創造」と「保全」の機能」

p58
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 佐藤進一の「二頭政治論」は、実証面からも理論面からも数多くの反例や批判が提示され、そうした研究成果は蓄積してきている。判決の執行といった「統治権的支配権」の根幹とも言える権能に主従制的な要素が見いだされ、逆に主従制の根幹であるはずの軍事編成にさえも統治権的な要素が存在する。恩賞充行・所領安堵に双方の要素が混在することも、筆者の指摘したとおりである。
 しかも所領安堵のような重要な権限が、時期に応じて支配原理を頻繁に変える。あまりにも例外や時期的変遷が多い。そもそも、この二つの支配権は同列には並べられない、別次元の支配原理である。率直に言って、破綻しているのではなかろうか。
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