17日の中前勉例会後の飲み会で、某氏から、辻善之助の『日本仏教史』をアップしたら岩波書店に文句を言われないのか、事前に岩波書店の了解を取らなくてよいのかと聞かれました。
まず、前提として、岩波書店の出版物を写真で撮影してアップするとか、PDFでアップするとかいうことは全く考えていません。
作業の効率化のためにOCRで読み取ることが通常だと思いますが、旧字体だと認識率は極端に落ちるので、人力による修正が相当必要になりますね。
ま、それはともかく、要は文章で書かれた辻善之助の思想内容のみを複写するのであって、岩波書店が作成した版面を複写するのではありません。
これは従来、グーテンベルグプロジェクトや青空文庫で行われているのと全く同様ですが、こういうやり方で著作権保護期間が満了した著作物を複写した場合、出版社が法的に権利主張をすることは無理でしょうね。
法的に保護されるべき利益がないのですから、別にその許諾を得るつもりはありません。
この点、出版社は出版に当たって編集作業をしているはずだから、その努力は著作者の権利とは別に独自の保護に当たるのではないか、と考える人もいると思います。
実際、ネットで検索したら、
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ご存知のように夏目金之助(漱石)の著作物の「著作権」はすでに消失していますが,出版社側には著作物を編集して出版している以上,「編集著作権」が存在しています.たとえば岩波書店の場合,漱石の原稿・初版本などを用いて,全集本・文庫本の本文・注釈などの編集物を新たに作っているわけです.
http://www2a.biglobe.ne.jp/~kimura/sensei.htm
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という意見の方がいましたが、これは誤解でして、「編集著作権」というのは「編集物でその素材の選択と配列によって創作性を有するもの」(著作権法12条)についての権利であって、編集作業のすべてが法的に保護される訳ではなく、素材の選択と配列に独自の創作性がある場合だけ保護されるんですね。
本文校訂作業など、実際大変な労力がかかるとは思いますが、単なる努力・労力は著作権法では保護されません。
注釈を加えれば、それは「編集著作権」ではなく、注釈者の普通の著作権が発生することになりますが、その注釈の部分を複写しなければ著作権侵害とはなりません。
さて、出版業界団体の一部は従来から著作権法を改正して「版面権」という権利を認めるように主張していますが、反論も多くて、少なくとも当面そのような改正は無理だと思います。
http://www.mext.go.jp/b_menu////shingi/bunka/gijiroku/013/04093001/001/007.htm
そして、「版面権」という場合、文言からも固定された版面のみの保護を対象とするのが普通だと思いますが、OCRで読み取る場合も保護の対象とせよという主張も中にはあって、こうなるとちょっと莫迦っぽいと思います。