学問空間

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0049 黒川知文『日本史におけるキリスト教宣教』

2024-02-27 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第49回配信です。


奥山倫明「2000年代日本におけるキリスト教信者の急増減ー宗務課「宗教統計調査」から考える」に黒川知文『日本史におけるキリスト教宣教―宣教活動と人物を中心に―』(教文館、2014 ) への若干の言及。

https://researchmap.jp/mokuyama/published_papers/1430202

黒川知文(1954生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B7%9D%E7%9F%A5%E6%96%87

『日本史におけるキリスト教宣教―宣教活動と人物を中心に―』
https://shop-kyobunkwan.com/4764203383.html

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序章 問題提起

 キリスト教が日本にもたらされて四六五年が経った。しかし、日本におけるキリスト教徒は二〇一四年において全人口の〇・八二七%にすぎない。統計的に言って、キリスト教の日本宣教は際立った成果をあげていないことを、認めざるをえない状況になっている。
【中略】
 それでは日本のキリスト教宣教には、まったく希望がないのであろうか。
 日本へのキリスト教宣教は失敗したと結論する悲観的な宣教失敗論者に対して、三つの資料を示したい。
 第一の資料は、すでにみたキリスト教に対する信頼度の時間的推移である。【中略】
 第二の資料は、アジア・太平洋戦争後の一九四八年から今年二〇一四年に至る六六年間における日本のキリスト教徒の人口の推移である。これを見ると、三%と推定されるキリシタン時代の人口比には及ばないが、日本のキリスト教徒の人口比は、漸進的だが、着実に増加しつつあることがわかる。この表には含まれていないが、『キリスト教年鑑』に収録されていない、プリマス・ブラザレンの流れの全国的規模のキリストの集会や、多くの単立教会や集会や家庭集会がある。したがって実際のキリスト教信者数はもっと多いと推定される。
 第三の、最も重要な資料は、近代日本史における指導的人物とキリスト教との関係を示した表1である。【後略】
-------

黒川氏は『キリスト教年鑑二〇一四年版』(キリスト新聞社)を使用。

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『キリスト教年鑑二〇一四年版』によれば、2014年の日本のキリスト教人口はプロテスタント約59万、カトリック約43万、正教約1万、合計約104万だそう。文化庁の『宗教年鑑』での約195万より遥かに少なく、こちらの方が信頼できそう。

https://twitter.com/IichiroJingu/status/1762095160882778226

「キリスト教年鑑の歴史」(キリスト教新聞社サイト内)

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0048 奥山倫明「2000年代日本におけるキリスト教信者の急増減ー宗務課「宗教統計調査」から考える」

2024-02-25 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第48回配信です。


一、前回配信の反省

タイトルを「森岡清美『日本の近代社会とキリスト教』を読む(その2)」としながら、実質的には奥山論文の紹介。
前回配信を削除することも考えたが、説明自体が不正確だった訳でもないので、改めて奥山論文の要点を復習した上で、前回配信の補足を行いたい。

奥山倫明「2000年代日本におけるキリスト教信者の急増減ー宗務課「宗教統計調査」から考える」(『南山宗教文化研究所研究所報』第25号、2015)
https://researchmap.jp/mokuyama/published_papers/1430202

二、統計数理研究所の「日本人の国民性調査」

大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構統計数理研究所
https://www.ism.ac.jp/kokuminsei/

「日本人の国民性調査」
https://www.ism.ac.jp/kokuminsei/
「集計結果」
https://www.ism.ac.jp/kokuminsei/table/index.htm

#3.1 宗教を信じるか
#3.2b 「宗教心」は大切か
#3.5 「あの世」を信じるか
#3.6 宗教か科学か
#3.9 首相の伊勢参り

「#3.6 宗教か科学か」が特に興味深い。

[リスト]あなたは宗教というものについて、どう思いますか。つぎの4つの意見のうち、あなたの意見に1番近いと思うものを1つだけえらんで下さい?
1 宗教というものは、人間を救うことはできない。人間を救うことのできるのは科学の進歩以外にはない
2 人間の救いには科学の進歩と宗教の力とが、たすけあってゆくことが必要である
3 科学の進歩と人間の救いとは関係がない。人間を救うことができるのはただ宗教の力だけである
4 科学が進歩しても、宗教の力でも、人間は救われるものではない
5 その他[記入]

https://www.ism.ac.jp/kokuminsei/table/data/html/ss3/3_6/3_6_all.htm

三、NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査

NHK放送文化研究所
https://www.nhk.or.jp/bunken/index.html

第10回「日本人の意識」調査(2018) 結果の概要
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190107_1.pdf

宗教的行動
第27問  宗教とか信仰とかに関係すると思われることがらで、あなたがおこなっているものがありますか。
ありましたら、リストの中からいくつでもあげてください。(複数回答)

信仰・信心
第28問  また、宗教とか信仰とかに関係すると思われることがらで、あなたが信じているものがありますか。
もしあれば、リストの中からいくつでもあげてください。(複数回答)

四、「2000年代日本におけるキリスト教信者の急増減」の原因

・2000年代の宗教意識については、特に注目すべき信仰心の変化などは知られていない。
・統計数値の収集、記載上での誤りが原因ではないか。
・文化庁文化部宗務課の回答

① 20万人規模の増減について
「宗教統計調査は、原則として、宗教法人からの自己申告に基づく。ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人 ) に属する単立の宗教法人(地域の王国会館に相当する ) が、自らの王国会館に所属する信者数を記載すべきであったが、誤って全国のエホバの証人の信者総数を報告してきたため、そのまま数値に反映されてしまった。また同一県で 2 か所の王国会館から同様の報告があった県もある」

② 40~50万人規模の増減について(長崎、鹿児島 )
「カトリックの修道会(両県所在の別の修道会 ) が、全国のカトリック信者数を誤って報告してきたため」

③ 神奈川における増加について
「2001 年から 2002 年にかけての増加については、すでに調査票原本が破棄されているため、詳細は不明である。2010 年から 2011 年にかけての増加については、海老名市にある、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人 ) が、従来、全国各地の拠点において統計情報を報告してきたところ、各地の会衆の数値を海老名の協会に一括して、報告するよう方針を変更したため。

いずれも極めて単純な数値集計上のミス。
しかし、都道府県、文化庁宗務課のいずれも問い合わせすらしていないらしい。

果たしてキリスト教だけの問題なのか。

平成27年(2015)年版では320万人だった真宗大谷派の信者数が翌28年版では792万人となっている。

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桜井義秀・北海道大大学院教授(宗教社会学)は「信者数は名簿に基づいて出すべきだ。ばらばらの基準で出した推計値を公表するだけでは統計として成り立たっておらず、研究や学術目的では使えない」と指摘。「現在の方法で文化庁が信者数を集計すること自体、あまり意味がないのではないか」と話している。

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0047 森岡清美『日本の近代社会とキリスト教』を読む(その2)

2024-02-21 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第47回配信です。


『信仰の自由に関する国際報告書(2022年版)-日本に関する部分』(米国国務省 国際信仰の自由室 2023年5月15日発表)

第1節 宗教統計
米国政府は、日本の総人口を1億2420万人と推計している(2022年中ごろの推計)。文化庁の報告によると、各宗教団体の信者数は、2020年12月31日時点で合計1億8100万人であった。この数字は日本の総人口よりも大幅に多く、日本国民の多くが複数の宗教を信仰していることを反映している。例えば、仏教徒が神道など他の宗教の宗教的儀式や行事に参加するのは一般的なことであり、逆もまた同様である。文化庁によると、信者の定義および信者数の算出方法は宗教団体ごとに異なる。宗教的帰属で見ると、神道の信者数が8790万人(48.5%)、仏教が8390万人(46.3%)、キリスト教が190万人(1%)、その他の宗教団体の信者730万人(4%)である。「その他」の宗教および未登録の宗教団体には、イスラム教、バハーイー教、ヒンズー教、およびユダヤ教が含まれる。報道によると、統一教会の信者数は約60万人となっている(人口の約0.5%)。

https://jp.usembassy.gov/ja/religious-freedom-report-2022-ja/


「宗教統計調査結果 ―昭和42年12月31日現在」

「信者数合計すると2億人!? 日本人口を上回る…宗教年鑑 専門家「使えない政府統計」」(産経新聞2016年12月25日)
https://www.sankei.com/article/20161225-RNQS77V4JNJ3TEULNQN5UCIBHI/

奥山倫明「2000年代日本におけるキリスト教信者の急増減ー宗務課「宗教統計調査」から考える」(『南山宗教文化研究所研究所報』第25号、2015)
https://researchmap.jp/mokuyama/published_papers/1430202

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日本の宗教人口総数は一貫して、日本の総人口より多い。「日本には人口の 2 倍の宗教信者がいる」という言い方は、2 倍というのは誇張であるとはいえ、趣旨としてはわからなくもない。また日本のキリスト教人口については、しばしば総人口の 1 パーセント程度といった言われ方をするが、表に見るように 1980 年まではその割合に達しておらず、その後、漸増し、現在では 1 パーセントを超えているように見える。注目すべきは、2010 年のキリスト教人口が突出している点である。2000 年以降、キリスト教人口が 100 万人を超える増大、その後 80万人程度の減少を示していることになるが、これはいったいどのような事態なのだろうか。
【中略】
日本のキリスト教信者が 300 万人を突破したとされる 2006 年にはいったいいかなる事態があったのか。しかしその翌年には 90 万近くの激減とはどういうことだろうか。直近でも 2012 年から 2013 年にかけては 100 万人以上の増加である。この急激な数値の増減はいったい何を意味するのだろうか。
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-------
宗務課の回答
40 万、50 万といった変化はもちろんのこと、その半分の 20 万人の変化であっても、第二次世界大戦直後の「キリスト教ブーム」に匹敵する大変動のはずである。北海道、石川、福井、静岡、滋賀、香川といった道や県において、何か局所的なキリスト教ブームが起こっていたのだろうか。これはおそらくそうではないだろう。
こうした数値の変動には、統計数値の収集、記載上での誤りがあったのではないかと考え、私は 2015 年 10 月に、各都道府県に問い合わせの電子メールを発信した。ほとんどの問い合わせは、国の担当機関である文化庁文化部宗務課に転送されたため、結局のところ、同課の専門職より回答を得ることになった。回答の概要は次のとおりである。
【後略】
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0046 森岡清美『日本の近代社会とキリスト教』を読む(その1)

2024-02-20 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第46回配信です。



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森岡清美『ある社会学者の自己形成 幾たびか嵐を越えて』(ミネルヴァ書房、2012)

村落社会調査に始まり、宗教と家族との関わりから社会学の新しい形を切り開いた森岡清美。幼少期の家庭環境、戦争、そして熾烈を極めた東京教育大での紛争と、人生で幾たびか嵐を経験した。そのなかで自己を形成する過程とはいかなるものであったのか。研究とのつながりのなかで、つねに人間と社会のありようを見てきた著者がその格闘を余すところなく語る。

https://www.minervashobo.co.jp/book/b96152.html

Interview 第17回 森岡清美氏「軍師・井上豊忠——白川党の研究をめぐって——」前編
http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/interview017_morioka01/
Interview 第18回 森岡清美氏「軍師・井上豊忠——白川党の研究をめぐって——」後編
http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/interview018_morioka02/

「森岡清美先生を偲ぶ会」(大久保孝治氏ブログ「フィールドノート」内)
https://blog.goo.ne.jp/ohkubo-takaji/e/f35bfd649634ca88f34551b819ed44f0

『日本の近代社会とキリスト教』(評論社、1976)

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はしがき

 日本建築学会の明治建築小委員会が昭和四十三年の暮れにまとめた明治期洋風建築の全国調査結果によれば、千九十四件の建築物が確認され、そのうちなんとしても保存すべきものは少なくとも百八十六件ある、という。四十四年一月四・五日の朝日新聞に掲載されたそのリストを見ると、役所・学校・工場などにまじってキリスト教会の会堂が少なからず散見する。北日本のみ例示的に挙げてみよう。北海道・当別トラピスト修道院(明41)、青森県・日本基督教団弘前教会会堂(明40)、秋田県・曲田教会堂(明20)、山形県・鶴岡カトリック教会礼拝堂(明36)、宮城県・石巻ハリストス正教会(明13)、等々。以下省略するが、教会堂のほかに外人宣教師館を加えるなら、キリスト教関係の明治建築物は予想以上に多いのである。建築物に関する限り、キリスト教はすでに明治期においてその著しい足跡を日本の国土の上に印した、ということができよう。
 ところでキリスト教信徒の数は現在どのくらいあるのであろうか。文化庁宗務課の統計(昭43『宗教年鑑』)によれば、カトリック系三十四万三千、プロテスタント系三十五万七千、計七十万という。一見してもわかるように、これはかなり大きく誇張された数字であるのだが、それにしてもなお、七十万どまりなのである。宣教は禁制の解けた明治六(一八七三)年から数えても一世紀に近い年月をかけ、欧米のミッションから送られた多数の宣教師─例えば、帝国憲法が発布された明治二十二(一八八九)年に日本に在住したプロテスタント宣教師総数(夫人とも)五百二十七人─と多額の伝道資金に助けられて展開された。その成果が誇大に見積もっても七十万なのである。もしこれを僅々三十年くらいの間に成長した土着の巨大教団、例えば創価学会の千五百万、立正佼成会の三百二十七万(昭43『宗教年鑑』)に比べるなら、これらの数字もさほどあてにならないことを考慮に入れるにしても、なお思い半ばに過ぎるというほかはない。
 要するに、明治建築物に例証されるような近代日本の文化史上特筆に値するキリスト教の地歩と、わが国人口の1%にも遠く及ばない信徒数から見た勢力の微弱さとが、きわめて不調和なもののようにわれわれの目に映るのである。この観察が正しいとすれば、キリスト教はその文化的側面においてわが国文化に著しい影響を与えたが、その宗教的側面における感化はきわめて限定されたものであった、ということになる。そしてキリスト教の文化的側面はあくまでも随伴部分であり、その本質部分は宗教的側面であることはいうまでもない。そうすると、キリスト教の日本宣教という事業がきわめて困難な営みであったことを、あらためて痛感せざるをえないのである。宣教のために生涯を捧げた外人宣教師にもまた邦人伝道者にも、有為な人が多く、福音の戦士として勇敢に戦った人たちばかりであった、といっても誤りではない。しかるにどうして宣教の成果がこのように乏しいのであろうか。ここにおいて私は、困難な宣教の過程を追跡して、文化的受容と宗教的受容とのアンバランスの原由を追求したいと考えた。
【後略】

目次

Ⅰ キリスト教信徒の出現
 1 宣教師の活動
 2 キリスト教への接近
 3 入信の契機とキリスト教理解
 4 信徒に対する迫害

Ⅱ キリスト教会の形成と展開
 1 日本基督公会
 2 安中組合教会
 3 島村美以教会
 4 日下部メソジスト教会
 5 教会発展の諸条件

Ⅲ キリスト教への迫害と批判
 1 寺院とキリスト教
 2 神社とキリスト教
 3 学校とキリスト教
 4 国家とキリスト教

Ⅳ 近代日本におけるキリスト教
 1 生活暦への影響
 2 婦人の地位への影響
 3 キリスト教の土着化
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0045 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その8)

2024-02-16 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第45回配信です。


一、前回配信の補足

「宣教師のもとへ送り込まれたスパイ」(2024年02月07日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/374e8fef18496a5e740054f6ca52e339

「上等謀者」「下等謀者」「太政官謀者」は石川著をそのまま転記したもの。
しかし、森岡清美『日本の近代社会とキリスト教』(評論社、1976)を確認したところ、これらはいずれも「諜者」。(p37以下)

二、第三章「2 日本人の信仰と宣教師たち」

(1)入信の際に求められた覚悟(p134以下)

奥野昌綱(1823ー1910)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E9%87%8E%E6%98%8C%E7%B6%B1

(2)「理解」してから信仰するのか?

村田政矩(1812‐72)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E6%94%BF%E7%9F%A9

森岡(p40)
「したがって、村田の入信においては、宣教師の聖書知識は媒介になっているけれども、その人格力は媒介になっていない。直接、福音書によりキリストの偉大さを知り、信仰を起こしたのである。おそらく、大身の武士としての儒教的教養と態度、佐賀の葉隠精神に培われた彼の思想と生き方が、キリストの事蹟を学ぶことによって超克され、新しい人類的な地平を望見するに至ったのであろう。そのような意味において、儒教や葉隠は彼のキリスト教理解の前提となった、とみることができる」

鈴木親長(1830‐1903)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%A6%AA%E9%95%B7

森岡(p41)
「上田藩士鈴木親長は、明治五年学校係大属在任中、学校用として買い入れた書籍のなかに漢訳聖書があった。読んだけれどもよくわからない。ただ、人の罪をあがなうために一身を殺して犠牲になったということは、たとえ作り話としても道理あることのように思い、また独りを慎むということも、漢籍で教えるところと引き比べて感じ入った、という程度であった」

小崎弘道(1856‐1938)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B4%8E%E5%BC%98%E9%81%93

森岡(p45)
「以上四例とも、初期の入信者を代表する階層としての士族のなかからとったものである。どの場合でも、儒教的な教養と実学的姿勢と武士的生活態度がキリスト教への共感・傾倒さらに入信の背景にあった。士流の常として、来世の苦業を逃れるためとか、キリスト教の奇跡異能に感嘆して入信したのではなかった」
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0044 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その7)

2024-02-15 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第44回配信です。


一、前回配信の補足

山崎渾子『岩倉使節団における宗教問題』(思文閣、2006)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784784213160
「岩倉使節団と信仰の自由」(『日本の時代史 21 明治維新と文明開化』所収、吉川弘文館、2004)p190以下
https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b32061.html

-------
ソルトレイク論争
 その頃、岩倉使節団内部でもキリシタン問題と信仰の自由論争は、渡航船中に始まり諸説に分かれ、米国上陸とともにさらに激化していった。使節団は、大雪のためモルモン教徒の街ソルトレイクにて、二週間以上も足留めにされてしまった。そこで、はからずも信仰の自由政策を取る米国政府のモルモン教徒への対処について見聞することができた。十日の新聞記事にはソルトレイクでモルモン教徒との交流があったことについて述べ、使節団がB・ヨングという罪人と会うことになったのは、米国公使デ・ロングが深刻な間違いを犯したことになるという批判記事もあった。
 使節団内部ではその後ひとしきり宗教論争があり、急進論派と目されていた伊藤博文と山口尚芳らは司法理事官佐佐木高行に信仰の自由即時採用を訴えた。この時、岩倉大使は当初のキリスト教禁令保持の態度を取ることを断言し、とりあえず論争を鎮めたという。
 ところで使節団がワシントン入りをする直前に二十八日付新聞には、在米日本人と名乗る人物による「日本での宣教師不要論」の意見が報道された。その内容は次のようなものであった。
 西欧諸国は、日本との条約改正の時期に当たり「信仰の自由」を強要している。これについてイスラム教徒やモルモン教徒と同じく、日本人異教徒側の意見にも耳を傾けて欲しい。日本人はキリスト教が国内へ導入されることに反対である。その理由は二つある。第一には、宣教師は愚民を無知のままに留める元となっている。西洋のカトリック教会史を見ても判るように、信徒は教会や司祭に奴隷化し、その所有物は搾取され、教会発展の犠牲に陥った。そして信徒らは教育も受けられず暗愚なままに留められ、いまだ無知と迷信に止まっている。第二点目は、いかなる教派の宣教師も「信仰の自由」の敵であること。なぜならば、愚民がプロテスタント教徒に入信することもまた、その奴隷化を意味する。つまり文明国プロテスタントがカトリックを棄てたのは、知識が増長したための結果であり、当面、日本にとって必要なことは、この「教育によって愚民を育てること」である。知識が宗教を育てるのであり、教育を受けた文明人のみが信仰の自由を享受できる、という内容であった。
-------

山口尚芳(ますか/なおよし/ひさよし、1839‐94)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%B0%9A%E8%8A%B3

二、第三章「1 復活したキリスト教」の続き

(8)さまざまな社会の変化(p131以下)

グレゴリウス暦の採用
明治五年一二月三日を明治六年(1873)一月一日とする

(9)宣教師のもとへ送り込まれたスパイ(p132以下)

「宣教師のもとへ送り込まれたスパイ」(2024年02月07日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/374e8fef18496a5e740054f6ca52e339
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0043 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その6)

2024-02-14 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第43回配信です。


(7)ようやく禁教高札が撤去される(p124以下)

「しかも、禁教高札を撤去したといっても、それは積極的にキリスト教の「公認」や「解禁」を意味したわけではない。あくまでも「黙許」であり、さらに言うなら、諸外国が「黙許」だと勝手に解釈したに過ぎないとも言える。だが、これを機に、実質的に日本人への宣教活動が再開したのは確かであった」(p124)

いささか微妙な書き方。

鈴江英一『キリスト教 解禁以前 切支丹禁制高札撤去の史料論』(岩田書院、2000)
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN4-87294-186-1.htm

山崎渾子『岩倉使節団における宗教問題』(思文閣、2006)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784784213160
山崎渾子(みなこ)
https://www.jash316.com/info/jash-info/2021/20210201_8586

「すこぶる下情怨屈のおもむきあい聞こえ」(2016年 2月13日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7290be1432b841907da85c976fc0f9a5

(8)宣教師フルベッキと岩倉使節団(p126以下)

フルベッキは1959年、二十九歳の時に来日。
岩倉使節団の派遣を進言。
岩倉使節団は行く先々で日本におけるキリシタン迫害を非難される。

グイド・フルベッキ(1830‐98)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AD

母方はオランダ外科医の長崎家(2016年 2月28日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0d2c2bca614d0522bdc893c589548fa0

(9)軍隊建設のすすめ(p127以下)

フルベッキは日本における国民軍の創設と徴兵制採用を強く主張。

ウィリアム・グリフィス(1843‐1928)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9

-------
『ミカド 日本の内なる力』(亀井俊介訳、岩波文庫)

東京大学の前身である南校で教鞭をとり,明治天皇に拝謁する機会をもったアメリカ人教師グリフィス(一八四三―一九二八)が,明治天皇の生涯をたどりながら,明治維新=日本の近代化が西欧の衝撃によるものではなく,日本人全体の力による歴史的必然であることをあとづけた書.特に天皇の日常生活を生々と描いた第三十章が興味ぶかい.

https://www.iwanami.co.jp/book/b246525.html

(10)拳銃を携帯していた宣教師(p129以下)

松浦玲監修・村瀬寿代訳著『新訳考証 日本のフルベッキ 無国籍の宣教師フルベッキの生涯』(洋学堂書店、2003)
https://www.yogakudo.com/item.php?item_cd=38110

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0042 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その5)

2024-02-13 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第42回配信です。


一、前回配信の補足


「殉教する宗教─孤独な自我の萌芽」(by 山崎正和)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/32e8ff61dbd1d8aabb64b10c224d7a54
「ツルの寒ざらし」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/81ad91fc84fa8ba75fd3ea2edefa1b86

「外海(そとめ)」

二、宮崎賢太郎説への批判

(4)「カクレキリシタン」について(p119以下)

宮崎賢太郎氏の用語は独特。
従来、禁教令が出されて以降のすべての信徒のことを指して「隠れキリシタン」と呼んでいた。
しかし、宮崎は、

 1644年(小西マンショの死)~1873年(高札撤去)までを「潜伏時代」
 その間は「潜伏キリシタン」
 禁教高札が撤去されてから神父たちの許に戻ったものたちは「復活キリシタン」
 戻らなかったものたちは「カクレキリシタン」

とする。
宮崎は「カクレキリシタン」の信仰は「キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的な日本の民俗宗教の一つ」とする。

(5)キリシタンは「変容」などしていない?(p121以下)

「禁教期変容説」への批判

「信仰の価値 次代に伝える 平戸市生月町博物館・島の館館長 中園成生さん(60)」
https://www.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/news/20230430-OYTNT50025/

-------
『かくれキリシタンの起源 信仰と信者の実相』(弦書房、2018)

現在も継承される、かくれキリシタン信仰の全容を明らかにする。「信仰を変容させた信者」という従来のイメージをくつがえし、長年の「かくれキリシタン」論争に終止符を打つ。
20年におよぶ多角的な研究から見えてきたのは、400年前の宣教師たちが日本人の精神と暮らしを理解して創出した「日本人のキリスト教」と、それを禁教の時代にも守り続けるために信者が選択した「信仰並存」という形だった。
250年にわたる禁教時代を越え、400年間変わらず継承された信仰の実像に迫る。

https://genshobo.com/archives/7653

(6)「キリスト教とは何か」という根本的な問題へ(p122以下)

宮崎は「真正なキリスト教」という表現を用いて議論する。
しかし、キリスト教における「真正さ」とは何か。

どこまでが「キリスト教」なのか?
キリスト教を「信じる」とはどういうことか?
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0041 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その4)

2024-02-13 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第41回配信です。


第三章 禁教高札を撤去した日本

1 復活したキリスト教

(1)ペリーの来航

マシュー・ペリー(1794‐1858)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%BC

聖公会信徒
タウンゼント・ハリス、ダグラス・マッカーサーも聖公会

タウンゼント・ハリス(1804‐78)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9

(2)宣教師に「発見」されたキリシタン

1865年3月17日 「信徒発見の日」


(3)プティジャンの報告は自作自演?

宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(KADOKAWA、2018)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321709000031/

「プティジャンが創作した自作自演のドラマ」
「キリシタンは命がけで信仰を守り通したが、その守り通した信仰は、キリシタンとは呼ぶことのできない別のもの」

宮崎賢太郎(1950生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E8%B3%A2%E5%A4%AA%E9%83%8E

「殉教者は何に対して命を捧げたのか」(by 宮崎賢太郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33f9018e38ad83b887f1c692a311cc25

(4)「カクレキリシタン」について
(5)キリシタンは「変容」などしていない?
(6)「キリスト教とは何か」という根本的な問題へ
(7)ようやく禁教高札が撤去される
(8)宣教師フルベッキと岩倉使節団
(9)軍隊建設のすすめ
(10)拳銃を携帯していた宣教師
(11)さまざまな社会の変化
(12)宣教師のもとへ送り込まれたスパイ
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0040 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その3)

2024-02-12 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第40回配信です。


一、前回配信の補足

コルネリオ会
http://jmcf.s302.xrea.com/index.html

二、私は如何なる人間で、如何なる目的のために『キリスト教と日本人』を読むのか。

(1)私は何者か。

キリスト教を含め、特定の「宗教」を「信仰」してはいない。
しかし、キリスト教美術、特に中世の装飾写本や建築に強く惹かれる。
キリスト教美術に大きな可能性を感じる。

https://twitter.com/IichiroJingu

(2)『キリスト教と日本人』を読む目的は何か。

石川著の「あとがき」(p291以下)

-------
 本書の目的は、「はじめに」で述べたとおりである。これはキリスト教の入門書ではなく、日本キリスト教史の解説書でもない。本書は、宗教とは何か、信仰とは何か、ということについての、長々とした「問い」そのものだと言ってもいい。
 「キリスト教とはこういう宗教ですよ」と解説した本は多いが、宗教について考えるうえで重要なのは、「答え」を搔き集めてその量と正確さにこだわることだけではない。それも必要なことではあるけれども、まずは、正直に思う存分「問う」ことが大事なのではないだろうか。そんな風に考えながら、書かせていただいた。
【中略】
 執筆中は膨大な先行研究から多くを学ばせていただいたのはもちろんだが、これだけのことを調べ上げた人がいる、これだけのものを翻訳した人がいる、ということそれ自体に驚愕し感動することも多かった。私も先輩方を見習い、しっかり腰を据えた研究を積み重ねていかねばならないと改めて思った次第である。
【後略】
-------

研究者であれば「真の意味での宗教的思索」(「はじめに」)それ自体が目的でよい。
しかし、「戦争」を深く研究された石川氏であれば、その研究成果を「平和」に生かす方法の考究に活用すべく工夫してもよいのではないか。
「キリスト教と日本人」の考察から、キリスト教を活用した「日本人」ならではの平和の構築を構想してもよいのではないか。
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0039 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その2)

2024-02-11 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第39回配信です。


『キリスト教と戦争』著者・石川明人氏(桃山学院大准教授)インタビュー(1)
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23251/20170216/ishikawa-akito.htm
戦争とキリスト教を読む(2)戦場の聖職者、キリスト者軍人・自衛官の信仰から「戦争のリアル」を考える 『戦場の宗教、軍人の信仰』

「宗教倫理学会」サイト
http://jare.jp/
『宗教と倫理』第11号(2011年10月発行)
石川明人「自衛隊のなかのキリスト教(研究ノート)」
http://jare.jp/admin/wp-content/uploads/2017/05/ishikawa-religion-ethics11.pdf

コルネリオ会
http://jmcf.s302.xrea.com/index.html

-------
大学院時代は神学者パウル・ティリッヒの研究をしていて、博士論文は「ティリッヒの宗教芸術論」というテーマで書いたんです。その中でティリッヒが、実は第1次世界大戦で従軍チャプレンだったことを知って、博士論文を提出した後、米軍の制度の中の従軍チャプレンとは何かを調べ始めたんです。
【中略】
ティリッヒでこれ以上新しい研究は、自分には難しいと思うようになったんです。同世代にもとても優秀なティリッヒ研究者がいて、彼にはかなわない。だから「誰もやっていない研究をやらなければ」と思って研究テーマを変えたというのもあります。ティリッヒが第1次世界大戦で従軍チャプレンだったことを知って、米軍の従軍チャプレン制度を調べ始めました。
-------

パウル・ティリッヒ(1886‐1965)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92

自分のブログを「ティリッヒ」「ティリヒ」で検索してみると、7投稿あった。

ジェファーソン引用の趣旨(その1)(2016年 5月23日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9a746ea139512f15505de8df3d4a45e6
『神なきユダヤ人』(2017年 3月11日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/37874f9adeeb95bf7290ae79a663e2d9
マイスタージンガーの「ちゃりん」(2017年 4月 4日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2517a81650541c274c62bb0df2b14ca1
ラインホールド・ニーバーが浅薄?(2017年 4月14日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f2d99d04f2ad8bdd8ea18a528dfb31d8
パウル・ティリヒと南原繁(2018年 9月27日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c24b4592bb041e52a93c13c427c0a7ce
「カール・レーフラー」を探して(その1)(2018年11月11日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3581a30f36a9a15186088d3432aa7762
「エルンスト・トレルチの家計簿」を読む。(その3)(2019年 5月21日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ba9b2399f97450e6a8ae2e00d694561

ただ、私がパウル・ティリッヒに興味を持ったのは、深井智朗氏の『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』(中公新書、2017)がきっかけ。

深井智朗(1964生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E6%99%BA%E6%9C%97

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0038 石川明人『キリスト教と日本人』を読む(その1)

2024-02-10 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第38回配信です。

石川明人(1974生、桃山学院大学社会学部教授)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%98%8E%E4%BA%BA

第1回 石川明人×野口健(2013年3月8日)
https://www.noguchi-ken.com/M/2013/03/1-1.html

PRIME FACTOR【2015.8.15】人はなぜ戦争をするのか?
https://www.youtube.com/watch?v=oUYYSDwlPY0

『キリスト教と日本人 宣教史から信仰の本質を問う』

-------
 はじめに
第1章 キリスト教を知らずに死んだ日本人に「救い」はない?
第2章 戦争協力、人身売買、そしてキリシタン迫害
第3章 禁教高札を撤去した日本
第4章 「本当のキリスト教」は日本に根付かないのか
第5章 「キリスト教」ではなく「キリスト道」?
第6章 疑う者も、救われる
 あとがき
-------

-------
はじめに
 キリスト教の矛盾を見つめる
 そもそもキリスト教の歴史は「長い」のか
 キリスト教は「新しい」?
 世界に最も大きな影響を与えた人物は誰か
 信仰があるのかないのか、という問い
-------

-------
キリスト教の矛盾を見つめる

 日本人の九九%は、キリスト教を信じていない。
 本書では、その九九%の「信じない日本人」の方々に、今までどおり信じないままで構わないので、日本人とキリスト教との関わりについて考えていただきたいと思う。
 ただし、それは決してキリスト教の素晴らしさをわかってほしいとか、逆にキリスト教のダークサイドを知ってほしいとか、そういう狙いからではない。
 本書の目的は、これまでの日本人のキリスト教に対する眼差しや、来日した宣教師たちの言動を糸口にして、そもそも宗教とは何か、いったい人間とは何か、という大きな問いに向かうきっかけを提供することにある。
【中略】
 ならば、神の「沈黙」はこれまで少なくとも二種類あったと言わざるをえない。すなわち、迫害に苦しめられたキリスト教徒に対する「沈黙」と、残忍なキリスト教徒に苦しめられた人々に対する「沈黙」である。
【中略】
 キリスト教は、全体として見るならば、人間というもののいかんともしがたい現実を示す壮大な実例だとも言える。
 キリスト教の信仰を持たない九九%の日本人にとっては、複雑でわかりにくいその教義や思想よりも、むしろキリスト教徒のなまなましい矛盾と限界それ自体の方が、真の意味での宗教的思索のきっかけになるのではないだろうか。
-------
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0037 岩屋寺の仁王像と岩屋寺文書、そして北条時輔の母について

2024-02-08 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第37回配信です。

ユイキヨミ氏
「消えた仁王像 出雲の「村の宝」がオランダで展示の謎 数奇な運命がむすんだ人々の縁」
https://globe.asahi.com/article/15144102

仏像の海外流出と聞くと、ついつい廃仏毀釈を連想してしまうが、岩屋寺の仁王像の場合、昭和50年(1975)以降の話。

うさたろう氏(2022年2月27日)
出雲の石清水八幡宮寺領の一つである現奥出雲町の横田荘には、荘園と密接な関係にある岩屋寺という寺院があるんだけれど、どうやら廃寺になっているっぽい。
https://twitter.com/usataro1999/status/1497630460578766848

乃木板(のぎーた)氏
「岩屋寺(島根県仁多郡奥出雲町)」
https://yamap.com/activities/10612793/article

木次線(きすきせん)

「あとがき愛読党ブログ」
あとがき16 奥出雲から流出した仏像たち:映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』(2014年、オランダ)
https://atogaki.hatenablog.com/entry/2015/02/24/203931

東京大学史料編纂所研究紀要第16号(2006)
杉山巌氏「光厳院政の展開と出雲国横田荘─東京大学史料編纂所所蔵『出雲岩屋寺文書』を中心に」
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/16/

-------
 はじめに
一 出雲国横田荘と岩屋寺
(一)治承・寿永の乱と地頭請の成立
(二)地頭北条時輔の登場と下地中分
(三)横田荘の変遷と岩屋寺の興行
二 訴訟の展開に見る光厳院政下の雑訴沙汰
(一)岩屋寺による提訴と訴訟の展開
(二)岩屋寺院主祐円の死去と訴訟の継続
(三)貞和三年の提訴と円観の登場
三 具書案の作成
 おわりに
-------

北条時輔(1248‐72)


UTalk|"謎解き"こそが歴史学―モノが歴史を語り出す―
https://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/utalk/2016/12/19/17.html
杉山巌氏「最後の新潟奉行白石千別とその日記」
https://actros.sakura.ne.jp/wp/?m=20231223

「うる星やつら」旅の僧 錯乱坊(チェリー)
https://uy-allstars.com/story/ep01/
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「宣教師のもとへ送り込まれたスパイ」

2024-02-07 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
今日は石川明人氏の『キリスト教と日本人』(ちくま新書、2019)を読み直してみました。

-------
『キリスト教と日本人 宣教史から信仰の本質を問う』

日本人の九九%はキリスト教を信じていない。世界最大の宗教は、なぜ日本では広まらなかったのか。宣教師たちは慈善事業や教育の一方、貿易、軍事にも関与し、仏教弾圧も指導した。禁教期を経て明治時代には日本の近代化にも貢献したが、結局その「信仰」が定着することはなかった。宗教を「信じる」とはどういうことか?そもそも「宗教」とは何か?宣教師たちの言動や、日本人のキリスト教に対する複雑な眼差しを糸口に、宗教についての固定観念を問い直す。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480072344/

ちょっと気になったのが次の一文です。(p132以下)

-------
宣教師のもとへ送り込まれたスパイ

 一九世紀後半に来日していた宣教師のもとには、求道者を装ったスパイ・密偵が送り込まれることも珍しくなかった。【中略】
 フルベッキのもとには、仏教側から送られたスパイが潜入していた。
 そのスパイの僧侶は「耶蘇退治」のための情報収集としてフルベッキのところへ入り込み、実に三年間にわたって教えを受けた。とても熱心だったので、フルベッキが彼に自ら伝道するよう勧めると、彼は突如行方をくらましてしまった。
 それからしばらく後、キリスト教を批判する『崎陽茶話・邪教始末』という冊子が一八六八年に刊行されたのだが、それを読んだフルベッキは、その著者はかつて自分のもとでキリスト教を学んだその僧侶に間違いないと気付き、後に知人に送った書簡でもそのことについて触れている(高谷道夫編訳『フルベッキ書簡集』一三一頁)。
-------

「崎陽茶話」で、あれれ、と思って自分のブログを検索してみたら、「石丸八郎とは誰か?」(2016年 2月 3日)に、山口輝臣著『島地黙雷─「政教分離」をもたらした僧侶』(山川出版社、2013)からの引用として、

------
 当初は豊前国中津(大分県中津市)の照雲寺・松島善譲のもとにいく予定だった。だが松島善譲は京都にいて不在との情報をえて、肥後国山鹿(熊本県山鹿市)にある光照寺の原口針水に就くことにした。原口針水は筑前国博多(福岡県福岡市)の万行寺で学んだのち、自坊の学舎・累世黌にて、各地から集う学徒たちを育英した僧侶。黙雷が山鹿を去ったあとのことだが、本山の命により、長崎にでて宣教師から直にキリスト教を学び、それをもとにキリスト教を批判する書物を刊行し、「破邪顕正御用掛」に任じられるなど、本願寺におけるキリスト教対策の中心人物でもあった。こうした師のもと、黙雷は足かけ五年にわたって修行を続け、一八六一(文久元)年に帰郷する。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/36a1ae82d98ba58821672bc9e56ff5fa

とあって、この「キリスト教を批判する書物」に付された注には、

--------
具体的に名前をあげると、『崎陽茶話』と、その付録の『長崎邪教始末』。ただし著者は原口針水ではなく、その弟子である唯宝寺良厳(のちに還俗して石丸八郎、一八三七-八九)と推定されている。
--------

とあります。
「フルベッキのところへ入り込み、実に三年間にわたって教えを受けた」のは石丸八郎のようですが、後で『フルベッキ書簡集』を確認してみるつもりです。

グイド・フルベッキ(1830‐98)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AD

なお、石川著には、上記引用に続けて、

-------
 スパイのなかには宣教師を見直してキリスト教に帰依する者も出たが、多くのスパイはキリスト教を肯定的に認識し直すにはいたらなかった。その多くは真宗の僧侶だったのである。
 社会学者の森岡清美は『日本の近代社会とキリスト教』のなかで、太政官から派出されたスパイについても幾人かを挙げている。
 まず一人は安藤劉太郎という人物で、彼は日本基督公会(日本で最初のプロテスタント教会)の設立の日に受洗したうちの一人であった。彼は実は真宗東本願寺派の僧安休寺猶竜で、「上等謀者」として月二〇両の給金を得ながら、横浜方面の「異宗探索」を担当していたとされている。
 また、同じく日本基督公会で桃江正吉と名乗って受洗した人物も破邪護法の僧光永寺隆端の偽名で、彼は月一〇両の「下等謀者」として東京方面の探索を命じられていたという。
 異宗探索を命じられていた太政官謀者としては、東京に二名、横浜に二名、大阪に二名、長崎に二名、長崎天主堂掛り三名、箱館に一名、合計で一二名が活動しており、そのうちの多くが真宗僧侶であったという(三七~三九頁)。
-------

とあって(p133以下)、仏教側のキリスト教への反撃においては、やはり浄土真宗が主導的な役割を担っていたことが分かりますね。

※追記(2024年2月16日)
「上等謀者」「下等謀者」「太政官謀者」は石川著をそのまま転記したものですが、森岡清美『日本の近代社会とキリスト教』(評論社、1976)を確認したところ、これらはいずれも「諜者」となっています。(p37以下)

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0036 第二ブログで少し書いてみたこと

2024-02-06 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第36回配信です。


動的博物館国家論
https://note.com/cute_hebe865

-------
「宗教的空白」について(2023年6月7日)

私の第一ブログ「学問空間」で「宗教的空白」についてあれこれ考え始めたのは今から七年前、2016年のことで、同年の「新年のご挨拶」で「グローバル神道の夢物語」という妙なシリーズを始めると宣言し、森鴎外の「かのやうに」を出発点に日本人の宗教観を検討してみました。

社会の精神的安定にとって必要なのは「ビリーフ」ではなく「プラクティス」である。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0b4bb2bea23d79256a8fafc6bd4bb32a

以後、折に触れて、「宗教的空白」が歴史的にどこまで遡れるのか、という観点から調べていたのですが、過去に遡れば遡るほど宗教感情が篤いということではなくて、拡大と縮小の大きな周期があるようです。
もちろんいつの時代にも篤信者と「狂信者」はそれなりの割合で存在しますが、中世まで遡ってみたところ、南北朝期は日本史上「宗教的空白」が特別に拡大した時期ではないかと思われます。
南北朝の動乱が終わって以降の「宗教的空白」の変動については未検討ですが、近世に入ると「宗教的空白」は徐々に拡大して、幕末に最も増大する感じですね。
ただ、以上に述べてきた「宗教的空白」とは、磯前順一氏の用語に従えば、「ビリーフ」(概念化された信念体系)が「空白」だということで、「プラクティス」(非言語的な慣習行為)は一貫して、広く薄く継続して来たように思われます。
そして、日本社会に精神的安定をもたらしたのは、少数の「ビリーフ」派ではなく、大多数の「プラクティス」派だろうというのが私の暫定的な結論です。
過去の探求と並行して、この「宗教的空白」を将来向かって活用できないだろうか、という方向でもいろいろ考えていたのですが、しかし、それをブログに書くことはありませんでした。
私の考えていたことをそのまま書いていたら、頭のおかしい人と笑われたかもしれません。
しかし、ウクライナ戦争の勃発以降、思想的な環境は相当に変化したように思われるので、今回、第二ブログを始めてみました。

https://note.com/cute_hebe865/n/n78f941dad8be

磯前順一(1961生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%AF%E5%89%8D%E9%A0%86%E4%B8%80

三谷太一郎『近代日本の戦争と政治』を読んでみた。(2019年 7月24日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c793732e1db760eb22078608111864e3
『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』(その4)(2019年 8月28日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4273236f48b9ae878782d732ed89f0b3
「此等の人々が迷信遍歴者なら、姉崎博士などは宗教仲買人」(by 浅野和三郎)(2019年 9月 9日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3e11a83af0a4cff43392988c5dd7141e
「宗教教団を訪問する時は絶対にすなおに相手を信用してはいけない」(by 村上重良、ただし伝聞)(2019年10月31日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6ffc2516dce80de8d0751450e7a7a967
一番優れた入門書、平山昇『初詣の社会史』(その4)(2019年11月14日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2e1e0c2a00ea3b33c08537a46bb2ce4c
渡辺京二『逝きし世の面影 日本近代素描Ⅰ』(その5)(2019年11月17日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4129a97806f20ee5032ee59525bd944
資本主義は「プラクティス」としての「宗教」か。(2022年 1月 7日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1039590e0e95bd9c21a8ee30f8ba03fe
磯前順一氏と京極純一氏、そして大平正芳元首相について(2022年 1月 8日)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fbd915e3aa7cd952c8c4c8a521b8c099

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