学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

秋山哲雄氏「鎌倉幕府論 中世の特質を明らかにする」を読む。(その5)

2023-03-06 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

1939年生まれで、往時の歴史科学協議会の大会で「若者集団の雄叫びのような報告」をされたり、「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」などと言われていた深谷克己氏(早稲田大学名誉教授)も、「『戦後歴史学』を受け継ぐこと」(『岩波講座日本歴史第10巻近世1』月報、2014)において、

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 私自身がその末端につながっている─と自認している─「戦後歴史学」の中の「戦後近世史研究」は、「グランドセオリー」と呼ばれたりもするような「世界史仮説」に牽引されて、「発展段階の規定」にこだわり、「先進・後進の規定」にこだわってきた。こうしたこだわりからの自由さが、「現代近世史研究」だと私は理解している。刊行され始めた『岩波講座日本歴史』は、執筆者に多少の年齢差はあっても、この自由さを力にして、一つの方向だけを向かない個性的な研究成果を発表してきた世代によって担われていると私は見ている。
 新しい歴史学の担い手層に、私は問題意識が薄いとか「個別分散」的であるというようには思わない。むしろ「現代歴史学」世代の問題意識は、たとえば「国家の死滅」というような見えない目標をあえて見ようとしていた「戦後歴史学」世代よりも、より率直であり、生活性が濃い。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fef92f22ab1156f98de542558114b969

などと書かれていて、「「国家の死滅」だなんて、僕もう疲れたよ、パトラッシュ・・・」という深谷氏の述懐は、秋山氏の「「国家とは何か」という抱えきれないほど大きい問題」という歎息と重なりますね。

「宗教的要求は階級的要求の前近代的表象」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/30b01514fae81f9d6c95a6335157c7d5
「若者集団の雄叫びのような報告」(by深谷克己氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/379ca67b285840674c124aaf613b31fa
不可逆的な深谷克己氏について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/99f8754794d29f7074a1fef3e9d795da

「国家の死滅」まで包含していた「グランドセオリー」は、「ノストラダムスの大予言」並みの雄大さはありましたが、歴史学研究会や歴史科学協議会の会員であっても、今では継承者を見つけるのは大変そうです。
さて、続きです。(p168以下)

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 それとは別の観点で、従来の幕府論に対して、その成立期まで戻って批判を加えたのが川合康である。それまでの幕府論は、いずれの立場にしても、幕府が朝廷から宣旨を獲得して権限を拡大していくという考え方に基づいていた。川合は、幕府が朝廷から公権を委譲されたということの考え方を公権委譲説とよび、これを批判したのである。
 鎌倉幕府成立期の荘郷地頭制を検討した川合は、反乱軍としてスタートした頼朝軍が独自に進めた、敵方所領没収とその没収地給付という軍事体制の存在を指摘した。その上で、例えば承久の乱で上皇が幕府によって「謀叛人」と認定されたように、朝廷の意向に関係なく「謀叛人」を認定できる幕府は、権門を越えた立場にあると主張する。
 公権委譲論を批判するこの主張によって、幕府の独自性のひとつが明らかにされ、幕府論は再び成立期の問題を議論する必要に迫られた。このように成立期という隘路から幕府論が抜け出せない状況をみると、とりあえず二つの王権があったことにして議論を進めようという「二つの王権論」の発した見切り発車の号砲は、その消極的な響きよりも意外に有効に思えてくる。
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「鎌倉幕府成立期の荘郷地頭制を検討した川合」に付された注(16)には「川合康『鎌倉幕府成立史の研究』(校倉書房、二〇〇四)」とあり、「朝廷の意向に関係なく「謀叛人」を認定できる幕府は、権門を越えた立場にあると主張する」に付された注(17)には、「川合康「鎌倉幕府研究の現状と課題」(『日本史研究』五三一、二〇〇六)」とあります。
私は川合氏の著書は『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究』(講談社選書メチエ、1996)くらいしか読んでいなくて、今回、初めて『鎌倉幕府成立史の研究』を眺めてみましたが、権門体制論の「予定調和」の世界とはかけ離れたリアルな鎌倉幕府成立史が描かれていて、ちょっと感動しました。
しかし、「鎌倉幕府研究の現状と課題」を見ると、川合氏が自身を権門体制論者とされていて、ちょっとびっくりしました。
川合氏は「権門を越えた立場にある」幕府が、同時に「権門」の一部であるとされる訳で、この「メビウスの輪」的な、位相幾何学的な論理は私には理解しにくいのですが、この点は川合論文に即して、別途検討したいと思います。

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